2015.1.1.元旦
午前7時過ぎに起床。外をガラス越しに眺めると、一面銀世界。この冬は降雪が多いなと思う。
台所に入り、朝食兼昼食を兼ねた食事の準備に取り掛かる。と、言っても作るものお雑煮のみであるが。
ここで軽く「しまった」と思う。カミさんの実家でいただくお雑煮の作り方を習ってなかった。お雑煮は、各家庭で夫々の作り方があり、どの味にも慣れ親しめば美味しいものだと思うのだが、結婚以来参賀日に必ずいただくカミさん実家の雑煮を何時の間にか好きになってしまっていた。鰹節などで取っただし汁に醤油で味付け、甘辛く炊いたブリの切り身、ささがき牛蒡に人参、ホウレンソウがトッピング、その上大量の鰹節が振りかけられているのがカミさん実家のお雑煮。頭ではレシピは想像できるが、味付けに自信なし。
仕方がないので、我が実家のレシピで雑煮を作ることにした。ブリのアラでダシを取るべく煮立て、お酒を少々、今一つの物足りないのでダシの元を追加。塩と醤油で味を調える。そこにブリの切り身とハマグリを投入でお汁の完成。丸餅を水煮して火が通ったところで、お椀に入れて、先のお汁をかける。トッピングは蒲鉾と三つ葉を刻んだもの。それで完成。
その他前日持ち帰ったおせちの一重箱、別に求めた数の子と押し寿司を用意。午前10時過ぎから長男と二人で元旦の食事を開始した。ここで御屠蘇をいただきたいのであるが、この後予定があるため、そこはグッと堪えて炭酸水で乾杯とする。長男のお雑煮に対する評価は上々であり、オヤジの面目を保つことが出来たw。
昼過ぎまで、元旦特有のお笑い番組をだらだら見た後、午後1時ごろより夫々に活動を開始。私は、リハビリ病院に出向き、長男はお勉強となった(果たして実際にしたかどうかは不明w)
朝積もっていた雪も、昼過ぎには概ね溶けて消えていた。午後1時30分過ぎにリハビリ病院に到着。面会者もまばらであり静かな病棟風景があり、病室を覗くとぽつねんと老女が独り。年始の挨拶を済ませた後、「調子はどうだ」と問うと、まあまあだとのこと。「一日も早く帰れるように頑張ろうぜ?」と言うと、「うーん」などと曖昧な返事。どうも自分も含めてやる気のない一族だなと苦笑いする。
何か必要なものはあるかと問えば、「アイスクリームが食べたい」とのこと。病院の売店は休みなので、近くのコンビニを探して付近を散策する。街中にある病院なのですぐにでも見つかるであろうと思いきや、歩けども歩けどもコンビニは見つからず、結局片道30分も費やしてしまった。朝までの降雪は嘘のように、日差しは明るく穏やかな陽気となっていた。元旦の街中は、人通りも少なく静かな佇まいであった。
“誰かが「子育てがひと段落すると今度は親の介護が始まる」なんて言ってたな。これが現代の平均的日本人の有り様のひとつなのだろうな。そういう意味で平均的な人生を今のところ歩んでおりまする”などと、帰りの道すがらぼんやりと考えたりした。
病室で二人でアイスクリームを食べ終わる頃、リハビリセラピストが病室を訪れてリハビリの開始を告げる。階下のリハビリ室まで老女を送り届けた後、病院を辞す。
午後4時過ぎに帰宅。長男一応勉強している様子(フリかも知れないw)。躊躇う長男に強く言い、近所の氏神様を祀る神社に初詣に出かける。
お社の境内では、町内会のオジサンたちが出て、参拝客にお神酒を振る舞ったりお守りを販売したりしている。「お疲れ様です」と挨拶をする。ふたりで参拝を済ませた後、踵を返して帰ろうとしていると、横合いから女性が声をかけてくださる。長男の同級生のご両親と鉢合わせとなった。「もうすぐだね」と声をかけられ、長男「はあ」と曖昧な返事。
その後、ふたりで並んで歩きながら、長男が「やべえ、やべえ。失敗するとおちおちこの辺歩いていられなくなるな」などと苦笑いしている。「別に良いじゃないの。天下の素浪人でござると、思いっきり暗い顔して歩けよ」と笑い返してやる。“普段から人一倍呑気な野郎でも一応の世間体は気にしていやがる”と思うと可笑しかった。
午後6時より夕食とする。昼間に食べ残したおせち料理・押し寿司にブリの照り焼き、雑煮の汁をメニューとして夕食とした。
カミさんには申し訳ないが、オトコ二人きりの正月も悪くなかった。何時かは夫婦二人きりの正月を送る日もそのうちあるだろうからw。そう思うと、“げー”と思うべきか、“楽しみ”と書き記しておくべきか・・・・・・w。
翌日から、私は世間の皆様より一足早く仕事再開となった。長男は、独り暮らしの予行演習をすべく、4日まで自炊生活をした。
終わり
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