6月3日、すこし職場に無理をお願いして、午後4時過ぎの広島発の新幹線に乗り東京に向かう。私が所属する所業団体の総会が幕張で開催されるので、その一部を覗いてくるのが、今回の旅の主目的であった。
金曜午後の新幹線指定席は、拍子抜けするほどガラガラで(尤、広島駅発であったためでもあるが)、のんびりとした空気が漂っていた。これまでなら、F.B.なりtwitterで上京するぞとそれなりのことをほのめかすのであるが、此度はそんなに気にもなれず、大人しく缶ビールをちびちびとやりながら携帯した単行本を読んで過ごした。
その日夕方の天気は晴れていて、E席(左の窓際)に座っていると西日が強く当たっていた。この分だと、静岡辺りまで明るさは保たれて、富士を眺めることが出来るかも知れないと楽しみにしていたが、残念ながら富士見駅を通過するころにはすっかり日が暮れてい、富士の稜線を見ることが出来なかった。復路の楽しみとする。
午後8時過ぎ東京駅に到着、JRにて新橋に移動し、銀座9丁目界隈のホテルに投宿。ネクタイにスーツという出で立ちで田舎から出て来たのであったが、行きかうビジネスパーソンたちのクールビズ・ノーネクタイスタイルに倣って、ネクタイを外し、夕食を摂りに再び外出する。
JR新橋駅界隈は、仕事帰りの男女で大変な賑わいであり、流石サラリーマンの天国だと思えた。どの居酒屋・飲食店も混雑していて賑やかな声が聴こえている。2-3の店をトライしていみるも、「生憎満席です」と断られたのだが、丁度一軒の焼き鳥屋を通りすがろうとしたところ、数人の客がその店を出るところに出くわし、入れ替わりに入ることが出来た。店内はL字をしたカウンター席の狭い空間で、私の左右には2-3人ずれの客が賑やかに談笑しながら思い思いにアルコールをやりながら串を突いている様子だった。
私は、生ビールに4-5本の串を注文し、ほっと一息つく。付き出しの後、注文したものが少しずつ運ばれてくるが、どれも美味しい。店側のサービスもテキパキとして悪くない。焼き鳥屋に入る度に思う事なのだが、ササミやレバーが半ナマで供されるのは、大丈夫なのだろうか?確かに、焼き過ぎるといずれもぱさぱさしてしまうのであり、新鮮なものであればレア状態が旨いということなのだろうか。出されたそれらの串を己の疑問を素早くひっこめて静かに食べてみる。でも、確かに旨いとも感じた。これはこれで良いのかと。
先ほどから、隣の男性サラリーマンの二人連れが賑やかに駄弁っている。先輩風のオトコが、後輩風のオトコに向かって、「○○ちゃんは、女性社員に人気があるねえ。なにか秘訣があるのか?」と聴き、「そーっすねえ、それはですねえ」等と後輩オトコが気分良さそうに意見開陳している。こちらとしては聴くつもりは全くないのだけれど、真横で両者が大声で会話されては、聴きたくなくても勝手に会話が耳に入ってしまう。
そのうちに、その後輩オトコが酔いも手伝ってか気が大きくなってきた様で、恐らくは他の同僚の寸評から始まって批評を論じ始めている。「○○さんのあの仕事の勧め方はないっすよね。もうちょっと上手くやれるとボクなんか思うんですよね」などと。先輩オトコが、「まあ、そうなんだよなあ」などと調子を合わせている。
よく有る風景である。良いのではないでしょうか。
“ああ、この風景どこにでもあるんだよなあ、かつて若造だったころ、私もグループでの飲み会で同じような場面に出くわして、同僚をなだめたりすかしたりしていたものだった。そんな組織の中の対人関係が面倒くさくなり、組織を離れるひとつの要因であたかもしない。”等と思い始めていた。
独りで呑みながら、隣で繰り広げられる会話と自分の過去を重ね合わせて色んなことを考えていたのだが、ふと辺りを見回すと、その店のお客たちは皆20-30代の客ばかりであることに気が付いた。こちらとしては、サラリーマンの天国・新橋の夜を楽しんでやろうとやってきたのであるが、ひょっとしたらもう齢を取り過ぎて、この夜の街をうろつくことから卒業する時期なのかも。齢をとっちゃったねえとしみじみと思った。
注文の品を胃袋に収めたところで、すごすごとその店を撤退し、ホテルに戻る。
6月3日
午前9時から午後3時過ぎまで、幕張であった私の職能団体の会議に参加し、再び東京に戻る。午前中は激しく雨が降っていたが、東京に戻る頃には雨は上がり穏やかな西日が射していた。
その夜は、この春から東京近郊で独り暮らしを始めた青年Aと食事をする予定となっていた。午後4時過ぎにホテルの部屋に戻り暫し休息。先方が「寿司とか天麩羅が喰いてえ」と所望していたため、スマホで築地あたりのお店を検索し候補を挙げておく。
青年Aは、その日塾講師のアルバイトを始めるにあたり、初期研修を受けなければならないとのことで午後5時過ぎに用事が終わり、それから合流すると予告していた。
午後5時過ぎに、Aより「今終わった。これから新橋に向かう。大体6時前後になりそう」とのメッセージをLINEで寄越す。JR新橋駅銀座口を待ち合わせ場所とする。
午後6時前に新橋銀座口で待っていると、ほどなくしてAが登場する。待っている間に、築地の2-3軒の鮨屋に予約を取ろうとするが、どの店も申し訳なさそうに「生憎満席で並んで待ってもらうしかない」との返事であった。Aにその旨告げて、“やむ得ない”とホテル近くで見つけていた寿司屋に予約なしで入ることにした。
幸いな事に、その鮨屋はまだ客がまばらで難なくカウンター席を確保できたのだが、良く考えてみるに、土曜夜の銀座には仕事帰りの客も少なく主に観光客相手になるのであろうから、却って入店しやすいのかもしれない。そう云えば店の入り口に掲げられたメニューには、「土日はサービスデイとして通常の半額で提供する」等と書かれてあった。
青年Aにとって“回らない寿司屋”に入り白木のカウンターで鮨を摘まむというのは初めてのことであった。
「飲み物どうするか?」とAに問うと、「一応ウーロン茶にしておく」という。私は、ビールを注文し、おつまみとして、御造りとハモノ湯引き梅肉添え、そしてAのために茶碗蒸しなどを注文した。
「お金目的ではないが、数学を教えるテクニックが知りたくて、塾講師のバイトを始めようと思う。ちょうど良かった、身元保証人のところにサインを書いてくれ」
「大学は楽しいよ。みんなまじめなんだよ。夜遊ぼうと連絡してくる奴はいない。大学が終わったら夫々に帰っていくから、夜の時間はマイペースにやっているよ。それが助かる。結構レポートも多いから、浪人時代より勉強しているかもしれない(笑)」等々。
どうも己の学生時代(下宿生活も含めて)と比べてAの生活ぶりが違うので、内心驚く。私の学生時代なぞは、バブル時代と重なったこともあるだろうが、夜な夜な友人と遊び、週末はやすいお酒を呑んでいたと思う。勉強も試験前にはやったが、普段はそれほど熱心ではなかった。どうも当世の若い衆は、真面目というか大人しくなったんだなあ。
暫くつまみを突いていると、Aが「もう鮨喰いたい」と言いだしたものだから、板前さんにAのみ鮨の注文をお願いする。コハダ、キンメの炙り、赤貝、ウニ、イカ、マグロの漬け・・・・。
A「やっぱ、廻らない鮨はめちゃくちゃうめえなあ。」「普段、魚喰わないもの。スーパーで刺身買ってもいいのだけれど、面倒くさいし。」「俺なあ、ちゃんと自炊続けているよ。おふくろさんが、冷凍で送ってくれたものすこしずつ食べてるんだ・・・」「あんまり友達と飯食いに行くことないよ。たまに部活の後、メンバーと行くかな。それでも行くとしてもサイゼリアみたいなところ」「自宅生もねえ、『お小遣いはバイトで稼げ』と云われているらしくてねえ、派手に遊んでいる子いないんよ。」
“へー、”と思う。最近の大学生事情が偲ばれる。どのご家庭もその子弟の学費捻出にご苦労されているんだなと共感できた。A自身もそのような友人に囲まれて過ごしているため、それなりに節約しているとも言っていた。
どんどん食べていくAを見ながら、自分の子どもというよりは、独りの青年と接しているように感じ始めていた。青年Aの話を肴にゆっくりアルコールをビールから日本酒に移しちびちびとやりたかったのであるが、餓えたオトコAが次々と鮨を食べてしまうものだから、こちらもつられて鮨に移行し追いかけるように食べた。
流石江戸前は旨い。1時間超で程よくお腹は満たされて“廻らない鮨”は終了。お会計も覚悟していた金額よりは安く仕上がった。看板に偽りなし、リーズナブルなお会計であった。
その鮨屋を出て、通りを歩きながら“次はどうするか?折角銀座に出て来たのだから、何か買ってほしいものはないか?服なぞは足りているか?”などとAに問うも、A曰く「天麩羅食いたい」と2軒目を要求。我が胃袋は十分に満たされており、少し駄弁って歩きながら色々なショップめぐりをしたいと思っていたのだが、あくまでもAは天麩羅食わせろと主張した。喰わせてやるか、このオトコがわざわざ出て父親に付き合う理由なんて、上手いモノに有りつきたいというのが最大の理由なのだろうから。
歩きながらAはスマホのネットで天麩羅屋を検索し、そこから徒歩5分圏内のお店を探し出した。先ほどの寿司屋から1ブロック南側の通りに入り、程なくAが探し出した天麩羅屋に辿り着く。ビル1階に店舗がありその暖簾を潜って店内に入ると、そのお店も空席があり、なんなくカウンター席が確保できた。
再びまず飲み物は何にするかとAに問うと、今度は「多少アルコールが飲めないこともないんだよ。日本酒なら飲める」という。Aは、大学に入るまでは「酒は絶対に呑まない」と言い、そこには私への当てつけと思われる節もあったのだが、部活などのオフ会でアルコールを口にする機会があったらしい。A曰く「直ぐに赤くなるけど、アルコールがダメな体質ではないみたいだ」という。「日本酒が美味しいと感じる」というAに対して、まずは瓶ビールをすこしずつ分け合うことにして、その後、日本酒を注文することにしようと提案。そして、そのお店の最もリーズナブルな価格設定の天麩羅コースを注文した。
“初めて息子と酒を酌み交わす酒好きの父親の気分ってどんなものだろう?”とこれまでに想像してみたことがあったが、先ほどから自分の子どもというよりは、独りの青年と感じ始めていた私には想像していた悦びよりも、何かしみじみとしたものを感じた。
突然Aが、「俺なあ、今のところ仮面浪人になる理由が今の大学では見つからないんだよう」「勉強も、クラブも、独り暮らしに何の不満もない。若いうちに都会を経験できて良かったと思っている」と語った。
“こいつ心の片隅で仮面浪人を意識していたのか?そうか”。確かにAの入学先は彼の第一志望ではなかったものの、本人自身が進学を決めたところの筈だった。その大学は、世間では一流大学とは認めてもえないところだと思われるし、高校の同級生達は所謂有名大学に進学した者が多かった。彼の将来の就職の事を考えると、親として心配がないわけではない。
ただ本人にとって今の大学では、本人が望んでいたような学科を選択出来ているし、それから所属した部活やキャンパス生活において既に気の合う仲間を作り対人関係にも十分満足している様子であった。やりたがっていたアルバイトも始めつつある。
私が、「やりたい勉強やクラブが見つかって、それを全力でやっているんだったら、こんなラッキーなことはないよ。俺は十分満足しているよ。」と返答すると、Aも微笑んでいる。
そう応じながら、“何もいうことなし、本人は本人なりの道を歩き始めている、親としてそれで十分に納得している。ただ肯定的に見守ってやろう”と改めて思った。世間の皆様にはバカ親父だと笑われるかもしれないが、就職についてもAなりに自分に合う職場を見出していくだろうと思うようになった。
一方で、このAから振ってきた“仮面浪人”話には、私と彼との間で、彼の思春期以来を迎えてから何となく生じていたギクシャク感を、彼の方から解消しようと仕向けた話題のようにも感じられた。私なりに彼の生きる上での選択をちゃんと肯定していることを意思表示しておく必要を感じていた。改めて彼なりに思春期から青年期に旅立っていったんだな確認することができた。
そんなことを想いつつ、供される天麩羅に舌鼓を打ち、そしてビールが無くなった後に運ばれた冷酒を少しずつ分け合った。私の勧めるままに、Aは冷酒を口にしていた。
すこし酔いが廻って来て、先ほどから脳裏に東京に出てくる前に家内が出した指令が私の脳内を巡っていた。その指令とは「Aに彼女が出来たかどうか、確かめて来い」なるもので全くバカバカしい指令であり、“父親がそんなこと一々聴いてられるかい”と思ったりもしたのだが、今どきのどこにでもある青年の生態を垣間見るのも良いか、雑談の延長としてで探ってみるかと思い始めてみた。
努めてさりげなく「ところで、最近は浮いた話があるのか?」とAに質してみると、Aはあっさりと「実はなあ、それが彼女できちゃったんだ」という。なんでも、同じ部活の新人の女子らしい。東京出身の子で、あっさりとした男っぽい気性の娘なのだという。「倍率高かったらしいけど、そんなことは全く知らなかった」と。なんでも先輩の女子が、「その娘がAに気があるらしいから、アタックしてみろと勧めた」らしく、言われるがままにアタックしたところうまく事が進んだのだという。
「ふーん」と応じるしかない。その後の事は、もう勝手にどうぞという気分であった。
その後もコースの天麩羅が続き、オプションでAは2品も追加注文し全て平らげた。相当餓えていたんだな。聴くに、普段は一日1.5食程度で済ませているらしく、心なしかこの2-3か月で痩せていた。「腹がふてえ。大満足」とのことになり、その天麩羅屋を辞した。
しばらくその界隈をふらついた後、二人で私の投宿先のホテルに戻った。万が一遅くなって終電を気にするのも嫌であったので、予め一晩Aを私の投宿先のホテルに泊めることにしていた。ホテルのツインルームに戻って、家内からの指令に返答すべくLINEでメッセージを送る。早速返事あり、「でかした」と。家内にはその辺りの事前情報が入っていたらしく「結構かわいい子らしいよ」との追加情報と部活で撮ったというAとその子が入った写真を送ってきた。全く知らなかった。こんなやりとりを昨今の母子ってやっているのか。お互いに気持ち悪くないのかといぶかるが、どうも家内のママ友連中も同様に己の息子の恋愛事情をきちんと把握しているらしい。これが当世風なのか。
Aは、部屋に入った後、家内と暫く電話でやり取りしていたが、それが済むと誰かとLINEしている様子だった。先ほど話題になった女の子らしいことは、Aの顔がニヤケているので十分に察することが出来た。
ゆっくりと夜遅くまで、男同士で語り合う事もあろうかと会うまでは思っていたのであるが、どうも今夜の流れはそうもなりそうになかった。それぞれにシャワーを浴びて、翌日の予定を確認し、私の方が先に眠りについたようであった。
ただ、当夜の私はさわやかな気分でいられた。そして私が、Aに対して息子としてではなく一人の青年期のオトコとして接していることに密かなる自己満足を覚えたのであった。
(おわり)
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