2015年3月12日木曜日

イチロウ・マサキの心の旅~旧山陽道を辿り県境を越える編~


 
Gilberto’s関東組と別れ、岡山表町を出発したのは午後12時過ぎだったか。雨は相変わらず降り続け、薄暗い昼過ぎであった。岡山から国道180号線を総社市に向かう筈が、途中進路を誤り大きく迂回して吉備津神社(桃太郎伝説で鬼の首を祀っているというお話が遺る)の脇道に出て再び180号線に出るというジモティ―にしかわからないであろうルートを辿り180号線に再びに入り、その直後に180号線から左折して旧国分寺から造山古墳前を通る県道に入った。この県道を使って山手村・清音村を抜けて高梁川にぶち当たる道筋は、学生時代にイチロウと遊んだ界隈で、一気に懐かしさが沸き起こって来た。あの頃の風景と何も変わっていない。生憎の天候であったが、全く気にならなかった。

 


国分寺前の観光市場的なところで小休止し、国分寺を眺める。道を隔てて国分寺手前の畠には菜の花が咲いていた。学生時代に初めてこの辺りに来た時に、この先にある造山古墳とこの国分寺の五重塔を眺めて、“岡山って、古代から何とリッチな国だったのだろう”と独り感動したことがあったっけ。

 

小休止を終え再びクルマに乗り込み、右手に造山古墳を眺めつつ先を急ぐ。そもそも総社界隈が面白そうだと言い始めたのは、やはりイチロウであった。倉敷市内でアパート生活を始めた頃、或る日イチロウが独りでドライブをして帰って来て語るには、「総社・清音村界隈は面白いぞ!山の文化があるんだなあ・淡水魚喰っているんだよ。帰りにあの界隈のスーパーに入ったら、“鮒ずしの注文承ります”って書いてあったぞ。岡山って瀬戸内だと思ってたのけど、あの辺りは鯉を食ったりフナ食ったりしてんだなあ。完全に内陸文化圏なんだ」とちょっと興奮気味に語っていた。

 

それ以来、暇が出来ると総社から高梁市・新見或は成羽にかけての180号線界隈をよくドライブするようになったのだが、結局、最後まで鮒ずしには手が出ず仕舞いではあったw。田園風景や里山の風景が好きになったのはこの頃の体験の影響であるのには間違いがない。岡山の山間は農道が整備されていて、ドライブするには誠に気持ちの良いところだった。秋の紅葉シーズンも若葉の新緑の頃も、それはそれは美しかった。

 

学生時代の高校から大学に入る頃、イチロウも私も夫々のルートを辿って文化人類学や民俗学に興味を持っていた。私の場合は、日本古代史ブームがその当時あり、照葉樹林文化論的なお話や柳田国男の「遠野物語」やこの度ちょっとした話題を提供してくださった曾野綾子氏作の「太郎物語」を愛読していて(主人公・太郎が文化人類学に興味を持っていて大学に入りその学問を専攻する話が出てくる。)、次第に文化人類学に興味が湧いた。山口昌男著「文化人類学への招待」(岩波新書)では、この辺りの備中神楽が取り上げられており、その事もあってこの辺りの風土により愛着を抱くことになったと思われる。

 

クルマはやがて、清音村に入り高梁川に突き当たった。そこから国道486号線に入り高梁川土手沿いを少し南下し、西側に向かって橋を渡り真備町に入る。真備町とは、明らかに吉備真備(奈良時代の学者・右大臣)に由来する名前で、後で確認すると吉備真備という地名もこの街道沿いにあるようだ。高梁川の東側が学生時代のイチロウと私の主たるテリトリーであり、真備町以西を往くのは今回が実は初めてである。

 
 
ただ一度だけ、初夏の頃高梁市界隈から倉敷に帰る際に山間の道を彷徨っている間に、真備町に至り通ったことがった。初夏の雨の日で、イチロウのクルマで“Oscar Peterson/ We get request”をかけながらこの辺りを走った。途中どこかの小さなお宮で雨宿りをしたのであるが、舞台が備中神楽の盛んな土地であることが脳裏にあり、お宮の周囲の木々から水蒸気と共に吐き出されるような“気”が感じられて、その時の場面が映像として大変印象に残った。

 
そのようなこともあり、真備町に入ると急いでi-podからこのアルバムを選曲をして二人で聴いて大いに盛り上がった。
 
 
更に国道486号線に沿って西に進むと、やがて小田川に沿って走るようになる。この頃から、右手に井原鉄道も並行して走っている。川沿いのなだらかなスカイラインを描く山々とローカル線の風景は、誠に旅情をそそられるもので、大変素晴らしい(愛らしい風景)であった。Oscar Peterson/ we get requestBGMにするにはピッタリと合う。横でイチロウも感心していて、「やっぱり自転車で走るには最高のルートだよな。或は半分井原鉄道を利用して輪行して、岡山まで引き返すプランにしても良いな」などと言っているw。

 

「旧山陽道が、こんな山間を通っていたなんて信じられないような」などと二人で語り合っていたのだが、真備町を過ぎ、矢掛町に近づくと「篤姫も投宿した矢掛本陣跡」なる看板が国道沿いにあった。

 

“矢掛町は、旧山陽道の宿場町だったのか?知らなかったなあ”

 


どうも旧宿場町の街並が保存されているようで、いつかサイクリングする際には要チェックの町のようであった。この度は、時間の都合上先を急がなければならなかったので素通りしたが、先ほどの真備町の吉備真備公園やこの矢掛本陣跡など、この街道には自転車でゆっくりと訪れてみたい箇所があった。

 

更に車を西に進めて、井原市を通り福山市に入る。イチロウがスマホでチェックしたところによると井原市は福山市の通勤圏となっていて経済的には福山市との結びつきが強いようであった。古くは旧福山藩に属し、木材の生産地として栄えたようだ。というわけでも、ないのだろうが、特に目立つ標識もなくあっけなく県境を越えたようであった。

 


福山市に入ったところで、イチロウの設定した自転車ルートは北上し福山市を迂回する設定となっていたが、時間の都合上私の意見を取り入れて貰い、国道2号線に出ることにした。

 
ここからは、国道2号線のバイパスを通って一気に尾道入りを目指した。

 

イチロウ「そういえば確か子どもがまだ小さい頃、ふた家族でこの道使ってみろくの里(福山市の南にある遊園地などの施設)に行ったなあ。あれからでももう10年以上経ったのか?早いよな」

 
“そうでした、全くtime fliesですな。お互いにエエ歳を取りましたw”

 
午後330分頃、旧国道沿いを東側から尾道水道を左手に見つつ、尾道市街地に入った。市庁舎近くの駐車場にクルマを停めてちょっと歩くことにした。海岸沿いを尾道駅まで歩くことにしたのであったが、イチロウが「こんなに遠かったかな」と不思議がっている。

 


“それはさ、歳を取ったのよ。若い頃のように颯爽と或はスタスタとは歩けませんw”

 

10分程度は歩いたか?尾道水道を隔てた向島に渡る小さいフェリーの行き来を眺めながていると何とも言えぬ懐かしい気分になる。「一度も住んだ街ではないのに、何故か懐かしくなる雰囲気をこの街は持っているな」などと言うと、イチロウが意味深に笑っている。


 

やがて尾道駅前の海岸縁に辿り着くが、この海岸沿いはすっかりと整備されたページェントになっていて、これには二人とも驚いた。“立派な観光スポットになっているではないの!”学生時代に来た頃(遥か四半世紀前ですがw)よりオシャレになっている。

 

そこでお約束の手紙を読む(フリをするw)。

 


“そうそう、ここでイチロウが高校生の頃、この海岸に立って独り海を見つめて一体何を想ったか……w。”

“マサキは、初めてこの海岸縁に立って海を眺めた時、志賀直哉の「暗夜行路」に想いを馳せて、ポンポン船の行き交うのをみては、独り過剰に旅情に浸ろうと感情移入していましたw”

 

様変わりした駅前を見て感嘆の念を懐きつつ、そして商店街を辿りながら駐車場に戻ることにした。商店街を歩いていると、閉店されたままの店舗もあるのだけれど、観光客とは明らかに違う地元に住んでいる雰囲気を漂わせた若いヒト達の往来も結構目立っていた。

 


“尾道市は偉い!確か市立大学を作ったのだったけ。それで若いヒトを街に呼び寄せたんだなあ。自転車、映画による観光と若いヒトの定着とまでは云わないまでも、集まるようにした事。これで活性化されているのだね”などと、イチロウと語り合う。

 

暫く歩くとふとイチロウが立ち止まる。「このミートパイ屋さんちょっとした話題となり、有名らしいぞ」とのこと。

 



昼に食べたカツ丼がまだ腹の中に残っていて入るスペースはなさそうで暫く抵抗したのであったが、喫茶したい気分でもあり、イチロウの言葉につられてそのお店に入った。オーストラリア人のオジサンがミートパイを作り、店を経営しているようであった。そのオーストラリア人のオジサンは日本語が上手で愛想も良く、女性のお客さんに人気があるようだった。店の中で食べることも出来るし、店頭販売もしていてテイクアウトも可能。(誠に済みませぬ、店の名刺を貰ったのであるが、今は持ち合わせず、店名を忘れてしまいました。後日店の名前については、追記します。)

 


そのオジサンの上手いところは、私たちが何処から来たのかと尋ねておいて、広島からだと応じると、さもこの店を目的に遠くから来て下さったと一方的に解釈する・そこには勿論ユーモアがあって、笑わせてくれた。明るいユーモアのある応対で楽しい店主であった。私はコーヒーのみ注文し、晩御飯のおかずの一品とするべくミートパイを3つテイクアウトした。

 
実際に家で食べてみると、美味しかったですぞ。尾道に行かれた際には、是非お立ち寄りください。

 
そして午後430分頃尾道を出発し帰路に入ることにした。尾道から広島まではイチロウがハンドルを握ってくれることになった。山陽高速道尾道インターに向かう頃、雨が上がり、雲の切れ間から青空が覗くようになっていた。
“たく、今頃になって晴上がりやがってw”と独り苦笑いする。

 
イチロウが「いやあ、今回の旅行は本当に楽しかったな。正味24時間だったのにそれ以上の内容で充実していたなあ。コンサートも良かったし、その後行った食い物屋も良かったし、あのバーも良かったよ。それから、旧山陽道は絶対に暖かくなったら自転車で行こうな。尾道も良い街になっていたしなあ」などとしみじみと振り返っていた。

 
“なあ、そうだろうw?このマサキと旅に出ると楽しいぞ、と言ったのは間違いなかったろうw?”

 とは、流石に返さなかったがw、本当に楽しい“心の旅”であった。
 
さて、次回の“心の旅”は、どこにでかけようか?そして何時の事になるだろうか?

 
10年後くらいかw?~

おわり

 
(追記)この度のルートはこんな感じでした。

http://latlonglab.yahoo.co.jp/route/watch?id=0f89d36d70f202ec508370e4e7a88f5c


 

2015年3月11日水曜日

イチロウ、マサキの心の旅・アーケード街にて

翌日31日、午前8時頃私は起床した。昨晩、Gilberto’sのオフ会で気持ちよく大酒したため、駅前のホテルの一室に引き上げた後、ベッドに横たわると気絶するように入眠したようである。

 窓の外を見ると、雨模様であり、天気予報の正確さに舌うちをする思いだった。

“近頃の気象庁の予報の正確さには脱帽ですぜ………。流石世界に誇る気象衛星とスパコンの威力は素晴らしいよw。全く。”

 
その日は、Gilberto’s関東組の面々と昼食を共にして、そして散開する予定となっていた。ジロウとコウスケたちが、前日のコンサート前に表町商店街の一筋東側の“オランダ通(名前の由来は知りませぬw)”にある、かつ丼の「だて」をチェックしていて、そこに午前11時に集合することになっていた。

 午前9時前にイチロウより電話連絡あり、「この雨の中11時まで何をするべか?」という話になったが、結局当ては定まらぬまま、930分にレセプショニスト前に集合することとなった。

 ロビーでイチロウと出会うと、「取りあえずまだ開店していないだろうが、喫茶店・チャイヤ(岡山大学津島キャンパス付近)を覗いてみよう」という事になり、クルマに乗り込んだ。

 
車中で、イチロウに何気なく「ホテル代を払わないとな」と言ったのが運のつきでw、前日晩のオフ会が終了した後、ホテルにチェック・イン後の記憶が断片化していることが発覚。そういえばラーメンを二人で食べに行ったこと、そのお店でビールをこぼす粗相をしでかしたこと等、このマサキの悪行がイチロウより明かされることになり、いたく猛省するw。

 
結局、津島地区にあるチャイヤはまだ開店前であったので、その前を素通りし表町・天満屋/ 表町商店街を目指す。


 
私は若い頃より表町商店街が大好きで、岡山に来るたびにこの通りを宛もなく歩くのが好きである。桃太郎通り(岡山の目抜き通り)からこの商店街のアーケードに入り、シンフォニーホールにある丸善で本を物色し何冊か購入すると天満屋デパートに向かってぶらぶら歩く。昔ならば、途中Green house岡山店がこのアーケード街の中に在ったので、このお店に入りCDを物色して再び通りに出る、そして数メートル歩き本やはりこのアーケード街の中にあった喫茶店で一休みしつつ、その日の獲物を取り出しては眺めてひとり悦に入ってたものだった。今はGreen Houseは他所へ引っ越してしまい、お気に入りの喫茶店もなくなってしまったので、ただブラブラと歩くだけになってしまったが、それでもこのアーケード街の佇まいが好きである。行き交う家族やカップルものんびりと歩いていて平和的な光景を目にすることが出来る。地元のヒトにそんな偏愛を語っても、怪訝な微笑みを返されるだけなのであるが、好きなのだから仕方がない。

 
その朝は、上で触れた“オランダ通”沿いのコイン駐車場にクルマを停めて、イチロウと表町商店街に入った。イチロウがお土産にきび団子を買って帰りたいとのことであったので、早速天満屋デパート地下に行き、きび団子をゲット。私もつられて同じものを購入し、その近くに置いてあった「大手まんじゅう」をも購入した。岡山土産としてきび団子は有名だけれど、実は隠れた銘菓としてこの「大手まんじゅう」も捨てがたいのですぞ。薄い牛皮の中に、たっぷりと上品なこし餡が入っている、私はあまり食べないけれど、“餡マニア”には堪らないらしいw。茶菓子として抹茶といただくと合いますぞw。

イチロウにも勧めるが、彼曰く「オレ、餡子マニアじゃないから、要らねえ」だとw。

 
その後、イチロウはデパ地下をゆっくりと一周、「地方に来たら、まずはその地方の台所に行ってみないとな。その地方のヒトの暮らしが一番見えやすいところだろう」と文化人類学好みのオトコがのたまうておられましたぞ。私もその類の話が嫌いではないので、フムフムと相槌を打つ。

 
再び、地上に出て表町商店街を岡山シンフォニーホールに向かって歩く。

 
イチロウ、「あのさ、岡山の3大土産言ってみろ、岡山通のマサキなら言えるだろう?」

 
なぬw?そんなもの…..知らんでしょう。という事で、シンフォニーホールの向かいにある岡山物産館に向かったのであるが、尚もイチロウの追求は続いている。

 
“倉敷ジーンズか?”「そんなもの、土産にならんだろう!」

“白桃かピオーネのコンポートか?”「あのな、そんなもの日本全国のデパ地下にあるだろう」

“備前焼は?イチロウ、御猪口集めていたろう?”「もう既に持っているよw!」

“○○屋のマーガリンロールは?懐かしい味がするぞw。”「あのなあ、もう少しインパクトのあるものはないんかいw?」

 
等と、バカ話をしつつ目指す物産館に辿り着く。店内に入り、白桃コンポートを見つけつつもパスし、手にしたのは“黄ニラの浅漬け”ひとパックw。後日これを日本酒の当てにしたのだけれど、なかなかの美味でしたぞ。ゴハンの御伴にもどうぞw。

 
買い物を済ませて、同店を出たところで、コウスケより連絡が入り、関東組は集合場所の「だて」の前に到着したとの事。我々も関東組と合流すべく、「だて」に向かう。

 
同店は、1130分から営業開始とのことで、5人でしばし待った。岡山のカツ丼は、ごはんの上にトンカツが乗っかり、その上からデミグラスソースがかかっている。出すお店によって多少のアレンジがあり、カツの下に千切りキャベツが敷いているところもあれば、「だて」のようにデミグラスの上に生卵をひとつ入れて提供するところもある。「だて」では、カツ丼の他に中華そばもメニューにあり、カツ丼と中華そば両方を注文するお客が多いようで、メニューもカツ丼定食と云えばカツ丼一人前に中華そば半玉分を、中華そば定食といえば一人前の中華そばにカツ丼半人前が付く。勿論単品でそれぞれ注文は可能。

 
学生時代に初めてこのカツ丼を食した時には驚いたが、次第に慣れて美味しいと思うようになった。このお店、学生時代にはそれほどポピュラーでもなかったような気がしていたが、何時しか人気店になっていたようであり、20代の頃から休日の昼食時にはお客が列を成して並ぶようになっていたのには驚いたものだった。その後も訪れるたびに、この店の前にはお客が列をなして並んでいる。それにしても、デミグラスソースがけのカツ丼と中華そばを一緒に食べるなんざ、ワイルドだろうw?(このギャグはもう死語かw)

 その日私は、前日の飽食もあり、“ハーフ定食”なるものを注文。他の4人は各自カツ丼定食を注文したようである。久しぶりに食べたカツ丼は旨かった。その他のメンツも、夫々デミグラスソースかつ丼に満足したようであったw。

 
お腹を満たしたところで、Gilberto’sのこの度の会は目出度く終了となった。関東組は、クルマで神戸まで移動し、Mika Samba Jazz Trio 神戸公演に参加することになっていた。イチロウと私は、クルマで旧山陽道(国道486号線)を辿り総社市~真備町~矢掛町~井原市~福山~尾道へ至るコースを往くつもりでいた。

 
それにしても、この度のGilberto’sの邂逅も大成功であり、次回はどんな企画で集合できるか大変楽しみだよなと思いつつ、関東組と別れた。この度の小旅行が始まる前までモチベーションが上がらなかったイチロウもそれなりに楽しんでいる様子であった。

そして、イチロウと私はこの度の小旅行のクライマックスである旧山陽道の西下を目指したのであった。

 

つづく…….

 

2015年3月8日日曜日

宴の後に


本日未明より、雨がしとしと降り出して日中は降ったりやんだりの天候であった。昼休みに、外の景色を眺めていたら、道路端の畠の一画に植えられた梅の木に花が78分咲きであることに気が付いた。春雨に梅花、なかなか風情のある景色で、この時期の好きな情景ではある。

 この1週間、どうにかルーチン業務をこなしたものの、その他の生活面ではボンヤリと過ごしてしまい、このblogについてもなかなか書き始めることが出来ないでいた。

 昨日の金曜日朝に、F.B.twitterをチェックすると、Gilberto’s関東支部のジロウ・コウスケが其々に、Mika Samba Jazz Trio(以下、MSJTと記す)の東京公演に行き盛り上がった事や、そして同公演でTrioのこの度のジャパンツアーが終了したことを告げていた。コウスケのつぶやきに、その気持ちが良く顕れていた、曰く「あ~あ。終わっちゃった…..。」だと(笑)。

 
そう彼らは、2/27;福山、2/28:岡山、3/1:神戸、3/5:東京の4公演すべてに参加したのであった。特に3/1の神戸公演終了後、同日の夜に空路東京に戻る筈が、天候のため羽田空港に着陸許可が下りず、関西国際空港に強制移動・旅客機の燃料補給中は機内での缶詰状態、再び出発して、羽田空港に着陸できたのは翌日早朝だったとのことで、大変な冒険を経験したのであった。G関東支部の健闘に対してここで大いに賞賛しておこう。

 
前置きが長くなったが、この度はMSJT岡山公演の模様の断片とGilberto’s面々との邂逅について書き述べていくつもりでいる。

 
228日午後330分頃、私はクルマでイチロウを彼の自宅まで迎えに行った。MSJTの岡山公演の会場は530分、開演予定は630分となっていた。関東支部の面々とは、公演会場で落ち合うことになっていた。

 
イチロウと私の当初の目的は、MSJTの岡山公演に参加した後一泊し、翌日31日は自転車で岡山から尾道まで旧山陽道を下ることを予定としてい、新幹線で輪行し岡山入りを目論んでいたのであったが、天気予報では31日は雨となっており、当初の計画は断念せざるを得なかった。イチロウは、「自転車が乗れないのであれば、この度の岡山行きはもうどうでもよくなったよ」とあからさまにそのモチベーションを下げていたのであったが、ここはマサキの「まあ、このマサキちゃんと旅行に出れば、それだけで楽しかろうw?」との機転を利かせた(w?)合いの手に、彼はギリギリの線で岡山行きに対するモチベーションを維持したのであった。最終的に、やがて実行される「イチロウ・マサキの心の旅:旧山陽海道を往く」の下見という体裁で、この度計画したサイクリングコースをクルマで辿ることにしたのであった。

 
イチロウをクルマに乗せて、県道から最寄りのインターチェンジに入り、山陽高速道路を東上した。週末のため交通量は多かったが、スムーズに流れていた。車中にて、イチロウと何時ものように他愛もない雑談をする。

 
この度のイチロウの出で立ちが、私が想像していた服装よりも明らかにドレスダウンしているように感じたので(普段はオシャレなオトコが、ウール生地のパーカーにジャージ生地のパンツ、バックスキンのシューズという恰好)、「あのさ、この度のMikaさんのツアーはね、一応駐日伯大使館協賛となっているんだよ。会場のルネスホールも、岡山市内の旧日本銀行岡山支店を改装したそれなりにオシャレな場所だぜ。なんだよ、その恰好、らしくなあw。」と突っ込みを入れてみた。

 
イチロウ、「なんだ、そうだったのか。それを早く言えよw。どうするんだよ、ドレスコードが有ったらw。駐日伯大使が黒塗りの車でSP連れてやって来てたら。タキシードを着てくりゃ良かったかw。この格好じゃあ、確実に俺たちシャットアウトされるなw」(私も、たいそうカジュアルな格好をしていて、ヒトに言えた義理でなかったのだw)

 
その後、その手の類のバカ話をしながら東に進み、やがては福山を過ぎ岡山県境を越え金光町あたりを通過した。トンネルをひとつ通過すると、玉島市付近から倉敷市に至る。この辺りから左手には桃やブドウを栽培しているなだらかな丘陵地帯、右手には岡山平野が眺められるようになる。広々とした空が広がっている。私にとっては、この長閑な景色を眺めると岡山に戻ってきた気分が湧き上がり、懐かしい気持ちを味わうことが出来る。イチロウに聴くと、彼は大学を卒業後は岡山に来る機会は1‐2度しかないとの事で、前回訪れてからは10年以上経っている筈だという。彼も懐かしい気分に浸っていたようであった。

 
ふたりとも懐かしい気分に浸ってきたこともあり、倉敷インターから一般道に入り岡山市街地に向かう事にした。この選択は、夕方の渋滞に巻き込まれて軽い後悔を覚えたが、イチロウにとっては随分様変わりした街並に感慨深かったようであり、時折感嘆の声を発しつつ、郷愁の念を味わっているようであった。岡山と倉敷を繋ぐ幹線道路を左右に横切る道路を見渡しながら、「ああ学生時代に自転車の趣味が持っていたら、随分楽しい道が沢山あったのになあ」だと私に話しかけてくる。

 
“ほら、このマサキと旅するだけでも随分と楽しめるだろうw”

 
結局午後6時過ぎにコンサート会場横の駐車場に滑り込み、隣のルネスホールのエントランスに向かう。エントランスには、幸いなことに黒塗りの高級車なく、ごついSPも居なくて、長身のオトコ・コウスケが玄関前で待ってくれている。

コウスケが、我々二人に取っておいてくれたチケットを渡してくれながら“どうもマサキさん、東京ではご馳走様でした。もう東京組は会場内にいるから、入場してくださいね”と案内してくれる。コウスケ曰く、“ジロウは何らかのちょっとした楽屋でのトラブルに対処すべくMikaさんから呼ばれているらしい”とのことであった。

 
どうもコウスケもジロウもMikaさんや他のメンバーとも個人的な面識があり、Mikaさんの日本でのライブがある際にはこまごまとしたサポートをしている様子であった。その辺りの経緯を2月に東京でコウスケと飲んだ際に聴いた筈なのだけれど、二人して大酒したこともあり、詳しくは覚えていないw。


 
会場の座席は自由であったので、イチロウと私は右側の前から5-6番目の位置でドラムとベースがほぼ正面に見られる場所に席を確保する。座席を確保すると、イチロウが「マサキ、さあ遠慮せずに呑め呑め」と勧めてくれるので、彼の言葉に甘えてステージに向かって左側に設けられたカウンターにて、スパークリングワイン1杯と何やらというブラジルのカクテルを購入し席に戻る。2時間ドライブ後のアルコールは大変旨しw。

 
アルコールを少し体に注入すると心もちが幾分軽くなり、演奏前までの緊張感を解きほぐしてくれる。ここの表現はやや奇異に感じられるかもしれないだけれど、私の場合ただ聴くだけなのに、なぜか開演前に軽い緊張感を覚えてしまう。多分、生の演奏に対する期待値(事前にCDなどメディアで聴いていた音とライブで聴く音のギャップがあるのではないかという不安や楽しみ)が、高ければ高いほど聴く側として緊張してしまうのだ。

 

さて、コンサート会場のルネスホールは、旧日本銀行岡山支店の建物を改装したものであり、なかなか趣のあるホールで、実際に数えはしなかったけれど200席程度設置出来そうな中ホールである。岡山は都会とは言えないけれど、コンパクトな街並みにそこそこの文化施設があるところだと思う。文化的な雰囲気をそれなりに楽しめるところで、個人的には大変感心していて、その理由について思いつくのだけれど、これ以上話を拡散させないためにその辺りの考察めいたことは述べない。

 
コンサートが始まるまで、少し時間があり、コウスケから東京のブラジル音楽マニアの間の楽屋落ち話を聞いたり(内容について略すw)、コンサートに訪れたヒト達の様子を眺めたりして過ごした。年配の方も思いの外多く、Mikaさん出身地だけに関係者の方も多く参集されているのだろうなと独り想ったりした。演奏開始直前になって、ジロウが座席に戻って来て、軽く挨拶をして、夫々の座席にもどる。

 
定刻を数分過ぎた辺りで、いよいよTrioの登場。Mikaさんは黒のイブニングドレス、セルジオ・バホーゾ(b)、ラファエル・バラッタ(ds)は夫々黒いジャケットを着用していた。

 
いざ演奏が始まると、このTrioは私の期待に違わぬ演奏を繰り広げてくれた。滑らかでバランスの取れたpiano、高音部への展開は少なくも低音部でズシズシとリズムをキープするbase、それから軽やかなリズムを展開し、おかず部分が多彩なドラム、最後まで聴衆をぐいぐいと引き込む演奏が繰り広げられた。演奏は2部構成で、「レクイエム」というオリジナル曲以外はBossa NovaSamba Jazzの名曲揃いで、初心者からブラジル音楽通をも楽しませるなかなか心憎い選曲・構成だったと思う。夫々の部で1曲ずつMikaさんの日本語によるボーカルがあったが、個人的には悪くないと思った(よ、これはGilberto’sのメンツに対して語っていますw)。曲と曲の間に、MikaさんのMCが入るのであるが、凱旋公演ということもあったのだろう、随分打ち解けた口調で、曲やメンバーのエピソードを含めた紹介があった。彼女の語りは、ハッキリとした物言いと直截的な表現で、相手(聴衆)側にずんずんと迫ってくるような感じで、“大変勇ましいヒト”だという個人的な感想を抱いたが、考えてみるに、そうじゃないとプロの音楽家としてやっていけないよなと思ったりした。

 
実は事前に、イチロウより“短時間でもご本人とお話するチャンスがあれば、岡山という地方都市から国内外の一線で活躍するSamba Jazz Pianistが生まれた背景について考察しろよ”という文化人類学的お題を投げかけられていたであるが(あくまでもお遊びとしてw)、ご本人のMCを聴いていて十分に分かったような気がした。その源泉は、岡山の文化的土壌からというよりも、ご本人のキャラから出たものである、それが答えの全てである、そんな気がした。多分、ジロウやコウスケに無理なお願いをすれば、短時間でもMikaさんご本人のお話を伺うチャンスも可能であったろうが、そこはboundary(一聴衆のマナーとしての一線)を引くべきであろうと思った。

 
コンサートは、期待通りの演奏が展開され大変大満足であった。良い音楽に接することが出来て幸福感に浸ることが出来た。コンサート終了後、ジロウを通じてご本人から直接CDを送っていただいたことに一言お礼を伝えたくて、サインコーナーに並ばせて貰った。コウスケが「ボクから紹介させてもらう」と一緒に並んでくれたのであるが、私の順番が来て、Mikaさんにお礼を述べると、カラリとしたお返事と送っていただいたCDに“コウスケがお世話になります”との言葉を添えたサインをいただいたw

 
そして、私の1か月前からのSamba Jazzの初歩的事前学習から本番コンサート参加までのお遊び任務は目出度く終了したのであった。

 
午後9時過ぎに会場を離れ、Gilberto’sの面々とそしてもう一人関東組と共にやって来たオトコ・フジイ氏と共にオフ会を開くべく、岡山市田町にある「岩手川」という料理屋に向かう。

 
フジイもやはりブラジル音楽が大好き人間のようであるが、自転車はやらない。お酒が大好き人間のようであり、Gilberto’sアルコホール部に勝手に入ってもらう事にしたw。

 

「岩手川」は、私が岡山在住の頃に何度となく利用したお店であり、地元の産物が食することが出来るお店である。10数年ぶりに来訪であったが、そこそこのお値段で地元の美味しい料理を提供してくれるお店である。店内の様子は流石に変わっていたが、出される料理は変わらず美味しくて、関東組を案内できてよかった。下津井産のたこ、乙島蝦蛄の唐揚げ(実はこれこの度始めて食したw)、蝦蛄酢、ガラエビ、黄ニラの卵とじ、同店の名物料理・ピンポン(すりおろした山芋を揚げたもの)、鯛の骨蒸し、等々。残念ながら鰆は品切れとのことでありつけなかった。アルコール部の者はビールに始まり、地元の銘柄のお酒を熱燗にしていただいた。イチロウ・ジロウはアルコールを呑まないので、ウーロン茶を啜っていた。この辺り、二人には申し訳なかったが、事前の了解でこの後の運転手になってもらうことになっていた。

 
この店である程度お腹を満たした後、2次会という事で、これまた私が以前利用しその後も同窓会などで岡山に来る機会が有ると立ち寄ることにしている岡山西大寺町商店街近くのバー“ひゅって”に他のメンツを誘う。

 
このお店は、1階に10人掛けのカウンターのみ、2階に20人程度のソファー掛けテーブル席がある程度の小さなお店で、現在は2代目になるママさん独りで営まれている。お店の歴史は古く、開店して60年以上が経っているのだという。カラオケもなく、お酒のうんちくもなく、若い女性の嬌声もなく、少人数で落ち着いて洋酒が飲めるのが良い。アルコール班3人はウヰスキーハイボールを頼み、2人はフレッシュジュースを飲んだ。何を話したかほとんど記憶になし、ただただ楽しく私ひとりではしゃいでいたのではなかろうか。私の酔ったところを何度も付き合ってもらっているイチロウから、その酔い加減(泥酔ではなかったと願うがw)に呆れ果てていたと翌日告げられる(泣;反省を込めて)。

 
最後に、このお店の2階の部屋に飾られている油彩の山の絵の前でGilberto’sの集合写真を取って、私のこの度のGilberto’sオフ会任務を終了。私の懐かしい岡山の想い出の中にGilberto’sの面々が入ったことを密かなる悦びとしたい。また、酒場大好き人間のコウスケや、全く飲めないイチロウからこのお店を喜んでくれたこと:私の好きな場所を彼らが認めてくれたことに大変感謝している。

 
良い音楽と、美味しい食べ物、お酒、そして好きな空間をプライベートな仲間と共有出来たことは人生における至福のひとつだよなと、今振り返ってひとりぼんやりと思ったりした。