一方で、先日次男と遊んだ際には彼から「最近は自転車に乗っているのか?」などと聴かれ、家族内では自転車に乗ることが私の唯一の趣味と認知されているようだった。
今年は、すこし自転車に乗ることに時間を割いてみようかと思う。自分の中では2年前の夏あたりが自転車体力のピークだったと思っているのであるが、年を経るにしたがって、確実に体力は落ちていくわけで、決してその時のピークまで回復出来ないにしても、その折々の体力で自転車に乗ることにすれば良い。のんびりとその時の己の体力の限界と会話しつつ楽しめば良いのではないかと思っている。
1月19日(日曜日)、天候;曇り時々晴れ、気温11℃/3℃。
午前7時過ぎに起床。体力的な自信がなく前日まで目的地コースが定まらない状態であったが、同じ体力がないのであれば、寒い中を平坦な道をだらだらと走るよりは、ゆっくりと山坂道を走る方が良いのではないかと次第に思うようになった。この理由付けはちょっと変とおもわれるだろうか?平坦な道であればずっとペダルを廻していないといけないが、山坂道では、登坂はペダルを廻してしんどい想いをすれど体は十分に暖まり、下り坂になれば脚を休ませることが出来る。山坂道を繰り返せば、道程の半分は休めることになりそう(笑)。
と、いうわけで、起床後洗面と簡単な朝食を済ませ、冬用ジャージに着替え、午前7時50分頃に自宅を出発。ウォーミングアップに西広島駅から畑峠に向かう。ゆっくりとしたペースで、前半なだらかな坂、後半つづら折りのやや急坂を上る。午前8時30分頃、畑峠に到着。小休止し水を入れ、疲労対策にアミノサプリを補給。再び自転車に跨り、峠の反対側の広島市立大から大塚交差点に向けて、ゆっくりと下る。
大塚の交差点に到着したのが、午前8時40分頃。ここからA-CITY~団地こころに上がるダラダラ坂の登坂開始。この辺りは、綺麗に整った住宅街で幅の広い歩道があるのが、この坂は、一見穏やか坂なのだけれど、団地こころに到達する頃には両脚に疲労を貯めてしまう箇所。この辺りの住民の方、学生さんたちが何気なく普段の通勤・通学に利用されている坂なのだけれど、この登坂は結構きつい、皆さん本当に偉いなあと思ってしまう。と、その日も同じ感想を持ちつつ、やはりゆっくりと登坂する。この坂を乗り切ると、団地こころを抜けて、伴~戸山道へ向かう。
この伴―戸山線の坂は、前半は緩やかな坂であるが次第に勾配が増し、最後の1/5くらいが10%以上急勾配の坂道。時に他のチャリダーにかわされるととてもがっくり来るのであるが、幸い冬の山道を上ってくるチャリダーは皆無のようであり、安心して自分のペースで登坂することが出来た。峠ピークで、休息も兼ねて写真を一枚。再びチャリに跨りやや急勾配の下り坂を戸山地区の三叉路まで下る。戸山地区三叉路には、午前9時30分くらいに到達。
ここから、その三叉路を右折し伴地区に下りていくコースを辿る(即ち、楽なコースを選ぶ)誘惑に駆られたが、伴地区から自宅に向かうには、私にとっては鬼門の五日市インターから西広バイパスに向かうダラダラ坂を通らなければならない。この道は、通学中の電動チャリに乗ったJKと戦う可能性あり。こんなことを気にする私は本当にバカだと思うのだけれど、疲労困憊状態の時に、電動チャリに乗ったJKと遭遇するのは嫌である。彼女たち結構早い。追い抜くことが出来ず、その後塵を拝するカッコウになれば、不様というか不審なオッサンに間違われる可能性あり。過去のばつの悪かった思い出が蘇り、戸山地区三叉路を左折して、湯来・湯山街道方面に気持ちが動いた。
戸山三叉路から湯来湯山街道へ抜ける道は、ダラダラ坂の登坂と下りになっているのだけれど、前半の登坂は自分の脚力を確かめるのにちょうどよい勾配で、リズムよく登れると誠に気持ちが良い。この度、しばらくぶりにこの道を上ったのであるが、スピードは出ないもののインナーギアを使うことなく粘ることが出来、意外にもリズムよくそのピークまで登れることが出来た。若い頃のような爆発的なパワーは取り戻せないかもしれないけれど、持続力というか粘る力はこれからでも付けることが出来るのかもしれないと思ったりした。ピークに差し掛かった後は、ゆるやかな勾配の下り坂をゆっくりと下って行った。
午前10時5分頃に、湯来湯山街道の三叉路に到達。交差点脇にて自転車を降り、栄養補給を兼ねた小休止。サドルバックを開けると、レアチーズケーキバーなるものがあって、前日確認した時にはなかった筈だったから、てっきりイチロウがこそっと入れてくれていたのかと思い、彼にSNSで確認したところ「違うよ」と応答あり。じゃあ随分昔に入れておいたものを忘れていたことになるのだが、賞味期限大丈夫だったかしら。そんなアホな事を想いながら、大量の汗をタオルで拭きつつ休んでいたら、おそろいの黄色ジャージを着た若い衆3人組のチャリダーが、「こんにちは」と挨拶を寄越し、そのまま私が下ってきた戸山地区に向かう坂道を上がって行った。同じ方向に向かっていたら、軽くパスされていただろう、ヤバかった(笑)。
さて、これからどうしたものか?
友和地区を抜けて山道を大竹市に向かう選択肢もあったが、予定時間を大幅に超過してしまいそうであった。家内に正午までには帰ると言って出て来ため、予定時刻に間に合うように帰るには極楽寺山を突き切って、帰ることがベストに思えた。じゃあ、そうしようということで、午前10時15分頃に自転車に跨り、極楽寺山を通る国道を登坂開始。この道は両側を尾根が走り、朝方は遅くまで山陰になっており、その日は午前10時過ぎてもあまり日が射さしていなかった。辺りには一段と低い寒気が残っており、寒さが身に応えたが、登坂を続けるにつれ次第に全身から再び汗を出始めた。途中で標識に書かれている勾配は8%であり、その日辿ったコースの中ではここが最難所であった。
ゆっくりと確実にペダルを廻すことに意識を集中させる。この峠道のピーク前に小さな集落があり、その辺りから勾配は緩やかになるのであるが、この集落から峠までもなだらかな坂道が残されていて、呼吸を整えながらも失速させないために再度意識を集中させる必要があった。
最後はやや息切れをしながら漸く峠ピークに差し掛かる。午前11時過ぎに到着。暖冬とは云え、朝から山道を自転車で上がってくるなんぞ、傍からみればバカげているのかもしれないし個人的な達成感なんてものは、取るになりない遊びみたいなものなのかもしれないけれど、今日のコースの主だった箇所は大きなトラブルもなく順調にこなせたことには十分な満足感があった。
荒い呼吸と「 ギュッギュッ」という心臓の鼓動の高まりを聴きながら心肺の限界と、両脚の軋みから脚力の限界を感じつつ登坂を続ける苦痛と、その後に訪れる下り坂を重力に従って自由落下していく時の解放感と喜びは生の苦しみと死へのあまい誘いのようにも感じられる。若い頃に読んだ「臨死体験」の本によると、臨死体験における精神状態と坂道を下っていく時の解放感と悦楽感には共通する部分があるみたいだ。
そう思うと、私は老化という人生の下り坂を迎えて、遊びの中で死に向かっての予行演習を繰り返しているのかもしれないのだとも思える。
極楽寺山を廿日市市方面に下山しながら、そのような頭の中のお遊びをしていた。何時ものごとく下界に近づくと、交通車輛が増えて街の喧騒と人々の営みの中に戻ったような気がした。
その時に私の中に沸き起こってくる無条件の喜びに従って、いつものように宮島街道に沿った広い裏道を勢いよく駆け抜けていこうとしたが、この度は両脚の疲労が堪り思うようにペダルを強く踏み出すことが出来なかった。昨夏までは、極楽寺山の征服した高揚感から両脚に最後の力を籠めることが出来たものだったのに。
それでも、爽快な感覚だけは気分としてあった。これからは、体力は落ちていくかもしれないけれど、これまで以上に一人遊びをする時間は持てるわけなのだから、ゆっくりとした自分のペースで楽しめば良いのだと。そういう気分になると、昨夏までとは違うペースで気持ち良くペダルを廻すことが出来ていた。
午前11時40分頃に帰宅。走行時間3時間50分程度。走行距離は測っていないけれど、まあ良いか。
追記;なんだか歯切れの悪い書き方になってしまった。ただ一つ明確に書き残しておきたいのは、これからも体力が低下しようが純粋にチャリを楽しみたいし、更に加えるとすると自分の老いの過程についても楽しんでやろうと思っているだと。
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