意地悪な見方をすれば、春休みを控えて奴なりの下心があるようでもあるのだが、全体的にはそれなりの年齢になって心境の変化・落ち着きも示し始めたのかもしれない。
地方で大学生活を送る青年に共通の悩みとして、都会に比べれば楽しみや文化的刺激が少ない様子で、彼はバイトとクラブ活動以外の暇な時間は、嘗ての私のように友人と県内の各所をドライブして(レンタカーや友人の車を使って)過ごしているのだという。本人の実力もあったのであろうが、不思議にも彼は自ら進んで地方の大学に進むこと選んだ。彼の青春時代が、地方の大学に進学し20代を地方で過ごした私のそれに似たようなものになりそうであることに、親としては悪い気はしていない。
1月12日-13日には、妻からの働きかけで彼の引越しの準備のために、彼の下宿先へ訪問した。次年度から彼の通うキャンパスが変わるために(無事に進級できればの話だが)引越しを年度末までに完了させなければならないことになっている。訪問の表向きの理由は、引越しに不必要な生活雑貨・衣類などを整理し実家に持ち帰るというものであったが、実質的な理由は二親が息子に遊んでもらうというものであり、その事は親子間で暗黙の了解になっていた。
次男は嫌がる様子もなく歓迎の意を表していたが、果たして私が学生時代に親の訪問をこのように歓迎していたかと云えば、全くそんなことはなかったから、彼の態度には内心驚いた。
初日は、妻の要望で下関に遊ぶことになった。途中、次男のリクエストで下関近くの川棚温泉街にある元祖瓦そば・「たかせ」さんに寄ることになった。なんでも大学からの課題で、「瓦そば」についてレポートを出さないといけないのだという。彼の大学には不思議な授業があり、「山口と世界」なる授業があって、山口県の近現代史・産業史・地理・文化について学ぶ課題があるのだという。
私がつい余計にも「まるで中高の社会科みたいやな」というと、彼自身は真顔で「オレも最初はそう思っていたのだけれど、おかげで俺みたいな余所者でも山口のことが理解出来るようになってな、ためになるし良い勉強になるわ・・・・」なぞと応じ、その彼の応答の様子から彼なりにその土地への愛着が芽生えつつある様子であった。入学した当初は、「もうこんなところに長くいたくない。何もなさすぎる・・・」と嘆いていたものだった。彼の心境の変化については家を出て他所で適応的に暮らしていく上で好ましい側面があり、男親としては「それはそれで良いか」などと思えた。
瓦そばは、山口県民の方々にとってはソウルフードのようで、地元のスーパーを覗くと、食品コーナーに瓦そば用の茹で麺が多く売られている。各家庭で休みの昼ご飯として頻繁に作って食べているらしいが、焼きそば用の瓦が各家庭で用意されているのかと思いきや、今ではホットプレートで調理されて食されているとのこと。私自身はこれまでに食べたことがなく、前々から気になっていたのであるが、今回初めて食べられることになった。
川棚温泉にある「たかせ」さんの創業社長がこの瓦そばを考案したと謳っていたのであるが、その伝来として明治10年の薩摩戦争の際に、従軍した兵士達が焼けた瓦の上で色々なものを調理して食べたことからヒントを得て茶そばを瓦の上で焼いて、そこに錦糸たまご、肉、ネギなどを載せて今のかたちにしたのだという。
「たかせ」さんの店構えは、なかなか立派で、雰囲気の良い古い建物とその敷地内にはちょっとした日本式の庭を設けられていた。私たちは、人数分の茶そばと私と次男用にこの店のもう一つの名物としているうなぎご飯(ひつまぶしみたいなもの)を注文した。瓦そばは、程なく我々の目の前に運ばれて来た。適当量のそばを箸で一掴みし、それを出し汁につけて食べるのであるが、これはこれで大変美味しかった。所謂ソース焼きそばよりも断然あっさりとしていて食べやすく飽きが来ないのが宜しい。私はとっても気に入った。またこの店に来訪したい気分だった。次男もこのソバが結構好きになっているらしい。よその土地の文化なり食べ物なりに愛着が持てれば十分に適応して暮らしていける。
妻がぼそっと何やら言っていたが、それは聞き流した。彼女の言動の中には、愚息がこの土地に染まる前に、地元に帰ってきてほしいという願望が見え隠れするのであるが、親元から離れて暮らし始めた以上帰って来るか出たままになるかは、本人が決めることで、その事を彼女も重々承知しているから、何やらぼそっと言う形になってしまうようである。
その後、私たちは下関に出て、唐戸市場をすこし見物した後、対岸の門司に向かい門司港レトロ街をしばらくぶらついた。生憎、天候が悪く、外は雨交じりの強い風が吹いていたため、妻は最寄りの土産物コーナーにとどまり、私と次男は門司港駅まで歩き、駅舎の中にあるスタバで一服することになった。そこで次男は時々大学の仲間と高速バスを使い博多まで遊びに出るのだという話をしていた。
〝それはそうだろうな(笑)“ いくら田舎暮らしの覚悟が付きつつあっても、偶には都会のにぎやかな刺激が欲しかろう。山口県西部は、北九州圏と言っても良く。実際に彼の同級の浪人生出身仲間の多くは、北九州地区から進学してきたようであった。また、息子のアパート物件を探した折に、不動産屋に聴いても、山口県の多くのヒトが特別な買い物をする時は、北九州・博多に出向くと言っていた。特に博多は学生にとって日本一優しい街とも聞いたことがある。彼も徐々に山口県民の皆さんに準じた生活に送るのであろう。それも宜しかろう。
しばらく二人で雑談をした後、一人土産物屋に残った家内のことが気になり出し、そのお店まで引き返すことにした。そのまま門司港駅を離れようとしたところ、次男が「ちょっと待ってくれ」と言い、駅構内を改札口に向かって歩き出した。見ると、プラットホームに「鹿児島行き」と書かれた列車が停まっている。そうだった、この駅は鹿児島本線の始発駅だったのか。暮れ始めた薄明りの構内に、幾つかの列車が停められていて、ちょっとした旅情を感じさせる雰囲気があった。次男はゆっくりと構内を眺めて写真を何ショットか撮っていたようだった。
「あのさ、この前は山口から鈍行で博多まで行ったんだけど、死にそうだったわw」。てっちゃんとまでは言えないものの、彼もまた電車が好きなようであり、旅情を楽しめる奴になっているようであった。〝そういう旅情を楽しめる情緒を持っているのってなかなか良いじゃないの!“
最後に、下関に戻り妻のリクエストだったフグ料理を食べて帰ることにした。事前にイチロウから教えて貰っていたフグ料理「やぶれかぶれ」さんへ向かう。このお店は、養殖ものを使い、リーズナブルな値段でフグの料理を提供してくれている。
店のもっと奥にあるい板張りの座敷に通されて、メニューを暫し眺める。その中に鉄焼きコースなるものがあって、珍しそうだったので、それを3人前注文。それとせっかくだからと焼き白子を一皿追加。残念ながらクルマで来ているのでアルコール類は頼めず、3人ともノンアルコールビールで乾杯。ああ、ひれ酒呑みたかった(笑)。
つき出しの皿、ふぐ刺し、フグの唐揚げ、鉄焼き(フグの薄く切った身を鉄板で軽く焼いて、それを焼き肉風のタレ、もしくはポン酢につけて食べる)、そしてフグ雑炊。お値段はとてもリーズナブル。一同大満足。妻より珍しくお褒めの言葉あり。
イチロウこの場を借りてお礼を言います。良いお店を紹介してくれてありがとう。嫁子が大変喜んでおりましたぞ(笑)。来冬も是非再訪したいお店でした。
その夜は、3人とも大満足し次男の下宿に引き上げたのだった。
翌日は、午前中は次男の部屋を掃除し引越しに不要となりそうな生活雑貨・衣類を整理。午後から次男をバイト先に送り届けて、二親は帰路に向かったのであった。
帰りの道中で、妻はいつの間にか素直になった次男に驚きを示していた。私は彼女の話を黙って聴きつつも、男親としていつの間にか次男と同じ目線で物事を語り合えるようになっていることに喜びを覚えたのであるが、そこには彼なりに己に対する自信が芽生え始めている様子が見て取れて、そのことに安堵する想いもあった。
この感覚は悪いけれど女親には分からないだろうなあ。これは妻には言わないでおこうと思う(笑)。
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