症例;Mさん53歳男性
主訴:「この先私は、今後の夫婦関係をどうすれば良いでしょうか?」
既往歴:特記事項なし
家族歴:現在、妻と二人暮らし。挙子二人(いずれも男児)。子どもは二人とも進学に合わせて、本人宅を離れた。
嗜好歴;アルコールは何でも好き。週4回飲酒。喫煙(-)
人格的傾向;本人談 「優柔不断だけれど、頑固。いつもニコニコしているが、ヘラヘラとしていると他者から言われる。恐妻家」
経過:
X年1月のある週末に、Mさんは妻と一緒にあるショッピングモールで買い物。その日の夕食食材を買い物している時に、妻から「明日の朝食用にパンを買って帰ろう」と提案された。Mさんは、その食品売り場にあるベイカリーの人気商品である「あんバターパンをひとつ買ってくれろ」と応答。しかし、夫婦ともに他の事に関心が移り、朝食用パンならびに『あんバターパン』は買わず仕舞いだった。
その翌日夕食が終わり、Mさんがしばらくそのままテーブルで寛いでいると、妻が「これ朝食用に持って行き」と紙袋を渡した。Mさんは、中をあらためず「わかった、あんがと」と言い、通勤用バッグにしまい込んだ。翌朝、職場でその包みを広げると、『あんパン』ひとつが入っていたので、缶コーヒーと共にそのパンを朝食として食べた。
同日晩に、夕食後いつものごとくMさんはテーブル席で寛いでいたところ、妻が「ああ、そうだ。忘れないうちに」と言い、紙袋をマサキさんに渡した「明日の朝食用」と。マサキさんは中身をあらためず、「サンキュー」と言ってその袋を通勤バックにしまった。翌朝職場でその袋を開けると、前日とは違うメーカーの『あんパン』がひとつ。前日のごとくそれを朝食とした。
その晩、Mさんが夕食後に寛いでいると、妻はひとしきり喋った後、「これ、明日のパンね」とMさんにビニール袋を渡した。Mさんが何気に中を見ると、また別のメーカーの『あんパン』らしきものが見えた。
Mさんは、基本的に妻の出す食事は「何の注文も、クレームも言わない主義」なのだが、流石に3日連続の『あんパン』はちと辛く、思わず「ええ~、またあんパンなの~?」と妻に聴いた。彼女曰く「だって、『あんパン好き』って言ったじゃん!」と返答。Mさん:「ちゃう、ちゃう」「俺が食べたいと言ったのは、『あんパン』じゃなくて、『あんバターパン』!」「似たようで、全然違うのよ・・・・」
それに対して、妻は「そんなの知らんわ」と応じ、そのままMさんの前に“ずいーっ”
とその包みを押し返した。Mさんは仕方なく、その包みを通勤カバンに入れて、翌朝三日連続の『あんパン』を朝食として食べた。
4日目の夕食後、妻が「じゃあ、これね」と言ってMさんに渡したのが、『つぶあん&マーガリン/ 黒糖ふーみロール』なる菓子パン。マサキさん:「ムムム・・・」と内心唸りつつ何も言わず。翌朝朝食にして食べたところ、〝甘すぎて無理っす“と途中でギブアップしてしまった。
※あくまでもご本人の主観的感想であり、この商品の優劣を述べているものではありま
せん。
5日目の夜、妻「今日、知り合いの奥さんと外出した時に、有名なパン屋さんがあったから」としてMさんに渡したのが、『りんごあんぱん』。Mさん;「こ、これは・・・・」と再び密かに唸ったまま、何も発せず。翌朝喰ったところ、「全くのノーマーク。でも、結構イケている。」と内心ホッとした。
※ あくまでもご本人の主観的感想です。この商品の優劣を述べているものではありません。ただ、Mさんは、アップルパイやアップルパンが幼少期より好きだっただけのことです。
6日目の夜は、幸いにして「朝食用パン」なるものは妻から支給されず。Mさん内心ほっとして就寝。翌朝は気持ち早めに家を出て通勤途中にコンビニに立ち寄ると、その名もずばり、『あんバターフランス』なるパンを発見。喜び勇んで、そのパンをひとつと缶コーヒーを購入してカバンにしまい込み、職場に着いて改めて包装の文字を読んでみると、〝バター入りマーガリン“と書いている。Mさんは、大変がっかりした。
※あくまでも本人の主観的感想です。Mさんはマーガリンが多少苦手なだけで、商品そのものに文句は全くありません。
「あー!」「こ、これは『塩バターパン』だ。『塩バターあんパン』ではない!」
※話は経過の最初に戻るが、Mさんが「バターあんパンが食べたい」と言った時に思い描いていたベイカリーが供するパンは、正確には『塩バターあんパン』で、クロワッサンの形状で生地は塩味が効き食感はフランスパンのような硬さを有したものだったのです。
その時、Mさんが口にしているのは、食感といい塩加減といい、Mさんが思い描いていたパンの生地と類似しているのだけれど、そこに当然ながら餡が入っていなかっただけのこと。
Mさんは、そこで己の早合点ぶり軽率ぶりに苦笑いを浮かべざるを得なかったが、己の間抜けぶりと共に、この一連のエピソードが最近の夫婦関係を如実に反映しているようで、しじみと省みざるを得なった。夫婦間の微妙なすれ違いが生じていることである。
Mさんは、しばらく言葉にならない感情を冷めかけたコーヒーと共に飲み込んで職場に向かったのだった。
翌朝、職場に着き、「いざ!」とばかりに喜び勇んで朝食としてそのパンを食べたのだった。この『あんバターパン』は、パン生地はフランスパンのような硬さで若干塩味が効いている、粒あんは甘さのコントロールが良く上品。厚さ2㎜程度のバターが餡の上に載せられている。粒あんの甘さと、バターの塩味が絶妙。
朝のエネルギー摂取と元気を出すのに最適!・・・の筈だった。ただ残念なことに、ちょっとその朝の体調加減のせいか、バターが重たかった。「ああ、オイラはもうこのパンを食べこなせない年になっちまっているのか」「むしろ、今後は塩バターパンくらいにしておこうか」と、Mさんは薄ら寂しさを感じたのであった。
朝のエネルギー摂取と元気を出すのに最適!・・・の筈だった。ただ残念なことに、ちょっとその朝の体調加減のせいか、バターが重たかった。「ああ、オイラはもうこのパンを食べこなせない年になっちまっているのか」「むしろ、今後は塩バターパンくらいにしておこうか」と、Mさんは薄ら寂しさを感じたのであった。
(考察)
たかが『あんバターパン』ひとつを介した夫婦間のやり取りを記したケースレポートなのだが、そこには平凡な中年夫婦の抱える機微、中年夫婦の危機の兆しが内包されている。論点は、色々側面から指摘され得るが、
ひとつは、そもそもMさんが本人の求める菓子パンをその妻がその通りに購入してくれるのが当然だとしている前提が見え隠れしている点。昨今のテレビコメンテーターであれば、「オッサンが、そんなことでごちゃごちゃいうなよ」「そんなに欲しければ自分で買えば済む話じゃないか」と一刀両断で終わる話である。
ふたつ目は、それまでの経過の中では、妻が夫の朝食を気にすることがなかったのに、最近になって朝食を考慮し夫に菓子パンを買い与え始めている点。子育てが終わって多少なりとも夫に関心が向けられていると受け止めることが可能であるが、果たしてその再接近を夫がちゃんと気が付いていたかということ。そして、気が付いていたにせよ、果たして夫がその再接近に対して、多少なりとも気が重く感じてはいなかったかどうか。
3つ目、その夫婦関係の再接近過程において、それまでの四半世紀経った家族文化なり夫婦関係の積み重ねの中で一度完成した関係性を、どのような方法なり思慮を持って修正し解決させていくかという課題が今後も残るであろう事。これはなかなか言葉で云うほど簡単とは思われない。最近メディアを賑やかせている男女のゴシップに似た経過を辿るかもしれないし、〝第2のハネムーン”なぞとカウンセリング本に書かれているような経過を辿るかもしれない。要は、Mさんの心構えひとつに負うところ大で、果たしてMさんにそんな気力があるのかどうなのか。
等々と、己の日常的な葛藤を極力客体化してごちゃごちゃ考えていたら、マサキはとても面倒くさくなって、しまいには「夫婦間関係なんていっぱいそれらしい本も出ているし、テレビコメンテーターの人たちならしたり顔でごもっともそうな事を言うだろう。だけどね、結局のところなるようにしかならないけんね。」と思うのだった。
そして「いっそのこと、オイラはこれから『変わりあんパン評論家』にでもなろうかしら。」と、詮もなき新たな展望を見出そうとするのであった。
(おわり)
0 件のコメント:
コメントを投稿