この頃、先生のご様子がどうもおかしい。あまり外出をされる様子もなく、ご自宅に引きこもっているらしい。伝え聞くところによると、毎日物思いに耽られているご様子で、むにゃむやと何やら独りごとを言っては涙を流されている。
3月の下旬からお風邪を召して体調が優れぬご様子で気分を優れずにいたらしいのだが、そんな按配のところに3月27日の昼過ぎから先生の愛猫がどこかへ出かけたまま、帰って来ず、大そう心配されて更に気を落とされているとの事だった。
先生のところにその猫がやって来たのは、2年前のことで、先生のご自宅近辺を徘徊していた野良猫がやがて子どもを生んで、そのうちの一匹が親猫の後にくっついてやって来、先生のご自宅の庭で遊ぶようになった。当初は、先生や奥様がその子猫を追い払おうとしてたのを、その子猫が遊び相手に構ってくれていると勘違いし居ごこちが良くなってそのまま何となく居ついてしまったという。
それまでの先生の言動からは、あまり猫を好んでいる様子ではなかったのであるが、ある時その子猫の体調が悪い様子なので、奥様が残飯をエサに与え、そのうちにその猫の好むアジや握りずしの厚焼き玉子などを与えるとしきりに食べた。そうやって世話をしていると徐々に愛情が深まったらしく、寝床を物置に設えるようになり、やがてはお宅の浴室の浴槽蓋の上が子猫の寝床に定まった。ご夫婦でその子猫を「ノラ」と名付け、普段の世話は主に奥様がなさっていた。奥様のノラに対する愛情は大変強かったようで、ノラが近所の猫との喧嘩に負けそうになると箒を持って加勢したり、外出から帰ってくるとノラを抱き上げては話しかけるという具合。先生が直接的にノラを構う事はなかったようなのだが、日記にノラの様子を丹念に書き綴っておいでだから、恐らくは奥様から聴くノラの様子をご本人は仏頂面を保ちつつも内心では大変楽しんでいたのではないかと思われる。
ノラが先生の処に来て2年目の春を迎え、どうも盛りが付いたらしく、夜になると外に出せと言わんばかりに、勝手口の戸をにゃーにゃ―言いながらひっかく様になった。奥様が戸を開けてやり、ノラを外に放つのであるが、明け方になるとどこからかともなく必ず帰っていた。そんな毎日がしばらく続いていたのだが、上に記したように3月27日の昼過ぎに出たままついに帰って来ぬようになった。
先生のお嘆きは深く、毎日泣き暮らし、夜中になって物音があると、「ノラが帰ってきたのではないか?」と気になり、床から出ては玄関や勝手口まで確かめるため、ついには夜眠れなくなってしまわれた。近所の者にノラの消息を尋ねることを繰り返し、或る日人伝えに「ノラが猫さらいにもっていかれたのではないか」という噂が立っていることを聞くと、更に嘆くやら憤慨するやら内心は更に掻き乱れることになってしまった。ご本人自身が何度も「これでは参ってしまう」と困り果てていらっしゃるのだが、出て行った猫に対する追慕の念は如何ともしがたい状態になっているらしい。そんな先生の消息を間接的に知り得た私でさえも、「先生が気うつになってしまわれたのではないか?精神を病んでしまわれたのではないか」と毎晩心配する有様であった。
猫に興味のない者からすれば、最近の先生のご様子は全く可笑しな話で見ようによっては滑稽でさえある。しかし、愛猫家の猫に対する愛情はかくのごとく深いものなのだと思われる。
私自身は、生来猫はおろか愛玩動物にあまり興味がなく、子どもの頃からこれまでに猫や犬などを家に飼ったこともないくらいで、本来であれば先生の気うつになるほどのお嘆きを知ったところで、全く気に留めない筈なのであるが、このたびの先生のお話を毎晩聴かされていると、次第になんとなくそのお心が分かるような気がしてきた。
約30年前の話になるが、大学生活の最後の初秋の頃に、私や親しい友人が住んでいた貧乏アパートに、まだ幼い野良猫が居つくようになった。どういった経緯でその猫が我々のアパートに迷い込んだのかは失念したが、兎も角もそのアパートに住んでいた友人の一人で愛猫家であるIが、その猫を本格的に世話するようになった。
Iは世話することを決めると、ペットショップから、エサ、猫用トイレを買ってきて、暇があると紙箱や木切れから遊び道具を作ってやり、一緒に遊ぶのだった。彼は、猫との付き合い方・間合いについて十分心得ていて、必要以上にエサを与えず、また適度に外に放して猫が遊んでくるようにもしていた。程よく遊び、程よく放すといった具合で、猫の方もIの付き合い方に気を良くしたのかすっかり彼になついたようだった。
私はそんなIと猫の様子をそばで眺めていたのであるが、何時しかその猫が、Iの部屋の階下にある私の部屋を訪れるようになった。私は、Iの言いつけ通りに、エサは与えず、その猫がするままにしておいたのであるが、その猫が人懐こい性格のようで、私の部屋に来てしばらくすると私の脚元にやってきて「構ってくれろ」と言わんばかりに体をこすりつけてきた。私は、ついつい相手をして猫が興味を引くようなことをしようとするのだが、Iほど上手でないために、直ぐに猫の方が飽きてしまう。こちらがムキになって更に猫が面白がりそうな刺激を与えようとするのだが、先方は思ったほどには興味を示さない。そんな事を繰り返していると、結果的に私が猫の機嫌を取り猫の方がその良し悪しを評価するようで、私に対するその猫の態度がいつの間にか横柄となった。その関係性は、Iをご主人様とするならば、私を同輩もしくは下の者と見做したかのようであった。
それでも私にはその猫の気ままな態度がそれなりに面白く感じられ悪い気はしなかった。
その猫がすっかりそのアパートに定住してしまうようになると、私たちはその猫のことを「ゴン」と呼ぶようになっていた。ゴンはその名にふさわしく、やや間の抜けた愛嬌のある奴だった。外に遊びに行くとたまに、イモリやスズメの死骸を持ち帰り、その獲物を何故かIの部屋の玄関前ではなく、私の部屋の玄関先において、私を閉口させた。別の日には、私とIがアパート横に広がる休耕田を眺めていると、土の窪みに身を伏せて数メートル先に降りてきたカラスをねらうのであるが、敢無く捕獲に失敗し悲しそうな表情でこちらを振り返って我々を笑わせたりした。同じ休耕田に年上の雌猫が通りかかると、ゴンはすました様子でその猫に近づこうとしたのだが、相手から無視されて、やはり悲しそうな顔をしてアパートに引き上げてきたこともあった。
ある一時期を私たちは、この愛嬌のある猫・ゴンに随分と心を癒されたものだが、やがて時間が過ぎて、その次の年の春に別れることになった。そのアパートの住人達は大学を卒業、私は成績が振るわずもう一年大学に留まることになってしまった。ゴンをどうするかという事になって、色々悩んだのだが、結局猫好きの後輩が面倒を見てくれることになり手放すことになった。最後の数日間を私がゴンと寝食を共にすることになったのだけれど、その時のゴンの様子については、こうやって話しているとおセンチな気分が強まり過ぎたので、ここでは言葉にしないことにする。ただ、後輩にゴンを渡した後私の中で残った何とも言えぬ寂しさと後悔、たまに野良猫を見かけるとゴンの残像が蘇る追慕の念は、ここ暫く続いている先生の嘆きと全く同じであった。
さて、最初に記した先生は、帝国大学を卒業後、都内の大学や専門学校でドイツ語の教鞭を取る傍ら、文筆業をなさっていた方で、そのお名前を「内田百閒」として世間に知られている方である。
先日、何気なく本屋で先生が記された短編ものを購入し、夜な夜なすこしずつ読んでいるのだが、「ノラやノラ」の件を読んでいると、先生の飼い猫が居なくなった嘆きと悲哀が連綿と綴られていた。それが3月27日以降は日記として記されているものだから、当初は飼い猫がいなくなったことへの悲嘆の強さや執着ぶりに辟易し、文字を追いかけるのを止めて読み飛ばそうとしてしまっていたのだが、ふと「ゴン」のことを思い出し、先生の気持ちに完全にシンクロしてしまった。しばらく先生のお嘆きを我がこととして受け止めて差し上げたくなった。
今しばらく、床の中で、先生が「ノラ」のことを繰り返し繰り返し想起し哀惜の念を吐露するのを聴きながら、私は私で「ゴン」の面影を懐かしく脳裏の中に追い求めるのも悪くないかと思った次第である。
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