2015年10月13日火曜日

Tour De DOKKA/ IKERUTOKOMADE


「大きいクマさん、小さいクマさん」シリーズの第2弾、夏休みを利用した愚息との東京行きについて書き進めて行くつもりであったのだが、暫く現実生活が忙しくこのblogに立ち戻る心理的・物理的ゆとりがなく、そうこうしていると、いくら私的な日記とは云え、あまりにも個人的感傷を書いても仕方がないなという気持ちが強くなった。大変楽しい旅ではあったが、これは私の心の中にしまっておこうと思う。

 
その後、現実生活・仕事上の多忙もひと段落着いた。少しゆとりを取り戻したところで、イチロウとの間でどちらともなく“そろそろチャリで出かけるか。”ということになった。

 
イチロウには既に腹案があったらしく、旧山陽道を広島から山口県東部を行けるところまで走ってみようということになり、私も特に異論なく「では、そうしようか」ということになった。

 
1011日連休の中日、私の前日からの仕事明けを待って、午前10時過ぎにJR五日市駅前に集合。この度は、行けるところまで自転車で走行し復路は輪行で帰ってくる計画であったので、持ちだしたbikeGiant24inchi車ということになった。午前1025分頃にイチロウと落ち合い早速出発することになったのだが、イチロウ出発直前になり「今日は予定を少々変更し、岩国から海沿いを柳井市に向かい、出来たら徳山市まで行きたい」とさらりと言う。

 
“えー、徳山と云えば、オイラ新幹線か自動車でしか行ったことないもんね。またコヤツ、無茶な計画をこしらえてきよった”と絶句w。イチロウ、私の表情を察してか「たった140㎞程度だからなあ。まあ行けるところまででいいけどさ」と笑っている。

 
“こっちはね、睡眠不足と一昨日食べた肉が当たったらしく今一つお腹が本調子じゃあないのだよ。”と多少ぼやかしながらイチロウに予防線を張っておくw。但し仕事の都合で2日間飲酒していなかったから、コンディションとしてはこれまでに比べても悪い方ではなかったのだがw。

 
午前1030分頃に出発し、JR五日市駅を出発し宮島街道(国道2号線)を西下する。その頃には空は青く晴れ気持ちの良い秋の午前中という按配になった。漕ぐ脚も軽くまずまずの滑り出しであった。

 
宮島口の手前で、西広島バイパスと宮島街道が合流する時点で何時ものごとく自転車の進め方に迷う~バイパスの合流部は自転車通行禁止となっているため、側道を進まないといけないのだが、その側道から宮島街道に再び戻るのには少々面倒くさいことになっている~。結局、側道から阿品台団地に上がる高架を、宮島街道を跨ぐ形で上ることにしたのであるが、そこから宮島街道沿いを数十メートル東に戻るのが面倒くさく、そのまま阿品台団地に入り、前回通った裏道を出来るところまで西に向かおうという事にした。上り坂道を標高100m程度登坂したのであったが、その時は脚も軽かったのと、“今日は行けるところまでだからね”というイチロウの言葉が脳裏にあり、全く苦にならなかった。この行程が後で私の大きな悔いになっていくのであるが、この時点ではこの後の展開を知る由もなく、能天気に左眼下に広がる宮島を眺めて“誠に気持ち良し”と悦に入ってたものだったw。

 

イチロウは途中で自転車を停めて、ローカルな和菓子屋さんに入りおはぎを2個所望し、店先でぱくついているのを暫し眺めて、再出発。その後、大野町の旧道をのんびりと西に走らせ、静かな旧街道沿いの佇まいを楽しむ。

 
大野浦の西はずれから再び国道2号線に戻り、大竹市をやり過ごし山口県岩国市に入る。時刻は1215分頃だったか、先を走っていたイチロウが引き返してきて国道沿いのうどん屋を指さしながら「ここで、昼飯にするべ。うどんだったらお腹にも優しかろう」と声をかけてきた。“じゃあ”ということでうどん屋の駐車スペースに自転車を立てかけて、店に入る。イチロウ、“ぼっかけうどん”、私、“天麩羅うどん”を注文。思いの外旨いうどんであった。

 

1245分頃に再出発。私は自転車でここから先は未だに行ったことなし。まだ、この先の待ち構える苦難を想像することなく、先を行くイチロウを追ってペダルを漕いだ。岩国市市街地が見えてくる高架を渡ると2号線を左に折れて、JR岩国駅前に向かう。

 
ここからは海沿いの道・国道188号線に沿って南に下る格好になるのであるが、岩国市街地を離れる頃から、向かい風を受けながら走ることになる。イチロウのケイデンスを見ながらそのリズムに合わせて漕いでるつもりが、瞬く間に引き離される。

 
“この夏、自転車にも全く乗らず、ジョキングもせず。こりゃあ、運動不足が祟ってるわあ。参ったなあ。体調の問題というよりも、運動不足による脚力低下だよなあ”

 
引き離されて独りで漕いでいると、大体がこんな感じで“泣きw”の思考が働き、“来るんじゃあなかった”と後悔の念が頭を過ぎる。“じゃあ、この重たいチャリを担いで帰るか?否、そんな面倒くさいこと嫌だね。じゃあこのまま走るしかないべ“と、そんな雑念が湧いてくる。

 
しばらくそんな詮もなき葛藤を覚えながらペダルを漕いでいると、何時しか海沿いに出て左側に島影が見え始めた。同じ瀬戸内ながら山口から見る広島湾はまた違った趣があって、目を楽しませてくれた。“これだから自転車は止められないw”と独り笑う。

 
JR通津駅前に差し掛かったところで、イチロウが駅前の広場で待っていた。更に近づくと、左側を差している。見ると駅舎を指さしながら「どうした。もう無理なら帰っても良いんだぞw」という。このオトコ、ある状況下ではてきめん厳しくなるw。「いやいや、なんの」と言いまた走り出したのだが、直ぐにイチロウに引き離されてトボトボと向かい風を受けながら走る。JR由宇駅前で再びイチロウが待っていて再び駅舎を差しながら「電車で引き返しても良いんだぞ!」とそんな事したらちっとも“良くないぞ!”という雰囲気を漂わせながら”言い放つw。

 
“このオトコ、完璧にオイラのヘタレ癖の操縦術を心得ておるの”。我ながらヘタレた声を出し、「ここまで来た以上、柳井までは行くからさ」と応じ、再出発となった。

 
由宇駅界隈を過ぎると、左前方には周防大島が見える美しい海岸道路となっているのであるが、この日は周防灘から吹いてくる向かい風が強く、己の脚にも厳しく精神的にもキツイ自転車行になっていた。すれ違う自転車野郎も何組も見えたが、追い風に乗って走行しておりどの顔も笑っている。“おのれ~”と声にならない怒声を口の中で発しつつ、ひたすらペダルを漕ぐ。

 
周防大島に掛かる強大な橋の橋脚を潜って暫く進むと大きな港町大畑港に到達する。イチロウ大畑駅前で泊まり笑っている。「なんだか旨そうな魚屋・料理屋があったなあ」だと。「時間があればちょっと寄りていところだけどな。」

 
“こちらそんなゆとりなしw。先急ぎたし。取りあえずは柳井市に行きたいし。そっから先イチロウが行きたければ、行ってくれても良いし。オイラ電車に乗って帰りたいしw。”

 
こちらの心情を察してかささずしてか、イチロウ、前方を差しながら「じゃあ元気出してあの坂上るか」と笑っている。

 
“ハイハイ、ここまで来たら、柳井までは坂があろうとも大風に吹かれようとも行かせていただきやすw。もう行くけんね”。

 
イチロウが指さした登り坂は、ちょっとした高架の坂であり、難なく乗り越えられたが、ここからの柳井までの海岸道路は筆舌に尽くし難しw。

 

ここから先、柳井市内までの道は海際を走り、天気が良ければ周防灘から豊後水道に向けての大海原が見渡せそうであり、波が打ち寄せる海岸も岩肌も荒々しく絶景ポイントが幾箇所かあり風光明媚と形容したいところであったのであるが、向かい風は一向に治まる気配がなく、全身に向かい風を受けペダルを漕ぐモチベーションを大いに削がれたのであったw。

 
“全く~、イチロウ~、どういうコース設計してくれてんねん。だから、海沿いじゃなくて山里コースが良いって言ったじゃんかようw。黄金色の稲穂と赤とんぼ見ながら山里走っていた方が平和的だったよなあw”ヘタレにヘタレた事を想いつつ、さりとて前進するしかなく、懸命にペダルを漕ぐマサキであった。

 
それでもペダルを漕げば自転車は前に進み、無事に柳井市街地に到達。国道188号線からひとつ市街地に入りコンビニで休憩を取ることにした。個人的には、今日のチャリ行はこの地で終了ということで身も心もリラックスしていた。レッドブル一缶、杏仁豆腐一個を摂取し、やや疲れが治まり元気を取り戻す。

 
イチロウ「さてここからどうする? 今、時間は午後3時ちょい過ぎ。柳井から電車に乗って帰るのであれば、徳山まで在来線で出てそこから新幹線で広島まで帰った方が早いだろうな。」

 
私「おおそうか、じゃあそうするか?」

イチロウ「ただなあ、まだ3時は勿体なくねえか?もうちょっと先まで行って、そこからJRに乗って徳山まで出ても良くないか?」

私「どこまで?」

イチロウ「光市まで後20㎞くらいかな。風も止んできたことだし1時間くらいでいけるのじゃないかな?」

私“?”「じゃあ、まあ移動ということで行ってみるか?」

イチロウ「ここからJR沿いを走ると山道になって面白くないから、188号の海岸沿いを行こうや?」

私(何も考えず)「じゃあ、そうするか……..。」

 

今から思うに、この時私は既に疲労の極致で思考力失っていたのだろうなw。光市に向かう海岸沿いは再び周防灘から吹き寄せる向かい風に弄ばれるわ、波打ち際から上がってくる潮水を浴びせられわで、それまで以上の難行であり、当初考えていた“移動”ではなかった。

 
それでも自転車はペダルを漕げば前に進むもので、諦めなかったら目的地には到達するもの。イチロウには大幅に遅れたものの、午後450分頃に無事JR光駅に着いたのであった。

 
駅舎の軒先で、二人の自転車を並べて記念写真一枚。イチロウ笑っている。

 

さてという事で、自転車を畳輪行の用意が整ったのであるが、イチロウ曰く「今の時間帯であれば、在来線で岩国にまで出てそこから乗り換えてJR五日市駅まで帰った方が早いね。」

 
“えっ? 徳山じゃなくて、このまま戻るのか?”“えー、何のための移動だったの……..w”

 
ただ、先頭車両に乗り込み、来た道を眺めながら電車で帰るのは気持ち良かった。ちょうど乗り合わせた他の乗客の様子を観つつ窓外の景色を眺めて、ローカルな気分を味わいながら今日走った道程を同行者とレビューしていると自転車走行だけの旅よりも旅情を2倍楽しめて、一日の疲労を感じつつも内なる満足が心の中で広がっていくのを覚えたw。

 
Tour de DOKKA/ IKERUTOKOMADEは、“走りはじめて後悔を覚え、走り終えて満足と心地良い疲労を覚える楽しき旅”ではありましたとさw。

(終わり)
 

備忘録;走行距離 約100km, 所要時間(途中休憩を含めて):約6時間30分だった。

2015年9月4日金曜日

大きいクマさん、小さいクマさん ~その1~

私は、本来子ども嫌いであったのに、実際に家庭を持って自分のこどもが生まれてみるとやはり世間の親なみにわが子を愛おしく思えるようになった。
 
長男が生まれて親子三人でそれなりに楽しい日々を1年と数か月過ごした頃に、次子が生まれることになった。家族が増えることについては、幸せに感じていたが、家内が臨月に近づくに連れて少しずつ長男の表情が曇ることがあった。長男は、母親から喜べとばかりに弟か妹が出来ることを聴かされたらしいのであるが、どうも実感が湧かない部分とどうも二親の愛情の対象が自分以外にも出来るであろうことに対して彼なりにすこし複雑な感情を抱いたらしい。

 
次子・次男が生まれた日、家内の実家に預けられた長男が祖母に伴われて、家内と弟に面会した際に、家内が長男を抱き寄せようとした時に長男は後ずさりして祖母に抱き付いたのだという。

 
その話を後日聴いた私は、軽い喪失感を抱いている長男に対して父親としてどのような働きかけをするべきか考えていた。職場で懇意にしていた先輩に、雑談の中でそのような話をしたところ、その先輩曰く「それはねマサキ、父親と男の子が一緒に旅をする物語の絵本を読み聞かせてやるのが良いんだよ」とのことだった。

 
“なるほど”と思った。それから、仕事帰りや休日に時間が取れた時に本屋に立ち寄っては、幼児用の絵本コーナーで父親と男の子をテーマにした絵本を探した。絵本選びを続けている間に、私にとって絵本選びがちょっとした楽しみにはなったのであるが、他方で、父親と男の子をテーマにした絵本というのは圧倒的に少なくて/ 或はないと言って良いくらいで、このテーマの絵本を探すのに大変難渋した。

 
そんな状況の中で見つけたのが、「かぼちゃのひこうせん ぷっくらこ」という題の絵本だった。仲良しの大きいクマさんと小さいクマさんが、デカいかぼちゃに乗って旅をするお話で、この2匹の関係性は語られていないのだけれど、父親と男の子に見立てて長男によく読み聞かせたものだった。次男が物心ついた頃からは、2匹のクマさんの関係性は兄弟クマの話になってしまったのだが、実際に彼(ら)がこの話をどのくらい気に入ってたのかは分からない。この他にも、例えば五味太郎さん作の軽快なテンポの作品が親子共々気に入り、案外そちらを読み聞かせる頻度が多かったのかもしれない。ただ、就寝前に子どもたちに絵本の読み聞かせをするのが、私にとっても大切な日課になっていて、一方的な想いれではあるが、お休み前の親子のちょっとした“旅”のような時間だったように思えて、今思えば幸せな時間だったように思う。

 

※ この記事を書くにあたって、我が家の書棚にこの絵本を探してみたが、何故か見当たらない。子どもが小学校を卒業した際の整理に捨てられたようである。誠に残念!ていうか、私の想い入れほどには家人には大切なものではなかったのかw。


その後、子どもたちが幼児期、学童期を過ごしている間は家庭内の力学は母子中心に回ってしまうもので、父親の立場は母親補助の役回りだったのだが、彼らが中高生になれば、男同士でちょっとした旅(それはお出かけ程度のものにせよ)が出来るのではないかと密かに期待していたものだった。ところが現実は、長男・次男は中学に上がると、クラブ活動を中心の生活になってしまい、私は私で、仕事面で忙しくはなれども暇になることがここ数年なかったものだから、男同士の旅はおろか家族旅行にも出かけれらない状況となっていた。もっともこれはあくまでも父親の立場から述べたもので、思春期を過ごしていた息子どもから見れば、父親の存在など疎ましく、例え時間があっても男同士の旅を提案したところで了解したかどうかは怪しい。

 
結局長男については、そのような男同士の旅をする機会を持てず高校を卒業してしまい、現在浪人中であり、男同士の旅をするチャンスはほとんどなくなってしまった。ふたり旅どころか、もう父親の存在など必要なく自分自身の旅立ちについてどうしたものか?という態度を取っているw。

 
男同士の旅のふたり旅という文脈でいえば、むしろ次男の方がその機会が多かった。彼は、中学高校と自転車通学をしているのであるが、私が雨天になれば学校(近く)・クラブ活動会場までの送迎を仰せつかる機会があり、その間30分程度車中で二人だけの時間を持つことが出来た。特に話が弾むことはないのであるが、それでも彼が言葉少なに語る中から、彼の家庭外での様子が伝わってくるようであり男親としては興味深かった。

 
824日に次男の夏休み期間のクラブ活動がひと段落つき、彼には3日間の休みが得られたので、私もそれに合わせて夏休暇を取った。彼の夏休みの宿題に、「現代美術館を見学し感想文を書くこと」なる課題があり、折角ならば東京現代美術館にでも行ってみるかということになり、825日・26日に12日で私と次男でふたり旅をすることになった。

 

(つづく)

2015年8月14日金曜日

乗りバカ “イチロウ・マサキ、島伝いに走る”編~その2~


本浦地区・桂浜を通り過ごし、更に二人で鹿島を目指す。

 

桂浜を過ぎてすぐに短い上り坂のトンネルがあり、右にカーブして入江に入り、入江を過ぎると再び岬というほどではないが山の斜面を削った坂道を上りピークを過ぎると次の入江に入るということを繰り返した。鹿島に辿り着くまでおよそ5-6か所そのような運動を繰り返しただろうか。 小さい入江の外れの浜辺では、家族連れが海水浴とバーべキューを楽しんでいる光景が認められた。イチロウが、「もう家族でバーベキューなんてしなくなったよなあ」と言っている。そうだよな、お互いに子どもが大きくなって野外でキャンプやバーべキューをするというイベントもしなくなった。過ぎ去りし日の事を思えば少々さびしいが、だからこうして休みの日にオッサン二人でチャリを転がすことも、赦されるようになったw。

 

大きな入江では、大きな集落に小規模な造船所や漁港があった。こんなところにもと云えば大変失礼なのだけれど、恐らく遣唐使船が瀬戸内海を行き交っていた昔から脈々と人々の暮らしが続いていて改めて凄いことだと思う。

 

そんなことを思いながらひたすらにペダルを漕いだ。

 

いよいよ鹿島が目の前に見えて来た。倉橋島から鹿島に渡る前に鹿老渡という地区があって、小さな独立した島になっているのだけれど、この島の正式な名前をボクは知らない。県道は東側の弧を描くような浜に沿って走っているのだが、この浜辺が入江の白浜になっていてたいへん美しいのだが、一家族が海水浴をしているほかは静かな佇まいであった。鹿老渡地区の集落に入り左手に曲がるとちょっとした登り坂で、この登り坂をゆるゆると登ると、鹿島大橋に辿り着いた。

 


この橋、クルマがやっと離合できる道路幅なのだけれど、橋脚がやけに高い。先についたイチロウは自転車を停めて、橋の下の海を覗き込んで笑っているが、高所恐怖症のボクにはそんな芸当が出来ない。一息入れて橋の入り口からイチロウを写し、さっさと橋の真ん中を通って鹿島入りしてしまったw。

 

 
 
橋を渡ると、少し走って鹿島西端の小さな漁港がある集落をゴールとした。
 
 

到着時刻;午前1110分頃、runtasticによれば、走行距離;40.6km、走行時間1時間58分、平均時速20.5/hrとなっていた。
 
 
 
 
 
 

当初予定していたよりも早いペースでやって来れた。

陽は随分高くなり、辺りは非常に眩しかった。小さな島の漁港は人影もなくひっそりと静まり返っていた。岸壁から海を見ると大きなボラや小さなフグがゆったりと泳いでいた。海水は透明で大変美しかった。そうか!自転車で来ずにクルマでやって来て、潜って遊んでも良かったのか……。奴は、「子どもの頃、磯遊びが好きで大学は水産学部に入りたかったのだよ」と何時か語っていた……

 

暫く、雑貨屋さんと思しき建物の軒下に出来た日陰で休息を取ることにした。軒先には、自動販売機があり、冷えたスポーツドリンク500mlを途中の補給用に、そして疲労回復にと、糖分とビタミンCとアスパラギン酸入り栄養炭酸ドリンク500mlを購入する。イチロウは、奴には珍しくコカ・コーラの100円缶を買って飲んでいる。不思議に思って質すと、「ツール・ド・フランスで、選手がサポートカーから手渡しでコカ・コーラを貰って飲んでいたのよ」と笑っている。この辺りの彼の行動が無邪気と云えば無邪気で、面白い奴だと毎回のように思う。

 

30分程度休んだところで腰を上げて復路に向けて出発する。イチロウが「桂浜に気に入っている食堂があるんだよ、そこで昼飯を喰おうぜ」という。「それ良いな」と後に続く。

 

再び走りはじめ、ペダルを回す両脚は軽く十分に疲労は回復したように思えていた。「さっき飲んだアスパラギン酸入り炭酸のおかげよ」なんてイチロウに軽口を叩いたまでは良かったのであったが、鹿島大橋を渡るために登り坂を上がり始め、両大腿に力を入れた途端に両大腿部の膝関節部分の筋肉が攣り始めた。

 

これまでの経験で慌てて自転車を降りるよりは、そのまま力を入れない程度でペダルを回し続けて攣縮が治まるのを待った方が良いので、痙攣が悪化しないように踏み込まず軽くペダルを廻し続けることにした。この作戦で痙攣は悪化せずに済んたのであるが、推進力は得られずヨタヨタと漕ぎ続けることになった。イチロウ、「大丈夫か?」と前後しながら付き合ってくれる。

 

この辺り、普段鍛えているイチロウと不摂生なボクとの間の脚力の差が出てしまい、全くもって恥ずかしいやら情けないやらなのだが、取りあえず大きなトラブル・リタイヤにならないように適度に力をセーブしながら進むしかなかった。往路はそれなりにこなしていた入江と入江の間の坂道が、非常に堪えた。スピードは出ないがそれでも着実に前に進む。約50分して、桂浜に辿り着く。

 

時刻は1230分頃、浜辺からはバーべキューをしているのであろう香ばしい匂いが漂ってきた。桂浜の傍のちょっとした商店・民家が並んでいる通りに、イチロウ推奨の小さな食堂があった。

 

しまった!その食堂の名前もチエックせず写真も撮り忘れたw!カウンター8-10席と4人掛けテーブルが3つくらいの間口の細長いお店で、日替わり定食、お寿司、丼物を主なメニューに用意しているようであった。そこそこお客が入っていて、地元のヒト・如何にも里帰りした雰囲気のヒトたちが利用しているようであった。

 


二人して日替わり定食を注文、野菜と白身の天麩羅、卵焼きとウインナーが盛られた皿、タコと豆腐、筍の炊き合わせの鉢、味噌汁、漬け物、ごはんが運ばれてきた。750円也。値段と内容に納得、食べ終わって「刺身定食 1250円」という札に気が付いて、ちょっとした後悔も生じたが、田舎浜辺の食堂できちんとしたものが食べられたことや店の雰囲気に大満足。今まで何度もこの辺りには来ていたのにちっとも気が付かなかった。イチロウの嗅覚って本当に鋭く、こういう良い店を見つけるのは学生時代から得意としていたな。良く、イチロウが独りで“徘徊”した際に見つけた食堂に後から連れて行って貰ったものだ。どのお店も旨かったものだw。

 

その浜辺の食堂で日替わり定食を平らげた後、暫く休ませて貰った。この浜辺の食堂で昼飯を食べて、この度の酷暑の中のバイクツーリングはその目的を果たした。35℃を超える暑さの中でどうなることだろうか?と多少の心配もあったけれど、やはりやって来て良かった。十二分に夏の海辺の雰囲気を堪能出来た。また来年の夏もバイクでやってくるだろうな。

 

30分程度休ませて貰って、午後1時過ぎにその店を離れた。正午を過ぎて益々陽射しは強くなり気温も更に上がったようであった。路面から上がってくる湿度たっぷりの熱気が復路の我々を襲う事になり、ボクはゴール間際で軽い熱中症症状を自覚することになるのだけれど、書く方も読まされる方もあんまり楽しい話になりそうにないので、この辺りあっさりと割愛。

 


午後230分頃ゴールに辿り着き、その場にへたり込んで苦楽を共にした愛車を記念に写真に治めた。シャワーを浴び一息ついたところで、職場の居室に入ると、イチロウがクーラーを付けて涼んでいる。復路の最終盤では、イチロウに引き離され姿かたちが見えなくなっていたので、イチロウはそのまま自宅まで更に20数キロの途を帰ってしまったのだと思い込んでいたのだが、流石のイチロウも午後から強い陽射しと路面から上がってくる熱気に体力を奪われてそのまま自宅まで更にペダルを漕ぎ続ける気には馴れなかったらしい。

 

「なんだそうだったのか。あのまま帰ったかと思っていたw。変態野郎だと思ってたのだが….。」と茶化すと、奴も笑っている。

「じゃあ」という事で、イチロウとイチロウの愛車を回収して“我がチームカー”で引き上げることとした。

 

イチロウ、途中で買った白くまアイスを食べながら、「このクルマ、クーラーが効いて楽チンだようw」と子供っぽく喜んでいる。奴にとって“クーラーが効くクルマ”ということについても書き記さねばならないことがあるのだが、それに触れるとこの冗長な駄文が更に長くなってしまうので、その話はまた何れの機会に書くことにしようと思う。

 

さて冒頭に書いた何故イチロウがこの度ボクをバイクツーリングに誘う事になったのかについて一言付記しておかねばならない。帰り道の道すがら雑談の中で奴が云うには、彼の愛娘さんが、夏休みの御稽古ごと合宿でこの数日不在とのことだったらしい。それで遊び相手としてこのボクに白羽の矢が立ったという事なのだが、奴め、何時もこのオイラに「徳を積んでいるか?」と聴いてくるくせに、こういう時くらい自分がちゃんと「徳を積む」べきではなかったのかという疑問が湧いてくる。喉まで出かかった素朴な疑問であったのだが、イチロウの無邪気で満足そうに笑っている笑顔を横目で見ていたら、「まあ良いか」と思われ、その疑問は宙に浮いたままとなった。

 

(おしまい)

2015年8月12日水曜日

乗りバカ日誌;“イチロウ・マサキの島伝い80㎞の旅”編

何を思ったのか、イチロウが突然「今度の日曜日に自転車に乗ろうぜ」と言った。「徳を積んでポイントちゃんと稼いでいるか?」と笑っている。

 
「乗ろうぜ」と言われても、8月になって連日気温35℃超の気温が毎日続いている。それに「徳を積んだか?」と突然言われて、慌てて振り返ってみるに、あの「ポイント10day」以来、どのくらいカミさんに対してポイントを稼いだか心許なかった。

 
続けてイチロウが「しまなみ海道の大三島が良いか?それとも倉橋島から鹿島を目指すのが良いか?」等と具体的に提案してきている。奴め何を思ったか………。この辺りおよその事情に察しが付いたのはツーリングが終わってからのことだったが、この時点では奴は何時もの“黙して語らず”の野郎だったものだから、バイクツーリングの発案の背景・事情については特に聴かなかった。

 
その晩、カミさんにその週末にイチロウとバイクツーリングに出かけることへの承認を問うと「熱中症で死んだら、小栗旬似の新しい旦那を連れて来い」というわけの分からない条件付きで許可するとの返事だったw。

 
翌日、バイクツーリングに行ける旨イチロウに返事をしてコースについて話し合った結果、イチロウの当日の勤務都合もあり、しまなみ海道・大三島はこの度はパスすることにして、倉橋島経由で鹿島を目指すことになった。


江田島をスタートして海沿いの県道をひたすら南下、途中江田島・能美島(陸続き)から早瀬大橋を渡り倉橋島に入り、更に南下して藤之脇地区から瀬戸内の愛媛県側を臨む本浦地区までの長い峠を越える。その本浦地区から鹿島まで入江と入江を結ぶ大小の坂道をこなしながら、鹿島という小さい離島を目指す。

特に倉橋島本浦地区から鹿島に向かう道程は、桂浜という松林の残る海水浴場、小規模の造船所(この小規模の造船所の発祥は、モノの本によると古くは遣唐使船を作っていた頃からの歴史があるらしい)、そのほか鄙びた漁港などが残る入江が数か所あり、走る者の目を楽しませてくれる。ただ先に触れたように、入江と入江を結ぶ道は大小の坂があるので、このアップダウンをこなしていると、着実に両脚に負荷がジャブのように効いてくる、バイク乗りにとってはちょっとしたチャレンジグなコースにはなっていると思う。


 
この倉橋島~鹿島コースは、瀬戸内好きのイチロウやボクにとって大変大好きなコースであり、出来れば夏の間に一度は走っておきたいところなのである。イチロウもボクも各自単独で“鹿島詣で”をしたことはあるのだが、二人つるんで走ったことがこれまでになかった。

この度は、ふたりして瀬戸内の風情を楽しめるツーリングになりそうだった。

 
89日午前845分頃に職場に集合して、午前9時頃出発。

これは何時もの事でそろそろ反省と熟考を必要としているところなのだけれど、前日の大酒が祟ってか、両脚が重い。ボクが先行し緩々とポタリングペースで走り始める。天候は快晴で気温も早くも30℃を越えようかという按配であった。江田島から倉橋島に向かって県道を南下していく過程で、南からの向かい風を受けて少々走り辛かった。ただ、その風が次第に熱くなる体熱を取り除いてくれるで、それほど気温は苦にならなかった。


 イチロウはボクのペースに配慮してくれているみたいで、ボクの後から伴奏するように走行してくれている。江田島(能美島)と倉橋島を繋ぐ早瀬大橋までは、ほぼ起伏は少なくほぼフラットである。順調に南下し、スタート地点から167㎞地点で早瀬大橋に差し掛かる。

 
橋までのなだらかなループ上の登り坂~アーチ状の橋をゆっくりと上がる。どうもダンシングが苦手であっさりとインナーにギアを入れてゆるゆると上がったのだが、後ろから伴奏してくれているイチロウにとっては随分走りつらかっただろうなw。左の写真は、どういうタイミングなのか分からないが、イチロウが私の後ろ姿を撮ってくれたもの。


 
倉橋島に入ると、早瀬地区から藤之脇地区にかけては、最近新たに造成された山側の多少起伏のある道を進む。旧道は住宅地を縫うように通された細い道であったのだが、それに比べると随分走りやすかった。

この道を進むと、この度の最大の難所藤之脇地区から愛媛県側の海を臨む本浦地区に進む長い峠道に差し掛かる。スタート地点から22㎞~24㎞区間の約2㎞程度の緩やかな上り勾配である。交通車輛は然程多くないが、どの車もそれなりのスピードで上がっていくため、イチロウからの声掛けで歩道にバイクを進め、夫々のペースでこの登り坂に挑むことにした。ここの写真を撮っていないので、どんな具合かお示し出来ないのだが、バイク猛者たちもそれなりにキツイ坂だと感じると思う。イチロウに先行してもらい、ボクはぼくなりのペースで進む。右手下に青々とした早稲田を眺め草の匂いを嗅ぎつつ少しずつ高度を稼いでいくと、左右の稜線が狭まり、両側の雑木林からセミの鳴き声が激しく迫ってきた。本当に正しく“蝉しぐれ”状態。


 峠道のピークに辿り着くとなだらかな下り勾配を持つ全長200300m程度の長く暗いトンネルがあった。そのトンネルでは、先ほどの蝉しぐれから解放されて、火照った体を冷やしてくれてほっと一息つけた。そして、そのトンネルを抜けると路肩で先行していたイチロウが待っていてくれた。

暗闇から出ると、眼前には静かに青白く輝く海原が広がっていた。
 

マサキ心の俳句:蝉しぐれ/ 峠を越えると/ 青い海

 
ええ、さてw。

長く険しい上り坂を克服した後に、この静かに広がる瀬戸の海を観ることが出来るだけで、ここまでやって来て良かったなあとしみじみと感じた。この峠からの眺めを是非、コウイチやジロウ達に見せてやりたいと思う。バイク愛好家にはあまり有名でないコースかもしれないけれど、この峠からの眺望、そして本浦地区から鹿島までの続く海沿いの道は瀬戸内情緒を十分に楽しめる箇所だと思う。チャンスがあったら彼らを連れて来てやりたいものだ。

 
一息入れて、イチロウと共に長い下り坂を降りて本浦地区に入る。ここは、旧倉橋町役場の置かれた地区であり、民家も多い。本土から離れた愛媛県側にこの島の中心地として栄えたところを見ると、如何にこの島が交通手段を船に便り瀬戸内海を東西行き来する海運の地として、或は、豊かな海からの水産物に恵まれた漁業の地として生きて来たのかが分かるような気がする。その昔、遣唐使船がこの島の船大工によって造られたということなのだから、歴史的にも古い土地柄なんだな。

 
旧役場の前を通ると左に折れて、海岸沿いを桂浜に向かって走る。白い浜辺とそれに沿って松林が設けられていて誠に美しい。浜辺に沿った道端には、家族連れ海水浴客たち、帰省客と思しきヒト達が歩いていた。午前10時過ぎにこの浜辺に面した通りを通過したが、強い陽射しと海面からの反射した光によって辺りは眩しく輝いていた。

 
浜辺に松林(松原)という取り合わせは日本各所に見られる光景だけれど、特にこの瀬戸内海各所に認められる典型的な風景らしい。

中国山地で多田羅の民が、砂鉄を掘り出すのと鉄の製造に山肌を盛んに削った。削られた土砂が雨などで河川を下って瀬戸内海に流れ込み、瀬戸内海の砂浜を形成したのだそうな。ついでに言うと、海底では、中国山地から栄養分を多く含んだ土砂によって海藻が育ち、その海藻原が魚介たちのゆりかごのようになっている。

 
この浜辺を見ていると、ヒトの営みと自然の成り立ちとの間に絶妙なバランスを保ちながら瀬戸内海地方が長らく栄えてきたことを我々に教えてくれているようで素晴らしい。本土から離れているせいなのか、それとも以前ほどレジャーとしての海水浴が人気がなくなっているのせいなのか分からないが、海水浴客はそれほど多くなく、まばらであった。

静かに日本らしく・瀬戸内らしい鄙びたこの浜辺が何時までもこのままで保存されると良いなと思う。

 この桂浜には、倉橋温泉という名のレストハウスがありひとつの観光ポイントで、そこの食堂が出す“生しらす丼”なるものがイチロウやボクにとって非常に気になるところであったのだが、先に述べたようにまだ午前10時過ぎあることや目的地はその先の鹿島であることから、休憩は取らずに通過し先を急ぐことにしたのだった。

先を行くイチロウが私を振り返り見ながら、「是非マサキを連れて行ってやりたい食堂があるからな、期待してろよw」という言葉を楽しみにしつつ......。

 


(つづく)