2021年2月5日金曜日

ある小さな旅(3)

 美術館の玄関を抜けると、木調のフローリングの広いロビーがあった。正面に受付カウンター、右手はミュージアムショップで安野光雅氏の著作物の販売コーナー、左手奥にホワイエがあり、展示室に続いていた。

 


私は、正面受付に進み観覧を申し込んで、検温を受けてホワイエに進んだ。待合には、一組の家族連れらしき人たちが休んでいる様子であったが、時節柄か入館者は少ない様子であった。ホワイエを通り抜けて展示室に進むと、他の観覧者は居らず、私は落ち着いていて館内をめぐることが出来た。まずは、この度のテーマのひとつ明日香村の水彩画シリーズが展示されていた。淡い色調の彩色を施された風景画が並べられていて、いずれの作品も懐かしさと静謐さを感じさせるものであった。最近どうも絵画を眺めていると、作者が画材に絵筆を走らせている光景を想うことが多くなり、作品を通じてその情念などを受け取っている錯覚に陥ることが多くなった。勝手に作品を通して作者と対話しているような気になっているのであるが、この度も作者が抱いたであろう明日香村の美しい山里に対する憧憬や日本らしい原風景に対する愛情が伝わってくるようだった

 

更に展示室を進んでいくと、「きつねのざんげ」「赤いぼうし」という絵本作品の原画が展示されていた。これらの絵本画に出てくるキャラクターはどこかで見たようなタッチ・彩色がほどこされていた。上の2作品は初めて見るものであったが、検索すると氏の作品のひとつに「不思議の機械」という作品があって、それは私が就学直前に親から買い与えてもらったものだったし、私自身も子どもが幼少時期に同じ絵本を自分の子どもに買い与えたものであることが分った。

 


そうだったのか! 私は幼少時期に、そして私自身の父親業の最初の頃に安野光雅氏の絵本作品に触れていたのだ。この作品は、幼児に対して数学的思考を育む意図が表されており、子ども心に好きな作品だった。名前を知らないままに過ごしてきたけれど、随分お世話になっていたんだな、そう思うと氏の作品群への私なりの愛着が更に増したのだった。

 

私の子どもが幼い頃、私は仕事の都合もあり共に過ごす時間をあまり持つことが出来なかった。「オイラもジョンレノンになりてえ」などと周囲に冗談交じりに愚痴ったこともあったが、せめてもと、子どもと一緒に就寝できる時間があると、絵本を読み聞かせることを私自身の楽しみとした。休みの買い物用事があると、本屋を覗いては絵本を購入し、それを読み聞かせた。やがて子ども達にも好みが生じ始め、彼らのお気に入りであった五味太郎氏の作品が多くなったのであるが、本屋で色々な絵本を物色していると、挿絵の素晴らしい作品も多く、子どものためというよりも、私自身のコレクションとして購入したものも次第に増えていった。

今振り返っても、子育て期間は私にとっては大変幸せな時期だったと思う。私の息子二人がその事を今でも覚えているかどうかは知らないが、やがて自分の家庭を持ち、自分の子どもをもうけた後に、彼ら二人も夫々に子どもに絵本を読み聞かせる楽しみを持ってくれることを願う。

 さて、二つの絵本の原画展示コーナーを過ぎると、最後に草花の水彩画スケッチが展示コーナーとなっていた。繊細なタッチで描かれたどの草花も可憐であり瑞々しく、氏の自然への細やかな眼差しと愛着を感じさせるものであった。

 どの作品群も素晴らしく、私の心を打つものがあった。ただその感情をどのような言葉で言い表したら良いのかもどかしさを感じていた。私は、展示室を出て回廊となった館内の廊下を歩きながら、整理の付かない内的な体験を表す言葉を探していた。

 


私は、言葉にならないモヤモヤとした気分のままに歩いていると、廊下の窓から明かる陽射しの中でみぞれ交じりの雪が舞っているのが見えた。穏やかで静かな光景で、先ほど来の気分を幾分かは落ち着かせてくれるようだった。

 ふたたびロビー内のホワイエに戻り休息を取りながら、スマホを取り出しみるとラインで息子が殿町通りの喫茶店で待っているとの知らせが入っていた。短時間で観覧を済ませるつもりだったが、気が付いてみると1時間半も経っていたらしい。「今すぐ、そちらに向かう」と返事し、目の合った受付の女性に黙礼し、美術館を離れた。

 殿町の通りを息子の待つ喫茶店に向かって歩きながら、先ほどから心の中に宿った感情が言葉出来ないもどかしさを感じていたが、他方で静かでおだやかな感覚もあった。

 喫茶店で息子と合流し、殿町通りを辿り駐車場に向かった。車に乗り込みメイン通りを国道方面に向かう途中で、右手に「森鴎外記念館」が再び見えた。息子が、「しまった。ここ寄らなかったね」と声に出したのだが、私が「別に良いじゃん。俺たち日本文学好き漱石派だろう?」といい加減な返事をすると、彼は「そのセリフ良いね。今回の事、友達にもそう言っておくわ」とケラケラと笑っていた。



 「津和野、意外に楽しめたわ」「こういう処、オヤジと来た方が楽しめるね」と息子。

「そうだろ。地方には地方の風物や文化に触れる楽しみ方があるんだよ。そういう楽しみを持つことも、大人の嗜みだな」と応じると、息子は笑いながら「うん、まあ覚えておく」と肯定も否定もしないのであった。

 

帰路のドライブ中に、息子との会話を楽しみながらも、先ほどの美術館で心のうちに高まった言葉にならない感覚を振り返っていた。それは「津和野」が表象する私の幸福な時代への回顧と郷愁の念であったのだろうが、感覚としては、すこしの寂寥感と安寧が入り混じったこれまでに味わったことない感情の高まりのようであった。


 


(おわり)

 

 このドライブ、後部座席には家内が同乗していましたが、私が意図したテーマの性質上文中に登場させる必要がなかったので、全く触れませんでしたw

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