2021年2月5日金曜日

ある小さな旅(1)

1月のある日曜日に、宇部市に住む次男の下宿へ食料・生活雑貨を届けるために訪ねたついでに、津和野までドライブすることにした。当日は最高気温5℃で晴れ。同地では先週末に久しぶりの大雪となっていたが、その後の寒気のゆるみで私と家内が訪れた日には積雪はなくなっていた。

 予てより、次男の下宿を訪れるたびに津和野へのドライブを提案していたが、彼が毎回私の提案を却下してきたため、その望みを叶えられていなかった。次男は既に大学入学早々に友人の運転で同地を訪れたらしいのだが、「あまり面白いとは言えなかった」との感想を持っていた。地方の町には大規模レジャーランドも娯楽施設もないだろうけれど、その土地固有の文化的情緒や趣、そして自然があり、そのことに接して楽しむのも人生における悦びのひとつではないかと私なぞは思うのだが、今の若い人たちにはそんなことは通じないものらしい。

 この度は珍しく、次男の方から「オヤジが行きたがっているから、一緒に行ってやってもいいぞ」と言うので、私は二つ返事で「それでは行ってみるか」と応じた。

 私自身は、小学3年の頃に父親に連れられて同地を一度訪れたことがあった。その道程は、クルマで実家を出たのが昼前、津和野市街地を臨む山間の宿屋に到着したのが日暮れ頃。そのまま投宿して1泊。翌朝には、市街地を観光せずそのまま山間部をドライブして帰ってきたというものだったと記憶している。母親は留守番で男親子の小旅行であったが、母親の元を離れて父とふたりだけの旅に、少し大人になったような晴れがましい気分があったと記憶している。

 当時の私にとっては、「父親とふたり旅する」という企画に大きく心が動き、目的地の「津和野」という名前は記号でしかなった。今となっては、その旅行中に父親と私の間で何を話しどう行動したのかは、あらかたの記憶は失われているが、今でも「津和野」という名前が出ると懐かしい気分となる。

 その日は、宇部市内をam10;40頃に出発し国道9号線を益田方面に北東に向かって、途中コンビニや道の駅に立ち寄りながらの片道2時間弱のドライブだった。

 山口市街地を抜けてしばらく進むと少々険しくカーブの多い山道となった。この頃は、坂道に出会うと、『自分がこの道をロードバイクで上るとすれば、どんな按配か?』という尺度で推し量ってしまう癖がつき、つい助手席に座った次男にそう話しかけると、彼はしかたないオヤジだなという顔で笑っている。彼も父親に多少の愛想を言うくらいには成長したらしく、「じゃあ、今度は一緒にチャリで走ってやるかw」などと言う。「ああ、今度は是非そうしておくれ」と私も笑いながら応じた。

 ドライブが進むにつれて、話題の中心が次男の大学生活の様子になり、彼の問わず語りの内容から、彼なりの世界観や物事への価値基準が窺い知れて、親としては大変興味深かった。彼は、高校卒業前後から、文学に目覚めたらしく、洋の東西を問わず色々な作家の小説を読んでいるようであった。浪人時代は、私から見れば彼の読書熱は目の前の課題からの逃避しか過ぎず、受験が落ち着けば彼のその熱も治まるだろうと勝手に推測していたのであるが、大学入学後も彼の書棚には文庫本が増えているようだった。

「最近読んだのは」と23の作家の名前を挙げつつ、「でも、」と言いながら、一番良いと思うのはやっぱり夏目漱石なのだという。私はニンマリとし「同感だ」と伝えた。


 やがて私がドライブするクルマは、坂道を上がり切り盆地状に広がる台地に差し掛かった。道路標識を見ると阿東町という町に入ったらしい。このあたりは、道の両側に田畑が広がっており、まだ十分な積雪を残し辺り一面銀世界となっていた。メーター類表示の車外気温計は0.5℃から1.0を表示していた。次第に外界は曇り始め雪がちらつき始めた。クルマはノーマルタイヤのままにしてあったので、これからの道程が思いやられたが、幸い路面は乾燥しており凍結しそうにはなかった。だが念のため「寒気により路面が怪しくなってきたら途中で引き返すぞ」と横の次男に伝える。

 時折風が強まり、路面より冷気が白く舞い踊る状態となり、意識してスピードを落とす。幸い交通量は少なく後方にはクルマがなかったので、低速を維持しつつ外界の銀世界を目で楽しんだ。



 再び、坂道となりその先のトンネルを潜ると、左眼下に左右の山々の稜線の間を川が走り、その川に沿って細長く街が広がっている光景が見えた。目指す津和野のようであった。『ああ、この景色はあの時と同じ景色だ。確かに見覚えがある。』

 両側の小高い山々の峰には少しばかり雪が残ってい、向かって右側の山の中腹を走る国道9号から谷間の平地に緩やかに蛇行しながら下って行く道の路面は濡れているものの残雪はなく、そのまま苦なく進むことが出来た。谷間の平地に降りた右側に道の駅があり、しばし休憩。そこで、この地の銘菓『源氏巻』という和菓子と出雲そばを購入した。

 再びクルマに乗って町の中心部に進む。暫く進むと、森鴎外記念館が左手にあった。そうだった、森鴎外が津和野藩の士族出身であることは知っていた。興味は惹かれたがまずは津和野中心市街地を散策しておきたく、そのまま素通りした。

 暫く車を進めると旧市街地に繋がる橋があり、その橋を渡り殿町通りとは一筋左手の通りを進み駐車場に車をつける。駐車場は空きスペースが目立ち、私たちより前に来た車は56台ほど、コロナの影響もあるしこんな寒い季節に訪れる観光客もそうは居まいと独り納得する。管理人受付に出向き、前払いの料金を払うと、応じた管理人の男性が、「あのね、昼ご飯まだだったら、そこのJAの食堂に行くと良いよ。今新蕎麦出しているから。旨いと評判よ」という。私たちは「わかったよ。ありがとう」と応じ歩き出したが、次男に聴くと「蕎麦なら食べて良いよ」という。では、寄ってみるかと男性の言われた通りにその食堂に寄ってみた。

(つづく) 

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