2020年12月21日月曜日

11月から12月にかけての私的出来事アラカルト~その2~

 3.寒夜の訪問者

122日の夜は、職場の留守番当直だった。それまで比較的暖かな秋を過ごしてきたが、月が替わると同時に肌寒くなった。間近に迫った職域業務監査の準備のために、夜遅くまで建物内を右往左往。“こんなコロナ禍で日本国中バタバタしている時に、全くもう~!”と独り愚痴りつつも、dead lineが動くことも中止になる筈もなく、未整理の書類をボチボチと仕上げていった。夜中の12時になり、“取りあえず今日はここまでにしておくか”と、書類を所定の位置に戻すために居室を出て引きあげようとしたところ、そういえば居室の暖房を消し忘れたわいと戻り暖房を消して居室を出ようとしたら、椅子の上に見慣れぬボロ毛布が見えた。


“あれ?”と近づいて覗いてみると、野良猫一匹が椅子の上に丸まって寝ている。“いつの間にコヤツはここに居たのか?ボロ毛布と形容したのは悪かったが、それにしても綺麗とは言えない。こんな寒夜に追い出すわけにも行かず、仕方ない、暖房はつけておくままにするから、今晩はこのままここで休んで行きなされ”と暖房を再度つけて、居室を離れたのであった。

 

翌朝午前9時に居室に出勤すると、昨夜の野良猫はどこともなく立ち去っていた。

その後、その野良猫、ほぼ日が暮れると我々の居室に入り、その椅子で寝て行くようになった。そのうちに、イチロウ氏から夕食を振る舞われるようになり、益々ここが気に入った様子。「寒夜の訪問者」と呼べば何となく詩情を感じされるが、いつの間にか夜の住人・居候になっちまいやがったw。仕方なし、それも許そうか。ただし、仲間は連れて来るなよw


 

4.宇宙イモ

イチロウ氏が、地方の美術館訪問の帰りにどこかの道の駅で購入したとお土産に「宇宙イモ」なるものを買って来た。イチロウ氏曰く「むかご(山芋の蔓に出来る実)の一種で、東南アジア原産の巨大むかごらしいよ」「おまえむかご好きだろw、買って来たぜ(笑)」とのことだった。

さて、この巨大むかごをどうして喰ってやろうか?イチロウ氏によると、ネット上にはこの宇宙イモの料理レシピに色々と上がっているとのことだったので、早速ネット検索してみると、ふむふむ、山芋焼き(関西焼き風)、天麩羅など載っている。山芋に準じて調理すれば良さそうだった。

ただ、私としてはあのむかごの風味を生かすにはもっと良い方法はないかしらと思案。むかごの皮ごと食べた時の皮の苦味と優しい実の味をなんとか生かしたい・・・、やはりバターソテーが良いな、出来たら肉と合わせて食べたいと思った。

126日にそのチャンスは訪れて、家内が「久しぶりに牛肉が食べたい」と言うので、間髪入れず、それでは副菜に宇宙イモを一緒にフライパンで炒めて頂戴とリクエストを出した。宇宙イモの大きさは、中型のジャガイモ程度の大きさだったが、思ったよりも皮が厚い。レシピにも書いてあった通り、皮は剥いた方が良さそうだった。ピーラーで皮を剥き始めると、身から山芋特有の粘り気が出て来て、意外にも皮むきに一苦労を要したが、それを一口大に切って10分程度塩ゆでにし、それを牛肉をソテーした後に残った油で弱火にかけたフライパンで焼き色が付くまで炒めた。バターを少々に塩コショウで味を調えた。


実際に食べてみると、ほくほくとした食感で、ジャガイモほどの土臭い風味はせず、あっさりというか優しい味がした。誠に旨かったけれど、この食べ方では宇宙イモの特色を生かし切れてなかったか?次回は、別の調理方法を考えねばと少々反省をした。

それでも、丁度その日ははやぶさ2号が小惑星から持ち帰ったサンプルの入りのカプセルが無事回収された日で、宇宙イモを喰うにはなんとも絶妙なタイミングだった。宇宙イモには、宇宙を感じされるどころか、地球の大地が育んだ味がしたけれど、地球という惑星の成分を意識して味わうには相応しいような気がしないでもなかった。

翌日、イチロウ氏に報告をしたうえで、同氏はどのようにして宇宙イモを食したのか聴いてみると、彼曰く「オレは買わなかった。オレあんまりむかご好きでないから」と。

 え?喰わなかった・・・・?オレだけ喰ったの?

 むかごを紹介したのも、宇宙イモを紹介したのもイチロウ氏だったのに。なんともキツネにつままれた様なというか、どうも腑にしっくりと落ち着かない気分がしばらく宙を漂ったw

 

5.ハンバーガーって、旨い食べ物だったんだね、のこと

 12月のある日曜日に、私の職域に関する講習会があり、半日ほど参加した。コロナ禍での対面式講習会であったので、緊張しながらの出席となったが、事務局の方々の努力というか配慮はきちんとなされており、検温、手指消毒、ソーシャルディスタンスに配慮した座席間隔とか、休憩時間のアルコール消毒とか、一連の会議のプロトコールに沿ったもので安心して講習に集中することが出来た。事務局の皆様、ありがとうございました。

 さて、昼食をどうするかという問題が残り、流石に昼食までは会場に用意されていないため、会場の近くにコンビニがあればそこでおにぎりでも買って、何処かのスペースで食べようかと、昼休みに戸外に出てみた。

 暫く穏やかな冬の昼下がりのオフィスビル街を歩いてみると、ある一画にバーガーショップを発見。あ!ハンバーガーをテイクアウトするのも良いなと思いつき、店内を覗いてみると、来客も少なく、座席もがら空きだった。では、その店で食べても大丈夫そうだわいと思い、結局のところカウンターでハンバーガー1個とホットコーヒーを注文して、片隅の座席についた。

 

よくよく考えてみると、前回ハンバーガーを食べるのはいつの頃だったか?自分の記憶を辿ってもこの2‐3年は食べていなかったのではないか。基本的に外食する機会も減り、休みの日に夫婦で買い物外出した折の昼食もハンバーガーを選ぶことはまずない。だから、ハンバーガーなる食べ物を口にしたのは、このブログで振り返ってみると、どうもイチロウ氏と20175月に三次でワニバーガーを食べて以来と思われる。

この場合の「ワニ」とは、サメのお肉です。

 

運ばれたハンバーガーを何気なく一口口の中に入れて咀嚼していると、肉パテから肉汁と油が口の中に広がり、自分で驚くぐらいに旨くて感動してしまった。そう、肉パテがこんなに旨いと感じたことはかつてなかったな。ああ、ハンバーガーってこんなにも旨かったんだw。思わず、自分が齧ったハンバーガーの断面をまじまじと眺めてしまった、本当に旨い。普段どんな食事をしてるんや!とツッコミが入りそうだけれど、この感動は全くの脚色なしw

 ハンバーガーなる食べ物は、お手頃で若い頃はよく食べたと思うのだが、ここまで感動していたかどうか。大学に入ってしばらくして、某ショップの「てりやきバーガー」なるものを食べて旨いと思ったことはあったけれど、この度ほどの感動ではなかった気がする。そもそもハンバーガーを真面目に食べて旨い!と思ったことがこれまでなかったかもしれないな。

 私とハンバーガーの出会いは、小学校の低学年で、田舎で生まれ育ったために近くに有名なハンバーガーチェーンはなかったのだが、米軍弾薬庫があって、知人の男性がある日その弾薬庫のPX(売店)で購入したハンバーガーを「マサキちゃん、食べな」と持って来てくれた時のことだった。そのハンバーガーは、ぱさぱさのバンズの間に分厚い肉パテと生のトマトの輪切り、すこしだけ火の通ったタマネギの輪切り、そしてキュウリのピクルスに、トマトケチャップがどっさりかけてあった。子どもが頬張るには分厚過ぎ、肉パテは肉肉しく、全体的には大味で、とても旨いと思える代物ではなかった。ピクルスと出会ったのもそれが初めてだったかもしれない。それをどう食べ進めたか記憶が定かでないのだが、途中でギブアップした。その後、そのオジサンは、何度かそのハンバーガーを運んでくれたのであったが、私はお礼こそ言ったものの、ハンバーガーには全く手を付けなかったのではなかったかと思う。今にして思えば、大変勿体ない事をした。今もし食べることが出来たら、あのハンバーガーはとても旨かったのではないかと思うのだ。アメリカンビーフで出来た肉の味たっぷりのパテに、半ナマのタマネギ、酸っぱ苦いピクルス。大味なトマトケチャップ。ひとつひとつの食材の個性がぶつかり合うシンプルなハンバーガーこそが「大人のハンバーガー」なのだろうな。

 今は、残念なことにそのやさしいオジサンも居なくなり、その米軍弾薬庫のPXにハンバーガーが置いてあるのかはどうかも分からない。弾薬庫の敷地に入れる許可証なんてどうやって手に入るのかも全く知らない。もう2度とあのハンバーガーは食べられないのだろうな。

 ああ、ハンバーガーは誠に美味し。しばらくあの幻の味への彷徨が続きそうである。

 

おしまい

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