2020年3月21日土曜日

バカ親父の武蔵国物語・未完

このブログでは、政治・経済問題とか昨今の社会情勢、そして天変地異について触れて来なかった。むしろ意図的に避け、おバカで内向きの話題を敢えて書き連ねて来た。

ただ、20202月から3月にかけて、私の日常生活においてcovit-19という聞きなれぬウイルスによる疫病が多かれ少なかれ影響しており、これからしばらく間我々の心の片隅にこの疫病が暗い影を落とすことは必定となりつつあるために、このブログにも多少触れることになると思う。

後になって振り返ると2020年は、この疫病が世界に蔓延し、世界規模で大きなダメージをもたらし、私の日常生活にも少なからず影響を及ぼした年になったと。

さて、私のごく私的な日常生活においても、これまでにもこの疫病による影響は多少出ていた。325日に挙行される予定であった愚息1号(長男)が通う都内の大学卒業式が中止になった。

2月上旬の時点で大学ホームページ上に卒業式・学位授与式の案内が出ており、バカ親父としては、この式典前日に奴の下宿先に泊り、親子で酒を酌み交わしつつ、祝いの言葉と社会人としての心構えのひとつやふたつを述べ、そして翌日の式典に最後列で臨み、長男の晴れ姿を眺めつつ我が内なる親子関係の整理・ある種の決別儀式をしよう、そしてその経緯なりを駄文にしたためて「バカ親父の武蔵国物語(完)」としてこのブログにのっけてしまおうという魂胆を持っていた。


大学ホームページで卒業式日程を確かめ早速長男にlineでその旨伝えたところ、なんと長男より「来なくて良い。遠慮する」「オレ、当日と翌日に謝恩会とかが在って忙しいから」との返事があった。このオトコ、成長するにつれて情緒のネジが一本足りないのではないかという疑念が湧いて来ていたのであったが、「親子のケジメ」なるものがちっともわかっていないではないか。返す言葉として、いちいち理を説くのも面倒くさいので「オレは、アンタと別行動になってもちっとも構わないから、何が何でも行くけんね」と返事をしておいた。

家内は早々と、「本人が来てほしくない」と言っているのだからと卒業式には行かないと私には表明してい、オヤジ独りが「子どもがいよいよ自立する節目なのだから」「親子間のケジメなのだから」と家内ならびに長男に向かって諭したのだが、その理が全くこの二人には通じず、「オレは絶対行くけんね」「これはオレのケジメだからね」などと何やら負け惜しみ、そして次第に哀願のような按配になって来ていた(笑)。

取りあえず、長男の卒業式に合わせて早々と職場と同僚にその予定を伝え、休日を確保。妻ならびに長男への卒業式出席の通達を済ませ、あとはどんな格好(スーツは春物か冬物か)で出るか、荷物はなるべく少なめにして・・・・などと思案していたところ、我が政府から「イベントの自粛要請」「各学校の休校要請」なるものが大々的にアナウンスされ、従って右に倣え文化のわが国民としては、一斉にその要請に従って各種イベントが自粛され、各学校の休校が決まって行った。そうなると、長男の属する大学当局も卒業式を中止するとの決定がなされ、その旨の連絡はがきが我が家に届いた。

全くもーである!

疫病だから、目に見えない敵との戦争中であるから、全国民が不自由を強いられている最中だから、同じように日本全国津々浦々の学校卒業生とそのご家族が晴れの式典が中止になり大変残念な想いをされているのだから、実際に罹患し大変な想いをされている方々がいらっしゃるのだから、物見遊山で出かけている道中でその疫病に自分がかかってしまえば、家族、職場に多大なるご迷惑をかけてしまうから…….

よーくそこのところの理は解っていますぞ。オイラも分別の付くオッサンの端くれだからね。でもなあ、親として子どもに付き合えるイベントって、もうこれが最後だったんだよ。

それは本当に理不尽なことであるのだが、受け入れねば仕方がない。折角、「バカ親父の武蔵国物語」完結編をこのブログに記載しようとしていたのに、その物語は「未完」に終わってしまった。

長男に「卒業式は正式に中止になったな。オヤジは休みを取ったままなので予定通り上京することも出来るのであるが、疫病流行中につきこの度はそれも止めておく」とlineで送ったところ、2日遅れてたった一言「あいよ」だと。この情緒のネジ一本足りない野郎がw!

3月上旬には、長男が入社予定となっている会社から入社式開催の中止の連絡があったとのこと、そして長男の友人たちの中には、入社予定日がGW明けになった者もいるらしいとの話が、本人と家内の雑談から伝わった。あちこちに疫病の影響が出ているんだなあ等と家内と話題にしていたのだが、その後、同月下旬に差し掛かろうとしているのに、長男の会社から初出勤日の通知が来なかった。ニュースでは疫病による経済活動のシュリンクにより、新卒者の内定を取り消した企業も出てきたという話題もあった。

二親の間で「ひょっとしたら長男の会社も採用取り消すことがあるのかもしれないのかね」「そうなったらそうなったで、今度こそ資格を取らせるべくどこかの専門学校に通わせるも良いか」「その間、ゼミの先生に頼み込んでゼミの雑用バイトをさせてもらうか?」などという会話が食卓に上がった。

肝心の本人からは何の連絡もなく、「流石に不安になっているのではないか?」「こちらを心配させないように連絡を寄越さないのか」と暫くの間二親なりに心配し気を揉んでいた。

320日に私から長男に対し、さりげなくlineを介しで他愛もない話題を振った後で「出勤日決まったか?」と聴くと、「41日から出社が決まった」と簡単な返事を寄越した。「良かったな。おめでとう。」と返信すると、彼は「41日から働かせられる。参ったw」と応じた。

このオトコ、情緒のネジが1本足りないだけでなく、状況分析力のネジも1本も2本も足りないことが判明。〝先が思いやられる……。″私が、「あのなあ」と続けて、これから世界恐慌並みの不景気が来るかもしれない状況で、きちんと職に有りつけたのはラッキーとしか言いようがないことを伝えると、彼は「それな。笑笑」だと。

まったくコノオトコダケハ………

長男の能天気ぶりに呆れると共に、男親として正直なところやっと安堵する気持ちになれた。このオトコの成長過程においては、親の身勝手で過大な期待を裏切られることもあったけれども、大学に入り、本人なりに尊敬と信頼を抱ける恩師(大学ゼミ担当教授)に出会い、夢中になってゼミの課題と活動に取り組んでいたようだった。昨年の暮れに帰省した折、「オレな、大学受験上手くいかなかったけど、今の大学ゼミに入れて良かったわ。今凄く自分に納得してるんよ」「先生にな、『お前は目標設定が高過ぎるから、目標に到達出来ないことが多いんだよ』と言われたんだけど、でもな、オレは目標を高く設定せんと成長できんと思うんだけどな」などと問わず語りをしていた。

それを聴いた時に、私は彼に対してとても申し訳ない気持ちになっていた。「能天気」、「天真爛漫」(彼の中学生時代の担任教師が評した彼の性格)な子どもに対して、高い目標設定を課したのは親であった。幸いなことに、彼自身はその性格を大きく歪ませることなく、幾つかの挫折体験を乗り越えてここまで来た。これは彼には未だに足りないところが多々あれど、独特のキャラ故に乗り越えて来れたとも思える。

バカ親父には、これから彼がどんな航跡を描きつつ人生を進んでいくことになるのか想像がつかないし、独り立ちしてゆくオトコに相応しい言葉もかけてやれないのだが、「本人なりによく頑張った」とここに書き残しておこうと思う。

「バカ親父の武蔵国物語」は思わぬかたちで、そしてスッキリとしたオチのないまま終わりになるのであるが、それは我が家の親子関係を象徴しているようにも思われ、タイトルには敢えて「未完」を添えたのだった。




バカ親父からの卒業、おめでとうさん。



おしまい

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