2019年3月12日火曜日

サクラ サク

本日昼前に、あるご婦人からひとつのe-mailをいただいて、私はすこし華やいだ充足感に満たされた気分を味わうことが出来た。




愚息・次男の大学受験合格に対する祝意と我がことのように喜んでくださっている様子がその文面からは窺えて、大変有難くもあり感激したのだった。



この度、次男は、2年の浪人生活を経て第一希望の地方の国立大学(理系)に合格したのだが、現役受験の際には親から見ても明らかに学力不足であったし、一浪を経た受験の際にもまだその実力はそのレベルに達していないと思われた。一浪時代は、何人もの同級生と共に予備校に通うことが出来、学校生活の延長のような雰囲気で、然程に孤独感も感じずに済んだのであろうが、2浪目ともなると流石に本人も孤独感を感じずにはいられなかっただろう。

傍目で見ていても、2浪目から本人の顔つきや態度が変わってきたようだった。時折、“1浪の後輩から予備校内で「○○さーん!」と向うから大声で呼ばれるのは気まずいんだよな”とこぼし二親を笑わせていたが、その一方で本人も期するところが当たったらしく、浪人生活2年目の春過ぎから模試の結果もそれなりについてきたようだった。



12月の最終模試の結果では、明るい見通しを持てる結果を得たが、後で本人が語るところによるとセンター試験、2次試験はこれまでにない緊張感の中で臨んでいたらしい。傍目で見ている親にしてみれば何もしてやれることはなく、いつもの家庭の雰囲気を維持することに専念していたのであるが、2次試験後の本人の様子(手ごたえを確信できない様子/ これはどの受験生にとってもそうなのであり、ましては2浪生にとってはなおさらそうなのだろう)を眺めていると、こちらとしてもかなりの心配をしたものだった。



38日午前に、本人から私にLine通話で「オヤジ、合格したぞ!これまで色々心配と迷惑かけたけど、やっと結果を出したぞ」との知らせを受けた時は、喜びよりもやっと肩の荷を降ろすことが出来るとホッとした気分の方が強かった。これでやっと我が家の子育て時代がひと区切りついたと。



大学受験は、子どもの成長にとってひとつの大きな関門であることに間違いないのであるが、こどもの精神的な成長過程はそれぞれのペースがあり、ましてや次男のように専門課程に進む者にとっては、学力と共にこれから専門の道に進む上での覚悟や自覚が必要になると思われる。特別に優秀な頭脳を持ち合わせていない次男にとって、この2年間のモラトリアム期間が一人の大人として、専門職に進む者として必要な準備期間であったように思う。



その成長準備期間を見守る立場にあった二親としては、色々な感情を味合わせて貰ったのだが、総じて人さまよりも2年多く子育て期間を楽しませて貰い幸せであったとしみじみと思っている。



この4月から、次男は家を離れて独り暮らしを始める。私としては出来得るならば長期休みを貰って、巣立っていく次男との残りの時間を楽しみたい欲求があるのだが、現実生活ではそうも行かず、帰宅後の数時間を妻伝手に巣立つ前の次男の様子を聴き楽しむほかない。




おそらく先のご婦人も、数十年も前に同じ経験をされ同じような感情体験を味われたのだと思う。人生の先輩から後輩に向けての優しくも愛情に満ちたその文章を読んでいると、私の中でやっと“嘗ては子供嫌いだったオトコ”が人並みに子育てを全う出来たという素直な喜びを感じることが出来たのであった。

(終わり)

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