2020年8月4日火曜日

吉備路~倉敷~児島~玉野への自転車旅(1)

少し時間が空いてしまったが、去る621日に表題のごとく、岡山市北区~倉敷市・玉野市~岡山北区をチャリ走行した。用いたる自転車は、Giant MR4であった

 前日、嫁の実家に泊まらせて貰い、同日朝7時に嫁実家を出て715分頃に岡山市北区にある吉備津彦神社前をスタート地点とした。しばらく山のすそ野に沿った径を辿り、吉備津神社前を通過。


 吉備津神社は、吉備津彦神社と共に桃太郎伝説所縁の神社であり、特に前者は古来より学問の神様としても祀られていた。私は学生時代に倉敷市で過ごしたのだが、自らの受験の際にはお参りに来たし、家庭を持った後も、初詣、子どもの受験合格祈願にもたびたび吉備津神社に参拝した。私は信仰心の乏しい野郎なのであるが、ここは唯一大切にしている場所であった。

 しばらく国道180号線を右手に睨みつつ、同神社の門前の住宅街の径を抜け、そして総社市にある備中国分寺跡に続く県道に入る。この道は、個人的には大変懐かしい道路で、左の丘陵地を越えると私が学生時代に住んでいた倉敷市城東地区がある。休みの日にはその地区にあったアパートを出てイチロウと共にこの道を経由し、西に向かえば総社市から高梁市方面へ、この道を横切って北に向かえば、足守地区~吉備高原都市~湯原温泉方面へ、東に向かえば…岡山を通り北に向かって津山へ、時には遠く鳥取県にドライブするのに使った道だった。当時はこの道を挟んで田圃が広がっていて、長閑な風景が広がっていたが、今では建物が道沿いに出来ており、少々趣が変わってしまっていた。

 この道を更に進むと田圃と桃畑が道沿いにあって、私個人には岡山を感じさせる懐かしい風景が続くのであるが、その道のなだらかなアップダウンを繰り返して、視界が伸びやかに広がる備中国分寺跡前に到着。

高校進学のために倉敷市に初めてやってきた当時、この風景を見て感動したものだった。正面に国分寺跡、そしてその奥の山の峰に鬼ヶ島伝説のもとになった鬼の城跡、そして左に視点を移すと近くに造山古墳があった。岡山という処は古代から物成りが良く大変リッチな国だったのだと。春の夕暮れなぞは、桃の花の香りが辺りを満たし、田圃の縁には蓮華の花、菜の花が咲いていた。その様はなんとも美しく、ガキの苛立った気持ちを慰めてくれたものだった。

その朝は、予定を変更してこの総社界隈をポタリングに切り替えるのも良いかと一瞬迷ったが、別所にも楽しみな景色が待ち受けているため、写真を数枚撮って再びチャリを漕ぎ始める。

 総社~生坂地区経由で倉敷市街地に続く県道を走る。備中国分寺跡の交差点を左折し、南に向かう。生坂に向かって緩やかな上り勾配をゆっくりと走る。このあたりに私が3年間過ごした高校寮があって、その緩やかな上り勾配を上がりピークを過ぎて下って行く途中に、林道の入り口があった。この林道は左手の山林に続く道で、その先を進むと私たちが過ごした寮の裏手に続いている筈だった。少し立ち止まり奥を覗いたのだが、なんだか高校当時の同級生たちが、大笑いをして歩いて出てくるような気がして少々感傷的な気分になった。高校時代の気分が蘇りつつ、その県道の緩やかな坂を下ると、山陽高速道倉敷インター出口前の交差点に差し掛かった。今では、山陽高速の高架、そして、その前方には岡山~倉敷間を結ぶ立派な県道が東西に走っているが、高校当時は、このような立派な道路はなく、ただ東西に広がる水田地帯が広がっていた。

水田には用水路が張り巡らされていて、高校時代には生物部淡水魚班に入り、イチロウたちとこの辺りの用水路で、鮒、タナゴ、ニゴイ、ドンコ、ライギョ、チョウセンブナなどを網で獲ったものだった。本当に懐かしい。今では用水路の護岸整備が進んでいて、魚たちが隠れるような水草や敷石はなく、あの当時いた魚は今でも生息しているのか心配だけれども、かれこれ40年近くの歳月が流れたものな、あまり期待できないか。

 再びチャリを漕ぎ始め、倉敷市街地に向かう。西坂~三軒茶屋町地区。高校時代にチャリで休日に倉敷に遊びに行くのに使った道。土曜日になると、チャリに乗って倉敷に出かけ、レコード店、喫茶店、本屋、ゲームセンターと飽きもせずに同じ行動を取ったものだった。

 

倉敷中央病院付近から倉敷市街地の径に入り、えびす商店街に出る。時刻はまだ820頃で、流石に人気はまばら。この度は自転車できたため、この商店街を全部通った訳ではないのだが、いつ来てもこの通りが好きだ。古びた雰囲気の中にもどこか清潔で洗練された趣がある通りで、岡山に帰省するたびに1度は理由を作ってぶらぶらと歩きたくなる。高校当時の賑やかさは無くなって来ているのだるけれど、この通りには落ち着ける風情が残っていた。

暫し、通りの奥の方を眺めた後、左に曲がり 商店街を抜けて美観地区に入る。大原美術館前の石橋で暫し休憩。

この大原美術館と美観地区を整備した大原さんは本当に偉い。戦後間もない時期にこの地区の景観をそのまま残そうと取り組まれた。財を成したヒトがこれだけの文化財を地元に残し、そしてその心意気が岡山という土地に学術的・文化的な財産を築く機運を残したのではないかと勝手に想像しているのだけれど、とても凄い事だと思う。今では日本でも有数の観光地になっている。街の興りって案外個人によってなされることが多いんだよな。そういう気概を持ったヒトが昭和時代までは日本の各所に居たんだよな。そんな事を想いながら、人気の少ない倉敷川のほとりをゆっくりとチャリを引きながら歩きこの街にそよぐ風を暫し楽しむ。

 

美観地区を離れ、そのまま倉敷川沿いの道をそのまま南下。途中右手に市役所を確認し更に走行していくとやがて右手に田園風景が広がった。この道は、学生時代のドライブコースのひとつであり、道のイメージもうる覚えにも記憶があったのだが、この度走ってみると途中より左へ曲がっていく道とは別に直線の綺麗な道が新設されていた。
岡山って土地は、平地が多いせいか、色々なところに新しい直線道が出来るところのようだ。それは学生時代の当時も驚いたものだけれど、この土地に帰る度に驚かされる。どこからそんな金が出てくるのかよそ者から見ると不思議でもあり羨ましくもあった。

その道は歩道も広くのんびりと自転車を走らせることが出来たが、その道はやがて低い丘陵地に上がりトンネルに向かっていた。トンネルに向かう上り勾配から歩道が消えて自転車を走らせるには少々危険であったので、その丘陵地を東側に縁をなぞる様に迂回することにした。何処に出るのか分からなかったが、先は急がぬため多少迷子になっても良いかとも思った。

 幸いなことに、その丘陵地の迂回路を探していると、瀬戸内高速道高架が見えてその高架下の側道を辿っていくと、先ほどのトンネルに通じた道路に戻り、再び元のルートを辿ることが出来た。その後多少の上り勾配が続いたが、広島の坂道を走っているものからすれば特段の難所でもなく、ゆっくりと背後から追い越してゆく車輛に気を付けながら登坂しピーク越えた。

ピーク後の 緩やかな下り道はやがて岡山児島線に突き当り、その道路を横断して瀬戸中央道横を走る児島地区市街地に向かうなだらかな上り勾配の道に進んだ。やがて見覚えのある児島地区市街地に入った。岡山県児島地区は、ジーンズの街として最近注目を浴びているところ。

この道を進むと海岸にぶつかる手前に塩田開発で財を成した野崎さんの旧宅跡地があり、そこからJR児島駅に向かう商店街があり何店かのジーンズショップが連なっている。ジーンズは好きだけれど、マニアではないのでこの度は立ち寄らず。旧野崎邸前のコンビニで水分補給を兼ねて小休止。児島地区は学生時代にドライブ目的地に好んだ場所で、この界隈にはお気に入りだった喫茶店や地元の小魚を出してくれる食堂などがあったが、あくまでもローカルな浜辺の街であり、ジーンズの街として全国的に知られることになったのは随分後の話だった。

 水入れをして再び走り出す。海岸沿いの県道へ入り玉野市の方面に自転車を走らせ玉野市渋川海岸に向かう。やがてこの道は海岸に出て右手に瀬戸内海と対岸香川県を眺めることができるようになる。この度初めて自転車でこの道を走行したが、海風が身体に触れて大変気持ちが良い。ああ、もっと早く頻回にチャリで来れば良かったな。

このあたりから、対向車線にロードバイクに乗ったヒトに出会うようになった。地元のチャリ好きにも恰好の走行コースなのだろう。こちらは、すれ違いざまにすれ違うチャリ乗りに軽く会釈したのであるが、あちらはどの方も応答なし。あれ?チャリ文化が違うのかしら…...。まあ、いいか。

 岡山県渋川海岸は、海水浴とマリンスポーツのメッカ(古い表現w)である。私が学生時代の頃にも、同級生たちがヨット・ウインドサーフィンを楽しみにこの海岸を訪れていた。私はもっぱら古典的に(笑)、夏場に身体を浸かるだけの海水浴を楽しんだ。残念なことに女の子と海水浴を楽しむチャンスはなかったのだが、それでも夏―海水浴というのはその当時までは若いヒトにとってちょっとしたイベントだったし、この浜辺は夜のドライブコースとしても楽しめる場所だった。


 渋川海水浴場横にある漁港桟橋に到着し、しばし長めの休息を取る。まだ海水浴には早い時期だったが、それでも浜辺で遊ぶ家族連れの姿や、海ではジェットスキーを楽しむヒトたちがいた。右手に視界を移すと、はるか向こうには四国と本州を繋ぐ瀬戸内中央道や瀬戸内を行き交うタンカーや貨物船が見えた。懐かしくも優しい風景が広がり、しみじみと「ここまでやって来て良かったあ」と思えた。

 岡山に帰省するチャンスは年に12度あるのだけれど、ここまでやってくるチャンスはそうそうなかった。個人な想い出や感傷に付き合ってくれる奴もそうそう居ない訳であった/嫁子もオヤジの想い出に関心ないしね(笑)。

 しばらく若い頃の夏の想い出をあれこれ思い出しながら体を休め、この度の自転車行のハイライトとしていた王子が岳展望台への坂道を登坂を目論む。道路標識によると、渋川海水浴場から展望台まで4㎞と記されてあった。

(つづく)

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