2022年1月29日土曜日

芋づる式音楽探索その2、~アルひとの音楽的肖像~

芋づる式音楽探索は、Al Kooperに向かっている。この度、ネット販売で「Original Album Classics Al Kooper/ Sony Music」なる5枚組のボックスセットを購入し、聴いてみた。

 


1)     I Stand Alone (1969)

2)     You Never Know Who Your Friends Are (1969)

3)     Easy Does It (1970)

4)     New York City (You’re A Woman) (1971)

5)     Naked Songs (1973)

が収録されていた。

 彼が25歳頃から29歳頃の初期5作品であり、私の勝手な想像なのだが、彼がSteve Katzと語らいBlood, SweatTearsの結成を思い立った頃のアイデアが発露されているのではないかと期待された。どのアルバムにもフォークロック、ブルース、ファンク、サイケティック、ジャズ、クラシックの味付けのアレンジが施されてい、多彩なジャンルの曲が収録されていた。どのアルバムも充実した内容となっており、聴いていてとても楽しかった。ああ、これだと固定されたメンバーを維持しながら多彩な楽曲を演奏・録音していくことは難しかっただろうなと思えた。その傍証として、B,STsはその後独自の様式を確立しながら発展していったようだし、これらの5作品とB,S&Tsのその後の作品を聴き比べてみると、グループとしての様式が固定化されていく過程は、当時のAl Kooperがその音楽的志向を表現する上で随分窮屈なものではなかったかと思える(勝手な個人的空想ですw)

ただ、音楽的な時代考証に詳しくないので何とも評価しがたいのだけれど、この5アルバム作品の中には、私のようなロックの知識が乏しいオトコが聴いても、随所にビートルズが用いたストリングス・ホーンアレンジスタイル、インド楽器のシタールを用いたもの、ハモンドオルガンの使用(あのget backで用いられたイメージ)ジョン・レノン的な曲調のもの、ビーチボーイズを彷彿させるコーラスアレンジが施された曲も散見されて、ちょっと暫く考えてしまった。

同時代に次々と世に現れる優れた曲(60年代から70年代の音楽シーンってそういう時代だったのだと思う)から彼自身がインスパイアされたのだろうと想像する。「僕だったら、このタイプのアレンジをこんな風に使うけどね」と考えて制作したかのようであり、そこにはAl Kooperのセンスというフィルターを通ってそれらのアレンジ手法がより綿密に再構築されている印象を持った。

 私のように6070年代のサウンドが好きで、でも個別のアーティストを詳しく聴きこんでいない奴にとっては、この5作品を聴いていると彼の視線を通じてその時代のサウンドを聴き眺めているような感覚を抱く。多分、彼自身が同時代の音楽を沢山吸収し、肯定的に触発されながら自分の音楽に仕立てて行ったのだろうと思う。別の言葉で云えば、彼はどんな音楽も好きなヒトで、優れた音楽に対する嗅覚の鋭いヒトなのだろう。そう思うと、私にはこのヒトが音楽上において好ましい人物のように思えるし、天賦の才能を持ったヒトだと思えた。

 彼自身の音楽的業績について、あの時代において、そしてあれから半世紀経った今日においてどのような評価がくだされたのか、今の私にはその知識はないのだけれど、個人的にはこの5作品を通じて、好きな音楽家のひとりにはなった。

 

さて、芋づる式音楽探索は次にどの方向に向かおうかな。多分、Blood, Sweat &Tearsの1st albumに収録されてAl Cooperが歌っていた、そして私が大好きな曲「Without Her」を作曲したHarry Nilssonに気持ちは向かいそうな感じなのだけれど。その後の展開は明日の心次第だw

 

(つづく)

2022年1月27日木曜日

ひとり立ち食い蕎麦屋ごっこ遊び

ある日突然無性に立ち食い蕎麦屋に行って、思いの向くままに揚げ物をトッピングしてかけそばを喰いたくなった。そこには、それなりの伏線なり心の準備状態というものがあって、都内に住むコウスケがここしばらく週に34回程度、立ち寄った立ち喰い蕎麦屋で注文した品をSNS上載せていた。それを毎回眺めては「いいね」ボタンを押しつつ、都会の勤労者の行動生態の一端を眺めているようで興味深く思っていたのだが、自分の生活行動上、立ち喰い蕎麦なるものを喰う、或は立ち食いソバ屋に出向くという行為は全く縁遠いものとして捉えていた。

私自身は、立ち食い蕎麦屋はほぼ無縁で、以前は上京した折に1人で昼食を取る際に立ち寄ったことが23回ある程度であった。利用したのは駅周辺にあるチェーン店で、気軽に利用できるものの特別に美味しいと感じたことがなかった。周囲のサラリーマンらしきオトコどもが手慣れた感じで、券売機から各自好きな揚げ物その他のトッピング、カレーやおにぎりなどのサイドメニューを追加している様子に、私も彼らに習って自分なりのチョイスを選ぼうとしたのだが、どうしても上手くいかず、ある種の敗北感を覚えたものだった。そこにはひとつの文化なり世界があるようで、田舎者にとってその世界に馴染むことが困難なように思われた。

 1月のある日、暇な時間にYou Tubeのインデックスを眺めていたら、あるユーチューバーが立ち喰い蕎麦屋・丼屋の厨房のドキュメントをupしていた。面白そうなのでその動画を視聴したところこれがなかなか興味深く、繁忙時間帯になると、店員達が(店主だけのところもある)注文を受けてから数十秒から数分程度で手際よく連携し、蕎麦の温め直しから丼投入~出汁を投入、注文に従って各種揚げ物やトッピングの品を載せ、刻み葱を添えた後、カウンターで客に渡す作業を捉えていた。店が用意した揚げ物などのトッピング品とご飯類などのサイドメニューの数だけ選択肢は豊富で、その中から客側は自分の体調なり空腹の程度に合わせて、頭の中で選択肢のアイデアをまとめ注文を繰り出し、店側はその各客の個性的な注文をひとつひとつ手際よく応じて調理していく様は、見ていて楽しく壮観ですらあった。立ち食い蕎麦屋といえば、早い安いだけのファストフードだと思っていたのだが、そのドキュメントを観ていると、各店で色々な工夫がなされているようであり、そこには「旨い」も疑いなくありそうであった。

 客側には限られた時間や予算の中で、各立ち食い蕎麦屋に対する期待なり楽しみがあり、その客の期待に対して一心不乱に応じている店側の様は、ひとつの世界観なり文化がありそうであった。

 そう思えて来たら、無性に立ち食い蕎麦屋に行って、かけそばに自分なりのセンスでトッピング物を選んで食べてみたいという欲求が急激に湧き上がって抑えられなくなった。スマホで自宅から通えそうな立ち食い蕎麦屋を検索してみたところ、2軒程度しかなさそうで、それらの2軒は駅中と繁華街の位置しているようであった。私の通勤路からは程遠く、またクルマ通勤をしていることから普段気軽に立ち寄れる場所にないことや、昨今の情勢から人込みが予想されるところにわざわざ出向く道理はなさそうであった。そう思うと、なんとも残念であったが、そういう自己抑制を効かせなくてはなくてはならない状況であればあるほど、立ち食い蕎麦屋への憧憬は募るばかりで、どうしたものかと思案していたところ閃いたのが、そうだ!立ち食い蕎麦屋ごっこをしてみるか!というアイデアであった。

 なるべく立ち食い蕎麦屋で注文されそうなそれほど高価でないトッピング類を準備して、素早く調理して、素早く喰ってみる。準備も摂食もスピード重視で「早い」「安い」「旨い」を追及することをモットーに遊んでみようという事になった。

 実行に移す前に、コウスケにSNSのメッセージで趣旨を説明し、実際の現場では「提供時間」「完食時間」はどのくらいかかるのか尋ねてみた。彼曰く、提供時間は店によって違うが、5分以内であること、完食時間についてはあくまでも個人的な状況になるが、5分以内とのことであった。そうか、5分・5分以内がひとつの基準になるんだね、了解。

 先週末と今週前半の職場留守番の機会を利用して、「ごっこ遊び」を実行に移してみる。事前に生そば(これは後で多少課題であることを悟る)、刻み葱、市販の濃縮出汁、その他揚げ物の類を購入した。この度は、ローカル色を出してトッピングにはガンス(魚のすり身をフライにしたもの)選び、その他鶏の唐揚げを加えることにした。

 

「ごっこ遊び」~その1

注文;かけそばに、トッピングとしてガンス2枚、鶏のから揚げ2個、そして生卵。

事前に、出し汁(市販の濃縮出汁に醤油、みりん、お酒を少々加えて、自分好みに)、各種揚げ物はトースターで温め、生そばを茹でるために鍋に火をかけるなどの用意をしておく。そこから自分でオーダーを唱えて作業を開始。蕎麦茹でどんぶりへの麺、トッピング類、最後に生卵、刻み葱を投入しテーブルに置く行程で、タイムを計ると提供所要時間315秒だった。よし、やったねw!



実食:手際よく目標タイム内に準備したことを自画自賛する暇もなく、立ったままで/ なにせ立ち食いですから、実食に取り掛かる。旨し!ガンスは単体で食べるとすこし塩味が強く個人的には抵抗感があるのだが、出し汁と合わせると塩味が落ち着き相性ばっちり、コンビニ購入した鶏のから揚げも悪くない。かけそばとこれらの揚げ物は全く問題なく、十分に成立している。良かった。出し汁も飲み干して完食所要時間は、413秒。うん、これだと現場で食べても周囲から違和感をおぼえられないだろう。しかし、誰もいない部屋でひとり立ったままで食べるのは行儀が悪いし、不様な体ではあったw

 「ごっこ遊び」~その2~

注文;かけそばに、野菜天(それも簡易なもの)、生卵をトッピング、サイドメニューにカレーライス。このかけそばにカレーライスをサイドメニューとすることを一度やってみたかった。数少ない立ち食い蕎麦屋経験においても、You Tubeにおいても腹をすかせた学生や勤労者が良くやっている技と思われる。幸いにして、数日前に拵えて冷凍保存していたカレーもありタイミングも良かった。野菜天は本来ならばきちんとかき揚げを作りたいところなのだが、私には技量も時間もないため、市販のマルちゃんまいたけ天ぷらなるものを用意した。前回と同じように、出し汁、各トッピング品、沸騰したお湯の鍋、そして解答し暖めたカレー(ちょっとだし汁を加えて、蕎麦屋風を出して)の用意が出来たところで、注文を念じたところで作業を開始。提供所要時間:347秒。



実食:蕎麦は市販の生そばを茹でたものだけどそれなりに旨いし、市販の天ぷらもなかなか捨てがたし。カレーは出し汁を加えることで蕎麦屋のカレーっぽくなっている。具沢山になっているのは、蕎麦屋っぽくないがそれはご愛嬌としたい。コウスケがupするお店のカレーの中にはなかなか本格的なものもある様子であるので、昨今の「蕎麦屋のカレー」と云っても、一括りに表することも出来なようである。都内の蕎麦屋を体験し辛い私には、それらのカレーを食して研究できないのが甚だ残念ではある。かけそばのサイドメニューとしてカレーを選ぶのは、オトコどもにとってはよく有る選択肢なのだが、実際に食べてみるとなかなかのボリュームであり、私がこのメニューを日常的にこなすのは無理なように思われた。当日は朝昼食を抜いて準備していたのに、この量を完食するのは大変苦しかった。齢だなあw。一応出し汁を少し残した時点で実食終了とする。(完食)所要時間:707秒。目標タイムを2分もオーバーしてしまった。ムムム……。これは熱々のカレーを食べこなすのに手間取ったのが主な要因だった。実際の立ち食い蕎麦屋ではカレーの温度は適度に抑えているのかな、この辺も確認してみたいところだったりする。

 2回「ごっこ遊び」してみて、それなりにメニューにも手際よく準備する過程も、出来たもの・その味も立ち食い蕎麦屋らしくなり楽しめたのだけれど、一人で立って食べていてはやっぱり寂しいw。やはり、店員さんとの短いながらも息の合ったやり取りや、適度に他の客で賑わっているところで、勢いよくそばを食べる行為をしたいw。現場じゃないとダメなんだよなあ(当たり前だw)

 一応簡単に事の顛末をコウスケにメッセンジャーで報告したところ、「あっぱれw」との返信に続いて、彼からコミュニケ誌をお送りしたいとのことだった。23日後に、手元にそのペーパーが送られてきたのであったが、その中に「東京立ち食い蕎麦屋逍遥」なる記事があって、司会役の女性一人と、男性二人(コウスケも含む)が、都内の立ち食い蕎麦屋の銘店を巡り、各自思い思いのトッピングを選びながら各店の蕎麦を愉しむという内容の記事が載っていた。その行間には、変わりゆく都内の風景やちょっとした江戸文化や昭和の情景に触れつつ、時代が移り変わっても営業を続けている各立ち食い蕎麦屋へのオマージュが込められていたようであった。そのペーパーを受け取ったお礼がてらコウスケにメッセージを出し、23の会話を交わす。私がタイトルも記事内容もとても興味深く面白かったと伝えると、お礼と共に彼曰く「立ち食い蕎麦屋」は文化なのだと、その文化が時代の流れと共に消えつつあり、今のうちに失われていくその文化を愛でたいのだ(これは私の意訳も含まれているが)という内容の返信があった。


 

うむむ、彼の言う事解るような気がするな 

立ち食い蕎麦を喰うことは、失われつつある文化へのオマージュでもあると。そうだよねえ。ああ、私も流行り病蔓延が落ち着いたら、上京してコウスケの勧める立ち食い蕎麦屋を巡る遊びを是非ともしたいものだ。それまでは、それらしいメニューを考えて「立ち食い蕎麦屋ごっこ」時々やりながら、その日を待つか……。その日まで待っててよ、立ち食い蕎麦の銘店さん。

 

(おしまい)

 

2022年1月25日火曜日

芋づる式音楽探索

115日の三原地域へのドライブの帰路途中に安芸津にある中古レコードショップThis Boyさんに立ち寄った際に偶然出会ったSammy Davis JRLPアルバム「Something For Everyone」。Sammyのボーカルもさることながら、恐らくモータウンのスタジオミュージシャンなのだろうけれど演奏もファンキーでご機嫌な内容だった。特に、1Spinning Wheel6)And When I Die8You’ve Made So Very Happyは大変印象に残り、ライナーノーツで確認すると、オリジナルはあのSweat, Blood Tearsであった。

 


そのだったのか! S,BTがブラスロックの雄であり一時代を音楽シーンに残していたことは知っていたのだけれど、これまでは全く聴いたことがなかった。ブラスロックで云えば、Chicagoの初期作品、日本で云えばスペクトラムを学生時代に聴いていて好きなジャンルであったのだが、S,BTは全く手を出してなかったな。この際上記3曲をオリジナルと聴き比べて、ついでにS,BTを聴いてみることにした。

 

ネット通販でポチッたのは、SONNY MUSICから発売されていたORIGINAL ALUBUM CLASSICS/ BLOOD,SWEATTEARSで、1st albumから5th album(19681972)であった。残念ながらライナーノーツの類がなかったために、このグループの概要についてはwikipediaからの情報を参考にした。なんでも、グループ結成の中心的役割を果たしたのはAl Kooper (org, vol)Steve Katz(g)だったらしいのだけれど、1st albumの発表後、Al Kooperがどういう経緯か分からないのだけれど排除される形で脱退、その後volDavid Clayton Thomasを向かい入れ、phone sectionの一部を入れ替えて(トランペットのRandy Breckerが抜けて、Lew Soloffが加入など/ この二人のプレーヤーは個人的にとても好きなのだけれど、ここで言及することは割愛)2nd album以降の制作を続けたらしい。

 


だから、1st albumのクラッシク、ヨーロッパ的ポップス、ボサノバ風、フォークロック調などの多彩な曲想を包含する内容から2nd albumの雰囲気はどちらかと云えばブルース、ジャズ的要素が強まり、D.C.Thomasの力強いvolも相まってより力強い演奏内容に変貌していた。特に2nd album SWEAT, BLOOD,TEARS」は音楽的、商業的に大成功を収め彼らの代表的作品になったようである。確かに緻密なアレンジのphone sectionは聞きごたえがあるし、それから見過ごせないのはリズムセクションのBoby Colomby(dr)Jim Fielder(b)で、確かなタイム感、グルーブ感を出しとても良い仕事をしている。久々に演奏そのものに聴き入ってしまった。演奏技術、曲想ともに凄いグループですわ。そして、件の3曲の聴き比べだけれど、個人的な結論としては、どちらも捨てがたい。サミー作品は、モータウン系のグルーブ感が強調されているし、B,ST作品には、ロック・ジャズ寄りの力強さがあった。

でもねえ、実は個人的には1st albumCHILD IS FATHER TO THE MAN」の方により魅力を感じずにはいられなかった。多分Al Kooperの嗜好・試行が強く反映されていた筈の作品で、その中に私の好きなボサノバ調の曲「without her」を取り上げていた。そのセンスなかなか捨ておくには行かないでしょうw。

 

そこで、B,ST3rd以降の3作品については斜め聞きしてまた追々ゆっくり聴くことにして、Al Kooperを追っかけることにした。

 

このヒトの来歴ついて、wikipediaに載っている情報を拾い読みすると、1944年ニューヨークブルックリン生まれ。1965Bob Dylanのアルバム「追憶のハイウェイ61」制作の際、あの「like a rolling stone」の録音の際にオルガンを加えることを提案し、飛び入りで参加したとの事…….、スゲー! あの印象的なオルガンはこのヒトだったのか!!。オルガンの音がこの作品のニュアンスや深みを与えていると思っていたけど、このヒトの発想だったのか。もう一度、スゲーw!このヒトのアメリカ音楽の位置づけは今となってはよく分からないのだけれど、Bob Dylanの他にもサイモン&ガーファンクル、ローリングストーンズ、ジミー・ヘンドリックスなどとも仕事をしているようで、オルガニストだけではなく、ソングライター、プロディーサーとしての側面も持っていたようだ。

 


早速、ネット通販のこのヒトの作品の中で以下の3作品をポチって聴いてみた。Mike Bloomfield(g)Steve Still(g)と共同名義の「Supersession(1968)、同じくM.Bloomfieldとの「the Adventure of Mike Bloomfield and Al Kooper(1968)、ソロ作品「Naked Songs(1972)。結論から述べるとこの3作品どれも良いですw!セッションものでは、ライトロックからブルースまで幅広く取り上げられていて面白いし、Naked Songs3) Jolieなんて後のウエストコーストサウンドチックで思わずニンマリとしてしまった。前2作品を録音した時は、このヒトまだ24歳ですぜ。B,ST1st albumとこれらの3作品を聴いただけでも、この若さにて示す幅広い音楽性と知識に裏打ちされていたのであろう発想力の豊かさ、そしてセンスの良さには参ってしまった。このヒト、無茶苦茶好きですわ~w なんで今までこのヒトの事を知らなかったかなあ、いつもながらに己の無知さを嘆くw

 

ホント良い音楽と出会ったと思っていて、久々の幸せ感を得られた。ということで、Al Kooperの初期作品コレクションを次にポチってしまったのだったが、もうしばらくこのヒトの作品を掘って行こうと思っているw

(多分、この作業続ける)

 

2022年1月19日水曜日

流行り病禍で気が付いたこと


先日の日曜日に家内と半日ほどドライブに出かけた。目標地点は、道の駅「神明の里」であった。

前々日に妻が録画をしていた地方局作成のバラエティ番組で、広島県下のソースメーカーが製造している各ソースを色々な料理につけて味比べをしている内容で、なかなか面白い構成であった。番組で取り上げられた商品の中で「テングソース」というウスターソースがあり、なんでも三原周辺でしか流通していないようで、私的にはこのウスターソースに大変興味をそそられた。我が家にはウスターソースが置いていなく、普段使いは所謂中濃ソース(トンカツソース、あるいはお好みソースの類)であり、結婚後だからここ四半世紀はウスターソースを使ったことがなかった。

 昨今の状況下において、本来であれば内なる自粛警察が働いて休日を家で家の掃除なり洗車なりをして過ごそうかとも思っていたのであるが、私以上に出無精である家内が「人の少ないところで、ドライブに行きたい」「山よりも、海辺が宜し」というものだから、それではテングソースなるものを探しに三原方面にでも行ってみるかということになった。

 自宅から1時間余りで午後1時過ぎ、第一目標としていた道の駅「神明の里」に到着。同道の駅の駐車場はほぼ満車の状態であったが、施設内はごった返すほどの来客はなく、皆さま場所柄をわきまえておられるようで、咳・くしゃみをする人はなく、夫々に同行者とは小声で話していた。



 同施設戸外の展望台からは、三原から糸崎の市街地、そして三原湾と島嶼部の山々が遠望でき、大変よい眺めである。これまでに遊びや観光で訪れるとすれば、尾三地区と称されるこのエリアでは圧倒的に尾道ということになり、私にとってはこれまで縁の少ない街であった。しかし、こうして眼下に広がる街を見ていると、きちんと探してみると実は面白い店なり物産がありそうな気がした。冬の弱弱しい陽光を浴びながら、「三原もなかなかに興味深い街かもしれぬ」「さて、ソースはどこに売っているかいな」等とひとりぼんやりと考えていると、背後で家内が「そろそろお土産コーナーに移動するよ」と声をかけた。

 お土産コーナーに入ると、レジの真向かいに早くも件のテングソースを見つけてしまう。その真横にはイチロウ氏からいつか教えて貰っていたビンゴソースまでおいてあるではないか。ビンゴソースも広島県西部にはあまり出回っていない筈で、福山・尾三地域周辺でしか出回ってないのではないか?(あまりスーパーに熱心に通う方ではないので、正確な情報ではないのだけれど)。この際、テングソースもビンゴソースも購入して味比べしてみるかということにし、それぞれ一本ずつカゴに入れる。続いてお菓子・スナック類、お弁当類を眺めてみると、タコを題材にしたせんべい、クッキーなぞのスナック類、タコ飯、タコ天をメインにしたお弁当などが数多く取り揃えていた、そう云えば三原がタコを名物として売り出しているのは以前どこかで聞いたことがあった。生鮮食料品の棚には、島嶼部で生産された柑橘類の他、ジャガイモなどの地元の新鮮な野菜。海産物コーナーには、鯛、タコの他にマゴチそしてタモリなる魚が陳列されていた。特にタモリとこの地域で呼ばれている魚は大変興味深く買って帰りたい気分になっていたのであるが、夕餉の献立は既に決まっていたため、この日は断念、次回のお楽しみとした。

 そして最後に酒類コーナーを見ると、私が好んで購入する銘柄「酔心」が陳列されている。そのボトルのラベルを確認したところ、おや、酔心は三原の産だったのか!と気が付く。これまで他の地方産のお酒よりも身体に馴染んでいる水で作られた広島県産のお酒を選び、その中でも「酔心」を好みのひとつとして愛飲して来たのに、うかつにもこれまで三原産であることに全く気が付いてなかった。呑んで旨ければそれで良しとし、ちゃんと生産会社まで確認していなかった。己の節操のなさ、単なるアルコール好きであること気が付かされて何とも言えぬ気恥ずかしさを覚えてしまった。酔心山根本店さん、誠にすみませぬと心で念じ今晩の夕餉の御伴にと、一本カゴの中に入れる。

 一通りお土産コーナーを巡り、夫婦それぞれにお目当てのものを購入後、クルマに戻り妻が昼食用に購入した三原名物のタコ天とタコバーガーを食す。タコ天は期待以上にタコの身がぷりぷりとしており誠に美味、そしてタコバーガーもタコ入りのパテがしっかりとし、新鮮なトマトの酸味と相性よしで、大変美味しかったです。



 三原名物のタコ料理、今回は購入しなかったけれど今や全国的ブランドになった「八天堂」のクリームパン、今日眺めてきた三原周囲の生鮮食料品、生産品、酒類にしてもこの地域の物産の豊かさには感動した。会ったことはないけれど生産者の皆さんの努力なり情熱なりを感じられ大変感銘を受けた。広島県に生まれ育って早や半世紀以上になるのに、これまで全く知らなかった。三原は実成も良い土地柄であり、目の前にはたくさんの魚介類が得られる豊穣な海があるし、それらを魅力ある物品に加工する生産者の皆さんもよく努力されているようで、とても良い街のようだった。

 出来れば、旧市街地を彷徨しあれば鮮魚店を覗いて廻りたかったが、事前の情報収集不足であることや生憎の休日で鮮魚店もしまっているだろうと判断し、三原駅前をぐるりと一巡し後に帰路に着いた。

 自宅への帰路は、家内の希望で海辺の道・国道185線を選択する。三原から忠海、竹原、安芸津などを経て呉方面に向かう道筋で、学生の頃暇な時間を利用し何度かクルマで走ったことがあった。この度30数年ぶりにこの道を辿ってみると、映る景色は記憶に薄く新鮮であった。左手に弱い陽光を浴びた島影は何とも美しく、助手席に乗る家内も「広島に20年以上住んでいるのに、知らないところだらけだったわ。探してみたらいいところあるんだねえ」などと写メを数枚撮っている。そうなんだよね、広島にはまだまだ知らない良いところ沢山あるんだよね。



 竹原市街地を過ぎる頃に、ふと思い出したことが有って、ここまで来たのならば是非寄って帰らねばならぬお店があった。イチロウ氏に教えて貰った安芸津にある中古レコード店「This Boy」さん。途中飲料水購入目的に立ち寄ったコンビニで、同店の所在地を確認し、安芸津を目指す。

 同店は、JR安芸津駅近く、県立安芸津病院の近隣にあった。3階建ての建物に道路に面した1階の部屋と奥の階段を上り2階に店舗があった。案内に2階が店舗と書かれていたので2階に向かうと店舗の入り口に1階で声をかけて下さいとある、ではと1階の部屋にもどり店主らしき男性に「2階の店舗を見させてほしい」と伝えると、店主らしきヒトがニュートラルな感じで案内してくれた。「ここは貴重盤もおいてあります。どんなジャンルをお探しですか?」などと声かけてくれたのだが、当方特にお目当てがなく「一応JAZZですかね」と伝えると、やや大ぶりなしぐさで「この辺です」と陳列棚を指し示してくれた。



 しばらくJazzLatin系の旧盤を探っていると、店主の男性がターンテーブルにファンキーなナンバーをかけ始めた。アップテンポのノリの良いリズムに分厚いホーンセクションの伴奏にハスキーなvocalが流れだした。モータウン系かいなと頭の片隅で想いつつ、私は気になるレコードを出しては仕舞いの動作を繰り返していたのだが、先ほどから流れてくるvocalが気になり始めていた。これはひょっとしてSammy Davis Jrちゃうの? こんなファンキーなmy wayは聞いたことなかったな たまらずターンテーブルに近づき展示されていたジャケットを見ると、やはりSammy Davis Jrのアルバムだった。長年来のファンだったのであるが、これまで満足に彼の音源を集めることが出来ていなかったの。幸いにもこの盤にはプレミア価格はついてなく、新譜LPの半額程度の値段設定。この機会は逃すまじ!



 店の片隅で梱包作業を続けていた店主に、「これサミー・デイビス・Jrだったんですねえ。超カッコ良いですね。貰う事出来ます?」と尋ねたら、店主も「そうでしょう。一応B面も聴かれます?」等と満面の笑みを浮かべて応じてくれた。「ジャケットもとっても恰好良いでしょう」と言われて多少返答には困ったが、演奏内容は素晴らしくLP上の傷も雑音も認められなかった。レコード屋に行って、図らずも良い内容の音源に出会って、勧める店主も購入者も笑顔で交歓できる体験なんぞは、学生時代以来だなあ。

ちょっとした幸せを感じながら、その他に選んだLP2枚も併せて会計をお願いすると、店主は私が選んだ他のLPもチェックしながら、「この2枚のLPともまだ未使用のものですねえ」良いものをチョイスしたと言わんばかりに言葉を添えてくれる。但し提示価格は2枚とも新譜LP価格以下のもので、大した銘盤を選んだわけではないが、悪い気はしない。このお店の所蔵し流通に乗せる中古のLPCDの大半はネットで取引されるようであり、本当に銘盤やプレミア盤を得ようとするのであれば、これまたネット上にある同店のホームページを検索し購入するのが最良に違いない。ただ当方としては、今のところ新たに手に入れたい音源がない/若い頃程音楽を聴く情熱がなくなってきているのかもしれないけれど、レコード屋に行ってあれこれと当てもなくCD/LPを探る貝掘り行為に楽しみたい性質であり、この度の同店への訪問で十分にその歓びを味わうことが出来た。店主さんには、どうぞネット通販で儲けていただいてこのお店を続けて貰いたいなと心から想った。店主に「また、寄らせて貰います」と伝えて、This Boyさんを後にした。



 安芸津から安浦地区、黒瀬、熊野地区を経由して自宅への帰路に着く。

 なんだか図らずもいつも以上に満足を得られたドライブだった。先ほど妻が呟いたように、これまで広い意味での地元の事・広島のことを知っているようで全く知らないことがまだまだあるのだという事に気が付かされた。

 ここしばらく流行り病のおかげで、仕事の負担は増えるがそれに反比例して実入りの減少の危機を感じつつ、私生活においてはおのずと制約が増えて、外食機会や県外への旅行機会も皆無に近くなった。時折、半ばジョークで「しーらない街を歩いてみーたい」などと歌い、乾いた笑いをしてみても、心の何処かで重たいものが払拭出来たわけではなかった。

 以前のような遊びや楽しみも流行り病のおかげで出来ないし、現時点では終わりは見えてこないのだけれど、今回の体験で心に刻まれたひとつは、『こんな時期だからこそ自分の身の回りあるもの・見落としていたものをしっかりと見つめ直して、そこに歓びを見出す作業を今のうちにやっておこうか』ということだった。そう思い直してみると、なんだか心の滓がすーっと消えていくような気がして心が軽くなるのであった。

 


おしまい