11月23日16;30頃に、大人の遠足班の面々を無事に会場のクレイトンベイホテルに送り届け、そのまま私も同ホテルにチェックイン。割り当てられた一室にたどり着いたのが16:50頃だったか。
「シングルルーム」とレセプショニストから聞いていたのに、実際に通された一室はダブルベッドルームだった。先ほど前払いした金額と考え合わせると室内の設えも大変素晴らしく内心驚く。幹事モトムラの交渉力に脱帽する。“モトムラ、やるねw!”
同窓会開始予定まで1時間程度あり、シャワーを浴びても良かったのだが、目の前の清潔そうなリネンに覆われたベッドに吸いこまれてそのまま寝てしまいたい衝動が起きて、しばらく葛藤。その葛藤についに負けてベッドに横たわったものの、されども我が眼は冴えに冴えて眠れそうもなく。結局17;45頃までベッドでゴロゴロと過ごした。開始時間が迫り意を決して服を改め、会場となる3Fのバンケットルームに下りたのが、17;55くらいだったか。
会場受け付けには、見覚えのある女性が座っていて、「お久しぶりです。いらっしゃいませ」と。モトムラの妹さんで、今やコウイチの奥さんになっているヒト。彼女は、私たちの2年後輩でもあった。わー、わざわざ手伝いに来てくれていたのですね。このヒトとは、数年前にイチロウ、コウイチと私の3人で、西宮で開催されたナベサダのコンサートに聴きに行った際にも一緒に同行してくれていた。物静かで控えめだけれど目配りの利く賢い女性だと思った。“やったねw、コウイチ!”実は、高校時代の時には私と文化部で一緒していたのに、愚かなる私めはこの女性とも一度も話さずじまいだった。
そしてこの度の再会でも、時候の挨拶から「いつもご主人には今でも大変お世話になっています」等ときちんと挨拶をするべきだったのに、「ああどうも、こんには」程度で済ませてしまった。自分の世間的な愛想のなさは何時ものことなのだが、“しまった!”と思ったのはテーブルに着席した後のことで、引返して挨拶するのも大仰な感じがしてしまい、結局流してしまった。奥さんというか妹さんというか後輩さんというか、相済みません。
会場の席は自由ということになっていて、どの席に座ったものかしばらく躊躇していたが、背後からタカヒロやミサキ(!)がやって来る、コウイチが登場する流れとなって、誰が言い出したわけでもなく、そのままひな壇前の右側のテーブルに着席した。そうすると後から続々の同窓生が参集し、私のテーブルには私から時計回りにコウイチ、マサオ、タカコ、サトエ、タカヒロ、ミサキが着席した。
ミサキは誰よりも私が会いたかったオトコ。私が過去出席した2回の同窓会では会えず、最も近しい関係であるコウイチやタカヒロに彼の消息を事あるごとに尋ねていたのであったが、彼らの反応は重く、その反応から私は大変心配していた。
ある時、コウイチがぼそりと「この数年彼の体調が思わしくないようなのだ」と言った時には落ち込んでしまっていたが、この度の同窓会に彼も出席する予定になったと知った時は、言葉に言い表せないほどの喜びと期待を感じたものだ。
やっと私の前に現れてくれたミサキは、髪はシルバーグレーになり元々スリムな体型が更にスリムになったような気もしたが、眼の輝きは当時のままで、大いに安堵した。私だけでなく、集まった皆が彼との再会を心待ちにしていたはずだった。ミサキは、会が始まる前後にかけて、ここ数年の彼の病気との苦闘の断片を語ってくれて、私自身は彼の孤独な闘いをこの度初めて知ることになった。彼の話を聞いているうちに色々な感情が湧いてきたのだが、でもこうして我々の前に出てきてくれた彼を祝福したい気持ちが一番強かった(翌日、ローマ教皇も広島に来るしねw)。
本当はその場で彼をハグしたかったのだけれど、しなかった。その代わり彼の事ついては別項で是非書き記しておきたいと思っている。
コウイチ。彼とは今でも頻繁にSNSで交流していて高校時代のように音楽、クルマなどの趣味話を時折ボケやツッコミを挟みながら交換している。この度は「よお!」と挨拶したきりで、よく考えたらあんまり喋らなかったなあ。でも、このオトコもミサキの話に絡めて別項で触れる。
マサオ。彼は当時常にトップクラスの成績を修めていた真面目なオトコだった。何故か私には優しく接してくれて、高校寮の最初の部屋替えが行われた際には、彼から私に「マサキ一緒の部屋にならないか?」と声をかけてくれた。2度ほど長期休暇の際に私を彼の自宅に招いてくれて、すこし彼のご家族とも遊ばせてもらうことがあり、とても良い思い出になっている。彼は、真面目だけでは収まらないところがあって、高校の何年の時だったか、誰かとの賭けに負けたからという理由で、ある土曜日午後に散髪に出かけトップを紫・金色に染めたモヒカン頭で帰寮し、翌日曜日には坊主頭にして帰ってきたことがあった。私は大変驚いたのであるが、彼自身は何か吹っ切れた感じで楽しんでいたようだった。今私の前にいる彼は、短髪に顎髭を蓄えて若々しさを十分に残していた。彼曰く、彼の子どもはまだ小さく、この度の同窓会参加は家族旅行を兼ねているとのことだった。恐らく彼の原家族と同様に幸せな家族生活を営んでいるのだろう。
ちょっと(どころか随分)前置きが長くなってしまったけれど、18;00の定刻になり幹事役のモトムラが登壇して同窓会の開始が告げられた。モトムラの最初の挨拶は、淀みのない語りで要領を得たもので、私は内心とても感心してしまった。その後の会の流れのマネージメントも遺漏なくスムーズな運びだったし、彼が選んだ会場もそこで供された料理も地域色が反映されて良かったと思う。なんだか知らないうちに立派なおじさんになって、本当に頭が下がるよ。書き忘れないうちに、この場を借りて彼にお礼を書き記しておく。
その後、食事としばしの歓談の時間になって、皆それぞれ自由にテーブルを移動しながら旧交を温めた。私のテーブルの横で、ミサキ、タカヒロ、コウイチ、ウメモト、サトエが各々良い笑顔を浮かべて記念写真を撮っているところを見た時にはある種の感動を覚えたな。彼らは学生時代のバンドのメンバーで、ずっと行動を共にしていたものな。彼らのリユニオンを傍で見ているだけで、こっちまでなんだか幸せな気分になった(いつもの悪い癖で勝手に感情移入してしまっているw)
ふと後ろを振り返ると、集まった皆がそれぞれに屈託のない笑顔で楽しそうに駄弁っている。本当に良い光景だ。あれ?、俺その時何していたんだろう。ずっとみんなの様子を見渡して独りで楽しんでいたのかもしれないな。
やがて、モトムラが事前にサプライズがあると予告していた催し物が始まった。この度が初参加になったイツキが持ってきたビデオをみんなで見るという趣向だった。イツキは、当時私から見ると物静かなオトコで男子の間では目立た存在ではなかったような記憶がある。私自身は余り接点なく、モトムラたちとつるんでいた。八ミリを撮るのが趣味で、高校在学中は映画研究会に入っていた。高校同窓会への参加は、この度が初めてで、恐らくモトムラと事前に打ち合わせし、当時彼が撮影した映像のデジタル化したものを持参してくれた。
モトムラの合図とともに、イツキが当時撮影した(おそらく文化祭用に制作した自主映画)映像がスクリーンに映し出された。長い年月を経たネタフィルムをデジタル化したものだから、映像そのものは不鮮明さや乱れを生じさせていたが、そこに映し出されていた面々は当時の同級生だった。フルハタ、タダミ、トリイ、シモヤマなどの明るくてやんちゃな男子たち、当時流行った聖子ちゃん刈りの(もといカット)女の子達。画面の中でみんな元気にはしゃぎ、笑い、きちんと演技をしていたw。みんな可愛かったなあ。当時イツキが監督・撮影を担当し、他の者が出演し映画を制作していたのは知っていたけれど、実際の作品は観たことがなかった。“素晴らしい。イツキいい仕事していますw!”
当時、私はイチロウ、エイイチたちと生物部淡水魚班を構成し、学校の近所の用水路に出かけては、文字通り淡水魚を獲り、それを文化祭に展示するための準備に明け暮れていた。
イツキが残してくれていた映像を眺めながら、「俺って、同じ空気吸っていたのかなあ?あそこで一緒に生きていたんかな」と思わず漏らしてしまった。そうすると、私の正面に座っていたサトエとタカコが「マサキはいたよ。結構女の子に人気もあったんだから」とにっこりと微笑んでくれた。
“サトエちゃん、タカコちゃん、どうもありがとね……”(今日から、この二人もSOL・親戚のお姉ちゃんリストに入れてしまおうw)
目の前の画面に映し出された映像は、あの当時の校内の雰囲気というかみんなの空気感が十分伝わってくるものだった。みんな、自ら選択して飛び込んだ環境を受け入れ、前向きに十分に楽しんでいたんだね。映像の中に私が出ていないことは当然なのだけれど、この映像から伝わってくる皆が共有していたであろう“生き生きとした幸せな空気感”を当時の私はあまり気が付いていなかったし、むしろどこかで受け入れようとしていなかったのかもしれない。
これまで私自身が高校時代を振り返る際になんとなく抱いてきたnegativeな感情は、自分自身のそういう気分の諸産物に過ぎなかったんだな。環境要因がどうのこうのというよりも、自分の内なる要因に過ぎなかった。ただそれだけのことだったんだ。
最近、コウイチがSNSで言ってくれたように、「昔の傷つきや葛藤に罪はない」し、ヒトの記憶は、身体の組織が日々再生されていくように、時を経て少しずつ改変されていって良いものだし、そうすべきものなんだ。イツキの残してくれていた映像を見ながら、その時は上手く言葉にならなかったけれども、自分の記憶の再編が起こっていると同時に心の奥底に残っていた感情の滓のようなものが消えていくような感覚を覚えた。イツキ、良い仕事、ありがとねw!
その後、モトムラの進行で、出席者がそれぞれ短い近況報告を行った。私たちのテーブル以外の席には、オトコは、ウメモト、ヒサシ、トリイ、カイタ、オノ、イツキ、そして女性陣は、チエ、ミカ、ナナコ、マキ、メイコ、ユミコがいて、夫々に近況を話しくれた。
オトコどもは、誰もが良い顔していて味わい深いハンサムな顔になっている。女性陣は、皆それぞれに綺麗な大人の女性になっていたな。
あー!記憶が改変されていくと、色々な事思い出したw。2年先輩で柔道部の先輩だったツカジさんが、ある時食堂で一緒に飯を食べているシチュエーションがあって、前後の脈絡は忘れたのだけど、野太い声で「おいマサキ~、お前らの学年の女子はレベル高いなあ。可愛い子多いわ~。ええなあ」と言っていたっけ。その時、私は「はあ、そうっすか」と曖昧な返事をしたのだが、内心「こっちの畑を荒らすなよ」と思っていたことを思い出した。アー、すっかり忘れていたけど、自分の学年の女子に好意をもっていたのかw。よし、これから女性陣全員、S.O.L親戚のおねえちゃんリストに入れてしてしまおうw!
同窓会1次会は、楽しくも和やかな雰囲気のうちに終わり、前夜メイコが言っていたように次回の同窓会は、彼女とトリイが幹事になって奈良京都で開催されることになったのだった。
(つづく)
11月23日、私は午前4時30分に就寝し午前7時過ぎに起床。諸々の支度を済ませ、“さて”と思ったのが午前8時50分頃だった。
“もう良いだろう”とヒサシに連絡を入れたら、既に彼はホテルの外で待っているとの事。“ありゃしまった”。9時10分頃に迎えに行くと言ったつもりが、9時10分前に迎えに行くと伝わってしまったらしい。慌てて、家内に本日と翌日のスケジュールの概略を伝えて、クルマに乗り込んだ。
当日は、私が「オトナの遠足」と銘打って世界遺産航路と称する原爆ドーム前-宮島間のグラスボートを利用し、トウヤマ、ヒサシ、タカヒロ、メイコ、そして当日から参加のマキを宮島観光に連れて行く予定となっていた。
当日の天候は快晴で、最高気温は20℃の小春日和の一日で秋の行楽には絶好日となりそうだった。
駅前ホテルでヒサシをピックアップし、そのまま市内中心部のホテルに向かい、そこでタカヒロとメイコをピックアップ。原爆ドーム近くの駐車場に車を止めすこし歩いてグラスボート船着き場のある元安橋まで移動。トウヤマはクルマで広島まで来ていたので、別の宿泊先からクルマを移動させて現地集合。マキも県内の自宅から直接現地に集合することになっていた。
9:45頃に私達が出発場所に到着すると同時に、「あらっ」という感じでマキが登場。
私は、マキとも高校時代にはほとんど話したことがなかった。彼女はその後、私とは違う大学に進学したため、彼女の青春時代を知らぬままに時が流れた。そのような経緯もあり6年前の同窓会で彼女と再会した時は、ほとんど初対面のような感じだった。「マサキ、私のこと覚えている。エキモトよ。」で始まり、「こんど押しかけていくからね、ゴハンを一緒に食べようね」と、ぐいぐいとこちらの心に入ってくるような物言いだったのだが、彼女の明るく飾らない物言いに好感を持ったものだ。彼女と話していると、なんだか懐かしいような気分になり(これは当たり前かw)、なんだか親戚のお姉ちゃんと再会したような感じだった。その後実際には彼女と会うことはなかったのだが、メイコとマキが高校時代に仲が良かったようで、この度お互いに連絡を取り合い、彼女の遠足参加に繋がった。
しばらくしてトウヤマも登場。彼は朝早くから平和公園にやって来ていて原爆資料館の見学を終えて来たらしい。エライね、ちゃんと見てくれたんだ。
それにしても、昨晩前夜祭に参加した面々は元気そうで、早朝までの深酒・寝不足はみじんも感じさせない様子だった。10;10発のグラスボートの出発時間がせまってきたので、一同船着き場へ移動。船底の浅いボートに各自乗り込んで、しばらくすると出発。朝の光を浴びた水面は輝いていて、波のない水面を滑るようにボートは進んだ(事にしておくw)。地元に住んでいながら、このボートに乗るのは初めてだった。普段はいくつもの橋を渡りながら広島の川を眺めているのだが、船で橋の下を潜りながら川べりの街並を見るのはとても楽しかった。
ボートの座席では、マキと隣り合わせてお互いの近況を広島弁で語り合った。地元言葉でこのヒトと駄弁っていたら、私の気分としては益々親戚のお姉ちゃんみたいな感じになり、一方的なのかもしれないけれどもすっかり打ち解けてしまったw
ボートはやがて河口を離れて瀬戸内の海に入った。マキとその横に座っていたメイコに分かる範囲で景色の説明をする。「あれがねえ、牡蠣筏でね。この辺りで獲れる牡蠣は“大野牡蠣”と名付けられてブランド化されててね、市内の高級レストランに卸されているらしいよ。」「アーチになっている橋が見えるでしょう。あそこを境に広島市と廿日市市に分かれているのよ」。今やメイコもついでに私の中で親戚の姉ちゃんに仕立てしまったw。
原爆ドームから宮島港まで所要時間45分で到着。午前10時55分に宮島港に上陸してみると、桟橋前の広場には既に大勢の観光客で溢れていた。天気も明るく穏やかで、宮島の紅葉狩りその他の観光には打って付けの日和だった。ゆっくりと厳島神社に向かって海沿いの参道を歩いていると、数頭の鹿に出くわしたが普段に比べてかなり少ないようだった。それは、そうだ。これだけ人間で溢れかえっていたら、鹿の方もおちおち歩けはしないだろうね。
私達は、ゆっくりと参道を厳島神社に向かって歩いた。
あれ?社正面の沖に立つ鳥居に覆いが掛かり、何やら改装中の様子であった。これは計算外!皆に観て貰えないなんて。しまったなあ。事前情報として仕入れておくべきだった。それでも一応定番の記念写真ポイントで、覆いの掛かった鳥居を背景に写真を数枚撮る。ここには掲載しないけれど、みんな良い顔しているw
そのままゆっくりと移動して、厳島神社の社殿に参拝。ここでも少々の計算外が、本来であれば満潮の時の海に浮かぶ社殿を見せたかったのに、当日は完全なる引き潮になっていた。
それでも、初めて訪れたというヒサシは、「わー、めっちゃ綺麗、すごいな。来て良かったわ。なかなかプライベートで来れないものな。連れて来て貰って良かったわ」と純粋に感動を言葉にしてくれていた。連れて来た甲斐があった。
このオトコはとても良い奴で、昨年私が神戸に出張し折に、コウイチと二人で私を歓待してくれた。私がついつい調子に乗って飲食代を全部彼におごらせてしまったのであるが、彼は快く応じてくれた。後で大いに反省したこともあり、この度の幹事役を引き受けた際には“神戸の恩を広島で返す”と思い定め、私から直接彼に連絡を取り出席を乞うたのであった。
平清盛がこさえたという寝殿造りの社殿をゆっくりと進み、途中私とマキでメイコにこの神社の由来をかいつまんで説明しつつ、何枚かの記念写真を撮り、みんなの笑顔を確認し、ちゃんと正殿にもお参りし、遠足のハイライトその1)を終える。
時刻は、正午前後に差し掛かり、休憩を兼ねた昼食を取りに食事処にゆっくりと向かう。昼ご飯は、「芝居茶寮水羽」というお店で、店舗は神社境内の真裏にあった。古民家を改装した民芸調の和食屋で、宮島名物の穴子飯の定食を事前予約しておいた。昼食時を迎えた店内外は観光客で溢れかえり、予約していないと1時間程度は待たされていたかもしれない。本当に予約しておいて良かった。
私達は待たされることもなく、1Fのテーブル席に通された。タカヒロは地ビール、ヒサシは生の中ジョッキ、私はノンアルコールビールを注文し、他の3人はお茶。然程待たされることなく穴子飯定食が運ばれてきた。地元民である私は穴子飯をこれまであまり食したことがなかった。甘辛い醤油タレの効いた穴子の切り身が載せられた炊き込みご飯、そしてカキフライ2個、味噌汁、香の物がついていた。
みなそれぞれに「美味しい」と言ってくれた。流石に昨夜の前夜祭メンバーは、疲れもあるせいか口数が少なかったけれど、でも満足してくれているみたいでもてなす側にとっては有難かった。
昼食が終わり一息ついて、宮島遠足のハイライト2の「もみじ谷」まで紅葉狩りに向かう。宮島ロープウェイと書かれた標識を目印に、もみじ谷まで続く径を歩いたが、私たち以外の行楽客もいっぱいで、もみじ谷から下りてくるヒト達に気を付けながら進まなければならなかった。
老舗旅館と思われる岩惣本店が見えて来たあたりから、道沿いに綺麗に色づいたもみじを楽しむことが出来るようになり、やがて小川の谷間のあちこちに紅葉した木々が立ち並んでいた。この大勢の観光客さえいなければ、原生林を背景とした落ち着いた風情の谷間なのだろうけれど、生憎絶好の秋行楽日和、宮島を訪れたら誰しもが紅葉を求めてこの谷を目指すわなw
谷間のもみじは紅葉の盛りを迎え、秋の日差しを浴びてとても綺麗だった。谷間の緩やかな斜面には休息用のベンチが並べられたスペースがあり、そこで弁当を広げて休んでいるヒト達も散見された。
そう云えば、高校の頃、学校行事で春になると全学年が縦割りの小班に分かれて遠足がてらBBQに出かけたっけ。
1年生時の小班では、クラブ2年先輩のナツキさんがいてこのヒトは優しくてカッコ良かった。それと確かカワイイ女子の先輩がいたような気がするけれど、あれは誰だったかしら.....。
あー!、往復のバスの中でクラブの一年先輩のツキノさんが乗り合わせていて、このヒト怖かったなあ。「マサキ、おまえ歌え!」と命ぜられて、カラオケなしで何かフォークソングを1曲歌った。「おまえ、歌えるじゃんw」と褒めてくれたけれど、ただ怖い想いばかりだった。このヒトについては、別に断片的な思い出があって、その当時は理解出来なかったけれど、色々振り返ってみるに彼なりの後輩へのやさしさがあるヒトだったなw 今やっと気が付いたのだけれど話が長くなりそうなので、この度は割愛させてもらう。
紅葉を見ながら、大人の遠足気分を味わっていると、今まで思い出したことのない記憶の断片が蘇り、あの当時も私なりに楽しんでいたのだと新たな感慨が湧いてくるようだった。
その後私たちはゆっくりとロープウェイ乗り場まで歩いて行き、乗車待ち1時間の表示を見て弥山に上がるのを断念、再び来た谷間の道を散策しながら歩いた。そして、門前の商店街をぶらぶらと歩いて、海岸沿いにあるスターバックスで長めの休息を取った。
女性陣が手際良くその店の2Fで広島対岸を臨む窓際の席を確保してくれて、我々オトコ4人はソファチェアに座らせて貰い、女性陣はその近くのテーブル席に落ち着いた。女性陣は、懐かしそうに何やら熱心に語り合ってい、我々オトコどもは外の景色を眺めたり、スマホを弄ったり。やがて私以外の3人はうたた寝を始めていた。無理もない、今朝早朝までアルコールの飲みながら語り合っていたのだもの。それに今晩が本番なのだから、努めて休息は取っておかないとな。
普段は仕事で多忙であろう50過ぎたオッサンどもが、久しぶりに雑念や責任から解放されてリラックスしている様子を眺めるのも悪くなかった。私も疲労を感じてはいたが、こうやって古くからの友人たちと自然の中を散策していると、否が応でもあの高校時代の生活を振り返ることになり、古い記憶を再整理しているような作業になってしまい、妙に頭が冴えて来るのだった。
目の前には、快晴の秋空と陽光が海面で乱反射して輝きを増している様や、すこし左側に視線を移すと、明るい陽射しの中で多数のヒト達が浜辺に降りて、思い思いに海辺を散策している光景があった。これらの光景を眺めていると、私の心が次第に癒されていくのが分かった。同行してくれた他の5人にとっても、日々の疲れからの解放と心のリフレッシュになってくれていたら良いのだけど……。
1時間程度そのお店で休んだ後、14;45宮島発のグラスボートに乗って原爆ドームへの復路を辿った。宮島港の桟橋前は、同じように広島側へ渡ろうとする観光客で溢れ、乗船待ちの人たちが前の広場まで列をなしていた。マキとメイコが、「事前に乗船の予約を取っていてくれて良かったね、ありがとうね」等と言ってくれた。企画したものとしては面目を施した。
船の中で、隣り合わせたヒサシが再度「宮島に来れて良かったわ~。もう二度と来ることないと思うけどw。これで天気が悪かったら最悪だったけど、天気もめちゃ良かったしなあ。最高だったわ」と言ってくれた。
“そう思ってくれる?よしよしw 企画してエカッタ”。
しばらくすると、右手に広島湾に浮かぶ島々が見えて来た。彼らに少し説明しようと振り向くと、皆夫々にうたた寝を始めたようでそっとしておくことにした。“そうそう、今晩があくまでも本番だからね。取れる時にしっかりと休んでいてねw”
やがて船は元安川河口付近に差し掛かった。船内アナウンスで元安川からは速度を下げて航行し、乗船客に船尾のデッキを開放するとの事。休憩中の面々はそっとしておき、私だけデッキに出て、秋の明るい西日を受けて輝いている低層のビル群を眺めた。
見慣れた風景なのだけれど、視点を変えるとこんな風に新しく新鮮に映るんだな。昨晩からの彼らとの楽しい会話を経て、彼らとの関係が、これまでの既知の関係性から少しずつ穏やかで心豊かな新しい関係性に変わったように思えた。それは私の対人関係における視点を変えさせるもので、目の前に広がる景色のように新鮮なもののように映った。
※ 読み直してみて、この行は、ヤングノベルズみたいで小恥ずかしいのだけれど、「50‐60代のオッサンになっても思春期・青年期の心性を持っているんだ」と言ったのは私の仕事上の師匠だったw
舟はやがて、ドーム前の桟橋に着岸。そこから、トウヤマは彼のクルマで、その他の5人は私のクルマで、モトムラが用意してくれた同窓会会場となる呉市内のクレベイトンホテルに向かった。
同ホテルには16;30に到着。18;00開始予定の同窓会まで、皆に小休止時間を確保することが出来た。皆の協力があって、無事計画通り進んだ“大人の遠足”。他の参加者よりも企画した私が一番楽しんでいたのだと思うw どうもありがとう。 最後に車内で、皆でパチパチと拍手をし、“大人の遠足”組は解散しクルマを降りたのだった。
(つづく)
11月22日(金)~11月23日(土)にかけて、私の高校同窓会が広島市・呉市において開かれた。22日夜の“前夜祭”と23日の昼間の遠足は私が幹事を担当し、23日夜の同窓会はモトムラが担当した。
前夜祭の参加者は、トウヤマ、ヒサシ、カシワギ、タカヒロと私のオトコ5人と女性は紅一点のメイコ、計6名だった。11月22日19:00過ぎに、広島中心部にあるホテルロビーで待ち合わせとし、私以外の者は県外から三々五々に集まって、再会を祝して食前酒で乾杯。カシワギは最遠方からやってくることもあり、前夜祭会場のレストランに直接駆けつけることになっていた。
開始予定時刻20:00の10分前に、徒歩で会場となるレストランに移動。会場は、モダンスパニッシュレストラン「L’ermita」さん。広島平和公園のほとりを流れる元安川の川べりの雑居ビルの2F3Fにあって、オーナーシェフとフロア担当2人で運営している小さなレストランである。この度は残念ながら参加出来なかったイチロウご推奨のレストランで、私が訪れるのもこの度が初めてのお店であった。
広島ではかなりの有名店で、予約した際のやりとからちょっとした緊張を覚えて訪れたのであるが、フロア担当女性の優しい笑顔に迎えられて3Fの個室に通されてほっと胸をなでおろした。6人掛けのテーブルに、私が窓側の右端に座り、時計回りにタカヒロ、カシワギ用の席、その前にメイコ、ヒサシ、そして私の真向かいにトウヤマが腰かけた。カシワギの到着まで、それぞれがCAVA、名前は忘れたけれどもスペイン産ビールなどを食前酒に注文し、ホテルから続くおしゃべりを続けた。
20;40くらいに、カシワギ登場。彼曰く「やあ、広島空港から市内までこんなに遠いとは・・・・、おまけにタクシーに祟られちゃってさ。連れていかれたホテルも違えば、ホテルからのタクシーも全然捕まらなくってさ~」と爽やかな笑顔を浮かべている。無事に着いてくれて良かった。彼は、この前夜祭のためだけにやって来てくれて、翌朝7:00過ぎの羽田行きの飛行機で帰るという。本当にありがとね、わざわざやって来てくれて。
そこから、食事に合うワインをフロア担当女性にお任せしコース料理がスタートとなった。私は、しばらく正面に座ったトウヤマの近況を聴いていた。地元の企業に勤めて、実家から通勤中。下のお子さんはまだ小学4年生。これまでFace Bookに家族写真などを載せていたものだから、最近も家族であちこち出かけているの?と問うと、「上の子が受験期に差し掛かっているものだから、思うように出かけられなくなったんだよね」と教えてくれた。
そんな差しさわりのない話をしていたところ、ヒサシが「あのさ、カシワギとサトエはいつ深い仲になったの?」(実際にはもっと直接的な表現であったが、ここに書くのが憚られるのでかなりマイルドな表現にしたw)「あのさ、あんな狭い空間でさぞむずかしかったと思うんだよね?」と続けた頃には、流石のカシワギも戸惑ったような腹が攀じれ返るような大笑いを浮かべていた。視線を少し移すと、ヒサシの横で、その質問にメイコが身構えるような当惑の笑みを浮かべている。
カシワギとサトエ、そしてメイコとトリイは、高校1年の頃から付き合い始めたカップルで、それぞれにお似合いで周囲の者から見ると納得のカップルだった。メイコの先ほどの戸惑いの笑みは、ヒサシの発した同じ質問が自分に降りかかってくるのではないかという身構えのように映り、その様子に私の腹筋が攀じれたw。
ヒサシの質問で、その場の空気が弾けたようになり、その後しばらく下ネタめいた話題になったのであるが、概ね省略w。話の流れから「マサキは最近どう?」と聴かれ、「もう俺は賞味期限切れたw」と返したというあたりで留めておくw。
ヒサシは、当時、カシワギとサトエの馴れ初めにも立ち会っていたらしく、その他、誰と誰が付き合っていたなどと、私なぞは知る由もなかったことを目撃したり、記憶に残していた。このオトコ、当時私は全く気が付かなかったのだが、とても情報収集能力に長けていたことを知り、妙に感心してしまった。
メイコ。彼女とゆっくりと話をするのは実はこの度が初めてだった。彼女は少女時代から美人で明るくて、学生時代通じて男女を問わず人気があって、私なぞが近づく隙がなかった。この度初めて彼女の性格を知ったような気がしたが、ストレートな物言いに表裏がないヒトのようで今でも大変魅力的な女性である。彼女は、段々アルコールが進むにつれて元気が増したようで饒舌になって当夜は私達を大いに楽しませてくれた。
彼女は折角私に対して、あれこれとツッコミやボケを入れてくれていたのに、私は「そうかいな」などと返すのがやっとで、もう少し気の利いた合いの手を入れることはできないものかと己の話術力のなさに辟易するのだけれど、ないものは仕方がない。でも、30数年の時を経てこうしてざっくばらんに話し合えるようになったのだから、私としてはそれで充分だった。
カシワギ。会開始早々からのヒサシの質問を笑顔ではぐらかし、大人の対応で上手に裁き、その後に続くメイコの突込みにも笑顔で応じていた。カシワギ・サトエ夫婦とメイコの交流は今でも親密に続いているようであり、時々3人で旅行に出かけているとの事。この度の同窓会と武術の後輩の試合が重なり、彼としてはその後輩のセコンドに付く義理もあり、忙しい時間を割いて前夜祭のためだけに東京から駆けつけてくれた。寝坊をして翌朝の飛行機に乗り遅れるわけには行かないから、「朝まで俺に付き合えよ」と一同に笑ってけしかけてくれた。私が、「申し訳なかったね、わざわざ広島まで来てくれて」と声をかけると、彼曰く「だって、オレ必ず来るって言ったぜ」と。わー、感激だな。そんなふうに義理堅く思ってくれていたんだ。彼は、学生時代から男気のあるオトコだったな。ワシモコンナオトコニナリタカッタ。
タカヒロ。学生時代からいつも明るくて人好きで優しく接してくれる男だった。学生時代は、私とは部活も違えば、普段行動を共にするメンバーも違った。ただ、彼の人物像に好感を持つひとつのエピソードがあって、それは彼が人生で初めて顔の髭を剃る時に、彼の父親が彼の顔の「剃り初め」を施したとのこと。それを短文にしたためて国語の時間に発表した。なんだか良い話でその後も長い間私の心に残っていたのだった。自分も愚息共の成長過程でその時を待ったのであるが、うちの愚息共は体毛が薄くいつまで経ってもその時が来ないままで、気が付いたら嫁が夫々に電気髭剃りを買い与え、勝手に剃りやがったw!
高校卒業後も同じ大学に進んだが、そこでも彼と交わる機会は少なかった。就職してしばらく同じ部署で働く機会があった。その時には、仕事面でもメンタル面においても、私は彼に随分支えられて乗り切ることが出来たと自覚することが有り、その時以来私は彼に全幅の信頼を寄せるようになった。
実はこの同窓会に参加するきっかけも彼から貰ったようなものだった。6年前に神戸で開催された同窓会に初めて出席した際には、再び交流し始めていたコウイチから直接誘われたのであったが、彼とはいつでも会える気がしていたのでまだ躊躇いが残っていた。何度かのやり取りの中で、彼が殺し文句としたのが、「タカヒロが会いたがっているよ」だった。コウイチへの義理もあるけれども、ある意味恩人のタカヒロには仁義は切らないといけないだろうなと覚悟を決めて参加したのであった。タカヒロとはその後Face Bookで繋がって時々連絡を取り合っているのだが、前回同窓会の翌日にタカヒロ、イチロウと私でサイクリングに出かけたことを思い出してくれて「また、一緒にサイクリングに出かけたい」と言ってくれている。彼の言葉には、ノリも悪いし人付き合いの下手なイチロウや私に対してのある種の愛着を示してくれるようであり、本当に有難く思っている。
同夜は、彼と何をしゃべったけ?アルコールが早々に廻り始めてあまり覚えていないw。タカヒロを中心とした空気と、メイコ、ヒサシとカシワギの弾んだ話題に私は黙って耳を傾けているのが大変心地良かった。
ゆっくりとコース料理が進み、その間フロア担当女性の料理説明を聴きながら、一同それぞれのお皿に舌鼓を打ち異口同音に感心し楽しんだ。途中からカシワギ夫婦とメイコがスペイン旅行に出かけようという話題になり、それがフロア担当の女性の説明と程よく絡んで、私たちとお店側とのコミュニケーションも楽しく深まったようであった。コースが終わったのは23;00前頃。最後にオーナーシェフが挨拶に現れて、一同それぞれにお礼を述べて、記念撮影を撮って前夜祭1次会は無事終了。
「L’ermita」さん、幸せな時間を提供してくださってどうもありがとう。またこの店は必ず再訪しようと思う。これを読まれた方で広島に来られる機会があったら、是非訪れてみてください、絶対に素晴らしい味に出会える筈....。
その後、私たちは二台のタクシーに分乗し、広島市流川界隈にある「ワインサロン中村」へ。このお店は私が普段利用しているワインバーで、オーナーのナカムラさんが開業して今年で18周年を迎えたお店。広島でワインと言えば、このお店。私は開業当初から年に2-3回のペースで通っている。数年前に、タカヒロとカシワギが彼らの属する職能団体の会議が広島で開かれた際に、私が案内をして連れて来たことがあり、彼らも気に入ってくれたようだった。
「L’ermita」さんで、私たちは既にワインを3本開けていたので(しかし、私を含めてよくアルコールが入る面々だなw)、何か美味しいものを一本だけ開けようということになった。タカヒロにチョイスをお願いした。
先ほど1次会の続きで2次会の雰囲気も楽しく賑やかで……、ああ、もう何を話したのか大半を忘れてしまったw。メイコが、「今度は、私とトリイが幹事で、奈良京都でするからね」などとハッキリと確信に満ちたようなノリで話していた。いきなり彼女が「マサキも絶対に来るんだよ!」とこちらに振ってきたものだから、素直に「うん、ありがとう」と返せば良いものを、ついはにかんで「オレ、その頃になるとつる剥げているから、恥ずかしくて出られないかも知れないよ」と冗談半分で返すと、彼女はまじまじと私の頭髪を眺めて「うん、マサキは剥げても許す!」だってw。また腹筋が崩壊しそうになったw。
しばらくするとナカムラさんがやってきて「皆さん、同級生ですか?良いですね」と声掛けをしたので、私が「ナカムラさんも確か同じ年だったよね」と振ると、メイコが「そうなのか」と応じ、その後彼女はナカムラさんに親近感が湧いたようで、事あるごとに「おーい、ナカムラ~」などと叫んでいたっけ。このヒトは本当に明るくて屈託がなくてええオナゴやなあ。
そこのお店には、営業終了の2:00まで居て、ずっとしゃべり通しだった。多分他愛ものない話題を続けていたのだと思う。それはまるであの頃週末になると高校寮の一部屋で夜が明けるまで、他愛もないことを語り明かしたノリと何も変わることないものだった。
それでも、カシワギから課せられた「朝まで」にはまだ時間が余って、ナカムラさんに紹介してもらったショットバーに徒歩で移動。トウヤマはその時点で分かれてホテルに帰った。ナカムラさんが親切にも道案内をしてくれて、3次会の会場へ。30分程度ナカムラさんに付き合ってもらって、乾杯。もうその後何を話したかを全く覚えてないw! 午前3時30分頃、タカヒロからそっと「今日の遠足のことがあるから、マサキ良いよ。俺とメイコでカシワギの面倒をみるから」と合図をくれて、一足先に帰らせて貰った。
なんだかな~。みんな30数年の時を経てもぜんぜ変わらなかったな。ただ、恐らく高校時代のままの「自分」だったら、果たしてこの会を主催出来ていたかどうか、そして最後までみんなに付き合えていたかどうか。
あの頃の自分を振り返ると、コンプレックスの塊故に頑なで、“普通”を頑張って装っている反面内実はゆとりがなくて、結果的に表現型はストレンジだったような。事前に連絡を取り合う時にメイコが私に言ってくれた「大人になった今だからこそ、色々話すことができるよね」との言葉、本当に正しくその通りだったな。
帰りのタクシーの中で独り、同夜の会のこと、集まってくれたメンバーそれぞれの当時の想い出を振り返っていたら、「ひょっとしたら、私はメンタル面でやっと彼らに追いつくことが出来たのかもしれないな」という想いが湧いて来て、そう確信すると急速に心地の良い酔いが全身を包んでくれたような気がしたのだった。
(つづく)