2019年3月24日日曜日

超個人的クルマ生活の断片



この頃、所有8年目に突入したミニバンをどうしたものかと考えるようになった。買い替えるべきか、それともまだまだこのクルマと付き合うか。




排気量3.0Lのガソリン車で子どもの成長とそれに親世代の高齢化を見据えて、3世代が一緒に乗れるクルマとして選択し購入したのであるが、想いや期待に反して子どもの進学とその課外活動の影響で共有できる時間は圧倒的に減り、専ら私の通勤用車としてこれまでの時間の大半を過ごした。



購入したのは、二人の息子が中学に入り落ち着いた頃で、近県にドライブ旅行に出る機会が増えるだろうと期待していたのであったが、長期休みはそれぞれにクラブ活動の予定が入り、私の休暇とかみ合わず、それどころか家族そろって外食に出かける機会さえもめっきりと減ってしまった。ましてや、盆暮れに私の隣県に或る家内の実家に家族そろってクルマで帰省する機会さえも減り、一体何のために3ナンバーのミニバンを購入したのか!?と慨嘆することもしばしばであった。



先日、3年前に進学と共に親元を離れた長男が、次男の大学合格発表日に合わせるかのように帰省した。本人曰く地元企業への就活として知人の紹介を伝手に会社訪問するのが主たる目的であったらしいのだが、どこか心の片隅で弟の受験の成り行きを気にしていたものと見える。いつものごとく、直前になって帰省する旨を伝えて来たものだから、私との勤務予定は合わず、ゆっくりと一緒に過ごすことが出来ない12日の短い滞在であった。会社訪問予定日の前夜遅く帰省し、翌朝弟の合格発表に立ち会い、午後から訪問し、その日の晩午後9時過ぎの飛行機で帰京する慌ただしい日程であった。



親にしてみれば、せっかく弟の合格というめでたい日なのだから、もう一晩泊まって4人で旨いものでも食べようと提案したのだが、彼は翌日も午前から在京企業の説明会を受ける予定との事で、その予定は変えたくないとのことであった。



結局私が仕事から帰宅後、東京に変える長男を空港までクルマで送っていくことになったのであるが、誰からともなく4人揃うのは久しぶりだから、彼を空港に送りがてら4人でドライブすることになった。4人揃ってドライブするなど、本当に数年ぶりのことだった。



一般道と高速道路を使って片道1時間強の道程。ウィークデイの夜にしては、交通量は多く、また23か所で工事のための交通規制あり、道路状況に気を配りながらゆっくりとクルマを進めた。



普段家族4人が揃うと、話題の中心は長男になるのであるが、彼はやや口下手で話に落ちがなく、そこを口達者な家内と弟に突っ込まれて、話題の中心は次男か家内に移ることが多かった。車中の中では、そのようなことが長年重なったせいか、長男はもっぱらゲームやスマホをいじることが主になった。次男も、長男にならって車内の音楽を自分の好みに選曲したり、兄に釣られてスマホやゲームをいじるのであった。前に座った私と家内は、普段出来ない会話を当てもなくし、それが我が家の車中での光景であった。



ただこの夜は、長男は相変わらずもっさりとした口調であったが、就活のエピソードを彼なりに面白おかしく語り、残りの3人もそれを笑顔で黙って聞いていた。長男の話が一通り終わると、今度は次男が浪人仲間の近況や既に高校時代の同級生の消息を熱心に語り始め、それを残りの3人が静かに耳を傾けていた。私にとって、そして恐らくは残りの3人にとっても満たされて穏やかな時間であり空間であったように思われた。



長男と私の関係性は、彼が親元を離れた頃から変化が生じていた。私の知らない世界を進む彼に対して、私はただ見守るだけで何も口を挟まなくなったし、彼は彼で父親を疎ましく感じる様子も示さなくなっていた。車中においても、「オヤジは今度いつ上京するのか?また旨いものを喰わせてくれろ」と別れ際に行った。次男は、長男に比べてやや感情表出の豊富なオトコで、二親に対してやや天邪鬼な態度を示すことが多かった。ずっと長男を後追いするような気持ちもあった様子であるが、彼は彼なりの趣味や進む道を見出し、長男をライバル視するような態度はなくなった。受験がひと段落したこともあり、自信と落ち着きを得たようであり、私に対する物言いも素直なものになっていた。長男を見送り、帰りの車中で次男は「S(長男)は本当に良い奴だな。人間性は俺よりは数段上だな」等とボソリと言うのだった。



先に述べたように、このミニバンを購入して8年弱の歳月が流れた。家族それぞれにも同じだけの時間が流れ、車中で家族4人が同じ目的地、時間、空間を共有することを何度か経験してきたのだが、その夜に車中に満たされた空気感はそれまでは感じられなかった子どもたちの成長と家族として成熟と落ち着きを示していて、しみじみとした感慨を抱かざるを得なかった。



そう云えば、昨今クルマのテレビコマーシャルも減ったし、そのコマーシャルに登場するキャラクターも個人が多く、家族をテーマにしたものはあまり見かけなくなった。かつて昭和の時代には、家族が揃ってクルマに乗って幸せ感を演出するもの(日産サニーw)が多かったような気がする。近頃は若いヒトがクルマにあまり興味を示さなくなったと聞くが、平成も終わりになるこの頃では、家族そろってクルマに乗ってどこかへ行く生活スタイルが廃れつつあるのだろうか?



経済紙などによると、昨今のクルマの商品化コンセプトはCASEなのだそうな。Connected, Autonomous, Shared, Electronic メカ音痴なおっさんにとってはあまりピンと来ない。これらのkey wordで市場に登場するクルマが、かつて私たち世代が若い頃に抱いたようなワクワクとした気分を抱かせてくれるのだろうか?或は、クルマを色々な角度から「ああでもないこうでもない」と語り合えるような文化をもたらしてくれるのだろうか?



確かに安全で便利な乗り物がこれからも市場に出てくるのだろうけれど、親しいヒトと同じ目的地を目指して、時間、空間を共有し、そこに楽しむ悦びをもたらすもの、それは正しくクルマ文化だと呼びたいのであるが、このCASEなるコンセプトでは、クルマを文化的存在価値として謳わなくなっているように感じられ、私のような普通のオッサンにはこのコンセプトに沿った商品化されたクルマにはあまり魅力を感じられないのかもしれない。




しばらく今のミニバンに乗り続けてみようかと思う。ガソリンはよく喰うし、狭い道での対向車との離合には気を遣うし、家族4人揃ってこのクルマで出かける機会は恐らくはないのであろうけれど。



望んだ形での目的は果たせなかったクルマだけれど、それなりに家族との歴史も刻み車内に流れる空気感にはそれなりの愛着を感じているのも確かなのであり、今のところは、まだ私がこのクルマに投影した感情をしばらく大切にしておきたいと思う。




2019年3月12日火曜日

サクラ サク

本日昼前に、あるご婦人からひとつのe-mailをいただいて、私はすこし華やいだ充足感に満たされた気分を味わうことが出来た。




愚息・次男の大学受験合格に対する祝意と我がことのように喜んでくださっている様子がその文面からは窺えて、大変有難くもあり感激したのだった。



この度、次男は、2年の浪人生活を経て第一希望の地方の国立大学(理系)に合格したのだが、現役受験の際には親から見ても明らかに学力不足であったし、一浪を経た受験の際にもまだその実力はそのレベルに達していないと思われた。一浪時代は、何人もの同級生と共に予備校に通うことが出来、学校生活の延長のような雰囲気で、然程に孤独感も感じずに済んだのであろうが、2浪目ともなると流石に本人も孤独感を感じずにはいられなかっただろう。

傍目で見ていても、2浪目から本人の顔つきや態度が変わってきたようだった。時折、“1浪の後輩から予備校内で「○○さーん!」と向うから大声で呼ばれるのは気まずいんだよな”とこぼし二親を笑わせていたが、その一方で本人も期するところが当たったらしく、浪人生活2年目の春過ぎから模試の結果もそれなりについてきたようだった。



12月の最終模試の結果では、明るい見通しを持てる結果を得たが、後で本人が語るところによるとセンター試験、2次試験はこれまでにない緊張感の中で臨んでいたらしい。傍目で見ている親にしてみれば何もしてやれることはなく、いつもの家庭の雰囲気を維持することに専念していたのであるが、2次試験後の本人の様子(手ごたえを確信できない様子/ これはどの受験生にとってもそうなのであり、ましては2浪生にとってはなおさらそうなのだろう)を眺めていると、こちらとしてもかなりの心配をしたものだった。



38日午前に、本人から私にLine通話で「オヤジ、合格したぞ!これまで色々心配と迷惑かけたけど、やっと結果を出したぞ」との知らせを受けた時は、喜びよりもやっと肩の荷を降ろすことが出来るとホッとした気分の方が強かった。これでやっと我が家の子育て時代がひと区切りついたと。



大学受験は、子どもの成長にとってひとつの大きな関門であることに間違いないのであるが、こどもの精神的な成長過程はそれぞれのペースがあり、ましてや次男のように専門課程に進む者にとっては、学力と共にこれから専門の道に進む上での覚悟や自覚が必要になると思われる。特別に優秀な頭脳を持ち合わせていない次男にとって、この2年間のモラトリアム期間が一人の大人として、専門職に進む者として必要な準備期間であったように思う。



その成長準備期間を見守る立場にあった二親としては、色々な感情を味合わせて貰ったのだが、総じて人さまよりも2年多く子育て期間を楽しませて貰い幸せであったとしみじみと思っている。



この4月から、次男は家を離れて独り暮らしを始める。私としては出来得るならば長期休みを貰って、巣立っていく次男との残りの時間を楽しみたい欲求があるのだが、現実生活ではそうも行かず、帰宅後の数時間を妻伝手に巣立つ前の次男の様子を聴き楽しむほかない。




おそらく先のご婦人も、数十年も前に同じ経験をされ同じような感情体験を味われたのだと思う。人生の先輩から後輩に向けての優しくも愛情に満ちたその文章を読んでいると、私の中でやっと“嘗ては子供嫌いだったオトコ”が人並みに子育てを全う出来たという素直な喜びを感じることが出来たのであった。

(終わり)