2017年11月14日火曜日

東国への憧憬  


先週末1111日から同月12日の12日の旅程で、職域研修会に出席するため宮城県仙台市に赴く。「わざわざそんなに遠くまで出かけなくても」と家人なぞからは言われたのだが、今の私にはその「わざわざ遠くまで出かける事」が目的なのであり、早い話が日常生活から合理的な理由をつけて離れてみたいという想いがあった。

午前1150分広島駅始発ののぞみ号に乗り出発。昼時のため、缶ビール350ml、「鯛そぼろ飯」なる駅弁、「タコ天」なるおつまみを買い込み、旅のお供に池波正太郎の随筆「食卓の情景」。



車窓に広がる風景は秋の日差しを受けて明るく、空にはヒツジ雲が浮かんでいた。ひとつの懸念は東日本の天候が大陸からの前線の影響を受けて大荒れになる予報が出ていたことだった。



この度の旅行は、まあそんなことも見越して敢えて飛行機を避けて(確実に12日で旅行を終えたいがため)、飛行機に比べれば確実性の高いJRで移動をすることを選択したのだった。

秋の日差しを浴びながら、前日に私と入れ違いのように帰省してきた長男との昨夜の会話を反芻したり、前日までに職場でやり残したことがあったのではないかと少々心残りを感じつつも、広島から離れるにしたがって、気分は次第に日常の雑事から旅行に向いていた。

福山駅に到着し、隣席に誰も座らないことを確認したところで、缶ビールを開け、弁当を広げた。購入した「鯛そぼろ飯」、この度始めて食するのだけれど、これは絶品だったな。文字通り鯛の身をほんのりと甘めの味をつけてそぼろにしたものを寿司飯上に乗せたものでなかなか上品な味付けであった。



敢えて難を云えば、箸に乗せるとぽろぽろとこぼれやすいので、何かを読みながら片手で掬い上げることが出来ない。左手で弁当箱を持ち箸で口まで運ぶ作業が必要で、しまいにはご飯を掻きこむようにして食べてしまわないといけなくなり、他の事は中断して摂取することに集中せざるを得ない事だった。

折角、池波正太郎氏のあの独特の語りを楽しみつつ(しかも食がテーマ)に、チビチビとアルコールを入れて、ツマミを口にする、そういう旅の楽しみ方が出来なかった。確かに鯛そぼろ飯は美味であったが、これは私の選択ミスであった。

鯛そぼろ飯の摂取を終了した後、池波氏の語りを楽しみつつも、車窓からの暖かい陽気と満腹感で次第に眠気がやって来て、大阪から名古屋の手前までうたた寝をしてしまっていた。



広々とした濃尾平野、やがて浜名湖湖畔を通過して、静岡へ。進行方向に向かって左窓際の席から車窓を眺めると、円錐状の稜線が遥か前方にくっきりと見えた。これは僥倖、東海地方は澄み渡った快晴で、富士の稜線が綺麗に観える。静岡駅を通過する頃には、雄大な富士がくっきりと見えて、シャッターチャンスを待った。

ここ最近は、東国に出かける毎に天候に恵まれて、富士を眺めることが出来ている。どうも生まれも育ちも西国の人間(私)にとって、富士を眺めながら東に下ることほど気分が高鳴ることはない。往路で綺麗な富士を眺めることが出来ると、その旅が大変満足いくものに終わる予感がするのだ。

本当に何時眺めても富士は美しい。




満足のいく数枚の富士山の写真を得ることができた。

午後353分に東京駅着、午後420分発の東北新幹線はやぶさに乗り継ぐが、東北地方の強風のため出発時間が10分程度遅れるとの構内アナウンスがあった。ムム、そうか、東北地方は、天気予報通り荒れているのかと一抹の不安が過ぎるが、実際に東北新幹線に乗ってみると何事もなく運行している様子であった。地下を潜って、数分で上野駅。

本当に大変便利になったのものだったが、私の世代でも東への玄関口・関所として上野駅があり、西国への玄関口として品川駅というイメージがある。上野駅と聞けば、駅界隈の賑やかな雑踏と路地の視覚的イメージと東国への旅情を勝手に感じていたものであった。

学生の頃、一人旅で青森へ旅した時なぞ、上野駅の構内で青森駅行きの寝台特急を待っていると、如何にも東北から行商で出てきたという風情のおばちゃんたちが風呂敷包みの荷も背負って待っている姿を見かけ、『これから東北に出向くのだ』というある種の旅情・気分の高揚を覚えたものだった(これ昭和から平成に移る頃の話)。それが今では、上野はひとつの通過駅のごとくなっている。全く時代は変わったものだ。



この度東北の地へ足を踏み入れるのは、その学生時代の旅行以来であった。

野駅を過ぎると車両は地上に出て大宮駅に向かうのであるが、午後5時前なのに車窓の景色は宵闇が早くも迫り、西方の地平は茜に染まっていた。ふと窓外を眺めるととビルの間から垣間見える地平にくっきりと円錐の稜線が見えた。今まで全く知らなかったけれど、この辺りからも富士が遠望できるのか。東国のヒトはこんなきれいな夕暮れを眺めながら暮らしているのか、西国生まれの田舎者としては何やら羨ましい気がした。


やがて大宮駅を過ぎ、はやぶさは東北地方に進んで行く。どこかで白河の関を越えたか。この頃には、車窓の景色は暗闇で沿線の街の灯が美しく映えていた。学生時代の東北旅行から既に四半世紀以上も経ってい、当時車窓から眺めた景色が今ではどのくらい変わったのかを確かめることは出来なかった。

25年以上の月日が経てこの度東北の地へ出かけることに、密やかなる楽しみを感じる一方で、心のどこかである種の覚悟・緊張を感じたりもしていたのであるが、あの痕跡は外に広がる闇が覆い隠してしまい、私は何も知らぬ無邪気な旅人として振る舞うことが出来た。

それはそれとして良かったのではないかと思う。

午後6時過ぎに仙台駅に到着。駅を出ると、街はすっかり夜の帷が降りて、辺りは冬の装いとなった人々で溢れていた。頬にはキリリと冷えた空気が当たりある種の清々しい気持ち良さがあった。駅周辺は高いビルに囲まれて、正面には中央分離帯に高木が植樹された通りが見て取れた。東京都内のどこかの街と言われても信じてしまいそうな風情であったが、それを悪く言えば地方都市も小東京化と形容することも出来るし、流石は東北随一の大都市の風格と評することも出来そうであった。

私には、その街の佇まいに対して、そのような批評とは別次元のある種の好意を感じていた。駅西口を出て徒歩10分程度中心部から離れたホテルに投宿。ホテルレセプショニストでは、若い女性が応接してくれたが、彼女の言葉の末尾からこの地方の心地好い訛りを聴くことが出来たのは大変嬉しかった。


旅装をほどいてひと段落した後で、さて夕食をということになるのであるが、私の場合、一人旅で一番煩わしく思うのは食事を摂ることであった。何を食べても良いのであるが、どうも食に対する勘がない私は良い店を探し当てるのが下手である。

幸いなことにホテルの通り向かいに地元料理を出してくれそうな居酒屋を発見し、暖簾を潜った。土間から板張り座敷になったカウンターの席に通され、若い女性店員さんがこの地方の訛りのある言葉で、丁寧にお勧めの物を説明してくれた。おっさん旅人としては少しうれしくなって、勧められるままにオーダーする。セリのお浸し、曲がりネギの炭火焼き、刺身盛り(ソイ、マグロの赤身、鯛)、白子のポン酢、そして生ビールグラス1杯、地元のお酒を2合ほど(銘柄は忘れてしまった)。仙台名物の牛タンはパスw。三陸沖のウニ、ホヤなども食してみたかったが、季節がらなかったのは残念。



それにしても上に挙げた品々はどれも大変旨かった。特にセリのお浸しの優しい味わいとと曲がりネギの純朴な甘さは本当に旨かった。ごちそうさまでした。



店の雰囲気も良く、なごやかで、店内の有線から流れてくる昭和の歌を、他のグループが静かに口ずさんでいるのが妙に良かった。“青葉城恋唄”が流れてきて、オジサンたちが思い思いに歌っている時には、つい私も口ずさみそうになったw。仙台に来てエカッタw。

仙台の味をしっかりと楽しんで、店を出たのは午後8時前。もう少し三陸のものを食べたいーそうするには寿司がよかろう、鮨屋はないかと探しながら駅前に戻り、googleなどで検索したが、結局これはと思う店を探し当てることが出来ず仕舞い。結局のところ駅構内の食品売り場で、サンマの握りと白ワインハーフボトルを購入してホテルに引き上げた。

池波正太郎氏の語りを楽しみつつ、握り鮨をつまんでは白ワインを飲んで、何時の間にやら寝てしまっていた。



翌朝、9時過ぎにホテルをチェックアウトし、研修会に参加。午前10時から午後4時まで聴講して無事に目的は終了。午後520分仙台駅発の新幹線に乗って東京経由で自宅にたどり着いたのは、午後1145分頃。移動にくたびれたが、楽しい気分のままに家の門を開けた。



玄関を入ると、この夏、青春18きっぷを使ってクラブの仲間と東北旅行をしてきたという長男が「仙台から新幹線で帰ってくるなぞ、ご苦労なこった。ちゃんとずんだ餅を買ってきたか?」と言い、私を出迎えてくれたのであった。



(終わり)