きょう、イチロウおじさんが、ぼくに一まいのしゃしんをみせてくれました。がいこくじんたちが、フェラーリというスポーツカーのしゃたいだけだまってみているみたいでした。
イチロウおじさんが、「どうだ、まさぼう、かっこいいだろ。おじさんな、このしゃしんをみていたら、イディーゴーメというひとのギフトっていううたをききたくなるんだよ。まさぼうのお家にたしかあったはずだから、お父さんにかしてもらうようにたのんでくれんか」といいました。
ぼくは、イディーゴーメという人はしりませんでしたが、うちのおとうちゃんはたしかに外こくじんのうたをシーディーできいていたので、おとうちゃんにきいたらわかるとおもいました。
お家にかえって、おとうちゃんに「イチロウおじさんが、イディーゴーメのシーディーをかしてくれといってたよ」といったら、「いいよ」といって一しょにさがしてくれました。ちょっとものおきをさがしたら、ありました。シーディーのなまえは「ブレイムイットオンザボサノバ」とえいごでかいてあって、ぼくはよめなかったけど、おとうちゃんがおしえてくれました。そしてシーディーのケースをあけたら、なかみがありませんでした。おとうちゃんはとてもびっくりしていました。ぼくは、「イチロウおじさんがかわいそうだ」とおもいました。
おとうちゃんがぼくに、「あしたイチロウさんにあやまっておいてね」といったので、そうしようとおもいました。
6月△日 はれ。
きょうボクは、ひる休みにおじさんに会いにいきました。イチロウおじさんに、「シーディーケースはあったけど、なかみがなかったんよ」といったら、おじさんは「ああいいよ。しかたないね」といってくれました。せっかくイチロウおじさんがたのしみにしていたのに、シーディーをかしてあげられなくて、とてもわるいなとおもいました。
しばらくいろいろかんがえていたら、うちのおとうさんはよくわすれものをするから、ひょっとしたらおばあちゃんちにおいてわすれたのではないかとおもいました。いちろうおじさんに「ちょっとおばあちゃんちをさがしてくる」といって、おばあちゃんちにいきました。おばあちゃんちのものおきをいろいろさがしてみたら、やっぱりシーディーの中みがありました。うれしくなって、「やったー」といって、イチロウおじさんのところにもう一どいきました。
イチロウおじさんに「あったよ」といってシーディーをわたしたら、おじさんがパソコンにいれて音をだそうとしたら、うまく音が出ずに、「キュイーン、パチパチ」とかレコードみたいに同じところをくりかえして音が出てきて、ふたりでわらいました。イチロウおじさんが、シーディーをとり出してうらがわをみてみたら、いっぱいきずができていました。
ぼくが、「もうこのシーディーこわれたんかね」ときくと、おじさんは「ちょっとまてよ。このひょうめんをけんましたら、なんとかなるかもしれないぞ」といいました。ぼくが「ひょうめんをこすったら、もっとだめにならないの」ときいたら、おじさんは「シーディーはたしか光をあててじょうほうをさいせいするから、そのひょうめんのコーティングをきれいにしてあげたら、なんとかなるようなきがする」といいました。ぼくは、おじさんのいっていることが少しもわからなかったけど、おじさんはよく知っているなとおもいました。
イチロウおじさんはつくえのたなから、チューブに入ったノリみたいなものを出して、シーディーにぬって、ティッシュでいっしょうけんめいふきました。ときどきどのくらいきれいになったかたしかめながら、またいっしょうけんめいふきました。そして、きれいになったシーディーをパソコンに入れたら、音がきれいにでてきてとてもかんどうしました。イーディーゴーメという人の声はとてもきれいでした。おじさんは、ちょっとにこっとわらってうれしそうにしていました。
イチロウおじさんは、じてんしゃもじぶんでなおせるし、シーディーもなおせるし、とてもすごいひとだとおもいました。ぼくもおとなになったら、おじさんみたいになんでもじぶんでなおせるようになりたいとおもいました。
(解説)
イチロウは、学生時代から30年以上もの間親しく付き合っている友人である。この話題の大まかな流れは上に書かれたとおりなのであるが、ちょっと解説が必要と思われたので付記しておく。
イチロウには、ここ数年来家族ぐるみで付き合っている英国出身の友人が居て、その人物は現在フェラーリでデザイナーとして働いているとのこと。ふたりは、今でも年に1‐2度のペースで交流し、色々とクルマ談義をしているらしいが詳細は知らない。ただ私が勝手に思うに、所謂市井に暮らす普通のオトコが、カーデザイナーという専門技術者とその専門分野の話をして、相手を飽きさせない会話が出来る/ 或は適切な質問をして聴き手として存在できるイチロウというオトコの知識の豊富さと引き出しの多さは、凡庸な私から見れば、尊敬に値すると密かに思っている(本人には言わないけれどw)。
ある日、イチロウが私に一冊の専門雑誌を示してくれて、その英国人が写真の中に治まっていると優しい笑顔で語った。彼曰く、「そのモノクロ写真本当にカッコイイよな。これをみていると、Eydie Gormeのthe gift( Recade Bossa Nova) / blame it
on the Bossa Novaが頭の中を流れてくるんだよな。」と。そして「マサキCD持ってたろう、ちょっと貸してくれないか?」と依頼された。この曲は、ある一時期イチロウや私が大変気に入って繰り返し聴いたものだったのだが、次第に聴かなくなってしまい、そのCDを自宅の物置奥にしまいこんだつもりだった。実際に探してみると、上記のごとくで中身だけなくなっている。もしやと想い、実家を探すとCDがむき出しの状態でケースの中から見つかった。
早速イチロウと聴いてみると、CDの傷みがひどく再生困難となってい、私は早々と諦めて、amazonやi-tune storeで物色し始めたのであるが、イチロウは“試しに”と少しずつCDに出来た傷に研磨剤を使って磨き始めた。ある程度磨き終わるとパソコンでCDを再生しチェック、そして不具合があればさらに研磨を続けていくという過程を繰り返し、終には全曲綺麗に再生で来てしまった。
その過程で、未だにレコードとCDの機能の違いを理解できていない私が「あれセミ・アコギターの伴奏が聞き取りにくくなっているんじゃないの。セミアコの部分削ったか?」「あれ、ドラムのリムショットが響かなくなってるんじゃないか?あんた、そこも削ってしまったか?」と軽いノリ突込みをイチロウに入れると、彼はウヒャウヒャと笑いながらも熱心に研磨を続けていたのであった。そういえば、学生時代にこんなおバカな会話をしながら、イチロウが白熱球の元で何やら工作物を拵えているのを眺めていたことが何度かあったなと思いだし、ちょっと懐かしくなってしまった。
パソコンから、久々に若々しく可愛らしいEydie Gormeの歌声が流れ出した時の感動は相当なもので、正しく昔の恋人に再会したようなちょっと胸が熱くなってしまった。
全くイチロウという奴には敵わないとしみじみと感じた。
再生可能になったそのCDは当然イチロウが所有するのが相応しく思われ、私から謹んで彼に進呈させていただいたのだった。
書いてしまえば他愛もないことではあるのだが、ちょっとした感動を覚えたエピソードなのだったので、小学生の日記風に書き留めてみた。
0 件のコメント:
コメントを投稿