2017年6月20日火曜日

エセ・モサの記②


それにしてもイチロウは、今まで独りでこのルートを楽しんでたのかw。私がつい先ごろまで「坂道嫌い嫌い」と言い続けていたから、この道の存在を私に言えないばかりが誰にも言えなかったんだな。好きなモノを誰にも分ってもらえないのは可哀想だったw彼には本当に寂しい思いをさせちゃったねえw。今度からまたこのルート一緒に走らせて貰おう。




その坂を下り突き当たったT字路に到達したのが、午前925分頃。暫く休んでそのT字交差点を右折。同じ国道433号を進むがここからは加計街道と呼ばれている道となる。大変緩やかで見た目ではあまり感じられないほどの下り基調の道が続きペダルを廻す脚も軽い。グッと交通量が減り、気持ちの上でものんびりと走行できる。やはり左右に高い山があり谷間になっているのだけれど、湯来・湯の山街道の谷間より広く伸びやかな風景が広がっている。やや向かい風を浴びていたが、谷間に吹く風は涼しくて誠に気持ち良く苦にならず。




それにしてもこんなにのどかで美しい風景が広島県にはたくさんあるんだな。自転車で山坂道を楽しむようになると、再発見出来きるものが多々あることに気づく。I love Hiroshimaです。もっと我が郷土のことを知るべき勉強すべきだなと思った。



加計街道に入って、自動車の交通量も少なくなって道自体も大変走りやすい箇所の筈なのに、不思議とサイクリストには出会わず。こんな気持ちの良い街道をサイクリストが見逃す筈ないのだけれどと不思議に思うが、一方で沢山押しかけられても困るなとも思う。出来ればイチロウと私の秘密にしておこうw



やがて加計街道は太田川沿いを走るようになった。陽射しも午前10時頃になると夏の様相を呈して眩しくなっていった。このまま自転車を停めて、川の中にバシャバシャと入りたい気分になるが、気分だけ楽しむことにする。



午前10時頃、国道433号が国道191号に合流するT字交差点にたどり着く。右折し広島方面に、なおもしばらく太田川を右に見ながら走る。しばらく視覚的には分からないがやはり緩やかな下り基調なはずなのだが、国道191号に入ってから妙にピッチが上がらず思うようにスピードが出ない。もう少しスピードを上げたいのにと不思議に感じていたのだが、よくよく考えてみるに、そろそろ両脚に疲労が溜っているようだった。それなりに山坂道をこなしてきているものな、ドリンクホルダーに収めたボトルの水も残りわずかとなってきたし、どこかのコンビニでも立ち寄って水分補給と休憩を取ろうと思ったのだが、加計街道も国道191号も道路沿いにコンビニがなかった。ムムム……



そんなことを考えながら走行を続けていると、前方から“如何にも猛者です”というオーラを発して高速走行しているサイクリストがやって来た。一応、「ちは」と会釈したが、その猛者、私を一瞥しただけで後方に走り去った。またしばらくすると今度はちょっと小柄だけれどやはり高速走行しながらやってくる猛者出現。再び「ちは」と会釈するが、そのヒトもこちらを一瞥して後方へ走り去った。



どうも国道191号を利用するサイクリストは愛想なしの猛者が多いな。本気モードを発しながら単独走行しているヒトを上の方を入れて4人ほど見かけた。或は、一応こちらもガタイだけでかいオトコだから猛者と思われて牽制れたのか?~ボクはガタイがごついだけの似非猛者(エセ・モサ)なんだけどなあ。エセ・モサ? エセモサってなんか響き良いなあw   Jazz Sambaの曲にありそうな名前だなあ、それはミニナ・モサだろう…..w って独りでボケて独りで突っ込んだ(これ走行しながら頭の中で遊んでいた)。そんなアホなことを考えていたら、少し疲れが和らいでとにかく前進することにした。



やがて、国道191号を右折して県道39号に入り安佐南区伴地区を目指す。イチロウからの情報で“ちょっと坂道になるよ”とのことだった。その前に、休憩と水分補給をしたいのだけれどと思いながら緩やかな坂を登坂し始めたところで、幸運にも道路沿いのコンビニを発見。エカッタ!



スポーツドリンクを500ml腹に収めて、ボトルにミネラルウォーターを補給。左足底部に妙な疼痛を来していたので、腰を下ろしてシューズを脱いで両足を休める。「もうこの先は小高い丘を越えたら伴地区に出られるのだろう、その後は田方までポタリングで坂道を上ればいいもんね。今日の勝負はあらかたついた~良いサイクリングだったなあ」なぞと独りほくそ笑みながら休息。そして、再び目の前に続く緩やかな上り坂の登坂を再開した。



だが、しかしだった。



この坂は勾配は緩やかなのだけれど、やたらと長かったw。ランドマークとして山陽道の高架が見え始めひとつの目標(勝手にそこがこの坂のピークだろうと想像し)としてペダルを漕いでいたのだが、高架を潜ったと思ったら道は大きく右に曲がり、なんと再びその高架の下をくぐり所謂大きなS字カーブをして登り坂が続いていたのだった。この時は、すこし心が折れかけそうになったwのだが、登らないと帰れない訳で、ペダルを廻すことに専念した。その坂道をピークは団地のようになっていて、その団地を抜けると下り坂になっていた。この坂は、とんだ伏兵だった。このコースの伏兵坂として、西風新都Aシティーの登り坂とこの県道39号線の坂道を記憶しておこう。



伴地区のアストラムライン沿いの道に出てからは、車道を走ったが交通量が圧倒的に多く、自転車で走るには適してなかった。大塚から右側の歩道をポタリングに切り替えて田方方面に向かった。



田方へ向かう上り坂道途中のコンビニで最後の休息。気温は恐らく28℃を超え始めて陽射しは真夏を思わせるものがあり、冷たいものが欲しくなった。抹茶スムージなるものを購入し、外で夏の日差しを浴びながらいただいたのであった。涼を得られてホッとした。



しばらく休息後、夏の様相を呈した強い陽射しを浴びながら、田方の坂を越えて帰宅したのだった。帰宅時間午後125分頃。



今回の総括。

走行時間;5時間強(途中休憩を含む)。走行距離は測っていないのだけれど、約60㎞程度と思われる。両大腿にはそれなりの疲労を感じられたが、お尻の痛み、両肩の傷みは然程感じられず。Cinelli/ superstarにフレームを変更後、走行感覚も快適となり、その分身体への負荷も著しく減少したようである。

坂道の醍醐味は、下り坂にあるのだけれど、経験知(値)が徐々に増えていくと登坂の際に過去の経験が活かされてくる訳で、なだらかな上り坂であれば“攻め坂”としてピッチをキープすることに専念し、勾配のきつい上り坂であれば例えば今までで一番きつかった坂道を想い出しながら走ると精神的負荷が減りモチベーションを維持できることを発見した。

この度のコースを走り終えて感じていることは、この2か月坂道走行を目的としていたけれど、広島にはいたるところに有名・無名の坂道があるわけで、そのバリエーションをただ楽しめば良いのだと思えたこと。ずっと平坦な道を走って暫くの間あまり変わらぬ景色を眺めているよりは、上り下り前後の劇的に変化する景色に大いに心を動かされる方が随分楽しいのではないかと思えたりした。

 己の現在の状態として、見てくれはごついけれど他のサイクリストと比べると走行実力の程はまだまだのエセ・モサなのだから、今後もなるべく目立たず、謙虚に走るべしと肝に銘じるのであった。(おしまい)

エセ・モサの記①


618日(日) 快晴 最高気温30



6月上旬には、広島地方は梅雨入りしたはずなのに、太平洋高気圧がまだ弱く、西日本には大陸性高気圧が張り出し、従って梅雨前線は遥か沖縄付近を上下しているとの事で、ずっとほぼ毎日晴れて雨が降っていない。



それでも、この晴れは週明けまでで来週半ばから天候は崩れていくとの予報だったから、この日曜日は何が何でも自転車に乗っておくべしと決めていた。イチロウは残念ながら、この日は職場のお留守番をする予定であったので、このたびは同伴者なし。彼はその代わりに私が走るコース設定をしてくれ、それに従って進むことにしていた。



コースのあらましは、西広島駅裏~畑峠~広島市立大学前~広島高速4号線料金所前~大塚・西風新都Aシティーへの上がっていく坂~県道71号・伴地区から戸山地区へ抜ける峠道~県道71号を国道433号線に向かってなだらかな上り下り道~国道433号線/ 湯来・湯の山温泉街道のアップダウン~湯来町付近の三叉路を右折し国道433号線/ 加計街道~国道191号線を広島方面へ~県道39号;伴地区へ~アストラムライン沿いの道を国道2号線方面へ~田方の上り下り道、

てな具合。



午前7時前に、自宅を出発。西広島駅の裏側へ向かう。駅裏から住宅街の狭い道を通り抜け己斐峠へ向かう道に入り、己斐峠別れの三叉路に差し掛かったのが、79分頃だった。そのまま、右の畑峠に向かう道に進み登坂開始、なだらかな傾斜のカーブ道が続く。まだ十分に脚と股関節が十分に暖まっていないようで、今ひとつピッチが上がらずややもどかしさを覚える。しかしよく考えてみたら単独走行なのだから、自分のペースでのんびり走れば良いことに気が付く~先を急がず、のんびりと行くべし~と言い聞かせる。やがて、某病院前を過ぎると傾斜がきつくなり、早くも大汗をかいて汗が路面に滴り落ちる程になる。漸く一汗かいて体が暖まって覚醒したような感覚になった。




午前725分頃に畑峠ピークに達す。うーん、特に感慨無しw、先が長く、攻略せねばならぬ坂道が複数待っているものだから、気持ちは次の伴地区から戸山地区に抜ける激坂道に向いていた。畑峠から広島市立大学付近までの下り坂は道幅が狭く一部ダスティーな箇所もあり慎重に下っていた。市立大前になると綺麗な舗装2車線となり、気持ちよくそのまま大塚の交差点まで降りて行った。アストラムラインの高架をくぐると再び広域公園やAシティー団地に繋がる緩やかな上り道となる。この坂は楽勝と予測し坂道の数に入れてなかったのだが、なんのなんの。舐めていたら、両脚に重く、再び大量の汗が出始めた。時刻は、午前8時に差し掛かり、朝日から強い陽射しがやけに身体に堪えた~あれ二日酔いかいな?

西風新都を通り抜ける道が終わりに近づくころコンビニを発見。休息と水分補給を取るべく立ち寄った。それにしても、あの坂は油断しきっていたわいw。ここから先は気を引き締めていくべし。



少休止後、そのコンビニを出発、西風新都を通過して、伴地区から県道71号に沿って坂道。ここは私が、自転車(アルミフレーム)を始めて購入したころ、イチロウ・ジロウに連れられて初めて登坂した道であり、大変懐かしかった。坂道の各所:印象的なポイントで、ジロウが後方を走る私を振り返りながら登坂したな、などの記憶が蘇り大変楽しかった。この坂道はなだらかな勾配坂の後、Lの字で急勾配登り坂となる。L字カーブで自転車を降りて、写真を一枚。




この先の急勾配部分は結構長かった筈、気合を入れて漕ぎ始めひたすら耐えていこうとペダルを廻したら、思いの外早くピークがやって来てしまった。初めてイチロウたちと登った時はヒーヒーと音を上げしてしまったのだけれど、この度は登坂中に極楽寺山の坂道と比較したら、「それほどでもないや」と思え、然程の精神的負担がかからなかった。イチロウ・ジロウと走った時には、へとへとになりながらも「クルマの上がれる道だったら自転車でも上がれるね」等とゴーマンかましたものだったけれど、やっぱりそうだったと独り笑った。



そのままピークを越えてやや急な下り坂を降りた。



下り坂をゆっくりと降りて戸山地区に入る。午前840分頃、突き当たったT字の交差点を左折し県道71号を国道433号に向かった。しばらくなだらかな勾配の登り坂を上がっていくのだけれど、“攻め坂”になっていて、ある程度のピッチを保ちながらペダルを廻すとそれほど負担なく上れて行った。この坂道では、前回イチロウと走った国道433号から廿日市の県道を走った経験が活きていたように思える。




国道433号は湯来・湯の山温泉街道という呼称があるのはこの度始めて知った。途中渓谷を左右にカーブしながら登坂。クルマの往来も多く大変気を遣う箇所あり。なるベく左端を走行するように心がけていたつもりなのに、ある一台の車に背後でクラクションを鳴らされた時は大変驚いて一瞬よろめいてしまった。ドライバーからみたら、自転車って鬱陶しいのはよくわかるのだけれど、対向車もなかったのだから他のクルマのように静かにパスしてくれても良いのになあ。



県道41号が別れるY字路にあるコンビで水分補給を兼ねた小休止を取り、国道433号を北上する。なだらかな坂を同じピッチのペダリングを保ちつつ登坂を続けるとやがて緩やかな下り坂となった。左右に高い山に挟まれた谷間に水田が拓かれていて緑が朝日に映えて大変美しかった。下って行くと次第に前方に朝日を浴びた青い山が視界に広がっていった。息をのむような青の美しさに感嘆してしまった(なにせ、ドーパミン、アドレナリン全開になっているからものすごく感受性が高まっているのですw)。あまり上り部分で負担感がなかった割には大変素晴らしい下り坂で申し訳ない気持ちになった。このご褒美をもらうには、苦労が少なすぎた。そして、良い天気の日にイチロウは職場の留守番をさせて、独りでこの悦楽を味わう多少の罪悪感が湧いて来たのであった。

(つづく)

2017年6月6日火曜日

耐え坂・攻め坂


64日(日) 最低気温16℃、最高気温26℃、快晴



イチロウと午前中を利用して自転車で極楽寺山を上り、県道433号に沿って湯来町を目指し、そこから山間部を西に走り、大竹あたりへ下って来ようという計画を立てた。



午前630分に廿日市市内にある速谷神社付近のコンビニエンスストアを待ち合わせ・出発場所とした。



午前610分頃に、当該コンビニに到着。イチロウが来る前に、朝飯と水分の事前補給をしておこうと目論むも、15分にはイチロウ到着。「ジジイになると朝が早いわい」とお互いに苦笑い。



午前625分にコンビニを出発し、県道433号に沿って速谷神社前を通り登坂開始。山陽道の高架下を通り抜けると、本格的に勾配がきつくなる。「お互いのペースで上ろう」と声をかけ合い、私は先を見通して、ダンシングは控えて、ギアを徐々に軽くしていきながらペースキープに心がけるが、イチロウは早くも速度を上げて行った。



みるみる間にイチロウに引き離されて、カーブやループなどで姿が見えなくなる。これまでだったら、彼にちぎられると精神的なダメージを食らいモチベーションを多いに下げたものだが、この度は心もちが違って、タイム差がどの程度で済むかに興味を向けていた。



やがて老人入所施設横を通過し、道路はセンターラインが無くなり道幅が狭くなった。ここからつづら折りになるポイントまで更に勾配がきつくなる直線坂となる。ここはひたすら耐え凌ぐポイントで、つづら折りになって勾配が緩くなる地点までただただペダルを廻す。やがてつづら折りが続くポイントが出てくると、すこし脚にかかる負担が減る。廿日市市街や宮島が遠望できる箇所では少し気分転換が出来て精神的な負荷も軽減した。つづら折りが終わる頃になると、空が開けてピークに近づいてきたことが分かり、もうひと踏ん張りと気力を取り戻せた。



ピークに達したのは、午前734分頃、走行時間にして40分弱。自分としては、まずまずのタイムだったと思う。2度目の登坂ということもあり、コースをある程度記憶していたためコースの先が読めて精神的にかかる負担は前回に比して随分と軽かった。




ピークに到達したのは良いのだが、先行したイチロウの姿が見えず。先に到着したはずで、案外脇道を上って降りてくるのではないかと暫く待ったが、姿は見えず。“先に、坂を下り、何処かで待っているやもしれぬ”と思い、そのままその坂を進行方向に下って行った。しかし、里山風景、そして沢沿いの木立の中を気持ち良く下り、広い道まで降りたがイチロウの姿は見えず。



“イチロウは果たして何処に? あれ?ひょっとして何処か谷に転げ落ちてしまったか?”携帯に連絡を入れようとするも、「本人は電源を切っているか、電波の届かないところにいるか」などの女のヒトがいうものだから、“電波の届かない谷に落ちていたらどうするべ?”などの懸念した。



そんなことを考えながら、その地点でクルクルと廻わり路肩のコンクリートブロックに左足を着こうとしたら、ペダルが思うように外れず態勢を崩して、コンクリートブロックを跨いで歩道に向かって倒れてしまった。倒れる瞬間に“このまま倒れたら、綺麗なコーティングを施されたフレームに傷が入ってしまう”と思い、とっさに左手で歩道路面に手を着き、右手でフレームを持ち上げる我ながら器用なことをし、無事にフレームがコンクリートブロックに当たるのを回避出来たw。



立ち上がって、フレームが無傷であることを確認し、我ながらでかした!と思っているころ、イチロウが私が先ほど降りてきた道から登場。



彼曰く「つづら折りの最後の箇所で、分かれ道があって、私とは違う進路を選んだのだ」とのこと。その時はああそうかと思ったが、帰宅後地図を眺めてみると、私の方がルートを外れていたみたいで、イチロウが進んだ道が県道433号であり、山の西側から回り込んでくるルートが正しく、私は433号をショートカットをしてイチロウと再会したポイントに出たようだった。



心配したのは、むしろイチロウの方だったようだ。お騒がせして済みませんでした。



県道433号線はそのまま五日市から北西上に伸びる県道41号と合流するまで東に向かって伸びていて、私とイチロウはそのまま東に向かって433号を下って行った。先ほどまでの山中の極楽寺山登坂と下山の林間を走っている間は冷気が強く体が冷え切ったものだが、午前7時の陽光は明るく、私たちの身体を優しく暖めてくれた。下りに任せて流すようにペダルを廻しながら、気持ちの良い初夏の朝の空気をしばらく楽しんだ。



県道41号に入ると、左折しなだらかな勾配を再びしばらく登坂。交通量が多く左右にカーブした箇所を抜け、三叉路あるコンビニで一息入れた。

そのコンビニ前の三叉路を左に進み、南西に向かう県道292号に入る。ここからしばらく芸南カントリークラブ付近まで、緩やかな上り坂となった。勾配が緩やかなため登坂は苦にならなかったが、ここは所謂“攻め坂”で可能な限りハイピッチで進みたいところだった。イチロウがペースを緩めずに走行するため、必死で後を追う。誠に気持ち良し、再びイチロウに差をつけられたが、今の自分の持てる力を出してみる。



芸南カントリークラブ横の坂のピークでイチロウが待っていてくれた。イチロウ、追いついた私に向かって、「ここからは下り基調で、気持ちが良いよ。ご褒美の下り坂w!」と笑顔を示す。



その後のルートは、県道292号、42号を辿って大竹市内を目指していたのだが、なだらかな下りが連続し誠に気持ち良かった。県道292号では、左右に水の張られた水田風景が広がり、植えられたばかりの稲が風に揺らぎ、満々と張られた水面には日差しを浴びて青空が映し出しだされていた。

各地区の沿道では、各地区の人々が道沿いの草を手分けして刈っていた。梅雨入り前に、雑草を綺麗に刈りこんでおくのだろう。朝の爽やかな空気の中に刈られた草の青い匂いと草刈機から放たれる油の匂いが辺りに漂い、それも初夏の里山の風情だった。

里山で協力しながら暮らす人々の営みが垣間見えてある種の感銘を受けたのだが、道端で作業をしているヒト達にこちらから「おはようございます」と挨拶をすると、夫々に元気な声で「おはようございます」と会釈を返してくれた。



“初夏の朝というのはなんと新鮮な生命力に満ちた世界なのだろう。早起きして出て来た甲斐があったものだ。”と、左右の里山風景を眺めながら独り満足に浸っていた。



県道292を左折し県道42号に入って間もなく、前方から御揃いのサイクルジャージを着た4人組のグループとすれ違った。車列を隙なく整えてそこそこのピッチで走行し、見るからにただならぬ気を醸し出しているグループだった。こちらから挨拶を送ると、気合の入った会釈を返してきた。“逆方向でエカッタw!”恐らく大学か社会人のクラブの練習走行なのだろう。これから向かう大竹市内から坂を上ってきたのだろうか。

その後も、県道42号を下って行くと、何人かのサイクリストが坂を上ってきた。時刻は午前8時を回った頃で、サイクリストが動き始めている様子。42号はやがて渡ノ瀬貯水池という大きな池の傍の狭いに道に入ったが、行き交うクルマは少なくリラックスしながらペダルを廻し続けた。

この貯水池を通り過ぎる頃、再びちょっとした登り坂に差し掛かる。気が緩んでいたせいか上り坂の出現に少し慌てて気合を入れ直しペダルを廻して上り切ると、そこから大竹市まで幅広い下り坂となった。脚を休ませ、自転車が重力に従ってスピードが増すままに任せ下って行った。途中で、先行したイチロウが一度平坦になった箇所で私を待ち、今度は私が先行する形でタンデムを組んで、大竹市市街地JR玖波駅付近まで降りて行った。二つの山の稜線間を通る道を降りてくると、次第に視界が開け、眼下に大竹市街地と瀬戸内海が見えて来た時はちょっとした感動を覚えたな~帰還!~。



イチロウはウエキのおやっさんに輪行バックの件で相談、私はタイヤ交換をしてもらってすこぶる乗り味が良くなったことを報告するという目的を作り、大竹市内にあるスポーツサイクルショップウエキに立ち寄る。午前9時より5分前程度に店に到着。



イチロウは早速輪行バックについておやっさんと相談し始めたので、私も傍らでそのやり取りを聴く。おやっさんからはイチロウの要望を勘案して、シリコン製のバック長さ100㎝×高さ80cm×幅(聴き忘れたw)を提案、前後輪を外すだけで良く、フレームもしっかりと固定されるために傷をつける心配がないよと提案あり。飛行機に乗せるには優れものでなかなか魅力的なものだったけれど、新幹線に持ち込めるか?用がない時にどこにしまっておくか?などの疑問が残った。

私は、おやっさんとお兄さんの夫々に前回のタイヤ交換によって、本来の乗り味の良さを十分に堪能出来て喜んでいるという旨を伝えてお礼をいった。それからお兄さんとしばし雑談、県道42号には結構沢山のサイクリストが登坂してきた様子を伝えると、彼曰く、この辺りのサイクリストは42号を使って練習しているのだが、今日などは2週間後に宮島トライアスロンが開催されるので、恐らくそれにエントリーしているヒト達が練習に出ているのだろう事を教えてくれた。



“そっか、あのただならぬ雰囲気を醸し出していた4人グループは、トライアスロンに向けて練習していたのかもね。ヤベーところに出くわしてしまったな。進行方向が逆で良かったw”



30分程度ウエキで雑談した後、引き上げることにした。暫し宮島街道を海沿いに走ったのだが、すっかりと日は上がり海面がキラキラと輝き、暖かい海風が吹いていた。交通車輛が多くて面倒くさかったけれど、初夏の海風景もなかなか気持ちを浮き立たせるものがあり気持ち良かった。JR大野浦駅手前から、宮島街道の旧道に入りポタリングとする。



イチロウ「気持ち良かったなあ。まだ、走りてえなあ。」午後から家の用事をすると彼に伝えている私に向かって「そんなにお前は家が好きなんかw? しょうがねえな全く。俺と走ってた方が楽しいぞ」と笑っている。私は苦笑し「やれねばならないことがあるの!」と返すのがやっとだった。あまりにも気持ちの良い天気で、サイクリングには最適だった。タラタラと初夏の陽射しを浴びながら自転車を並べてそんなやり取りをしているとまるでマークトゥエインの小説的世界を連想させ、彼の楽しい誘惑に負けそうになったが、そのままスルーするのが正しいやり方だった。



雑談しながら裏道を広島市内に向けて走行し、阿品台手前のコンビニで最後の小休止。水分と甘い物を補給しながら、本日のちょっとした反省会。坂道でのお互いの健闘を「スゲースゲー」「なかなかイケてた」等と讃え合いながら、「次はどこさ行くべ?」と次の走行ルートの話題になった。次回も耐え坂と攻め坂が適度に味わえるコースが良いな。



しっかりと休養を取って、強くなった陽射しの中を帰路に向かう。阿品台を横切り西広バイパスに突き当たるとそれを横断し、廿日市駅裏を通る裏道に向かった。毎回、西に出て東に帰る際にはこの阿品台を横切る坂道を上ることになるのだが、いつもであれば疲れた脚には相当応えるはずの坂が、この度は然程苦にならず。“こんにゃろ!”とペダルを廻しそこその勢いで上る。もうこの程度の坂ではひるまないよw イチロウにとってはゆっくりとしたペースだっただろうが、私の登坂スピードは彼が持て余す程には遅くもなかったであろう。彼はゆっくりと私の後をついて上がって来た。



その後、西広バイパスを横切って、JR廿日市駅付近を国道2号線と並行して走る新しい道を通る。ここは、片道2車線でなだらかなアップ・ダウンがあるのだが、交通車輛が少ないため、自転車乗りにとってはストレスなく飛ばせるポイントになっていた。イチロウも気持ち良くスピードを上げ始めたので私も食らいつくように後を付いて行った。信号のストップ&ゴーの際に、イチロウが隣に停車したおっちゃんバイクを意識していることがその後ろ姿から窺えたので楽しみにしていたが、イチロウがスピードを上げ始めた途端にそのおっちゃんは右折してしまった。明らかに気を削がれた形になったイチロウはすこしペースを落としたので、それを後方から窺っていた私が全速力で彼を抜かしてやると、後方で大笑いをしている声が聞こえた。



その新道が終わって左にカーブしながら道が細くなったところでスピードを緩めると、直ぐにイチロウが追いついて、「しまった、しまった。やられた。でもちぎられるとものすごく愉快だな」と大笑いしていた。私も先ほどから笑いが堪えられず、ガハハと笑い返した。



それが、その日の二人走行会のフィナーレ。最後に子どもっぽい戯れをして、お互いに楽しい気分のまま別れた。



私は、午前11時少し前に帰宅。家にたどり着いてみると家内は朝の支度中だった。特に何も聞かず、早速何時もの調子で午後からの予定を伝えてくる。電気屋とスーパーへの買い物、その後庭の草取り。「はい、はい」と応じ私は完全な家庭モードに入った。



「こやつ、旦那がどんなに素晴らしい世界を見て来たか、全く知らないんだろうな…..」シャワーを浴びながらそんな事を思ったが、「初夏の朝の里山風景や朝の陽光を浴びて輝いている瀬戸内海の風景が素晴らしく良いぞ~なんて言ったところで、それに共感する奴なんざそんなにいねえか?」「せいぜい私と先ほどまで居たもうひとりくらいか」と思い直したら愉快な心もちで満たされた。




その後は家庭の用事をしながら過ごしたのであったが、その夜夕食を終えて寛ぎながら、スマホでF.Bを眺めていたら、タカヒロの投稿が私の目を惹いた。なんでも地元のサークルでトライアスロン大会に向けての練習会に参加したとの事。泳いで走って、最後にバイク。流石タカヒロはタフネス野郎である。

「バイクでは激坂をヒイヒイと言いながら上った」と書き記されていたので、思わずコメントを入れて、こちらでも宮島トライアスロンに向けて坂道をバイクで上っているヒトを幾人か見かけたよ」など伝えたら、彼が返すに「下り坂は気持ち良いからいいけど、登り坂は絶対嫌だぞ!平坦な道しか走りたくないな。だからその提案却下w。」とのことだった。



彼は、この23年の間にトライアスロンに挑戦し始めていて、体力的には私の遥か数段上を行く男なのだが、上のセリフどこかで聴いたことがあるなあ~w。そう、つい数か月前までの私と同じことを言っているではないかw!



“そうなのだよ、下り坂は本当に気持ちが良い。ただ、その気持ち良さを味わおうと思ったら、どうしても先に坂道を上らないといけないんだよなあw。”“アイツのことだから、そのうち上り坂の楽しさもじきに知るに違いないだろうな。そして「地元のサークルの人たちとどこそこに上ったよ」と満面笑みの写真を添えてF.B.に投稿してくるのだろう。



彼にはそう伝えなかったが、上のような展開が先に待っていそうで、そう思うととても楽しみになってきた。



そうだ、ここにもう一人、坂道を目指すオトコがいたのだった。そう思うとなんとも愉快であった。



(おわり)








2017年6月3日土曜日

イチロウ行状記:“イチロウおじさん”編

6月○日、はれ。



きょう、イチロウおじさんが、ぼくに一まいのしゃしんをみせてくれました。がいこくじんたちが、フェラーリというスポーツカーのしゃたいだけだまってみているみたいでした。




イチロウおじさんが、「どうだ、まさぼう、かっこいいだろ。おじさんな、このしゃしんをみていたら、イディーゴーメというひとのギフトっていううたをききたくなるんだよ。まさぼうのお家にたしかあったはずだから、お父さんにかしてもらうようにたのんでくれんか」といいました。



ぼくは、イディーゴーメという人はしりませんでしたが、うちのおとうちゃんはたしかに外こくじんのうたをシーディーできいていたので、おとうちゃんにきいたらわかるとおもいました。



お家にかえって、おとうちゃんに「イチロウおじさんが、イディーゴーメのシーディーをかしてくれといってたよ」といったら、「いいよ」といって一しょにさがしてくれました。ちょっとものおきをさがしたら、ありました。シーディーのなまえは「ブレイムイットオンザボサノバ」とえいごでかいてあって、ぼくはよめなかったけど、おとうちゃんがおしえてくれました。そしてシーディーのケースをあけたら、なかみがありませんでした。おとうちゃんはとてもびっくりしていました。ぼくは、「イチロウおじさんがかわいそうだ」とおもいました。



おとうちゃんがぼくに、「あしたイチロウさんにあやまっておいてね」といったので、そうしようとおもいました。



6月△日 はれ。



きょうボクは、ひる休みにおじさんに会いにいきました。イチロウおじさんに、「シーディーケースはあったけど、なかみがなかったんよ」といったら、おじさんは「ああいいよ。しかたないね」といってくれました。せっかくイチロウおじさんがたのしみにしていたのに、シーディーをかしてあげられなくて、とてもわるいなとおもいました。



しばらくいろいろかんがえていたら、うちのおとうさんはよくわすれものをするから、ひょっとしたらおばあちゃんちにおいてわすれたのではないかとおもいました。いちろうおじさんに「ちょっとおばあちゃんちをさがしてくる」といって、おばあちゃんちにいきました。おばあちゃんちのものおきをいろいろさがしてみたら、やっぱりシーディーの中みがありました。うれしくなって、「やったー」といって、イチロウおじさんのところにもう一どいきました。



イチロウおじさんに「あったよ」といってシーディーをわたしたら、おじさんがパソコンにいれて音をだそうとしたら、うまく音が出ずに、「キュイーン、パチパチ」とかレコードみたいに同じところをくりかえして音が出てきて、ふたりでわらいました。イチロウおじさんが、シーディーをとり出してうらがわをみてみたら、いっぱいきずができていました。



ぼくが、「もうこのシーディーこわれたんかね」ときくと、おじさんは「ちょっとまてよ。このひょうめんをけんましたら、なんとかなるかもしれないぞ」といいました。ぼくが「ひょうめんをこすったら、もっとだめにならないの」ときいたら、おじさんは「シーディーはたしか光をあててじょうほうをさいせいするから、そのひょうめんのコーティングをきれいにしてあげたら、なんとかなるようなきがする」といいました。ぼくは、おじさんのいっていることが少しもわからなかったけど、おじさんはよく知っているなとおもいました。



イチロウおじさんはつくえのたなから、チューブに入ったノリみたいなものを出して、シーディーにぬって、ティッシュでいっしょうけんめいふきました。ときどきどのくらいきれいになったかたしかめながら、またいっしょうけんめいふきました。そして、きれいになったシーディーをパソコンに入れたら、音がきれいにでてきてとてもかんどうしました。イーディーゴーメという人の声はとてもきれいでした。おじさんは、ちょっとにこっとわらってうれしそうにしていました。



イチロウおじさんは、じてんしゃもじぶんでなおせるし、シーディーもなおせるし、とてもすごいひとだとおもいました。ぼくもおとなになったら、おじさんみたいになんでもじぶんでなおせるようになりたいとおもいました。



(解説)

イチロウは、学生時代から30年以上もの間親しく付き合っている友人である。この話題の大まかな流れは上に書かれたとおりなのであるが、ちょっと解説が必要と思われたので付記しておく。



イチロウには、ここ数年来家族ぐるみで付き合っている英国出身の友人が居て、その人物は現在フェラーリでデザイナーとして働いているとのこと。ふたりは、今でも年に12度のペースで交流し、色々とクルマ談義をしているらしいが詳細は知らない。ただ私が勝手に思うに、所謂市井に暮らす普通のオトコが、カーデザイナーという専門技術者とその専門分野の話をして、相手を飽きさせない会話が出来る/ 或は適切な質問をして聴き手として存在できるイチロウというオトコの知識の豊富さと引き出しの多さは、凡庸な私から見れば、尊敬に値すると密かに思っている(本人には言わないけれどw)。



ある日、イチロウが私に一冊の専門雑誌を示してくれて、その英国人が写真の中に治まっていると優しい笑顔で語った。彼曰く、「そのモノクロ写真本当にカッコイイよな。これをみていると、Eydie Gormethe gift( Recade Bossa Nova) / blame it on the Bossa Novaが頭の中を流れてくるんだよな。」と。そして「マサキCD持ってたろう、ちょっと貸してくれないか?」と依頼された。この曲は、ある一時期イチロウや私が大変気に入って繰り返し聴いたものだったのだが、次第に聴かなくなってしまい、そのCDを自宅の物置奥にしまいこんだつもりだった。実際に探してみると、上記のごとくで中身だけなくなっている。もしやと想い、実家を探すとCDがむき出しの状態でケースの中から見つかった。



早速イチロウと聴いてみると、CDの傷みがひどく再生困難となってい、私は早々と諦めて、amazoni-tune storeで物色し始めたのであるが、イチロウは“試しに”と少しずつCDに出来た傷に研磨剤を使って磨き始めた。ある程度磨き終わるとパソコンでCDを再生しチェック、そして不具合があればさらに研磨を続けていくという過程を繰り返し、終には全曲綺麗に再生で来てしまった。



その過程で、未だにレコードとCDの機能の違いを理解できていない私が「あれセミ・アコギターの伴奏が聞き取りにくくなっているんじゃないの。セミアコの部分削ったか?」「あれ、ドラムのリムショットが響かなくなってるんじゃないか?あんた、そこも削ってしまったか?」と軽いノリ突込みをイチロウに入れると、彼はウヒャウヒャと笑いながらも熱心に研磨を続けていたのであった。そういえば、学生時代にこんなおバカな会話をしながら、イチロウが白熱球の元で何やら工作物を拵えているのを眺めていたことが何度かあったなと思いだし、ちょっと懐かしくなってしまった。




パソコンから、久々に若々しく可愛らしいEydie Gormeの歌声が流れ出した時の感動は相当なもので、正しく昔の恋人に再会したようなちょっと胸が熱くなってしまった。



全くイチロウという奴には敵わないとしみじみと感じた。



再生可能になったそのCDは当然イチロウが所有するのが相応しく思われ、私から謹んで彼に進呈させていただいたのだった。



書いてしまえば他愛もないことではあるのだが、ちょっとした感動を覚えたエピソードなのだったので、小学生の日記風に書き留めてみた。