2016年6月30日木曜日

石見グランドフォンド2016体験記④~フィナーレ~

Check point④断魚渓を制限時間ぎりぎりの午後2;30頃にイチロウと私は出発し、国道261号に沿って下っていき、支流・濁川が本流・江の川と交わる因原地区に差し掛かった。本来であれば橋を渡って右折するところを、特に大会標識も関係者の指示も見当たらなかったものだから、イチロウと私はそのまま直進県道32号に入った。左右にカーブしながら緩やかな上り勾配が延々と続いていた。私は、イチロウ伝手に聴いた関係者の説明「この先はそんなに厳しい坂はないよ」から、何の疑いもなくゴールに導いてくれる道路だと思い込み、ピッチは上がらないもののペダルを漕ぎ続けていた。イチロウは彼のペースで遥か前方を先行した。

30分ほど県道32号に沿って走行していたのであるが、次第に自分の走っている行程に疑問を抱き始めた。先行している他の参加者にも、私の遅いピッチを追い越して行く者たちにも遭遇しない。どうもおかしい、断魚渓を出る時には確かに他の参加者は残り少なくまばらであったが全くいないわけではなかった。必ず私を追い越して行く者たちがいる筈、30分走っても誰も追いつかないのはおかしい。“コースアウトして、迷子になっているのではないか”と思い始め、路肩に自転車を停めて背負っていたバッグから地図を取り出して確認してみる。

すると地図を見るのが下手な私でも一目瞭然、先ほどの橋がある交差点を右折するべきだったことを悟る。完全なるコースアウト。迂回路は全くなし。来た道を因原地区まで引き返すしかない。イチロウは遥か前方を走行している。携帯していたスマホを取り出し、イチロウに電話してみるが、全く応答なし。困った。このままこの山道を直進すると、どうもcheck point①付近に逆戻りするらしい。

“ああ、大幅に遅れた上にドロップアウトかよう。”仕方ないか、そういうのも後で良い語り草になるか……。そう諦めがついて、兎も角も先行するイチロウをそのまま追いかけることにした。何処かのポイントで彼は私を待っているだろう。

しばらく緩やかな勾配を進むと、やがてトンネンルに差し掛かった。薄明りの中を進んで行くと、前方にヒトと自転車の影を認めた。更に暫くすると、イチロウが待っていることに気が付いた。

イチロウはにこやかに「いやあ、この中が涼しいから一休みして待っていたよ」と。私は、深刻気に「どうも俺たちコースアウトしているらしいぞ」と彼に伝える。

「えーっ!まじか。」「どうして。あそこの交差点はなんの指示も出てなかったよなあ」「ちくしょう!」

久しぶりにイチロウ殿の御怒りに遭遇すw

「ああ、もうやめだやめ!ったく……。」「このままふけるぞ!いいなっ!」

「御意。しかし、殿。この地図をご覧いただきたい。この複雑な山塊を形成している石見国をショートカットしてゴールないしは我々のチームカーに戻る街道はないのでござる。結局のところ、元のコースを使って帰還するしかございませんぞ。さすれば、日没までには無事にチームカーまでたどり着けましょうぞ。」「このような状況に殿を巻き込んでしまったのは、このマサキの不徳のなすところ。ひらにご容赦願いたく、後で十分にお叱りを受ける所存でございますが、ここは無事且つ安全に我がチームカーに帰還するのが先決。殿に置かれましては、全く不本意の事とは存じますが、来た道を戻りましょうぞ。戦略的撤退でござる」

「えーい、好きにせい!マサキ戻るぞ。ついてまいれ。」

みたいな、そんなおバカな会話をしたかどうかは記憶が薄れて明確に覚えていなかったけれども、兎も角も我々は上ってきた道を再び下って行ったのであった。

再び因原地区の交差点を戻った時には、合計50分のタイムロスとなっていたのであった。多分往復20㎞くらいは走ったのだろうなw。これを「Gilberto’s西日本支部石見大会中の特別訓練事件」と長く記憶に留めておこうw。

さて、大いに遅れに遅れて、江の川を上流に向かいながら三瓶山の麓・美郷町を目指す。緩やかな上り勾配道を進んで行く。どうも以前見た光景に出くわす。そうだった、今年の冬に次男が吹奏楽部の合宿が三瓶であり、その様子を観に行った時にこの道を辿ったのであった。クルマで通てもなかなか険しい道のりだったけれど…….。やっぱり、途中から道が狭くなったり、勾配がきつくなってきた。大会のヒトそんなに勾配きつくないと言ってたじゃんw。既に疲労の極に達していた両大腿が先ほどから再び攣り始める。攣り止め漢方薬は残り1包、どうしようかしばし悩むが、溜らず自転車を停めて最後の1包を飲む。たちまち効果が出てきて、遅いピッチであったが前進する。

美郷町市街地手前でイチロウが待っていてくれて合流する。

イチロウ「あのさ、もうcheck point⑥なんかほっておいて、そのまま帰るぞ。腹立つからさ、もう良いだろう」

マサキ「御意。殿、しかし折角ここまで来たからには、Gilberto’s健在なり、というところを者どもに見せてやらねば。それに、チェックポイントに行けば、その後の街道の様子についても情報が得られましょう。当地の地の利に疎い我らにとっては、情報を得ながら先に進むことが必要なのでござります。どうかここは忍の一字で忍んでやって下さりませ……

イチロウ「そちがそう申すなら仕方あるまい。ただし、わしは喉が渇いたぞ、アイスが喰いたくなってきたわい。小便もしたいぞ。」

マサキ「それならば、この先に確かコンビニがあったかと存じます。そこまで案内申す」

ってな、おバカな会話をしたかどうかは、今や我が記憶は曖昧になっている。

ともかくも美郷町市街地に入り、コンビニエンスストアで小休止を取ることにした。コンビニエンスストアで、用を足し、アイス菓子を夫々に購入ししばしの涼を得る。コンビニ前で小休止を取っていると、前の道を次々にサイクリストが通り過ぎていく。どうもcheckpoint⑥粕淵カヌーの里を出発してゴールに向かうヒト達であった。

不機嫌な態を崩さないイチロウ殿をなだめつつそのコンビニを再出発して、10分程度で走ると、午後430分頃にcheck point⑥「カヌーの里」に辿り着く。

チェックを受けようとするとなんとイチロウと私の番号の欄に「断絶」の二文字が鉛筆で書かれているではないか!確かに、大いに遅れたのは解っているし、その原因についても私たちが前のポイントを出る前にコース地図をチェックせずにコースアウトしたのも悪かったのであろう。

しかしだね……。断絶はあんまりだw。イチロウ殿をなだめすかしてやって来たからには、当方としてはちょっと納得がいかない部分があって、抑制的な態度を保ちつつも、先ほど因原地区の交差点でコースが分からなくなり迷子になったのであることを大会の係りの方に伝えた。対応してくださった係りのヒトが少し驚いて「あのポイントは係りの者がいた筈なのだけど。休憩で持ち場を離れていたのかもしれないですね」と返事された。

コースアウトについては当方の不注意も有ったし、特に私のペースが遅いこともあった。何かの行き違いであるべきものがなかっただけこと。私としては、別に先方に謝罪を求めるつもりもなく、我々一行の“嘆き”を多少なりとも発露したかっただけであった。



しばし休息を取り、午後450分頃ゴールのスタートポイントであった久手海水浴場を目指すことになった。




地図で見れば、山間にある美郷町から日本海に向かって走るのだから、今度こそ下りばかりの道程になるのではないかと期待していた。Check point⑥を出て国道375号に入り大田市を目指したのであったが、なんと再び緩やかな上り勾配に差し掛かる。

“ったく、最後まで上り道に泣かされるのかよ。トホホ。あ、でもここまでこの上り坂でオイラを悩ませるところを見ると、キッとこのピークを超えたら素晴らしい下り坂を用意してくれているのでしょ。そうでしょ。うふふ。もの凄く期待しってからね。頼むよ。絶対だようお”

何時の間にか、誰に話しかけるまでもなく、そんなことを頭の中で呟いている。体は疲労が溜り一日中サドルに押し付けられていたお尻の痛さは尋常ではなかった。なのに妙に頭の中だけエンドルフィン分泌全開でハイ状態w。軽い酸欠状態だったのかも知れぬ。

やがて、幾つかのトンネルが続く箇所にやってきて、あるトンネル内を走行している時に、どうも後方からヒューともウイーンとも表現し難い風切音が後方でしているのに気が付いた。最初はついに幻聴が現れたかと思ったりしていたのだが、でも距離にして数メートルから10m程度後方で、ぴったりと先ほどの風切音が鳴っている。そうか、ハイブリット車の音だね、これは。トンネル出たら追い越して行くねと了解出来て、私は自分のペースを保ちながら、走行を続けた。

トンネルを出ると風切音が聞こえなくなり、何台かのクルマが私を追い越して行ったのだが、再びトンネルに入ると再び先ほどの風切音が明らかに私との距離を保ちつつ後ろを走行しているのが分かった。

“ああ、大会オフィシャルのクルマか….。何でオイラの後ろをキープする?あれ、そんなにおいらヤバそうに見えるか?オイラが途中でへこたれたら、途中棄権を宣告するつもりかいな……。それは嫌だね、ここまで来たのだもの。午後615分がゴール締め切りならそれまでに絶対にゴールに入るけんね”そう念じてひたすらペダルを漕いだ。

トンネルを幾つか越えると、上り勾配のピークに達し、その後は谷間の下り坂に差し掛かった。次第に、前方に視界が開けてくる。遥か前方には夕暮れに染まった日本海、その手前にところどころ灯の灯り始めた大田市市街地が見えた。

“おお、。美しい。夕日は見えないけれど、紅色の空と日本海美しいじゃん。フィナーレ。大田市に凱旋!”頭の中は、多幸症全開状態となり、CGTVのテーマソング「ウイニング・ラン」のシンセサイザーでのメロディーが鳴っているw 気持ち良くなって、下り坂を思い切りペダルを回す。後方のオフィシャルカーにこのマサキは健在なり/Masaki is alive !というところを見せつけようと思った。

更に大田市市街地に入ってくると、前方に他の参加者がスローペースで走行しているのが見えた。そのヒト達を追い越すと、先ほどの大会オフィシャルカーの私への追尾が終わり、新たな追尾対象を見つけたようであった。暫く進んである交差点で信号待ちをしている時に、大会ステッカーを貼ったプリウスが私の横に停車したのを確認。このクルマにお世話にならなくて良かったw

大田市市街地に入ると、朝とは逆方向に走行していくので無理なく進んでいけた。幾組かの参加者の集団を作り走行していて、私は最後尾につけてゴールを目指した。やがて、朝見た畑の中の径に入り、低い丘を越えると久手海水浴場へ向かう径を左折して入った。ゴール付近では、大会関係者やボランティアのヒト達が我々を暖かく拍手で迎えてくれた。私も思わず嬉しくも有難く思い、手を振って応えてフィニッシュ。

到着時刻は、午後610分頃、最終制限時間午後615分にギリギリ間に合ったのであった。

この大会コースには悪戦苦闘したので、皆さんの暖かい拍手に迎えられて感動も感激もこれまでの大会以上に強かった。ゴールした参加者で混雑している駐車場内を自転車を引いてイチロウを探しながら歩いていると、独りの女性が優しい笑顔を浮かべて私に近づいて来てきた。

「ああ、ゴールおめでとうございます。ゴメンナサイ、後で会おうと言ってくれていたのに、私先に勝手にゴールしちゃって。」見ると、途中まで同行していた女性であった。先にゴールしていたのにそのまま帰らずにイチロウや私の到着を待ってくれていたのであった。あ、勘違いしてはいけないw。他のコースに参加していたその女性の連れの到着を待つついでに私たちを待ってくれていたのであろう。

ともかくも私にとってはちょっと意外なハプニングだったので、とても嬉しくもあり、その女性と同行できて楽しかったこと、それから彼女の忍耐強く頑張っている様子に感動していたことをお伝えし、同行して貰ったお礼を述べて別れた。




その後ゴールのチェックを受けて、イチロウと合流し、記念写真を数枚ほど撮影してもらう。


そして駐車場に移動し撤収。






帰路はイチロウが運転を買って出てくれて、彼の好意に甘える。その日は、お互いに自宅に帰っても晩飯がないとのことだった。国道9号を浜田方面に向かっている途中で、「何を喰うべか?」とお互いにアイデアを出し合っていたのであるが、そうやってイチロウと寛いだ話を駄弁りながら、暮れなずむ日本海を見ながらのドライブは本当に心地よかった。出来れば、もう一泊したいところであったが、そういうわけにも行かず。自転車も良いけれど、オイラはこうやってドライブしながら駄弁っているだけで十分なんだけどなと思った。



結局、イチロウの発案で、前日江津で喰いそびれたというか迷った挙句に不採用となった焼き肉店「共栄」で反省会を兼ねた晩飯を食べることになった。



ここのお店の名物は「共栄焼き」であり、注文して食べてみると美味しかったのであるが、私は疲労が優りあまり食が進まず。イチロウはどうもこういう外に出張った時は、何時ものごとく食欲が増すらしく他のサイドメニューにも手を付けてそれら大半を平らげたのであった。
              
                ※ 写真に写っている飲み物は、ノンアルコールビー  
                  ルですよ。


その後、二人ともこの度の石見遠征に大いに満足を覚えつつ、浜田道を使って広島を目指し帰路についたのであった。








この度の石見グランドフォンドについての個人的な反省点・印象は以下のごとくである。

・ともかく、私の準備練習不足が最大の反省点。

・このコースで設定された山坂道は初心者にはハード。十分に参加準備をしてから大会に臨めよ。

・でも、用意されたコース周囲に広がる緑豊かな景色は絶品で石見地方を多いに堪能できる。コース中に勾配が適度に配置され良く練られたコースだから、参加する価値は大いにあるよ。

・最後のチェックポイントでついムッとしてしまったけれど、コースアウトについては参加者自身も十分に気を付けないといけない。

・ただし、県外からの初参加の者にとっては事前に全部のコースポイントを頭に入れておくのには限界があるのと途中人里離れた少し寂しい山道を通過するので、もうちょっと各ポイントに標識があると有難かった。

・でも全体的な大会運営については大変満足しているし、各チェックポイントで参加者をもてなしてくださった方々や沿道で応援してくださった地元の方々には大変感謝している。

・それから、これも大きな要素だったけれど、島根県・石見の人々の人情・人品は本当に優しいよ。あなたにもきっと良い出会いが待っているよ、多分w



また、この大会に参加したいと思う。出来れば次回はロングコースに挑戦してみるかw。



(おわり)

2016年6月16日木曜日

石見グランドフォンド2016体験記③

Check point ②桜江を午前11時過ぎにイチロウと私は出発した。目指すはCheck Point③旭交流プラザまんてん(浜田道旭インター)、走行距離18.5/制限時間12;30であった。桜江を出て、直ぐに江の川に突き当り、左折した後直ぐに橋を渡り川戸の街並を越えて、八戸川・家古屋川(?)/ 江の川の支流を遡るように県道41号を進む。車線のない道を左右に急斜面の山を見ながら進んで行く。勾配はきつくないのだが、緩やかな上り坂が続き、スピードが上がらず、イチロウが先行しながらも三叉路になった箇所ではその都度私が来るのを待ってくれている。

再び人家もまばらとなり、本格的な山道になっていく中で、大会オフィシャルが配ってくれたコース地図を見ても、どの辺りを走っているのかよそ者には俄かにオリエンテーションが付きにくく、全くの単独参加であれば随分心細い行程になりそうであった。イチロウが、分岐点の要所要所で待っていてくれたのは正直大いに助かった。

上記した支流沿いのある三叉路で(こう表現せざるを得ないのは、今大会の地図とmsnの地図を見比べても、自分が走ったコースを上手くトレース出来ないからであるのだが)、イチロウと合流して暫く進むと、前方に女性が独り自転車を走らせているところに追いついた。

本来であれば、恰好良く「こんにちは。がんばりましょう」と声をかけて先に行けばよいのだが、緩やかなるも延々と上り勾配が続いていて、私には格好良く颯爽とその女性を追い抜いて行く余力がなかったこと、それからその女性がこんな人影もない山道を独りで走って心細かろうと思われ(あ、これは後付けの理由ですw)。しばらくつかず離れず一緒に走ることにした。

イチロウが、そんなペースの上がらない私を察してか、その女性に向かい「しばらく3人で旭を目指しましょう」と声をかけてくれる。その女性、「私遅いですから、どうぞ先に行ってください」と応答してくれたのであったが、そうしようにもこちらの脚が先行を許してくれなかった。“スタートする前に冗談でイチロウに言ったはずなのに、本当に女性の背をみながら走ることになってしまった”と独り苦笑いする。

やがて旭インターに近づくころ、勾配が険しくなり恐らく67%斜度の箇所に差し掛かる。最も軽いギヤに入れてえっちらと登っていく。その女性も感心な事に文句も弱音も吐かずに黙々とペダルを漕いでいる。イチロウ、先行して前方の尾根まで上がりまた戻って来て「後、○○メートルくらい。そしたら楽になるから」と我々二人を励ましに降りてくるという運動を繰り返していた。

“おお、タフネス・イチロウ殿!”流石である。見事な健脚振りを我々に示してくれて励ましてくれていた。カッコいいぞ、イチロウ殿。

やがて旭インター手前の急勾配の難所を乗り切り、Check point ③旭・交流プラザまんてんに1150分くらいに辿り着く。自転車を転がして、チェックを受けた後、大会オフィシャルが用意してくれたスイーツを食べながら、その女性に改めて挨拶する。その女性は「どうもありがとう」と礼を下さった。県内からこの大会に参加、連れのヒトは別のコースに参加したので、このミドルコースには独りで参加したとのこと。同じペースのヒトにくっついていこうと思ったら、そんなヒトが一人もいなかったと笑っておられた。私と一緒だ、と応じる。

12時過ぎにその女性を入れて3人で出発。その女性が「私は遅いですから、どうぞ先に行ってくださいね」と言われたこともあるので、夫々のペースでCheck Point④断魚渓/ 走行距離27㎞・制限時間14;30を目指すことになった。

だけれども、この③~④の区間がこのミドルコースの最大の難所であり、然程私のペースが上がらず、先行しては登り坂でその女性に追いつかれるという何とも情けない展開になった。

ただ旭インターから邑南町へ抜けていく県道では、所々に山村が開け山の斜面には段々の水田があり、その水田には丁度水が張られ田植えが終わった時期の様子で、正しく美田と呼べる景色を認めることが出来た。本当に美しかったなあ、こんな山の中にも美田を作って生活されているヒト達がいるんだなあ。つい感動の余り、その時近くを走っていた同行の女性に“本当に美しい風景ですねえ”と声掛けをしてしまったのだけど、その女性は黙々とペダルを漕いでいらっしゃって応答なし。“しまった、また変なオッサンと思われただろうな。余計な事はいうまい”と心に決めたw。でも、今でのあの山の中に広がる段々の美田の様子目に浮かぶな~あの景色をもう一度見る価値はあるなと思う。




やがて、③~④区間の難所67%上り勾配がやってくる。この頃イチロウは遥か前方を走行しており、同行の女性はちょっと後方。登り坂の前方を見ると、何人かの男性・先行者が自転車を押しながらトボトボと歩いたり、あるヒトは自転車を降りて脚を伸ばしている。



“そうか多分私レベルのオッサンはここでへこたれるポイントなんだな。”

私は自転車を停めて、一息入れて携行しているこむら返り止めの漢方薬を飲み耐性を整えることにした。しばらく休んでいると、同行の女性がやや苦しげながらも笑顔で「がんばりましょう」と言って私を追い抜かして行った。この女性、本当に忍耐強い御仁で内心感心してしまった。“島根の女性は、物静かだけど忍耐強いんだ”と大いに感動する。素晴らしい。

私も、再びその登坂にチャレンジする。ゆっくりと両大腿が攣らないように用心しながらペダルを漕ぎ続けた。本当に長い上り坂だった。その後は邑南町まで細い道を木立を縫いながら、そして右前方には谷間に広がる水田の風景を眺めながら、長い下り坂を降りていった。

自転車での登坂は本当に嫌だけれど、必ずこういうご褒美のような下り坂が待っていてくれる。イチロウには、「勾配0%-フラットなコースしかオイラはヤダよ」などと言ったりするのだけれど、でも自転車に乗って楽しいのは風を切って走る下り坂であり、このご褒美を楽しむためには登り坂の苦労なしには味わえないのだ。自転車の醍醐味はこの“上って下ってなのだ”と思うようになっている。

このコースも登り坂が多く当初は、恨めしい気持ちもなくはなかったが、でもこの邑南町にむかっていく下り坂を味わせて貰って見て、大会が用意しくれたコースに感心するようになっていた。島根県の山林や山里の美しさを十分に堪能させて貰っている、良く出来たコースだと思った。

邑南町を抜けて、やがて国道261号に合流し、そして名勝地断魚渓に14;00前に辿り着く。イチロウは13;30頃には着いていた様子であり、昼ご飯を食べて休息も十分取れていた様子だった。後でイチロウが云うに、私の到着が余りにも遅いため「いよいよマサキはダメか」と思ったらしい。正直、私の両脚は疲労の極に達していたようであったが、実は上に述べたようにコースを楽しんでいて、私の戦闘意欲は十分に保持されていた。イチロウが大会の係りのヒトに聴いたところによると、残りの行程では然程の勾配も残っていないとの事であり、その事を聴かされて安心できている部分もあった。



Check Point④断魚渓の景観は素晴らしかったが、ここでは割愛。14;30ちょっと手前で再びイチロウと共に出発。これまで同行していた女性は「私は遅いので、先に出発させて貰います」と我々に断りを入れてくれて一足先に出発していた。



断魚渓を形成した江の川の支流・濁川に沿って国道261号を下る。やがて再び江の川本流に行き当たる。江の川は中国山地に発し、西に東に蛇行しながら日本海に注いでいて、複雑な山塊を形成したこの辺りを走っていると、なんだか不思議な感じであったであったが、兎も角もコースを急がなくてはいけない。次のCheck Point⑥美郷町粕淵には時間制限は設けられていなかったが、ゴールまで後63㎞・制限時間18;15分を考えると残り時間4時間強で、今までのペースを考えるとあまりゆとりもなさそうであった。

江の川にかかる橋を渡った交差点で、特に大会の標識もなく、イチロウとどちらもからともなくそのまま直進しようということになったのだが、これがちょっとしたハプニングとなったのであった。




(つづく)

2016年6月9日木曜日

バカ親父、帰りの新幹線車中で富士と遊ぶ

6月4日、東京でも用事をすべて済ませて午後4時過ぎの東京発博多行きののぞみに乗る。

午前中の雨が上がり、西の空は雲が多く残るものの、空気が澄んで晴れていた。

熱海を過ぎ小田原を過ぎたあたりから、右前方の景色を注視する。

おっ、富士が見える!堪らずスマホのカメラを使って、撮影に入る。このスマホはパネルタッチなので、オヤジの乾いた指先にシャッターが反応してくれないことがある。幾度が失敗しながらもシャッターを切る。切る。画面では、逆光のせいもあり本当に捉えているのかわからず。



隣に乗り合わせた女性は、何気なく自身のスマホをいじっていたが、変なオトコと乗り合わせてしまったと可笑しく思っているだろうな。それでも、そんなことに構ってはいられない。何せ、新幹線に乗って上京する時の楽しみのひとつが車窓から富士山を眺めることなのだが、高校生の頃、2月に初めて上京した際に新幹線の車窓から茜富士を見て感動して以来、まともに富士山を拝める機会がなかった。



社会人になってからは、仕事の用事で上京する際には主に夕方に移動することが多く、富士が眺められる時間帯に新幹線に乗る機会がなかったし、ごくたまにデイタイムに乗れたとしても、富士の稜線には濃いガスがかかってその全容を見るチャンスがなかった。

久しぶりに富士を眺めるチャンスである。西の空に、富士の山影が見えると嬉々としながらスマホのシャッターを押した。最初は、サイレントアプリを使っていたのであるが、実際にシャッターが押せているのか分からなくなり、通常のカメラモードにする。

パシャパシャと車両内にシャッター音が響いている感じであったが、もう構っていられない。


富士見駅通過前から、富士の稜線が綺麗に追えて雄大な全容が車窓に広がっていた。よせばいいのに、車掌が車内放送で「右手に富士が綺麗に観えます」などと告げるではないか!




さっきまで何食わぬ様子を見せていた隣の女性が、私に向かって「あのう、スミマセン。私も1枚撮らせて貰ってもよいですか?」と尋ねてきた。私もつい恥ずかしくなり「(窓を独占してしまっていたことを)ゴメンナサイ。どうぞ。」とシートに背中を押しつけて、女性に車窓を譲った。

「ありがとうございます。」と言ってその女性が微笑んでくれたようなのであるが、私はまだチャンスは残っていると、しばらく車窓に被りつくような恰好で、スマホのカメラのシャッターを数回押したのであった。


やがて、富士を右後方に見ながら列車は橋を渡り、富士の稜線は見えなくなった。シートに座りなおして、自分の撮った写真をチェックした。案の定、そのほとんどが失敗作であったのだが、唯一納得出来たものがこの1枚。




イチロウ、コウイチにF.B.で送ると、意外にもイチロウがこちらが恐縮するほどの大激賞してくれたのであった。

それにしても、富士って被写体としては本当に素晴らしい。失敗作だと思われた写真をアプリを使って加工してみるとそれなりの味わいがあって大いに楽しめた。






ああ、引退したらベレー帽を被ってライカの写真機をぶら下げて、富士の周りを徘徊してみたいものだ。

(おわり)

バカ親父の東京物語

※ 石見チャリンコ遠征記の途中ですが・・・・。別話を先にします。

63日、すこし職場に無理をお願いして、午後4時過ぎの広島発の新幹線に乗り東京に向かう。私が所属する所業団体の総会が幕張で開催されるので、その一部を覗いてくるのが、今回の旅の主目的であった。

金曜午後の新幹線指定席は、拍子抜けするほどガラガラで(尤、広島駅発であったためでもあるが)、のんびりとした空気が漂っていた。これまでなら、F.B.なりtwitterで上京するぞとそれなりのことをほのめかすのであるが、此度はそんなに気にもなれず、大人しく缶ビールをちびちびとやりながら携帯した単行本を読んで過ごした。

その日夕方の天気は晴れていて、E席(左の窓際)に座っていると西日が強く当たっていた。この分だと、静岡辺りまで明るさは保たれて、富士を眺めることが出来るかも知れないと楽しみにしていたが、残念ながら富士見駅を通過するころにはすっかり日が暮れてい、富士の稜線を見ることが出来なかった。復路の楽しみとする。

午後8時過ぎ東京駅に到着、JRにて新橋に移動し、銀座9丁目界隈のホテルに投宿。ネクタイにスーツという出で立ちで田舎から出て来たのであったが、行きかうビジネスパーソンたちのクールビズ・ノーネクタイスタイルに倣って、ネクタイを外し、夕食を摂りに再び外出する。

JR新橋駅界隈は、仕事帰りの男女で大変な賑わいであり、流石サラリーマンの天国だと思えた。どの居酒屋・飲食店も混雑していて賑やかな声が聴こえている。23の店をトライしていみるも、「生憎満席です」と断られたのだが、丁度一軒の焼き鳥屋を通りすがろうとしたところ、数人の客がその店を出るところに出くわし、入れ替わりに入ることが出来た。店内はL字をしたカウンター席の狭い空間で、私の左右には23人ずれの客が賑やかに談笑しながら思い思いにアルコールをやりながら串を突いている様子だった。




私は、生ビールに45本の串を注文し、ほっと一息つく。付き出しの後、注文したものが少しずつ運ばれてくるが、どれも美味しい。店側のサービスもテキパキとして悪くない。焼き鳥屋に入る度に思う事なのだが、ササミやレバーが半ナマで供されるのは、大丈夫なのだろうか?確かに、焼き過ぎるといずれもぱさぱさしてしまうのであり、新鮮なものであればレア状態が旨いということなのだろうか。出されたそれらの串を己の疑問を素早くひっこめて静かに食べてみる。でも、確かに旨いとも感じた。これはこれで良いのかと。

先ほどから、隣の男性サラリーマンの二人連れが賑やかに駄弁っている。先輩風のオトコが、後輩風のオトコに向かって、「○○ちゃんは、女性社員に人気があるねえ。なにか秘訣があるのか?」と聴き、「そーっすねえ、それはですねえ」等と後輩オトコが気分良さそうに意見開陳している。こちらとしては聴くつもりは全くないのだけれど、真横で両者が大声で会話されては、聴きたくなくても勝手に会話が耳に入ってしまう。

そのうちに、その後輩オトコが酔いも手伝ってか気が大きくなってきた様で、恐らくは他の同僚の寸評から始まって批評を論じ始めている。「○○さんのあの仕事の勧め方はないっすよね。もうちょっと上手くやれるとボクなんか思うんですよね」などと。先輩オトコが、「まあ、そうなんだよなあ」などと調子を合わせている。

よく有る風景である。良いのではないでしょうか。

“ああ、この風景どこにでもあるんだよなあ、かつて若造だったころ、私もグループでの飲み会で同じような場面に出くわして、同僚をなだめたりすかしたりしていたものだった。そんな組織の中の対人関係が面倒くさくなり、組織を離れるひとつの要因であたかもしない。”等と思い始めていた。

独りで呑みながら、隣で繰り広げられる会話と自分の過去を重ね合わせて色んなことを考えていたのだが、ふと辺りを見回すと、その店のお客たちは皆2030代の客ばかりであることに気が付いた。こちらとしては、サラリーマンの天国・新橋の夜を楽しんでやろうとやってきたのであるが、ひょっとしたらもう齢を取り過ぎて、この夜の街をうろつくことから卒業する時期なのかも。齢をとっちゃったねえとしみじみと思った。

注文の品を胃袋に収めたところで、すごすごとその店を撤退し、ホテルに戻る。













63

午前9時から午後3時過ぎまで、幕張であった私の職能団体の会議に参加し、再び東京に戻る。午前中は激しく雨が降っていたが、東京に戻る頃には雨は上がり穏やかな西日が射していた。

その夜は、この春から東京近郊で独り暮らしを始めた青年Aと食事をする予定となっていた。午後4時過ぎにホテルの部屋に戻り暫し休息。先方が「寿司とか天麩羅が喰いてえ」と所望していたため、スマホで築地あたりのお店を検索し候補を挙げておく。

青年Aは、その日塾講師のアルバイトを始めるにあたり、初期研修を受けなければならないとのことで午後5時過ぎに用事が終わり、それから合流すると予告していた。

午後5時過ぎに、Aより「今終わった。これから新橋に向かう。大体6時前後になりそう」とのメッセージをLINEで寄越す。JR新橋駅銀座口を待ち合わせ場所とする。

午後6時前に新橋銀座口で待っていると、ほどなくしてAが登場する。待っている間に、築地の23軒の鮨屋に予約を取ろうとするが、どの店も申し訳なさそうに「生憎満席で並んで待ってもらうしかない」との返事であった。Aにその旨告げて、“やむ得ない”とホテル近くで見つけていた寿司屋に予約なしで入ることにした。

幸いな事に、その鮨屋はまだ客がまばらで難なくカウンター席を確保できたのだが、良く考えてみるに、土曜夜の銀座には仕事帰りの客も少なく主に観光客相手になるのであろうから、却って入店しやすいのかもしれない。そう云えば店の入り口に掲げられたメニューには、「土日はサービスデイとして通常の半額で提供する」等と書かれてあった。

青年Aにとって“回らない寿司屋”に入り白木のカウンターで鮨を摘まむというのは初めてのことであった。




「飲み物どうするか?」とAに問うと、「一応ウーロン茶にしておく」という。私は、ビールを注文し、おつまみとして、御造りとハモノ湯引き梅肉添え、そしてAのために茶碗蒸しなどを注文した。


少し落ち着くと、珍しく問わず語りでAが語り始めた。

「お金目的ではないが、数学を教えるテクニックが知りたくて、塾講師のバイトを始めようと思う。ちょうど良かった、身元保証人のところにサインを書いてくれ」

「大学は楽しいよ。みんなまじめなんだよ。夜遊ぼうと連絡してくる奴はいない。大学が終わったら夫々に帰っていくから、夜の時間はマイペースにやっているよ。それが助かる。結構レポートも多いから、浪人時代より勉強しているかもしれない(笑)」等々。

どうも己の学生時代(下宿生活も含めて)と比べてAの生活ぶりが違うので、内心驚く。私の学生時代なぞは、バブル時代と重なったこともあるだろうが、夜な夜な友人と遊び、週末はやすいお酒を呑んでいたと思う。勉強も試験前にはやったが、普段はそれほど熱心ではなかった。どうも当世の若い衆は、真面目というか大人しくなったんだなあ。

暫くつまみを突いていると、Aが「もう鮨喰いたい」と言いだしたものだから、板前さんにAのみ鮨の注文をお願いする。コハダ、キンメの炙り、赤貝、ウニ、イカ、マグロの漬け・・・・。

A「やっぱ、廻らない鮨はめちゃくちゃうめえなあ。」「普段、魚喰わないもの。スーパーで刺身買ってもいいのだけれど、面倒くさいし。」「俺なあ、ちゃんと自炊続けているよ。おふくろさんが、冷凍で送ってくれたものすこしずつ食べてるんだ・・・」「あんまり友達と飯食いに行くことないよ。たまに部活の後、メンバーと行くかな。それでも行くとしてもサイゼリアみたいなところ」「自宅生もねえ、『お小遣いはバイトで稼げ』と云われているらしくてねえ、派手に遊んでいる子いないんよ。」

“へー、”と思う。最近の大学生事情が偲ばれる。どのご家庭もその子弟の学費捻出にご苦労されているんだなと共感できた。A自身もそのような友人に囲まれて過ごしているため、それなりに節約しているとも言っていた。

どんどん食べていくAを見ながら、自分の子どもというよりは、独りの青年と接しているように感じ始めていた。青年Aの話を肴にゆっくりアルコールをビールから日本酒に移しちびちびとやりたかったのであるが、餓えたオトコAが次々と鮨を食べてしまうものだから、こちらもつられて鮨に移行し追いかけるように食べた。

流石江戸前は旨い。1時間超で程よくお腹は満たされて“廻らない鮨”は終了。お会計も覚悟していた金額よりは安く仕上がった。看板に偽りなし、リーズナブルなお会計であった。

その鮨屋を出て、通りを歩きながら“次はどうするか?折角銀座に出て来たのだから、何か買ってほしいものはないか?服なぞは足りているか?”などとAに問うも、A曰く「天麩羅食いたい」と2軒目を要求。我が胃袋は十分に満たされており、少し駄弁って歩きながら色々なショップめぐりをしたいと思っていたのだが、あくまでもAは天麩羅食わせろと主張した。喰わせてやるか、このオトコがわざわざ出て父親に付き合う理由なんて、上手いモノに有りつきたいというのが最大の理由なのだろうから。




歩きながらAはスマホのネットで天麩羅屋を検索し、そこから徒歩5分圏内のお店を探し出した。先ほどの寿司屋から1ブロック南側の通りに入り、程なくAが探し出した天麩羅屋に辿り着く。ビル1階に店舗がありその暖簾を潜って店内に入ると、そのお店も空席があり、なんなくカウンター席が確保できた。

再びまず飲み物は何にするかとAに問うと、今度は「多少アルコールが飲めないこともないんだよ。日本酒なら飲める」という。Aは、大学に入るまでは「酒は絶対に呑まない」と言い、そこには私への当てつけと思われる節もあったのだが、部活などのオフ会でアルコールを口にする機会があったらしい。A曰く「直ぐに赤くなるけど、アルコールがダメな体質ではないみたいだ」という。「日本酒が美味しいと感じる」というAに対して、まずは瓶ビールをすこしずつ分け合うことにして、その後、日本酒を注文することにしようと提案。そして、そのお店の最もリーズナブルな価格設定の天麩羅コースを注文した。

“初めて息子と酒を酌み交わす酒好きの父親の気分ってどんなものだろう?”とこれまでに想像してみたことがあったが、先ほどから自分の子どもというよりは、独りの青年と感じ始めていた私には想像していた悦びよりも、何かしみじみとしたものを感じた。

突然Aが、「俺なあ、今のところ仮面浪人になる理由が今の大学では見つからないんだよう」「勉強も、クラブも、独り暮らしに何の不満もない。若いうちに都会を経験できて良かったと思っている」と語った。

“こいつ心の片隅で仮面浪人を意識していたのか?そうか”。確かにAの入学先は彼の第一志望ではなかったものの、本人自身が進学を決めたところの筈だった。その大学は、世間では一流大学とは認めてもえないところだと思われるし、高校の同級生達は所謂有名大学に進学した者が多かった。彼の将来の就職の事を考えると、親として心配がないわけではない。

ただ本人にとって今の大学では、本人が望んでいたような学科を選択出来ているし、それから所属した部活やキャンパス生活において既に気の合う仲間を作り対人関係にも十分満足している様子であった。やりたがっていたアルバイトも始めつつある。

私が、「やりたい勉強やクラブが見つかって、それを全力でやっているんだったら、こんなラッキーなことはないよ。俺は十分満足しているよ。」と返答すると、Aも微笑んでいる。

そう応じながら、“何もいうことなし、本人は本人なりの道を歩き始めている、親としてそれで十分に納得している。ただ肯定的に見守ってやろう”と改めて思った。世間の皆様にはバカ親父だと笑われるかもしれないが、就職についてもAなりに自分に合う職場を見出していくだろうと思うようになった。

一方で、このAから振ってきた“仮面浪人”話には、私と彼との間で、彼の思春期以来を迎えてから何となく生じていたギクシャク感を、彼の方から解消しようと仕向けた話題のようにも感じられた。私なりに彼の生きる上での選択をちゃんと肯定していることを意思表示しておく必要を感じていた。改めて彼なりに思春期から青年期に旅立っていったんだな確認することができた。

そんなことを想いつつ、供される天麩羅に舌鼓を打ち、そしてビールが無くなった後に運ばれた冷酒を少しずつ分け合った。私の勧めるままに、Aは冷酒を口にしていた。

すこし酔いが廻って来て、先ほどから脳裏に東京に出てくる前に家内が出した指令が私の脳内を巡っていた。その指令とは「Aに彼女が出来たかどうか、確かめて来い」なるもので全くバカバカしい指令であり、“父親がそんなこと一々聴いてられるかい”と思ったりもしたのだが、今どきのどこにでもある青年の生態を垣間見るのも良いか、雑談の延長としてで探ってみるかと思い始めてみた。

努めてさりげなく「ところで、最近は浮いた話があるのか?」とAに質してみると、Aはあっさりと「実はなあ、それが彼女できちゃったんだ」という。なんでも、同じ部活の新人の女子らしい。東京出身の子で、あっさりとした男っぽい気性の娘なのだという。「倍率高かったらしいけど、そんなことは全く知らなかった」と。なんでも先輩の女子が、「その娘がAに気があるらしいから、アタックしてみろと勧めた」らしく、言われるがままにアタックしたところうまく事が進んだのだという。

「ふーん」と応じるしかない。その後の事は、もう勝手にどうぞという気分であった。

その後もコースの天麩羅が続き、オプションでAは2品も追加注文し全て平らげた。相当餓えていたんだな。聴くに、普段は一日1.5食程度で済ませているらしく、心なしかこの2-3か月で痩せていた。「腹がふてえ。大満足」とのことになり、その天麩羅屋を辞した。

しばらくその界隈をふらついた後、二人で私の投宿先のホテルに戻った。万が一遅くなって終電を気にするのも嫌であったので、予め一晩Aを私の投宿先のホテルに泊めることにしていた。ホテルのツインルームに戻って、家内からの指令に返答すべくLINEでメッセージを送る。早速返事あり、「でかした」と。家内にはその辺りの事前情報が入っていたらしく「結構かわいい子らしいよ」との追加情報と部活で撮ったというAとその子が入った写真を送ってきた。全く知らなかった。こんなやりとりを昨今の母子ってやっているのか。お互いに気持ち悪くないのかといぶかるが、どうも家内のママ友連中も同様に己の息子の恋愛事情をきちんと把握しているらしい。これが当世風なのか。

Aは、部屋に入った後、家内と暫く電話でやり取りしていたが、それが済むと誰かとLINEしている様子だった。先ほど話題になった女の子らしいことは、Aの顔がニヤケているので十分に察することが出来た。

ゆっくりと夜遅くまで、男同士で語り合う事もあろうかと会うまでは思っていたのであるが、どうも今夜の流れはそうもなりそうになかった。それぞれにシャワーを浴びて、翌日の予定を確認し、私の方が先に眠りについたようであった。

ただ、当夜の私はさわやかな気分でいられた。そして私が、Aに対して息子としてではなく一人の青年期のオトコとして接していることに密かなる自己満足を覚えたのであった。

(おわり)