2016年4月29日金曜日

オトコどもの黄金週間のはじまり

本日は、429日で昭和の日、世間ではゴールデン・ウィークの始まりである。朝から、外は眩しい陽光が射し涼しい微風が吹き、正しく五月晴れ。黄金週間の始まりには相応しい日となった。

 私は、前半は職場のお留守をし、後半の3日ほど休みを貰う予定となっている。どうも最近意欲低下、興味減退と言おうか何に対しても心動かず、読みたい本もなく独り祭りをしたい音楽対象もなく出かけてみたい場所もなくという始末で、ただひたすらグータラと過ごす3日間となりそうである。

 そういうことなので、ブログネタもさっぱり浮かんでこないのであったが、何故かイチロウが最近このブログの更新ペースがすっかり落ちてしまっていること気にしてくれてい、昨日退社間際に「何書いてもええから、書けよ」と言って去ったものだから、“それならば”とこのブログで取り上げる私の周りのオトコどもの昨今の様子を本人たちの迷惑にならない程度に書き綴っておこうと思い立った。

 


1.     青年S5月病罹患前~

今春進学し、神奈川県内で独り暮らしを始めたSは家庭教師のアルバイトを企んだものの、お試し訪問先の親御さんの態度に面喰いそのアルバイトの先行きについて大いに不安を抱いたものだが、結果的には先方から本契約を断られてしまった。そのご家庭の担当になることも不安だったのだが、いざ先方から振られてしまうとそれはそれで落胆してしまい、当初期待していた小遣い収入が得られなくなってしまった事について軽いショックを覚えるのだった。他の家庭教師の口を当たっているのだが、なかなかマッチングする申込者がいないとのことで、大学入学前に抱いた本人なりの夢なり青写真の一画が早くも幻となりつつある様子である。彼のバカ親父なぞは、そんな消息を妻から聞いて、“世に出て仕事の口を得ること、お金を稼ぐことの大変さを彼なりに体験するのも良いことだわい”と密かに想っている。

 大学生活については、本人曰く順調との事であったが、本人が予想していたよりも履修科目授業から出される宿題が多く、それらをこなすのが大変で、加えて選択科目で取った教職課程の講義のハードさに参っているらしい。教職課程を選択した者は彼の学年のうち1割も満たないとのことで、他の大多数の学生が楽しそうにキャンパスを去った後或は登校しない日にわざわざ講義を受けねばならなかった。彼はつい先日、母親に電話で話していた折に、教職課程を取ったことを後悔していると口を滑らせたのだが、母親から「教職課程を取るために今の大学を希望した筈」とクギを刺され、思わず二の句が継げなかった。

そろそろ入学して以来1か月を経て“ハネムーン期”が終わろうとしている。

 このバカ親父なぞは、そんな話を妻から問わず語りで聴かされながら、ふと昔読んだ新書(作者は忘れてしまった)に「今や大学はサーカス状態」と作者が嘆いた文句を思い出した。“あのセリフは、確か80年代に流行ったセリフだった。最近の大学は学生の就職率を上げようとしているのかもしれず、しっかり鍛えて貰ったら、父親似の、のんびり屋の奴には丁度良いではないか”とぼんやりと想うのだった。

 バカ親父としては、知らない分野の学部に入った息子と共通の話題も見つからなくなってしまったが、心内のどこかでは、すがすがしい心もちがあって、その愚息が否が応でも数年後には世間の荒波にもまれることになるのだから、今のうちに本人の思うように大学生活を送れば宜しいと思っている。少しずつ彼らの間での関係性が変わりつつあることを自覚しながら。

 先日、バカ親父からお互いの予定を確認するつもりで、「GWは帰省しないのか」とLINESに問うたところ、S曰く「345日と独り暮らし仲間とお互いの部屋を行き来して遊ぶことになったから、帰省しない」との応答があった。

 己の学生時代を振り返ってみて、“まあ、そういう年頃か。”と妙に納得したバカ親父であった。

 


2.Masakius Decakusonalis

 コウイチ、イチロウとは学生時代からの友人である。関西地方に住むコウイチと雑談するのに3人でF.B.のグループを作り、日を置かず音楽ネタ、クルマネタ、時事ネタを思い思いに書き込んでいる。この4月はどちらかと云えば、コウイチからのネタ提供が多かったか。

 ロックスター・プリンスの死、スポーツカーの話題などが彼から提供されていた。

私なぞは、プリンスはドンピシャの世代なのだけれど当時から全く興味なく、想い出と云えばかつて学生時代に好きだった女の子が「このヒト、キモカッコいいなあ」とほほ笑んでいたくらいで、その当時も今もプリンスさんの音楽性について全く理解も興味も持てなかった。

 ※あ!その女の子、当時既に「キモ○○」という表現をよく使っていたものだ。やっぱりそのセンスは際立っていたんだなあ。そのネタで「オトナのおとぎ話」を創ることも出来そうだけど、今回の趣旨からは外れるので、また何かの機会に書くことにしようかしら。

 クルマについても、コウイチやイチロウのように一家言を持つほどに興味がなく、しばしば彼らの間に交わされる深い話についていけないことも多々ある。

 さて、コウイチがある夜にF.B.のグループに、クルマメーカーH社が最近発売した軽オープンスポーツカーを、H社の系列会社から新たにレーシング仕様にして販売されるという記事を持ちだした。彼曰く、その軽オープンスポーツカーの開発趣旨からいって、レーシング仕様モデルなぞは全く見当違いであるとの批判(批難じゃないよ)であったが、当初この私なぞは、コウイチの評論の趣旨が上手く掴めないでいた。

 当夜、クルマ事情に一家言のあるイチロウは自分の目下の食べ物事情についてをF.B.に投稿するのに忙しい様子で、コウイチの立てたそのスレッドに対して何の反応も示さなかった。私なりに気を遣って彼の趣旨を十分に理解できないままに相槌を打つべく「やっぱり、本当のクルマ好きは自分でカスタマイズするよね」とか、「そうそう結局クルマ選びは乗る側のセンスが試されるよね」などと、良く言えばニュートラルな、ちょっと悪く言えば毒にも薬にもならぬことを返事した。

 そうしたところ、暫くの間があって、突如コウイチから「マサキウス・デカクソナリス」との応答があった。

 翌日、「どうもコウちゃんの勘気に触れたようだわ」とイチロウに言ったところ、奴め破顔一笑といった様子で、「あのなあ、お前は適当に返事して流す癖があるからなあ。適当な返事をしてそれで許されているのは、この俺だけだぞ。有難く思え。鯨の竜田揚げ喰わせろと言っても、“まあな”で済ませるし、北海道へチャリを乗りに行こうぜと本気に誘っても、適当に受け流しやがって・・・W」「その罰じゃあ、自分で何とかしろよ」と受け流されてしまった。

 “うむむ、思わぬところから突込みが入ってしまったわい。”それにしてもマサキウス・デカクソナリスとは、コウイチめ、よくそんな古いニックネームを覚えていたわい。

 大学時代の始めの頃、微生物学の講義があって、色々な細菌、真菌やウイルスの名前を覚えさせられた。体系的にラテン語で命名された微生物を覚えていく時期があった。全く前後関係は失念したのだが、或る日コウイチが「マサキの糞は出かそうだなあ、このマサキウス・デカクソナリスめ!」とヒトの糞を見たことないくせに勝手に私のニックネームを付けた。しばらく、事あるごとに彼は「マサキウス・デカクソナリスめ」と言って笑っていたのであるが、結局のところ、そのニックネームが広がることもなく微生物学の講義期間が過ぎるとコウイチ自身も言わなくなった。書いてしまえば、たったそれだけのことなのであるが、あれから30年以上も経って、この度コウイチの脳裏に浮かんだとは、よっぽど私の返事が腹に据えかねたかw。だけど、そんなにひどい返事じゃないと思うのだけれど……W。

 イチロウに「自分で何とかしろよ」と突き放されて彼の援軍を頼めなくなってしまった以上、何とかせねばなるまい。“そうだ、もう一度コウイチ自身に「マサキウス・デカクソナリス」と言わせてしまおう・そちらの方に誘導させちゃおう、奴がもう一度「マサキウス」と言ったならこちらの勝ちにしちゃおう”と勝手に決めて、そのコウイチが立てたスレッドに戻った。

 その後、コウイチはH社のレース参戦に対する戦略性について批評(批難じゃないよ)を書き込んで行ったのであるが、私は敢えて聞きかじりの知識を散りばめて、クルマに詳しい者が読んだらツッコミどころ満載の、コウイチの地雷を敢えて踏むような返事をしていったつもりだった。然れども、どうもコウイチの応答は抑制的なモノになってしまって、その後虚しくも20以上の普通の会話が成立。全く友好的に会話が終わったのであった。結局「マサキウス・デカクソナリス」は出ず仕舞いで、私が挑んだ勝負は完全に惨敗してしまったのだったw

 ひょっとしたらコウイチはコウイチで、こちらの撒き餌に気が付いてしまったのかもしれない。流石にあれから30年を経たコウイチもオトナになってしまったんだなと独り納得してしまった。

 そんなコウイチに昨日、GWは何をするのだと問うたところ、彼曰く「ゴルフか、家でゴロゴロするか、GWは人込みや渋滞を嫌だから、動かんよ」との事。

 
“そうだよなあ”と思う。普段忙しく仕事しているのだろうから、「そうすべし」と思ったが、何となく普通過ぎてあの頃のコウイチらしくないと思う。

 「もっと遊びなさいよ、コウイチ殿。」

しまった!昨日の自分の立てたスレッドにこう書いて終われば良かった。ついおざなりな返事で終わらせてしまったか……。奴め、デカクソナリスと心の中で呟いているかも知れない。

 

(つづく)

 

 

2016年4月21日木曜日

「初めての床屋コワイよう・・・・」のこと


その日曜日の朝は前日からの土砂降りの雨が残り、何時もの時間帯に目が覚めた時は窓外から雨音が聴こえて、予想通りな事だと安心して少し寝過ごした。8時過ぎに気が付くと、窓外はピーカン照りになっていて、「しまったわい」と慌てて布団を蹴飛ばしてリビングに下りた。

 慌てて飛び起きたものの、天気予報からその日の午前中は雨模様なのだろうと見込んで特に予定を立てずにいたものだから、さて何をしたものかとモタモタとしてしまった。本当であれば、普段利用しているユニセックスの美容院に予約を入れたかったのであるが、何時の頃からか第3週は休業日になっているらしく(これは後に知ったのであるが、美容院業界全体の取り決めみたい)、その日の散髪は諦めていた。

 3月頃から、己の髪の伸び具合が気になっていたのであるが、なかなか時間が取れず、散髪が出来ないことに軽く愚痴めいて家内に話すと、「そんな薄毛に散髪代を払うのは勿体ない。見た目はそんなに変わらないのだから、まだ切らなくて良いよ」などとスルーされる始末。

 全くもって失礼な話なのだが、散髪代が勿体ないというのであれば「じゃあ私が切ってあげる」とでも言えば可愛いものを、どうして中年になったオンナというものはこうも可愛げがなくなるのか・・・と愚痴っても始まらない。

 ただ、4月に入って会うヒト会うヒトにわが頭に視線を持って行かれて「マサキさん、髪の毛鬱陶しそうですね。」と言われてしまっていては、世間から言外に「髪の毛切れよ、みっともないよ」とサインが送られているわけで、いくら“薄毛”でも綺麗に整える必要が出て来たということである。

 その日は予定が何もなかったので、美容院業界が相手にしてくれないのであれば、理容院業界に頼んでみようと思い立ち、自宅周辺の理容院をネットで調べ、時々買い物で使うスーパーの近くに「ヘアサロン○○」なる店舗を発見。幸いな事にその日も営業しているようだったので、早速予約の電話を入れてみる。

 

プルルル~(電話発信音)

(やや、甲高い・無表情な男性の声で)「ハイ。ホニャララです。」

“どうも、聞き取りにくい・・・”

 
一瞬間違って一般のお宅に電話をかけてしまったかと不安になったが、フリーダイヤルだから、間違いにせよ何処かの店舗か事業所に繋がっている筈であると気を取り直して、要件を切り出してみる。

「あのう、初めてなのですが、今日散髪の予約取れますか?」

 

(一呼吸間が空いて)

「ハイ、4時から開いています。」

“やや、ホッとして”「じゃあ、お願いします。マサキと言います」

「ハイ。」(ガチャ)

 “あれ、もう切ったか。どうもテンポの合わないオッサンだなあ。まあ口数の少ない床屋さんも悪くないから、まあ良いか、取りあえず行ってみるべ”

 3か月ぶりに散髪できるかと思うと、その分心が軽くなり、外の景色に視線を移せば春の陽光が辺りを輝かせているのを知ると俄然やる気が出て来た。

 “よし、午後4時まで庭の掃除に励むか!”

 

午前11時から午後3時過ぎまで水分補給以外は昼飯抜きで、雑草抜き・一部芝の張り替え、肥料撒きなどに精を出した。“本当に気持ちよろし。ああ、往く春を惜しむ・・・だよなあ”等と能天気な事を想いつつ、快晴の昼下がりを堪能したのであった。



午後3時過ぎに庭仕事を終わらせ、ほど良く汗をかいた体を綺麗にするべくシャワーを浴び、さっぱりとしたところで、朝予約を入れた床屋に向かう。時々利用するスーパーの駐車スペースにクルマを置かせてもらって(用事が済んだら、買い物により帳尻を合わせた)、徒歩で件の床屋に向かう。スーパーから30mlくらい、3階建ての住宅が数軒立ち並んだ筋の四つ角に、やはり3階建ての1階フロアを利用した店舗があった。床屋のクルクルサインが店の前に立っているほかは、派手な装飾はない落ち着いた店構えで、濃いブラウンの木調のドアを開けると左手に受け付けコーナー右手に大人3人程度が座れるソファが置かれた待合スペース、そしてその奥に3台の大きな鏡が並べられ、その正面には夫々豪華な黒革作りの座席が設えた理容スペースがあった。

理容室から、男性店主が近づてきて、私を一瞥すると受け付けカウンターの方へ招いた。身長170cmくらい、頭髪は軽いウエーブの掛かった73分けで、白のカッターシャツに黒のパンツの恰好をしている。カウンターを挟んで向かい合うと銀縁の眼鏡に切れ長の目をしている、お互い初めてのせいかもしれないが表情が硬く目が笑っていない。

 「こちらに御署名下さい」と一枚の一覧表を渡される。云われるがままに氏名を記載。

“私の前に、5人の名前があるってことは、そうかほぼ1時間に1名の割合で予約をとっているんだな”

 店内には店主以外の従業員はいないから、一人で店の切り盛りをしている様子。

 続いて真ん中の席に通されて、白いシーツ上の掛布を付けられて私の眼鏡を預けた後、店主が「どうしましょう?」と短く問うてきた。

 通いなれたところだと、担当のヒトに「任せます」と云えばおしまいで楽チンなんだけどな、初めての処だと一々説明しないといけないのが面倒なんだよな。左後ろに剥げがあるから隠してねとか、両サイド・後ろが髪が少ないからバリカンは入れないでねとか”

私が、「えっと、前髪は眉に掛からない程度、横は耳を出してください。後ろは、バランスが取れるくらいに短くしてください」と注文すると、その店主「ハイ、ナチュラルに仕上げたら良いですね?」と応じた。

 “ナ、ナチュラル・・・・。それってどういう意味なんだろう?”しばらく返答に詰まるが、「そうですね」と曖昧に返事する。

 続いて店主が「顔剃はどうしますか?なければ3000円で、顔剃りも入れたら4000円となります」と説明する。私としては、折角理容院に来たのだから顔剃りもしてもらっておこうと思い、「顔剃りもお願いします」と伝えると、店主「はい」とのみ応じる。

 その店主、方針が決まると潔くというかためらいなくバサバサの髪の毛を切り始めた。そこそこ腕は良いみたいで一安心する。

 この店主まったく寡黙な方で、世間話やこちらがこの店に来た理由について尋ねてくる風もなく、こちらとしては居心地が悪かった。思わず私から「時々利用するそこのスーパーの帰りにこのお店を見つけまして」と語りかけると、店主「ええ、そういうお客さん結構おられます」の一言。なんだか話が広げて行くことが出来ず、その後も話を続けることが出来なかった。

 “それにしてもこのお店、調度や壁下半分はダークブラウンの木調で統一されて、壁の上半分は漆喰調の白壁で、観葉植物は置いてあるし、室内には静かにバロック音楽が流れていて落ち着いた雰囲気なんだけど、何か物足りない。なんなのだろうなあ、そう落ち着いているというよりは、一寸硬質感あるいは冷たい感じがあり、何だかちょっと落ち着けない不思議な感じ”“どうもこの寡黙な店主とこの部屋の雰囲気がシンクロしているんだろうな”などぼんやりと想っていた。私は、極度の近眼なものだから、鏡越しに見える店主の表情はぼやけていて表情は全く読めないでいた。

 やがて散髪を始めてから約25分程度で大体の工程を終えたようで、店主が後ろ側の仕上がり具合を確認するために開き鏡を持って来て「こんな感じです」と見せた。私は「良いです」と了解の返事をする。

 

ここから何故か知らないが、椅子を45度程度斜めに回転させ後ろにリクライニングを倒された。顔剃りのために、蒸しタオルを下顎と口周りに被せられたのだが、鼻孔も塞がれてしまい息苦しかった。
 
しばらくして、眉周り、頬骨上から顔剃りが始まった。

 “顔剃りされるの久しぶり。たまには良いものだなあ・・・・”

 

以前行きつけだった理容院の店主さんが体調不良を理由に店を閉じられてから10年ぐらい経ったか。店主夫婦で店を営んでおられて、店主がカット、奥さんが顔剃りを分担されていた。中学生のころか40歳手前まで20年以上、2か月に1度のペースで通っていたのだが、店主の世間話を聴きながら、時に居眠りをしながら、カット~顔剃りを受けている間はホッとリラックスが出来る至福の時間だったな。

 
次にモミあげ部分から下顎の部分に顔剃りが移った。

剃り刃を当てて、ジャリ、ツー、ツーと下顎に刃を滑らせる。

“フムフム”
 
続いて、下顎から頤(オトガイ)に向かって刃をツ、ツ、ツ~~と滑らせて・・・・、“うん? ツ~がちょと一息長くないかい?”

 
文字にすると、“ツ、ツ、ツ~~”のところを“ツ、ツ、ツ~~~”と一息長いよ。それじゃあ、ホレホレ口唇までノンストップで来たら危ないでないの・・・・。あ、ほら唇に当たった、切るよう・・・。

 どうもこの店主の刃の当て方は、私が思い描くよりも一呼吸長くて、その後の首から下顎骨までの剃毛も躊躇いなく一気に刃を滑らせていくものだから、受け手の私は緊張のあまり脇汗が滲む状態となってしまっていた。

 
“どうも以前利用した理容院の奥さんのテンポが身体に染みついているのか。首から下顎辺りは、こまめに優しく刃を当ててくれていたのになあ。ニキビが出ている頃には「青春の証よね」等と言いながら丁寧にニキビを避けながら剃ってくれていたし、中年に差しかかり髭が濃くなった頃には、二度三度も蒸しタオルを当ててくれて肌が傷まないように配慮してくれてたっけ・・・・・”

 

何とか(あくまでの受け手側に生じる)緊張の顔剃り時間が過ぎて、今度は仕上げの洗髪になった。一度リクライニングを起こされた後、クルリと180度回転し再び寝かされて、鏡台前に設えられたシンクに頭を乗せられた。

 シャンプーを頭髪に付けられて洗髪が始まったが、途中から頭部のマッサージが始まった。

“い、痛ってえ~”店主が両手で力強く頭皮を揉んでいる。

 “最初は気が付かなかったけれど、このヒト何か格闘技してるわ。どうもさっきから醸し出す他者を寄せ付けない雰囲気とこの握力、絶対このヒト武術をしているに違いない・・・・・”

 一通り頭皮をしごかれた後、再びクルリと椅子を180度回されて元の位置へ。もうこちらはヘトヘト状態。最後にドライヤーで頭髪を乾かす段になって、鏡越しに店主の様子を窺うと、ぼんやりとながら前腕の筋肉の盛り上がり、白いシャツの下の胸から両肩にかけての筋肉の盛り上がりが見て取れた。何故か両肘を90度近くまで上げてドライヤーとブラシを動かしている・・・・。

 

“むむむ~”

 
全ての作業工程を終わって、眼鏡を返してもらい、散髪の仕上がり具合を確認しながら、店主の表情を見る。“細い目が笑っていない・・・・”

 “いやあ、参りました”“それにちょっと同調出来ない間合いは・・・、そういう傾向の 御方だったのか。ああ、だから最初から感じるこのお店全体の雰囲気もそういうことだったのか”

そう勝手に独りで納得して、税込み4000円をお支払いすごすごとそのお店を引き上げたのであった。

 店主の腕は悪くない、仕上がり具合はも納得。でも、あの顔剃りのテンポに馴れるには、10年くらい通わないと無理かな。通ってみると、案外店主とも打解けて緊張感を持たずに済むかも。でも10年もあのテンポの顔剃りと最後の頭皮のしごきにこの軟弱なオイラが耐えられるか・・・・・。さて次回どうしようかな?
 
 自宅に戻り、家内に散髪の仕上がりを見せると、奴め満面の笑みで「ああ、まだまだハゲてないね。50にしてその髪の量だったら大丈夫だわ」と何時かの己の言動は忘れた風で、ええ加減な感想を漏らしたのだった。 

 
(おしまい)

2016年4月18日月曜日

イチロウ行状記~オッサンの青春篇~


その日の昼休み、空は快晴で少し眩しいくらいの陽光が辺りに射して気温も上がり、薄手の長袖シャツで歩くと大変気持ちの良い日和となっていた。

 

「いやあ、それって面白い話だよな。でもSが羨ましいなあ。あの年頃だと、何やっても楽しいんだろう。毎日があたらしいチャレンジでさあ。俺たちもそうだったかな。」

 イチロウが、居室の事務椅子に持たれながら、額や首回りから流れ出る汗を拭きながら快活な笑みを浮かべて満足そうに笑っている。マサキがSの話をすると、そのような反応を示してきた。マサキには、イチロウが快活な笑みを浮かべていることについて、Sの話に対する反応だけではないことを十分すぎるくらいに察していた。

 

イチロウは、昼休みの小一時間を使って職場周辺で自転車を漕いで帰ってきたところだった。体から流れ出る汗を拭き仕事着に着替えて再び椅子に腰かけて一息付いたところで、今度は彼からさも愉快そうに語り始めた。

 


「いやあ、それにしてもマウンテンバイクは最高だぞ。マサキ。」「あそこ(職場近く)の激坂があるだろう?あそこもわけなく上れちゃうんだよ。あの急勾配をだぞ。逆にその坂を下るにも無理なく降りて来られた。無茶苦茶バランスがいいんだわ、これが。」「その後な、しばらく海岸べりを走っていくと、ブルドーザーで山の斜面を削ったところがあってダートコースの坂みたいになっているんだが、その土の斜面もスイスイと上がれてなあ。轍の凸凹もなんのその。」「いやあ、全くマウンテンバイクは面白いぞ。ああ、段々俺もトレイル・ランしたくなっちゃったなあ」「ロードバイクだとドコマデモ走れそうな気がしたが、マウンテンバイクだとドコデモ走れる気がするよ」「本当に面白いぞ・・・・・・・」

 

この辺りまで、イチロウ問わず語りで一気に喋っていた。マサキは、「ふむふむ」と相槌を打ってイチロウの語りを聴いていたが、その反応にイチロウが不服だったようで、本題を切り出してきた。

 「さっきから冷めた反応して今心のドアを閉ざしているだろう?」「あのなあ、何時までも子どもの褌でブログ書いてばかりいないで、次は俺とマウンテンバイクしようぜ。それをブログのネタにしな。」

 “はい、来なすった。そう来るんじゃないかと思った・・・・・”

 マサキは半ば予測していたので、ニヤニヤしながらも抵抗する。「あのねえ、今お金的にゆとりないの。今金欠状態なわけ。俺誘うより先にジロウを誘えよ。ジロウの方が、ノリが良いじゃんか。あんたが誘ったら、直ぐに反応すると思うぞ」と。

イチロウ「ジロウも良いけどさあ、俺はマーちゃんと乗りたいの。二人でトレイル・ランしたら楽しいだろうなあ。マーちゃん、やっちゃおうぜ。一度やったらマーちゃんも嵌るぞ~w」「何ならネットでマウンテンバイク見繕ってやろうか?、予算いくらぐらいだ・・・・?」

 


このオトコ、こちらが金欠状態だと訴えているのに全くヒトの話聴いていないw。全くもって、“極楽とんぼ”と若い頃から自称してきたが、この頃はどうもその性向に拍車がかかってきたか。こういうのを加齢に伴う性格先鋭化というらしいけど、幸せな先鋭化だよな。

 

それとも、どうも春が来ても一向に気勢が上がらぬマサキを眺めていて、マサキのやる気を引き出そうとしているイチロウなりの心遣いなのか・・・・・・。そう思うとあまりつれない反応も申し訳ないような気がしてくるマサキであった。

 “いかんいかん、イチロウの術中に嵌ってはいけんぞ。今後の展開が目に見える”

 イチロウの誘いに乗って、マウンテンバイクを始めるとする。数か月後にトレイル・ランの大会に出てみようぜという話になる。そうこうして2年くらい経つと大体イチロウの中でのマウンテンバイクのブームは終わる。そうなると次に「マサキ、そろそろリカンベント・バイクで長距離走行してみようぜ」という話を奴は持ちだすに決まっている。

 現代の消費社会に対して鋭い批判の目を持っていながら、こと自転車になると(消費)乗り倒してしまおうとするイチロウの性向に思わず笑みを浮かべてしまうマサキであった。

 


“ここは忍の一字で、イチロウからの猛チャージを回避していくしかないわな”と心に誓うマサキであった。ただ一方で、次々と楽しみを見つけながら独りで夢中になっていくイチロウの中の青春的情熱が眩しく映っていたのも事実であった。
 
(終わり)