2015年11月27日金曜日

独りNabesada 祭り~後半の苦悩を経て確信編~

Nabesada祭りの前半戦を1113日のライブを一区切りとして、しばらく小休止をしながら、129日の西宮市でのNaturallyフォローコンサートに備えるべく、何枚かのアルバム作品を物色し購入していた。

なるべく同氏の演奏特色であるメロディアスなもの、ボサノバものを中心に聴いて行こうと思案していた。Gilberto’s関東組へそれとなく打診してみると、1) Song Book/ Sadao Watanabe(1969) 2)Broadcast Tracks’ 69’ 72 ,そしてボサノバもの23)  Sadao WatanabeBossa Nova ‘67/ Sadao Watanabe Sextet(1967), 4) The Girl From Ipanema/ Sadao Watanabe(1967)を挙げてくれた。

 尤、彼ら曰く、同氏のブラジルものとしては“Sadao Meets Brazilian Friends”が究極であり、これ以上のものはないとの強いお言葉をいただいたのだが、このアルバムは既に購入済みで大変気に入っていたので彼らの言葉に大いに安心した。

 まずは、1)2)をネット通販でポチり、取り寄せて聴いてみた……..

 


同氏のオリジナル曲を取り揃え、特に2)はテレビや映画のサウンドトラックで使われたものが収録されていた。ソフトサンバ調の曲あり、ちょっとヨーロッパ映画で使われそうなポップス曲、西海岸ポップス調の曲あり、どれも悪くないしカッコいいと思える。クルマで聞き流すには丁度良いし、氏の音楽的懐の深さというか幅広さが感じられるが、ただジャズはあまり感じられず。今聴くとちょっと60年から70年代の匂いが感じられて、この曲はあれっぽい、次の曲はあの音楽っぽいという連想/ 既視感があった。

 

さてどうしたものか?

 これらの曲群をボクの中でどのように位置付けて理解と整理をしようかと悩み大いに参ってしまった。

 Nabesada氏ってなんでも演奏出来ちゃう、幅広いレパートリーをお持ちの方とは重々承知していたのだけれど、この後の展開としてボクには果たしてついて行けるのか?とかなり心配になってきた。

 なんでも演奏出来ちゃう方だから、方々からテレビのドラマのテーマ曲、映画の音楽の話を依頼されて何でも引き受けられたのかしら?とさえ思える。

 例えばこんな感じで・・・・・・(以下は、勝手な妄想ですwハイ。)

 

某エージェント1.「今度こんな企画があるんだけれど、ナベちゃん、こんな感じの曲調
          に出来ないかな?」

 「うん、分かった、出来るよ……、こんなのでどうよ?」

 某エージェント1.「スゲースゲー、これいいね。この線でお願い。恩に着るよ」
 
 
某エージェント2.「ナベサダさん、済みませんが、監督がこんな音楽を作ってほしいと
         言ってます」
 
「よっしゃ、こういうアレンジでどうよ?」
 
某エージェント2.「流石、凄いなあこの曲。有難うございます。」
 
こんな会話が当時、同氏とそれぞれの音楽関係者・テレビ/映画製作会社の間で繰り返し数多く交わされたのではないかと勝手に想像してみる。

 

ご自身の演奏、アルバム制作で多忙を極めていたであろうに、サイドワークもエネルギッシュに引き受けられていたのではないかと勝手に想像はするのだが、あくまでも現在の聴き手側としては、その音業(造語です)の広さにとてもついていけそうにないと、途方に暮れてしまいそうな想いがした。米国留学を経てジャズ理論をその手に修め、そして日本ジャズ界では押しも押されぬ名望をこの頃には既に掴んでおられただろうに。そんなにサービスしなくても良かったのではないかと勝手に想像したり。

 


その数日遅れで、3)4)のアルバムCDが手元に届く。ボサノバの定番・有名曲がラインナップに上がっている。ボクを含めボサノバファンにはおなじみの曲が並べられていて、うーん既視感が更に強まる……..3)は、ストリングスアレンジが施されたボサノバもので、唸ってしまい、更に4)では、# 映画「男と女」のテーマが取り上げられ、更に唸ってしまい、後半はカルロス・リラの曲までも数曲取り上げられていて、別の意味で驚く。これはどうしたものか?

 

ただ、ご本人の演奏は勿論素晴らしいのだけれど、サイドを固めている日本のミュージシャンの演奏もかなり高レベルであり、聴いていて全く違和感がなく、その事にも驚いてしまう。日本のミュージシャンの吸収力の高さ、演奏技術の巧みさに感嘆してしまわざるを得ない。

 
ええ、どうもすみません、唸ったり・驚いたりという表現が多いのだけれど、この辺りの私の心持ちをどのように表現して良いか分からないものだから、落ち込んだり素直に驚いたりしている様を率直に書かざるを得ず、こんな表現になってしまっているのである。誠に大変申し訳なく思う次第でありまする。

 
傍で私の様を見たり聞いたりしているイチロウは、大いに笑っている。

 ここで、2015年時点で、ボサノバのメジャーどころはそれなりに聴いてきた筈のボク的感覚をちょっと横に置いて、その当時の時代的雰囲気に少し想いを馳せた上で、これらの作品を捉えなおしてみたくなって、ちょっと以下のような年表メモを記してみる。米国でメジャーなボサノバ・アルバム作品の発表年代とNabesada氏の動向、そして備考としてちょっとした現代史的エピソードを比べてみた。

   Bossa nova at Carnegie Hall (1962)

Nabesada 氏 バークリー音楽院留学のため渡米

  The Composer of Desafinado, plays/ Antonio Carlos Jobim(1963)

  Getz/ Gilberto (1964)

  Soft Samba/ Gary McFarland(1964)

  The Sound of Ipanema/ Paul Winter, Carlos Lira (1964)

  Brasil ’65/ Wanda de Sah, Sergio Mendes Trio (1965)

Gary McFarlandの全米ツアーに参加、西海岸のバーやホテルでセルメンと接触、相互の部屋を行き来。またホテルなどでは、ジョビンの曲をよく聴いていた、等(インタビュー記事より)

1965年に帰国。スタジオワークやライブ活動の合間に、自宅を開放して後輩ジャズミュージシャンにジャズ理論を講義していた、という(インタビュー記事より)

 

  Bossa Nova ‘67/ Sadao Watanabe Sextet(1967, Mar)

  Jazz Samba/ Sadao Watanabe (1967,Apr, May)

  Sinatra Jobim/ Francis Albert Sinatra Antonio Carlos Jobim(1967)

  The Girl From Ipanema/ Sadao Watanabe(1967, Jun)

  渡辺貞夫氏のオフィシャルサイトのdiscographyには何故か掲載されていないタイトル。後年に編集されたものか?

  Nabesada Charlie/ Sadao Watanabe featuring Charlie Mariano(1967, Jun)

  Sadao Meets Brazilian Friends/ Sadao Watanabe Brazilian 8 (1969)

Nabesada氏がレコード会社からの提案を受けて、単身ブラジル・サンパウロに乗り込んで、地元のミュージシャンを探し、演奏収録したもの。この時に地元のミュージシャン発掘に協力したのが、Ono Lisaさんの父君だったらしい(インタビュー記事より)

  Song Book/ Sadao Watanabe(1969)

  Broadcast Tracks’ 69’ 72/ Sadao Watanabe

 

備考

1959年「兼高かおるの世界飛び歩き」放送開始。1960年より「兼高かおる世界の旅」に改題(1990)

1963年、日米間でのテレビ衛星中継開始。最初の映像は、ケネディー暗殺事件の模様だった。

1964年、日本人の海外渡航制限が解除、自由化される。

1966年、マサキ生まれるw。

1969年、アポロ11号が月面着陸

1970年、大阪万国博覧会

 

この年表メモを眺めてみて、思う事。

1)            Nabesada氏の渡米時期と、ボサノバが米国にもたらされた時期がほぼ同時であり、恐らく同氏はリアルタイムでこの新しい音楽の情報に触れていたのであろうこと。そして、「Getz/ Gilberto」の大成功を現地米国で目の当たりしていたこと。実際に、かなり早い時期からゲイリー・マクファーランドと共にそれらの演奏を開始し、ブラジル出身のセルジオ・メンデスとも直に交流して、その音楽の雰囲気にも触れていた。ということは、米国のスタン・ゲッツ、ポール・ウィンターの立場とそんなに変わりないじゃんか・・・・w。

2)            Nabesada氏が精力的にボサノバアルバムを制作していた19661967年は、丁度フランク・シナトラがついにというべきか、ジョビンと接触して、ボサノバテイストのアルバムを制作した頃で、米国でジャズ・ボサノバを聴かない一般のヒトにもボサノバというものが浸透していっただろう時期と重なっていて、その当時の日本の音楽シーンも、本格的にボサノバを演奏できるNabesada氏をほっておくわけにはいかない状況になっていたのかもしれないな。

3)            それから、Nabesada氏が米国と日本を行き来し、そしてやがては69年に単身ブラジル・サンパウロに乗り込む時代背景・雰囲気を、その頃のエピソードと見比べてみて考えてみると、更に同氏の行動力の凄さが伝わってくるようだ。兼高かおるさんって、ボクらの世代以上の方なら、ご記憶にあると思うのだけれど、このヒト単身或は少数のテレビクルーと共に世界中を飛び回り、毎週日曜日の朝に、芥川隆行さんを相手に軽妙な語り口で各国への旅行の様子を報告する番組を作っていらしゃった。パン・アメリカン航空のジャンボジェット機がオープニングかエンディングに映し出されて、その当時洟垂れガキだったボクでさえ大いに旅情をそそられて、「このよく喋るおばちゃんって、カッコいいな」とあこがれたものだった。69年当時、いくら日本人の渡航制限が解除されたからといって、ひょいと単身地球の裏側のブラジルに乗り込めちゃうヒトって、移民/永住の方を除いて、兼高かおるさんか、Nabesada氏くらいしかいなかったのではないだろうかw。

4)            ボクは、1966年に日本の片田舎に生まれて、物心つくのは多分1969年頃で、当時保育所に上がる際に、登園直後に家に返りたいと大いに泣き喚いたことが記憶にあるのと、万国博覧会に連れて行って貰えず、大いに悲しんでいたことを記憶している。通信手段は、黒色のダイヤル付き電話、通信速度の速いものでいえば電報くらい。ネット全盛の21世紀に比べると情報伝達スピードは各段に遅かった。

家の前の県道は舗装していない砂利道で、周りのご家庭のトイレは汲み取り式のものが多かったのと、冬になると暖房器具として練炭がまだまだ使われていた。日本の当時ってそんな感じのまだまだ埃っぽい時代だったんだ。1964年に「Getz/Gilberto」の米国での大ヒットから67年に「シナトラ/ ジョビン」制作までを同国でのボサノバ音楽の大衆化過程期として捉えるならば、今日のi-tuneもyou tubeのようなメディア媒体もないその当時の情報伝達速度を考えたら、Nabesada氏がアメリカナイズしたボサノバ/サンバジャズを直に米国で吸収し、日本で積極的に演奏・録音していた頃ってそんなに遅くないし、むしろほぼ同時進行だったのかもしれないと思える。それから、上にも書いたけれどNabesada氏の脇を固めた日本のミュージシャンの吸収力も凄かった。

5)  更に云うならば、アメリカナイズしたブラジル音楽のマスターや実演奏に満足するだけでなく、直に現地に乗り込んで、ブラジルの音楽を吸収しようとした同氏のその意欲、音楽に対する嗅覚の鋭さにはただただ脱帽せざるを得ない。「.... Meets Brazilian Friends」に収録された“Ritmo”/パーカッションのみの演奏に同氏の現地の音を掴んできてやろうという意気込み・情熱が現れているようで、何とも眩しさにも似た悦びを感じる。
 


Nabesada Charlie」のライナーノーツをあのジャズ評論家の本多俊夫さんが書いておられて、Nabesada氏が65年に帰国して暫く後の様子について言及されていた。同氏が日本に本格的なボサノバをもたらしたこと、当時の日本のジャズ界を牽引しその将来を嘱望されていたこと、日本ジャズ界の寵児として周囲から大切に思われていたこと、そしてその才能と共に大いなる努力家であることを評価されていた事、など。

 
“そうだったのか…….。やっぱりNabesada氏はずっと凄かったのか。米国から帰国した時点で、周囲は十分にご本人を認めていたのか....。それに満足せずにその後次々に新しい音楽にチャレンジしていったのか。”と改めて強い感慨を覚える。

 この一連の苦悩/ ナベサディストを返上しようか?とさえ悩んでいたこと、そして本多俊夫氏の証言などについてまとまりなく、隣に座っているイチロウに後半戦のアルバムを聴いてもらいながら、駄弁っていると、彼は相変わらず笑みを浮かべながら、確信に満ちた口調で以下のごとく宣った。

 Nabesada氏はねえ、やっぱなんでも出来る侍なのよ。目の前にある音楽と切り結んでバッサバッサ切っていくのよ。それで周りをすごく納得させちゃう。それも笑顔でやちゃうものだから、周囲の奴も、Nabesadaは面白いって、スゲースゲーと言って集まってくるんだよ。そう云う力がNabesadaにはずっと有ったんだよ。その結晶が、ブラジリアン・フレンズだもんなあ。ガバッと相手の懐に笑顔で飛び込んで、現地のミュージシャンを納得させてしまう演奏をしてしまうところが、凄いんだよ。色んな音楽と真剣勝負してやってきた百戦錬磨のオトコの、その本物の顔が、この前のライブで直に見れたんじゃないか。あの時の演奏中に時折見せる鋭い眼光はやっぱ本物なんだよ。おまえもそれを見ただろ。国宝級のヒトなのよ」

 “むむむ~”(大いに納得させられるお言葉w)

 
「ああ、マサキのおかげで、この俺のナベサダに対する数十年間抱えてきた疑問がやっとt解けたような気がするよ。ありがとな、マサキ。」

 “なぬw?。ちょおっと、待って。この企画、イチロウの謎解きの為の企画だったのかw?オイラを置いて行かないで~w”

 

(つづく)

2015年11月15日日曜日

独りNabesada 祭り~1st set 終了・ナベサディスト宣言w編~

Sadao Watanabe Quintet 2015 in Hiroshima

20151113() p.m 7:30 開演 

場所:広島 LIVE JUKE/ 広島市中区8-18 クリスタルプラザ19F

出演;渡辺貞夫(As)、林正樹(Pf)、コモブキ キイチロウ(B)、石川雅治(Ds)、ンジャセ・ニャン(Perc)

  当日演奏された曲目については、知らないタイトル曲があったり、記憶錯誤があるため詳細を書き留めることが出来ません(ゴメンナサイ)。

 

1113日、待ちに待った渡辺貞夫氏のライブを観に行ってきた。当日は生憎の雨模様で、市内は各所で交通渋滞あり、会場のJukeに着いたのは開演10分前だった。イチロウは既に到着していたが、やはり同じような事情でボクが辿り着いた直前にやって来たのだという。

 会場のライブハウス内に用意された席はほぼ満席であった。ざっと見回してボクらと同年代からそれ以上の先輩諸氏が多いようで、100名前後くらいの聴衆が収容されていたようである。

 

 
 
程なくご本人がメンバーを引き連れてステージに登場。

ご本人がマイクの前に立ち「皆さまお待たせしました…….。どうぞ、最後までゆっくりとお聴きください」と挨拶、その声、白髪、顔に刻まれた皺に、流石に同氏の御年を思わずにいられなかった。

「まず1曲目は、フェリシダージです」と言われた時には、内心“ええ?もうその曲からですかあ?”と内心焦るw。

 実は、直前までこの度のライブは、勝手にストレートなジャズ系の曲が取り揃えられるだろうとの期待・予想していたのだが、前々日にポスターで当日の出演メンバーを確認したところ、そのなかにンジャセ・ニャンというどう考えてもアフリカ系のミュージシャンがいることに気が付き、演奏曲目は“なんでもありだなあ”とイチロウと予測し笑っていたのだった。

 いきなりボサノバのスタンダードで入ったのと、この「フェリシダージ」はどちらかと云えば、会場が盛り上がるコンサート半ばか終了間際で演奏されることが多いとの個人的な偏見があったものだから、出鼻から予想を裏切られた格好になってしまった。

 それでも、その演奏はご本人にとって十八番のひとつにされている曲なのだろう、いきなり快調な滑り出し。サックスをひとたび演奏し始めると、先ほどまでの御年を感じさせる風貌はどこかに飛んでしまって、引き締まった表情に時折鋭いまなざしを見せ、衰えを全く感じさせないエネルギッシュな演奏となっていた。1曲目から、Nabesada ワールド炸裂という感じで、瞬く間に彼らの演奏に引き込まれてしまった。

 続いて、101510月に発売されたアルバム「Naturally」から4曲くらい(だったか?)。

(記憶に間違いがなければ、Naturally/ Junto Com Voce/ After Years/ Bem Agora

 Naturally系は、そのフォローコンサートまで取って置いて欲しいなあ”と内心焦るも、実際にその演奏が始まると大満足w。当初CDで聴いた時には、どの曲もあまりピンと来なかったけれど、小編成で演奏されると返ってその曲たちの良さが分かりやすいし、渡辺氏の艶やかなサックスの音色が際立って、とても良かった。特にアルバム1曲目に収録されている同タイトル曲Naturallyは、軽快でアップテンポのジャズ・サンバ曲で同氏の特色が良くあらわされた佳曲だと思われ見直してしまった。

 1stsetの構成の中で際立って印象深かったのは、これらのシリーズの後で演奏された、タイトルは分からないのだが、ンジャセ・ニャン氏のパーカッション・ソロとボーカル(渡辺氏の解説によると、セネガルの神様へのお祈り)から入り、続いてファンク調のナンバーに展開する演奏曲であった。渡辺氏のアフリカ音楽への傾倒・共感性とジャズに留まらないジャズロック・ヒュージョンなどアメリカ音楽全般への愛情が窺える演奏でただ単純に“カッコ良し!、イイェーw”と声を出したくなってしまった。

 そして1st set最後は、ボサノバのスタンダード曲「Chega De Saudade」でノリノリのうち終了、約15分の休憩に入る。


 離れた席で聴いていたイチロウと合流し、しばし語り合う。お互いに「来て良かったなあ」と。イチロウ、やや紅潮した面持ちで気分が高揚している様子。「スゲーよなあ、失礼だけれど、82歳とは思えぬサックスの音色だし、全然息が上がってないもの」「Naturallyは、CDのアレンジよりも、こっちにアレンジが良かったよな。」「聴きに来て大正解だったような」などと言っていた。

 “全くその通りだったよ”と思う。2nd setが非常に楽しみ……

 2nd setは、ボクの記憶錯誤がなければ、「3;10 Blues」という曲から開始。グッとストレートアヘッドなジャズから入り、妙に安心というか嬉しくなる(この度はどちらかと云えば、こういったスタイルの演奏を期待していたので)。続いて渡辺貞夫氏曰く「尊敬していたチャーリー・マリアーノ氏と共演したという2曲」に入る。確か同氏、チャーリー・マリアーノと共作したアルバムが2作品あったと記憶しているが、うかつにもチェックしてなかった。ややメロディアスなラインが特徴的で、同氏の演奏特色や魅力が十分に感じられる曲だったと思う。それから順番は失念したけれど、1999年度のアルバム「Remembrance」に収録されていた「Going Back Home」が演奏された。軽快でラテン調のリズムをバックに快調に演奏。

 そして、この日の2nd setでの演奏のハイライトは、ジャズスタンダード「My foolish Heart」でしっとりと聴かせて会場の聴衆を魅了し氏の音楽世界に引き込んだ後、Baden Powellとかつて共演したという「○○プレリュード」(ゴメンナサイ、タイトルを聞き逃してしまった)で、哀調を帯びた正しく“サウダージ”してしまいそうな曲への展開だった。思わず目頭が熱くなってしまった。完全にこの2曲の展開でボクはノックアウトされてしまって恍惚状態w

その後は、1-2曲演奏があったと思うけれど、完全に失念。頭の中は十分すぎるほどの感動に打ちのめされてしまって、多分十分に働いていなかったのであろうと思うw。

 無事に2nd setが大盛況のうちに終了したのだが、渡辺貞夫氏は息も上がらず意気軒昂そのもの。時刻はそろそろ午後10時近くなり、その御年を考えると躊躇したのであるが、「でもせっかくだから」という雰囲気が会場内には漂っていて、聴衆一同でアンコールを求める拍手。暫く待つと、再びステージに登壇し、アンコール曲を2曲ほど。渡辺貞夫氏やや茶目っ気な笑顔を浮かべて曲紹介「You’d better go, nowを演奏します」とw。

 しっとりとしたバラード曲で、それまでのボクを含めた聴衆の興奮を穏やかに沈めてくれるような名演だった。そして当夜最後の曲となったのであるが、どうも即興演奏のようで、リズムが提示されると、渡辺氏が(多分即興で)ジャズスタンダードの「Tenor Madness」のフレーズを吹き始めた。他のメンバーたちが虚を疲れたように驚いた笑顔を見せ、それについて演奏をしていくという展開、最後は演奏者・聴衆も満面の笑顔で終演となった。

 再びイチロウと合流する。彼、先ほどよりも更に顔面を紅潮させ瞳を潤ませている。「いやあ、本当にNabesada 凄かったよな。不覚にも涙が出そうになった」という。「Nabesadaの音楽世界を見せて貰った感じだよ」と。

 全くだ。演奏する時のあの引き締まった表情と時折見せる鋭い眼差し、そして共演者に演奏を渡した後にその演奏者を見つめるために横を向いた時の横顔に感じられる長い年月。当夜の演目では、長い音楽キャリアで培われた沢山の引き出しから、彼の幅広い音楽世界の一端を披露して貰ったような、それでも渡辺貞夫の音楽世界を網羅して貰ているような曲目構成で、名匠の技を十二分に堪能させて貰ったような、そんな気がして大満足であった。

演奏された曲は、どれもカッコ良く納得できるものだった。ストレートアヘッドなジャズもボサノバも、ジャズロック・ファンクもそしてアフロも、どの曲も説得力があったし、それらが全てNabesadaの音楽に昇華されていた。アップテンポな曲もバラードも、同氏の演奏する曲は、基本的に明るくて聴く者を魅了させてしまう。そして当夜の同氏の演奏は少しの衰えも感じさせないエネルギッシュに溢れた現役バリバリの演奏だった。孫の世代になる演奏者たちの様子には、その眼差しと時折示す笑顔から、同氏との共演を心から幸せに感じ同氏をリスペクトしている様が認められた。


 
 いつものように、コンサートが終わり、会場からふらふらと歩いて近くの居酒屋に移動。そこでオフ会をイチロウと行う。ふたりとも「スゲースゲー」を繰り返すのみであまり言葉にならなかったのであるが、当夜の大感動は十分に共有していた。

Nabesada、本当にカッコ良しw‼ あんな爺様になりてーw」「もう、俺たち断然Nabesada信奉者だよな、俺らNabesadistだよなw」等々。

 

この度、Nabesada祭りと称して、俄か勉強のために同氏のアルバムCD10数枚ほど聴いてみたのだが、あまりの多作ぶりとその音楽性の幅の広さに当初は戸惑う事が多かった。

渡辺貞夫の音楽について、どのように捉えたら良いのかボクなりの答えが出せずにいたのだけれど、当夜のLiveを聴いて物凄く納得と大満足を得ることが出来た。

 その個人的に納得した答えについては、また後日書こうと思う。というのも、ボク達は12月6日に西宮市で開催される「Naturally」フォローコンサートにも聴きに行くという予定があるので、同公演を聴いたうえで、ボクなりの答えをまとめるのが良いだろうと思われる。
 
暫くは、手持ちのアルバムを聴き返しながら、その夜のLiveの余韻を頭の中で反芻して楽しみたいと思っている。

 

~独りNabesada祭り1st set目の終わりw~