2015年6月28日日曜日

“梅雨の合間の晴れ”の日に…….

南九州から四国沖に長らく停滞していた梅雨前線がゆるゆると北上したらしく、私の住む地方では今週の金曜日未明から本格的で強い雨が降り出した。

そろそろ梅雨も後半に差し掛かり、本格的な長雨時期に入ったのではないかと勝手に思っている。金曜日の午前中は業務の都合で外出したのであるが、出先でしとしと降る五月雨を眺めながら、時折写真を撮り梅雨に相応しいネタはないかと考えていた。“「梅雨」という言葉の由来を絡めて少ししっとりと来るものはないものかなあ”、雨男に相応しいネタを練ろうとするものの話題は広がりそうもなく、暫くして諦めた。まあ、もうしばらくの間の宿題としようか。


ネタ探しは諦めて、それでは“本格的な長雨シーズンを如何に過ごそうか”とあれこれ思案してみた。これもまた良いアイデアは浮かばず、結局は鬱陶しい日々をクルマや職場の居室で、雨を眺めながら爽やかな音楽を聴くのが良いだろうと思い定めた。





その日の昼休みにi-tune storeを色々眺め物色していたのだが、紆余曲折を経て選びDLしたアルバムがこれ。

 

 Ella Fitzgerald sings the Antonio Carlos Jobim Songbook

このアルバム、熱心なブラジル音楽愛好家であれば必ずや眉をひそめずにはいられないであろう演奏で、エラ・フィッツジェラルドのヴォーカルはあくまでもソウルフルw、バックの演奏も何とも賑やかしい。これまで私なりに抱いていた各曲のイメージ/ どこかナイーブでラブリーな、そう云った曲想をものの見事にぶっ壊してくれている。恐らくトム(ジョビン)もこの演奏を聴いて流石に頭を抱えていたのではないかと想像するくらいのぶっ飛びようである。

 ただ、ここまでぶっ飛んでエラおばさまワールドを展開してくれると、却って大変愉快でありある種の爽快な気分になった。長雨シーズンの憂鬱さを吹き飛ばしてくれそうである。そんな愉快な気分を反映したわけではないであろうに、天気予報では翌日まで続くと思われたシトシト雨が、その夕方には見事に晴れて美しい夕暮れを見せてくれた。
 

 






本日(日曜日は)、朝から快晴であり辺りは雨で大気中の塵が洗い流されたように光り輝いている。強い陽射しにも係わらず涼しい風が吹いていて肌で感じる湿度も低いようで、大変爽やかな一日であった。北上しかけていた梅雨前線がまた大陸性高気圧に押されるように南方へ後退させられたようである。
 

 私は、生憎仕事場のお留守番係で一日中を職場の居室で過ごしていたが、雑用の合間に梅雨後半戦に向けての音楽選びをしておこうと思い立った。

 


ネット通販サイトで、色々と物色。エラがあるのであればサラにもブラジルものがあるに違いないと踏んで、Sara Vaughanを検索してみた。そうしたら、ありましたw。



 
I love Brazil”と“Brazilian Romance” 

 
どなたかの評価コメントに、サラもブラジル音楽を気に入っていたとか。残念ながら試聴は出来なかったが、多分“ぶっ飛んで”いるに違いない。早速ポチるw。

 そしてついでに、定番の「Jobimもの」でこれまでに持っていなかったCDを物色する。そして何とか見つけ出したのがこの2枚のCDアルバム。「Edu E Tom」と「Inedito」。














 










 それから気になったアルバムが1枚。どうもジャケットの図柄から匂うw。エミール・デオダード編曲によるJobimの曲が数曲含まれているらしい。暫く迷った挙句、イチロウ・ジロウにFBを介して助言を乞う。すかさずジロウより返信があり“must buy ! ”とのこと。大いに力を得て、先ほどのサイトに戻りポチる。 「Love Strings and Jobim」

 

 これで長雨シーズンをインドアで過ごす支度が出来たと云うものである。今年はエルニーニョ現象の影響で日本への太平洋高気圧の張り出しが弱まりそうで、梅雨もひょっとしたら長引くかも知れないとのこと(どこでその記事を見たかは失念したが)。

たとえうっとしい梅雨が例年よりも長かろうと、それはそれでいい音楽を聴きながら楽しもうではないか。ある時には、車窓から或は居室の窓から五月雨を眺めながら、雨がシトシトと降る夜には五月闇に蛙の鳴き声を聴きながら、これらの音楽を楽しむのもよさそうだと独り思っていた梅雨の合間の晴れ日であった。

 

2015年6月16日火曜日

とある週末の夫々のポイント稼ぎ


土曜日の晩に、「さて明日の日曜日は何をするべか?」という話になった。特に予定はなく、愚息どもは夫々に予定が入っていたので、夫婦で何をするかと暫し思案した。
 
カミさんより、某大型スーパーチェーン店が隣町に開店するから行ってみないかという提案があり、その日の新聞に折込チラシが入っていたので、「じゃあ、冷やかしに行ってみるべか」ということになった。
 
カミさん、「○○珈琲店がテンナントに入っているから、そこに行ってみたい」という。名古屋出身で、近年急速に全国チェーン展開して話題になっている店で、この近辺では珍しく確かに話題性はあった。ただ、オイラは昨年3月に彦根でコウスケに連れて行ってもらっているから、そこは経験者と余裕があり、やや上から目線で「じゃあ連れて行ってあげよう」などと返事した。
 
当日何時もの時間に起床して、ゆっくりと身支度。チラシによると午前9時に開店するとの事なので、830分頃いそいそと夫婦でクルマに乗り出かけた。海岸埋め立て工業団地の一角にその建物はあり、次々とクルマがその駐車場に吸い込まれていく。開店前ということもあり、難なく店舗入り口付近に駐車スペースを見つけた、時計を見ると845分。早くも多くのお客さんが入り口付近に集まっている。自分たちの事は棚に上げて、“そんなに早くから並んで一体何を求めているのかねえ”などと夫婦で笑っていた。
 
そのうちに開店時間となり難なく店舗内に入れたのだけれど、いざ入ってみると特別に欲しいものはなく何をして良いか分からない。辺りを見回したカミさんが、「開店セール30%オフ、ポイント10倍」なる店内の張り紙を見つけて喜んでいる。「じゃあ、靴でもみてくるわ」と嬉しそうにその場を離れたので、両側に店舗が並んだ広い廊下スペースに設えられたソファーに座り、ヒューマンウォッチングをぼんやりとすることにした。
 
朝も早くから、老若男女が集まって、キョロキョロと辺りを見回しなが歩いている。個人的に一番微笑ましく感じられるのが、年頃の娘さんとその母親の二人連れ。御揃いのような衣装を着て仲睦まじく歩いている。中には「ちょっと、おばさん、その恰好無理違いますのん?」と突っ込みを入れたくなる方も見受けられるが、多分娘さんの趣味なのだろう。はたまた、若い装いの御爺さんが小さい幼児の手を引いて嬉しそうに歩いている。「ははあ、これは多分娘さんのお子さんなのだろう。娘さんから少しは小奇麗な格好してよ等と言われてプレゼントして貰った、ジーンズにカラフルなシャツなのだろうな」、それから若い夫婦の幼児を連れた家族づれ、その光景に在りし日の己の姿を重ねて、勝手に懐かしい想いをいだく。口には出さないものの勝手に妄想を展開し、平和的な光景に勝手に共感させて貰った。
 

しばらくそんな調子でぼんやりと辺りを眺めていると、カミさんが戻って来て「この靴3500円の30%引きでポイント10倍ついたわ」とご機嫌な表情を浮かべている。
 
それじゃあ行くかと移動を開始したが、カミさんは「子供のパンツを買っておこうか。代わりにちょっと試着してみれおくれ」「そう云えば、カバンが・・・・・。」「そうだった。父の日が近いから夏物のクール敷布を買って実家に送ってやろう」「ああ、靴下一足170円だって、安いねえ。子どもすぐにやぶっちゃうもんね。10足選んで頂戴」などと言いながら、あちらこちらのテナントに入っては、着実に購入している。「だって、30%オフでしかもポイント10倍だもの。これはお得よねえ。」だとw。
 

“ちぇ、どんなにお得でもオイラにとってはお得な事ちっともないじゃん”とポーカーファイスを保ちつつも舌打ちする思いでいたら、先方は鋭く察したらしく、「そこに○○(生活雑貨店)があるから、何か見ておいで」という。
 
“ハイ、ハイ”と言われるがままに、その生活雑貨店に入り、物色した挙句買ったものは当直用の洗顔フォーム一個に歯ブラシ1本。それほど欲しいと思うものは見つけることができなかった。
 
その後もカミさんと合流して、ぶらぶらと広い店内を散策した。午後11時頃には、カミさんは大満足でお茶でもして引きあげようということになり、○○珈琲店を探しその前に辿り着いた。驚くことにそのお店前は大行列が出来ていて、入ることを諦めた。いくら有名な珈琲店がわが街に来たからと言って、何も行列を作らなくても・・・・。
 
辺りを見渡すと、昼前の店舗内は大混雑の様相となっていた。
 

それにしても、どうして開店セールにポイント10倍という言葉にヒトって弱いのだろうねえ。さっきから歩き回って観てみるに、新規開店といっても全国展開の大型スーパーでありどの店舗を訪れても似たようなものだもんなあ。そんなに欲しいというものが有りそうにもなかったのだが。
 
ただ景気回復には、消費者の貪欲な勾配がけん引するのは間違いないのだろうから。「開店セール、ポイント10倍」を合言葉にどんどんと消費してくれるのは、我が国の景気回復に貢献してくれているのには違いない。
 
“なんだか変な社会システムの中に組み込まれてしまっているのだなあ、まるでマグロみたいじゃないか。消費社会という海を泳ぎ続けないとボク達の社会システムは死んでしまうなんて”などと、目の前に掲げられている張り紙を見ながらぼんやりと思った。
 
しかし、大して深刻には考えていたのではない。先ほどから満足し超ご機嫌状態となっているわが愚妻を見るにつけ、「これで1週間平穏無事に過ごせるのであれば、開店セール、ポイント10倍ってのも、赦す!」と言うものだ。梅雨の中休み状態の晴天の日だもの、そう難しく考えずイージーゴーイングで行きましょうw。
 
 
そのお店(有名輸入食料品店)から出て来たカミさんがボクを見つけると、「そろそろ混雑してきたし引きあげようか?」という。
 
“え?”「まだ食べ物を買っていないじゃないか?こういう開店の時は、絶対に良い魚を用意しているに決まっているから、晩御飯のおかずを買って帰ろう」と、今度はボクが俄然やる気を出してカミさんを説得。生鮮食料品コーナーを目指す。
 
“なぬ、イベリコ豚の豚トロかいな、良いねえ”とひとパック購入。そして、数メートルそのままスライドし鮮魚コーナーを至る。ありしました(パチパチ)。マグロw。“どれどれ、本日は長崎産養殖マグロか。中トロの一柵1500円?なかなか良いんじゃないのw。その右横には養殖鯛一尾500円w!安いじゃないの”と俄然嬉しくハッピーな気分になる。
 

結局、あれほどヒト様の消費行動を揶揄しながらも、己も物欲と食欲全開にして現代の消費社会のモードに何の衒いもなく便乗。結局はこれらのマグロと鯛をゲットして独り悦に浸っていた。
 
 
夫婦とも大満足で昼過ぎに帰宅。「まだ半日余っているねえ、有意義だねえ」と我が愚かなる夫婦のご機嫌状態は続いていた。
 
昼食後、つい調子に乗って家の掃除機かけを自ら買って出て掃除を敢行。返す刀で次男の定期試験で散らかし放題になった部屋を本人に片付けさせるべく監督し一部手伝った。そして夕方になると、出先からも戻ってくる長男の迎えまで、自ら申し出た。
 
そう、この機会に便乗してボク自身のポイントも普段の10倍稼いでやったのであったw。これを“徳を積む”と一部関係者の間ではスラング用語として使っているw。
 
そして、愚かなる夫婦の束の間の休日は暮れてゆき、めでたくも、その日の夕食は昼間に買ったお魚を中心にして手巻き寿司パーティーとなり、それに便乗して何気なく白ワインを一本テーブルにのっけて、ご機嫌の内に呑みほしたのであった。
 
以上、梅雨の合間の晴れた日曜日に無趣味でおバカな夫婦がお互いにせっせと夫々の思惑を働かせ、夫々のポイントを稼いだというお話でした。お粗末w。
 
おしまい

 

頭の中はわさわさと・・・・・・。


前の週に急遽、512日に東京で開かれる会議を覗いてくるようにとの業務命令があり、前日11日に職場を早退し、午後552分発の「のぞみ」に文字通り飛び乗った。

 


指定席に着くと、何時ものごとく飲み物・弁当、そして単行本1冊をテーブルに乗っけて用意は整った。新幹線が定刻通り発車すると、缶ビールを開けて本を広げて読みだしたのだが、此度の旅行中の「課題図書」は少々私には苦手分野というか食わず嫌いの純文学作品で、読み進めて行くには大変苦労した。

 

 
 
 
その作品は、三島由紀夫の「潮騒」。これまで三島由紀夫の作品を一度も読んだことがなかった。文学に疎い私としては、彼の作品に触れる前に、彼の言動や行動が「昭和の事件史」としての世間的記憶に刻印されてしまったこと、耽美的と評論される作品群の評価に間接的に触れたせいもあって、これまでは半意識的に敬遠してきた。今年の4月ころだったか、三島由紀夫について取り上げたニュース番組を2度も見ることがあり、そろそろ自分なりにきちんとその作品と向き合ってみる必要があると心に決めて、本屋に行った際に適当に当たりを付けて2冊ほど購入したのであった。ただ購入してからも読み始める決心がつかず、ずっと鞄の中に入れたままにして回避しきた。

 

そして此度の出張中でまとまった時間を確保出来そうであったので、取りあえず1冊は読み切ってしまおうとこの「潮騒」を開いたのであったが、私的には少々期待外れで、後になって、この作品が三島作品の中でもちょっと特異な位置にあることをイチロウから教えられ、ため息を付くことになった。

 

ビールを一本開けたところで、次にハイボール缶を開けて弁当をつまみに呑みつつ、「潮騒」を喘ぐような心持で読み進め約半分読み終えた頃に、東京駅についた。時刻は、午後10時前だった。

 


有楽町までJRで移動し、地下鉄有楽町線に乗り換えて築地界隈にある某ホテルへ直行。ホテルにチェックインしたところで、すこし元気を取り戻し、折角だから近場の寿司屋にでも行こうかとも思ったが、サイトマップを見ると私が当てにしていたお店はもう既に閉店している様子であったのと、当夜の天気は雨が降ったりやんだりの状態だったので、潔く諦め、ホテル横にあったコンビニでアルコールとおつまみを購入し部屋で独り酒盛りと読書の続きをすることにした。
 
 
 

 

「潮騒」との格闘を再開したものの、どうもこの作品がしっくりと馴染んで来ない。この作品を綴っている文体が、果たしてあのドナルド・キーンさんが大絶賛したほどの美しい文体なのかどうか。どこかぎこちなく感じさせる物語の構成(流れない感じ)・設定が先にあるようで(ああそうか、戯曲ぽいのか?)、アルコールを呑みつつもなんだか程よく酔えなくて、そのうち妙な疲れが溜って来て、いつの間にか泥のように眠り、目覚めたのは翌朝650分頃だった。

 

予定された会議は午前10時から大手町の某ホテルで開催されることになっていたので、ゆっくりとシャワーを浴びて、テレビニュースを1時間ほど観て、午前9時過ぎにチェックアウト。再び有楽町まで地下鉄で戻り、都営三田線に乗り換えて大手町まで移動。地下通路を辿って会議場所のホテルに着いたのは、午前930分頃だった。

 
 

このホテル、実は以前にも来たことがあって、その時はイチロウとはとバス観光をして遊ぶのに前日宿泊したことが有った。もう10数年前の話で、その時は昭和の面影を残す古びた建物であった。ちょっと意外で残念な気持ちにさせられた印象があったのだが、この度来ていみると多分丸の内界隈の再開発に合わせて建物を新築しリニューアルオープンされたのだろう、都会的に洗練された建物になっている。立地している環境と建物が見事に調和していて、地方から出て来た者としては大変喜ばしい。意味もなく嬉しくなって晴れやかな気分となった(この辺り我ながら能天気だと重々自覚している)。

 

午前10時から始まった会議は、2-3の大切な情報を私にもたらしたが、午後2時過ぎには重要な議題は済んでしまい残すところは役員の信任選挙となったため、午後4時にお開きになる予定のところを私は230分に退散することにした。

 

帰りの新幹線は午後62分発の指定を取っていたので、十分に時間が余っていた。

 

「さて何をするべか?・・・・・・・」しばらくホテルのロビーでぼんやりと思案していた処、思い出したのが「ミュゼ浜口陽三・ヤマサコレクション」だった。大手町からだと地下鉄・半蔵門線で二駅目の水天宮駅界隈にあった。我ながらのグッドアイデアを持ったものだと歓び、早速同コレクションに向かう。

 


浜口陽三さんの作品に出会って約10年は経つか。旅行先の美術館で偶然に知り、忽ちその作品の虜になった。浜口陽三は日本を代表する銅版画家で数々の国際的な賞を獲得され、国内外で人気の高い作家である。メゾチントという手法を用いて生み出された作品は静謐さのなかにも、秘めたパッションが感じられ、観る者を釘づけにすると思う。漆黒の中にぼんやりと赤など暖色系で浮かび上がる「さくらんぼ」「蝶」、或は月のように浮かんでいる「クルミ」や「毛糸玉」などが印象的、その他にもアスパラガスやブドウなどをモチーフにしたものや、「巴里の屋根」「突堤(だったかな)」風景をモチーフにしたものがある。
 
 

 

この「ミュゼ浜口陽三・ヤマサコレクション」は小さなギャラリーで多分その収蔵作品にも限りがあるだろうが、それらの作品を眺めていると静かな安らぎを感じ、ささやかな充足感を得ることが出来る。この度は、「浜口陽三・丹阿弥丹波子 二人展 はるかな符号」と題した特別展が開催されていた。

 
 
 
 
 
 
 

 
丹阿弥丹波子という作家はこれまで知らなかった。やはり銅版画家でメゾチントの手法で制作した作品を展示してあった。このヒトの作品も凄い。植物とグラスを題材にした静物画をモチーフにした作品が特に目を惹いた。植物の茎・葉脈まで克明に引かれた線、グラスの底で反射した光の線など、銅板を削りながらこれらのラインを入れていく作業(過不足なく線を刻印していく作業)を想像すると、その作家の情熱というか精神性に畏敬の念を抱かずにはいられない気分になった。



 

この度この小さなギャラリーを訪れたのは3度目であり、見慣れた分感動も少ないのではないかという予想は良い意味で裏切られ、期待以上の幸福感を得られた。これからもこのギャラリーにはやってくるだろうな。

 

 
 
 
 
 
 
すこしこのギャラリーの喫茶コーナーで休息を取り、午後5時すこし前に地下鉄を使って東京駅まで戻る。八重洲口地下でお土産を物色し2-3購入した後、あるビアホールに入り、独り打ち上げをする。

 


独りで東京に出て来てくると、用事なり遊びなり歩き疲れて何処かで食事兼休息を取ることになるが、気の利いた店に入りたいのだけれど、結局は見つけられず仕舞いとなり、目立つ佇まいを持つこのようなビアホールに最終的には入ってしまう。そして、ジョッキに入ったビールにソーセージだのポテトなどを頼む。周囲には大概にしてサラリーマンのグループが機嫌よく何やら勢いよく駄弁って飲み食いしている。それを当方は毎度毎度眺めては、勝手に疎外感を抱いている。ビアホールなんぞ決して独りで入るところではないのだが、毎度そんなことを20代始めから繰り返してきた。サラリーマンのグループの様子を垣間見ながら、何時も思う事があって、それは「あの機嫌よく呑んでいるグループには、今までにも入れなかったし、これからも入ることはない」ということで、独りで歩き回った後の疲れに酔いも手伝って、訳の分からない社会的マイノリティー気分や引け目を感じていたのであるが、この年になってくるとそのような理屈にならぬ鬱屈した気分からは卒業したようであり、遅ればせながら改めて、自分の居場所を確認したような心持であった。

 

そのビアホールを出た後は、飲み物とお弁当を購入すべく某デパ地下のお惣菜コーナーをうろついたのであるが、商品とそれを求めるヒト達の賑わいが大盛況で本当に凄いことになっていて、私もつられて物欲・食欲全開状態となったのであったが、泣く泣く2点に絞り夕食を購入したのであった。一点目は一際目を惹いたマグロのお寿司の詰め合わせ;これは昨晩のリベンジ、そして天麩羅の盛り合わせ。

 

そして帰りの新幹線は、独り打ち上げの2次会と「潮騒」の後半戦に立ち向かうことになった。途中で、つい音を上げてしまい、イチロウに「潮騒」が分からぬと打電すると、暫くして返信があり「そりゃそうだ、三島作品に取り組むのであれば“金閣寺”“豊饒の海”“仮面の告白”辺りから入っていかないといけないだろう」とのことであった。元文学少年だった彼が云うのだから、そのとおりなのだろう。まだ三島由紀夫に出会う事すら出来ていないのかとがっかりとした気分となった。

 

“それでも”と思い直し、「潮騒」と決着をつけるべく読み進めた。意外にも予定調和的ハッピーエンドw。何の陰りもない朝の連ドラになりそうな展開とその物語の完結。解説を読むと、「ああなるほど」と思えた。取りあえずこの作品の感想は保留として、イチロウから示唆された作品をまずは読んで行こうかと思った。

 

一体東京に何をしに行ったのか?

 

三島由紀夫の事始めの出だしが少々間違ったことの確認、浜口陽三との再会、そして丹阿弥丹波子作品の個人的発見。そしてひたすら頭の中で独り駄弁り・潜在的な軽躁状態。

 

ああそうか、優れた芸術作品に触れたおかげで、己の精神が掻きむしられたような状態になっていたのかもしれない。
 
おしまい