2015年4月30日木曜日

音楽三昧の一日


「音楽三昧の一日」と題したものの、何てことはないバカ親日誌です。

 

429日、高校2年生になる次男の行事に半日付き合う。

 

午後12時前に彼の音楽発表会を観るべく地元の区民文化センターに出向く。幼稚園年長の時から習っている先生が開くピアノとバイオリンの発表会で、2年に1度のペースで開催されている。高校2年生になった彼にとっては、この度が最後の会になるはずである。

 

午後1215分から、ちょっとしたリハーサル・指馴らしを終えると、奴め、会場を離れて何処かに雲隠れしてしまった。本人は否定するものの緊張感があったようであるが、親も毎度のことながら、本人以上に緊張してしまっていた。この緊張感は何度味わっても嫌ですねw。

 

午後1時30分よりスタートで、年下の子どもさんからの発表が始まる。夫々にとても可愛らしい、一張羅の服を着せてもらって一生懸命に演奏していた。“我が家にもこんなに楽しい時代があった”と懐かしい気分を暫し味わう。

 

経験年数に合わせて、前回も見た子ども達、或は次男と同世代のヒト達が次々に発表していくのだが、演者の年齢が上がるにつれて、演目も技術上高度になると同時に各個人の表現力も豊かになって、一人ひとりの心の成長が窺えた。特に次男世代の数名は先生の予想に反して途中でドロップアウトすることもなく、高校生になるまで続けてきた様子で、夫々に音楽が好きだったようである。これまで12年間、彼らの発表を2年に1度定点観測的に見て来たのであるが、夫々技術的な到達点は異なれども、“へえ、この子がこんな演奏するようになったのか”と彼らの内面の成長ぶりに素直に驚き感動する場面が幾度となくあった。夫々に選曲にも彼ら独自の好みが反映されて、そして素直に表現している。そこには10代の内面を映し出すような瑞々しさがあって、オジサンとしてはちょっと目頭が熱くなったかw。

 

息子の演奏が終わった後、座席に帰ってきたところで、「良かったのではないか。色んな意味でおまえらしさが出ていたよ。音楽好きであることは十分に伝わった」と伝えたところ、本人曰く「音楽はエンターテイメントだからね。しっかし思わぬところでミスったなあ。全くこのままじゃ終われない、レッスンはもう1年続けさせてくれ。」という。

 

横で聴いていた家内が慌てて「今日でレッスン止めるつもりで、お礼とか準備してきたのに」というが、本人は大曲をひとつ習ってから終わりにしたいと主張し譲らず。結局、最終的に本人の希望を受け入れ1年レッスンを続行することになった。

 

午後3時45分頃、発表会終了。先生に日頃のお礼を述べて、区民文化センターを後にする。そこから次男の高校に向かう。新入生歓迎のプログラムのひとつである「音楽会の夕べ」なるものがあり、彼が所属するスクールバンドが演奏することになっていた。

 

次男は中学よりクラブ活動で、クラリネットを演奏しているのであるが、何時の間にやらこの楽器に熱心になってしまった。その分、それまで習っていた楽器の練習は疎かとなってしまい、親としてはちょっと残念な想いで眺めていたのであるが、一方でこの楽器のおかげで音楽にどっぷりと浸かる学生生活を過ごすようになり、自他ともに認める音楽好きになってくれたようであることについては喜ばしく思っている。

 

音楽会は、午後6時から始まり、午後7時過ぎに終了したのだが、途中、パートごとの楽器紹介やちょっとしたダンスらしきパフォーマンスあり、次男を含めて演奏者の若さに溢れたユーモアやエネルギーが感じられ観ていて気持ち良かった。

 

帰宅したのは午後8時過ぎ。次男のおかげで楽しい一日を過ごせたが、でもこうやって子どもの「発表会」なるものを楽しめる時代もそろそろ終わりが近づいていることを思うと、ある種の感慨が残った。
 
おわり

2015年4月21日火曜日

クジラの竜田揚げをたらふく喰らうの記

このblogにはくどくどと書かなかったのであるが、最初にトンカツを、そして次にチキンカツのチーズ焼きをほんのお裾分けのつもりで私が作って食べさせたオトコがいる。

 
お世辞も含まれていようが、それなりに「旨かった」と感想を述べた。あれこれ食べ物の話について雑談していると、次第に調子付いて来て(この場合、私がand/orそのオトコが、という問題があろうが、この場合どちらもとしておく)、そのオトコ「次は・・・・、」と鹿肉のカツ食わせろ、イノシシ肉のカツを食わせろなどとうるさいw。「俺に豚だ、鶏だと言わずに、野性味あふれた肉のカツを食わせろ」という。

 
「オレは基本的にジビエ無理だから」と抵抗すると、じゃあ「鯨肉の竜田揚げで良い」と言うではないかw。

 
私が、「このご時世に鯨肉を食べるなんざ、グリーンピースとシーシェパードのポール・ワトソン君を敵に回すことになるぞ。」と軽くいなそうとするも、「何言ってんだ、貴様それでも日本人か!」と絡む。

 
結局、“鯨肉食いたいオトコの情熱”に根負けし、彼の所望どおり鯨肉の竜田揚げを作って食わせることにした。

 
クジラの竜田揚げ、私たち世代以上の人間には非常に懐かしいのではなかろうか?

よく給食に出て来た。ちょっと硬かったけれど香ばしくて、クラスの間でも結構人気があったような記憶がある。それから個人的には、父が鯨肉が好きだったこともあり、我が家の食卓に鯨肉を生姜醤油漬けにして小麦粉の衣をつけてフライパンで焼いたものが、時々出ていた。私もその鯨肉料理は大好物だった。

 
それが小学校を卒業したころから、ほとんど食べなくなった。多分その頃から一般的に学校給食にも日本の食卓にも鯨肉は出なくなったのであろうな。

 
この辺りの経緯や昨今の鯨を巡る背景的話題については、この場合割愛する。そもそも、社会情勢について真面目に議論するためのblogではございませんので、スミマセン。

 
鯨肉を最近見かけることも少なくなったが、時折行く大型スーパーの鮮魚コーナーの片隅に鯨肉のブロックが人知れずw、ひっそりと置かれているのをつい最近チェックしたばかりだったので、“鯨肉情熱オトコ”の要請を受け、先週日曜日午後に鯨肉を購入すべくそのスーパーに赴く。

 
目的の鯨肉(刺身用)はあるには有ったけれど、賑やかな刺身パック詰めが幅を利かせている陳列棚に、たった2パックが置かれているだけであった。日曜日の昼過ぎに多数のお客で賑わう生鮮食料品コーナーに華々しく選り取り見取りの刺身パックが陳列棚を彩っているのに、赤黒い柵ブロックにお客の誰もが見向きもしない。

 
“なんとも惨めな・・・・、何とも憐れな・・・”と、昨今の日本人の食生活における鯨肉の微妙な立ち位置にある種の憐憫の情を覚えずにはいられないが、一方でこのお肉って本当に大丈夫なのかという一抹の心配が生じる。前日そのオトコとの別れ際に、そのオトコ(:あ、ついここは語気が乱れるがw)「鯨肉の竜田揚げ失敗したら、オレは知らんぞ!」などと言うではないかw。この場合の失敗とは①妙に獣臭い ②妙に硬くて噛み切れない、の2点だと思われるが、実際の柵ブロックを前に暫し考え込んでしまった。“このブロック失敗したら、この俺が全部食うのか?それはしんどいなあw。”

 
しばし悩んだが、意を決して鯨肉の柵ブロックをひとパック購入。その他副菜を作るべく少しの野菜を買い足し、職場近くの実家に直行する。

 
午後3時過ぎに実家に辿り着き、早速支度に取りかかる。

 
献立

    鯨肉の竜田揚げ、粉吹かない芋w、玉ねぎのスライスとレタス幾片

    新玉ねぎ、人参、マッシュルームのポタージュ

 

以下作業工程はあくまでも時系列に沿って

 
1) タレ作り

日本酒一カップ、醤油半カップ、みりん半カップ、大き目のニンニク片1個分・同程度生姜の塊を夫々にみじん切りしたもの、砂糖大さじ2杯。それと小さじ一杯程度のごま油を入れて、混ぜた。

 


2) 鯨肉;ミンククジラ約170g:ミンククジラは実際に見たことないなあ。その形が想像できないくらいの柵ブロック。時間がないこともあり、なるべく短時間でタレを馴染ませて臭みを取りたいこと、挙げた際に肉が硬くなって食べにくくなることがけねんされることから、約5㎜の厚さでスライスすることにした。

 
 
 

3) タレに漬けこむ:実際に肉をスライスしてみると、思いの外肉は柔らかくイメージとしてはマグロの赤身を切っているような感覚だった。全部スライスし終えたところで、その肉片を先ほどのタレの入ったボウルに入れて、冷蔵庫で約2時間ほど漬け込むことにした。

 

4) 鯨肉を付け込んでいる間に、ポタージュ作りに取り掛かる。本日用意したものは、マッシュルーム4個に、人参1/2個、そして新玉ねぎ1個。その他、ローリエの葉3枚、水200ml、牛乳100ml、バター小さじ2杯程度、コンソメブロック1個。塩・コショウ各すこしずつ。

 

5) マッシュルームは1/4、新玉ねぎ・人参は適当な大きさに切って、水200ml入れたお鍋の中に投入。その他、ローリエの葉3枚、コンソメのブロック1個が入り、これを15分間煮る。

 

6) 夫々の野菜に火が通ったところで、ローリエの葉をちゃんと取り出した上で、フードプロセッサーに投入し、これは何と云うのかしら、煮込んだ野菜を粉々にする(これって正しい表現でしょうか?)。

 
 
7) ピューレ状になった野菜たちを再び鍋に戻し、牛乳100ml、バター小さじ2杯程度、味を見ながら塩・コショウを入れて味を調える。これでポタージュは出来上がり。

 

 
8) 先ほどの鯨肉を取り出すにはまだ早いので、暫く待つ間にその他の副菜に取り掛かり、玉ねぎのスライスを水にさらし、小吹芋を作る。結果的にジャガイモを塩ゆでしたものの、上手く粉吹かずw。

 
9) タレに付けた始めて2時間経った鯨肉を取り出し、片栗粉を塗す。

 

10)           フライパンにサラダ油を多め(肉片が十分に浸るほど)に入れて熱する。中火にして焦げないよう、そして火を通し過ぎない程度に揚げて、出来上がり。

 

11)           盛り付けたらこんな感じw

 


 

午後6時少し前に出来上がった、鯨肉の竜田揚げと新玉ねぎとマッシュルームのポタージュを仕事の都合で職場に残ってくれているオトコのもとに運ぶ。

さあ、召し上がれ、イチロウ君w。

 
イチロウ、「おお」と言い「では早速」と鯨肉を頬張る。みるみるうちに相好が崩れ、目が潤んでいる。「これうめえなあ。良く出来ている。全然臭くないし柔らかい・・・・・。」

ほっと胸を撫で下ろす。
 
「ポタージュはそれなりに旨いけれど、この鯨の竜田揚げ本当に旨いなあ」という。このオトコが幸せそうに物を喰っている様子をこれまでに見たことがない。「俺ねえ、鯨肉大好物だったんだよね。ポール・ワトソン君が何といおうと、日本人は鯨肉を喰うべきでよなw」だと。御代わりいるかと問うと、イチロウ「是非とも」という。結局全体の2/3はこのオトコの胃袋に収まった。作った甲斐大いにあり。よかった。

 
その後、私自身も試食してみる。うん、旨し。懐かしい味。
 
ふと幼き日におふくろが私を連れて街の魚屋に行き、陳列ケースの右上端に置かれてあった赤黒い肉塊を注文している光景が脳裏に蘇った。

 

おしまい

2015年4月14日火曜日

イチロウ、マサキ、春の白木街道を往く

びわイチが終わり、日常生活に戻り筋肉痛が癒えた頃、3月下旬だっただろうか、イチロウより、「マサキそろそろ暖かくなってきたところで、三次まで一丁走ってみようぜ」との誘いがあった。「良いコースを見つけたんだよ。国道54号線じゃなくてさ、三篠川沿いを上がっていくんだよ、そんなに急な勾配もなさそうだし、ざっと140㎞くらいかなあ。ただ、帰りは基本下り坂だから、結構楽なはずだよ」と。

 私は、何気なく「ああ良いよ。まあ、びわイチで140㎞以上走ったことだし」と応じた。びわイチを経験したこともあり、100㎞越えの身体的負荷がどの程度か分かっていたし、走れないこともないだろうと踏んでいた。

 イチロウの解説によると、三篠川沿いの幹線道路は県道37号線で広島市内と三次を結んでいて、別名「白木街道」と呼ばれている。ネットで調べても、街道名の由来は分からなかった。ただ面白いのは、太田川水系である三篠川を上っていくとやがて三次手前の向原地区に至り、ここが標高200m程度で分水嶺になっていて、そこから三次盆地が始まり、日本海側に注ぐ江の川水系となる。即ち三篠川の上流に向かっていくと向原地区の峠を越えると今度は江の川の下流に向かって走ることになる。ちょっとどんな具合になっているのか面白そうに思えた。

 
412日午前730分に、芸備線(広島駅から三次駅を結ぶ)の安芸矢口駅に集合することになった。事前にイチロウより私の自宅から当該駅まで自転車だと30分くらいで来ることが出来るだろうとの予告であったので、自宅を午前7時に出るつもりであった。

 


当日、きちんとw630分に起床し、身支度を整えて予定通り午前7時に出て、太田川の土手沿いの道を自転車で進んだ。早朝から土手沿いの遊歩道にはジョギングをする人たちが散見されて、夫々にとても気持ちよさそうであった。天気も薄曇りながらも晴れて穏やかな春の日が始まっているようであった。但し川べりに吹く風は冷たい。Gilberto’sチームジャージにレッグウォーマーでは腰から下肢が冷えて、やや心許なかった。



 

それに思いの外安芸矢口駅が遠かった。おまけに駅付近に辿り着いた筈なのに、案内表示板が全くない。午前8時近くになっても駅に辿り着けないので、イチロウに電話を入れ、遅刻を詫びる暇もなく指示を聞く始末であった。
 
 
 
 

それでも8時過ぎに安芸矢口駅に辿り着きイチロウと落ち合う事が出来、早速出発。暫くは、太田川からその支流である三篠川の土手沿いの遊歩道を進むことにした。

 

 
 
 
三篠川の堤防上には細い舗装された道があり、堤防の左右の下草は綺麗に刈られてうつくしい。向う岸の山には広葉樹が広がっていて、所々に新緑が認められ、川の水は前々日までの雨の影響かたっぷりとした水量が緩やかに流れていた。

 
思いの外、穏やかで美しい眺めが広がっていて、自転車初心者にとっても楽しめる良いコースのように思えた。さらに季節が進んで初夏や秋などに川べりでピクニックやバーべキューをしても気持ちが良さそうであった。

 この先を向原地区手前まで、三篠川沿いの径や県道37号線からところどころ左手に並行して走る旧街道を利用しながら三次に向かって進む。

 
旧街道沿いでは、単線で電化されていない芸備線の線路を真横に見ながら走った。タイミングが良ければ、芸備線を走るディーゼル車両を間直に見ることが出来るだろう。テッチャンには堪らない光景だろうなとイチロウと笑う。

 
やや勾配のきつい峠を越えて、午前930分過ぎに、安芸高田市の白木地区に至る。県道37号線沿いのコンビニで小休止を取る。私は迷わず、水分と栄養補給に走るw。びわイチ以来、摂取できる時に十分な水分と栄養は補給しておくべきであることを学んでいた。缶コーヒーに明太子入りおにぎりを腹に収める。



 

 
 
 
 
 
 
 
再びしばらく旧街道沿いに戻る。丁度、駅に電車が止まっていたので、写真を一枚。良い眺めである。今度来るときは芸備線を使って輪行し、三次から庄原辺りをツーリングするのが良いかも。

 


芸備線、県道37号線・旧白木街道が、三篠川でできた谷間を走っていて、左右に広がる山々や田畑の風景は、のどかで素晴らしい。広島に住んできたのに、全く知らない初めての風景であった。

 

 
 
 
向原地区手前で再び県道37号線に入り登っていくが、目に見えないわずかな上り勾配のようであり、ずっと向かい風を受けて走っているために思うようにスピードが出ない。あっという間にイチロウにちぎられ大幅に遅れる。ひたすら、県道を走っていると、イチロウが道路端に自転車を降りて立っている。「ここだ」と手招きしながら待っている。「ここのじょうもんアイス有名らしいぞ、喰っていくべ」という。

 
 


白木地区を出発して30分も経っていなかったと思われたが、自転車ロングライドの際には、“喰える時には喰っておくべし”という教訓を得た私としては、反対する理由はなく、素直にイチロウの提案を受けて店の中にはいる。私は「じょうもんアイス」と「神の蔵アイス」のダブルを注文。誠に旨し!さっぱりとして優しい味であった。疲れが取れました。なんだかすこし元気が出て来た。

 

ここから先が、この度のハイライト向原地区の峠坂が始まる。しばらく向かい風を受けつつと決してきつくはないが長い上り坂を進む。イチロウは早くも先を往き、私は私のペースでゆっくりと登って行った。そしてピークを過ぎると、緩やかな下り坂を気持ちよく降りる。

 

その坂を降りると、国道54号線沿いにある安芸高田市吉田町に向かう三叉路があり、その交差点にあるコンビニにはバイクのツーリング集団らしき人たちが休息を取っていた。そう云えばここまでの道中で自転車ツーリングしているヒトも散見された。この白木街道は二輪族にとっては、誠に良いコースなのだろうなと思われた。

 

しばらく走ると、今度は左手に江の川が見えて来た。我々の進行方向に川が流れている。正しく分水嶺を越えた実感が湧く。暫くするとイチロウが待っており、左手に入って川沿いを走ろうという。その通りに進む。更に左手には国道54号線も並行して走っているのが見える。三次に近づいてきたようである。

 

江の川の堤防にも径が設けられている。ふと川面を見ると、鵜が浮かんでいる;おお三次と云えば鵜飼漁!、それから先ほどから雲雀の啼く声も聴こえてきている。雲雀好きの私としては大変感動w。間直で雲雀が飛翔するのも見えた。これはラッキーw!。来た甲斐がありました。

 

暫く進むと、県道37号線が終わり54号線に合流。本当は、三次市内のJR三次駅を折り返しポイントとしたかったが、時刻は12時に近づきつつあり、復路の事を考えるとそれは断念せざるを得なかった。中国縦貫道三次インター1㎞手前の国道沿いにあるうどん屋で昼食・休息を取り、ここを折り返しポイントとした。

 


おにぎり2個と天麩羅うどんを食べて空腹と疲れを癒し、30分程度休息。店の外で軽く肩と両脚のストレッチをして、午後1230分頃に出発、基本的には来た道をひたすら帰ることにしたが、復路は旧街道を使わず、主に県道37号を走った。

 

30分程度は腹ごなしもありゆっくりと走ったが、お腹がこなれてくると少しペースアップ。イチロウも往きは私に合わせてゆっくりと走って来てので、少し物足りなかろうと思われ、先ほど通過した吉田別れの三叉路にあるコンビニで落ち合う事にして、それぞれのペースで走ることにした。イチロウあっという間にペースを上げて、ちぎられる。本当に見えなくなってしまった。

 

何故か帰りも向かい風、一体どうしたことだ。再び向原地区まではなだらかな目に見えない程度の登り坂であるため、思うように進まず。イチロウを追走することは早々と諦め、周りの景色を眺めながら走る。辺りは明るく春の陽気が包んでいる。両側の山々の景色は美しい。

本当ならば、立ち止まって何枚か写真を撮りたいという想いに駆られるが、ここは我慢でひたすらペダルを漕ぐ。

 


やがて休息ポイントのコンビニ辿り着く。コンビニ入り、血糖値を挙げるために、アイスクリームを購入。コンビニの駐車場に座りアイスをかじっていると、吉田町方面からやって来て県道37号線を広島方面に走り去ったバイクの兄さんが居た。如何にも速そうな風体である。“ああ、イチロウに火が付いたな”と思うw。

 

「次の集合ポイントは来る際に休憩を取った白木地区のコンビニ前ね」と話し、再びそれぞれのペースで走ることにした。帰りの向原地区の峠は勾配が緩やかでそれ程の苦も無く通過することが出来たが、あっという間に再びイチロウにちぎられ見えなくなってしまった。ここから先は基本的には下り坂であったので、漕ぐ分には楽であったが、反面股間の痛みが強まっていてこれには多少閉口したw。個人的には、100㎞を越えると股間が痛くなるようであり、ひとつの課題だなとひとり思う。やはり100㎞を越えるツーリングの時には、パッド入りパンツを2枚重ねすべきか。

 

苦痛を覚えつつペダルを廻していると、やや予定よりも早く白木地区のコンビニ前に辿り着く。イチロウが待っていて、「早く着いたからまだ休まずに走ろう。一時間前後走った先のコンビニで休もう」ということになる。

 

更にイチロウあっという間に見えなくなるw。わたし、ボチボチとポタリングペースで走る。股間だけでなく、両肩、腰の凝りによる痛みがピークに達しつつあったが、春の陽光に輝く左右の山々の新緑を眺めていると、自転車で出て来た甲斐があったとしみじみと思う。

 

それにしても、イチロウと私の体力の差は如何ともしがたい。去秋のしまなみ海道サイクリングの頃はもっと走れた気がするし、びわイチでもこんなものではなかったと思うのだが。

 

やっぱり、もうそろそろ“燃え尽き症候群”を返上して、トレーニングを再開しないとなあなどと思う。今シーズンもやりますか?

 


その後、上深川地区のコンビニで休息を取る。この辺り広島市に近づいたこともあり、往来も人気も賑やかさを感じる。すっかりと広島に戻って来た気分となる。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
この辺りから交通量が増えてきたため、再び三篠川の土手道を使って帰ることにする。土手沿いには、近隣の人たちが散歩していた。イチロウがふと自転車を停めて、「向う岸の風景がヨーロッパぽいよな」と写真を撮り始めたので、私もつい写真を撮る。そうしていると向うからクラシックなカメラを首からぶら下げた初老のオジサンがやって来て、同じ方向にカメラを向けた。しばしイチロウがその初老のオジサンに話しかけて、カメラ談義をしている。春の穏やかな午後の風景ではある。
 
 

 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
その後も、その川沿いをポタリングしながら下る。結局、安芸矢口駅付近には午後330分頃に到着。そこからそれぞれの自宅までポタリングしながら帰ったのであった。

 





私はイチロウと別れた後、太田川沿いの遊歩道を下ったのであったが、多くのヒトが思い思いにジョギングしていて、春の休日の川べりの平和的な光景を見る。

 

良いですね、日本の春景色。

 

結局自宅からの往復では140㎞程度走ったことになった。所要時間;往路5時間程度、復路4時間程度である。途中水分と栄養を十分に取りながらの行程であったので、脚を攣ることはなかった。体力的な疲労感もびわイチに比べると酷くはなかった。ゆっくりとしたペースであれば、140㎞の走破も可能であることを確認。ただやはり一人だと飽きてつらいだろうから、連れは必要だろうと思えた。

この度のルートはこちら。
 http://latlonglab.yahoo.co.jp/route/watch?id=f79f813e5bbd0fa06f29b938e348fbd1

さて次はどこへロングライドしようかw?本格的なバイクのシーズンの幕開けを告げる一日ツーリングとなった。

おしまい