前日午後10時過ぎに就寝し、目覚めたのは15日午前3時過ぎ。その後、うつらうつらと浅い睡眠を繰り返し、午前5時前に起床した。
昨年の粗相wによる緊張もあったのだけれど、本当の緊張の原因は練習不足であり、本番148㎞を走破・完走出来るのかという不安が有ったの事も否めない。今年の1月に、びわ一に向けて頑張るぞとブログで宣言したのであったが、1月下旬に職場の周辺60㎞を走行した後は、仕事や家庭内の事情で、走るタイミングを失っていた。
昨晩、ジロウより「マサキさん、あれから自転車に乗ったの?」と尋ねられ、「この1か月半走れず仕舞い。どうも竜頭蛇尾オトコでいけんなあw」と軽く応じたのであったが、内心は“やばさ100%”の心持であった。
すっかり目覚め頭が働き出したところで、“今日の目標は自転車のトラブルがない限り、マイペースで走り完走すること”と思い定めた。
ベッドを離れ、熱いシャワーを浴びて体を温めたところで、昨日買ったおニューのジャージに着替え、荷物を整理し、午前6時過ぎにロビーに下りた。暫く待つと、イチロウ、ジロウ、ヤマグチ青年が其々に身支度を済ませて集合。
エントリー登録が4人一緒にした筈であったのに、イチロウとジロウは6時30分スタート、ヤマグチ青年と私が6時45分スタートとなっていた。先発組の二人が去年の経験から、集合スタートの管理が緩いので、後発の我々と同じ時間にスタートするとした。6時20分頃四人揃って、自転車で近くのスタート・ゴール会場までポタリングし、大会事務局に登録確認をし、暫しの間スタート時間を待った。登録確認をしてみると、参加者は4000人から5000人の間のようであり、この大会の人気の高さが窺えた。気温は恐らく2℃くらいで、裏起毛のジャージ上下の上にウインドブレイカーを着込んでも肌寒く感じた。
ヤマグチ青年が、「しまった、クルマの中にグローブを忘れたので取に帰ってきます」という。私、「エカッタ。俺だけじゃあなかった。忘れ物クラブじゃん」とウヒャウヒャと笑う。
なんとかヤマグチ青年はスタート時間までに戻ってきて、4人一緒にスタートを切ることが出来た。
ここから先の事、余り語りなくないなw。どこをどう走ったのか、ゴール直後の時点で忘れてしまっていた。途中スマホで写真を撮る精神的余裕も実はなかったw。ただ湖北エリアの渋滞で待っていた時に見た山々の峰に残る雪、ずっと左手に穏やかな湖面を映していた琵琶湖、途中何か所か通り過ぎた旧街道沿いの古い佇まいを残す町並み、ただただ美しかったなあ。
ここから先に示す写真は、ジロウが走行の合間に撮ってくれて後にネットサイトにuploadしてくれたものを本人の了承を得て使わせてもらう事にした。この場を借りて、ジロウにお礼を言います。ありがとう。
まずは、帰ってから後ルートラボを引き、細かい箇所は間違っているかもしれないけれど、大体のルートを再現しているので、興味のある方は確認してみて欲しい。
スタートポイントの時点で、イチロウ・ジロウから「とにかく一緒に走ろう。その方が楽しいから。」との提案があった。誠に優しき申し出かなw。
各スタート時間には、同じ組の1000人近い参加者が、順次30秒間隔で数十人ずつ出発、スタート会場を出て琵琶湖沿いの道を反時計回りに走行。しばらくは湖岸の道路は参加者の列が数珠つなぎのようになっていた。湖北に向かって走っていることもあり、空気はキリリと冴えわたり吐く息も白く、気持ちの良い走行であった。4人揃って遅い集団をパスしながら、それでも私にとって問題のないペースで流せていたと思う。
やがて湖を離れて山間の道に入りしばらく行ったところで、謎の自転車渋滞に出くわす。自転車を下りて歩いていると、どうも8号線に左折して入る交差点で信号待ち渋滞が発生しているらしかった。ここで1時間弱のタイムロス。ここは多分コースの中での最北端、周りの山々には残雪があり、空は青く澄み渡りしばらくぼんやりと眺めるには良かったが、足元から上がってくる冷気とジャージの中でかいた汗で体が冷えてしまったようで、これには少々参った。
やがて8号線を左折し、最初の坂道に差し掛かる。ここは実力差を考えて他の3人に先行してもらい自分のペースで走ったが、それでもつい力を入れてしまったのと両下肢が冷えていたせいもあり、両大腿部が早速攣ったw。やってしまったわいw。まだ20㎞を過ぎたばかりなのに、この先思いやられるなあと思った。山間部のトンネルを幾つか越えて、なだらかな下り坂を降りると、第1エイドステーション「あじかまの里」に到着。
すぐに、イチロウ・ジロウを発見。イチロウとジロウは、そこの売店に並んでいる名物の食べものを物色し、「どれ、喰うべ?」と笑っている。全くの余裕w。片や早くも下肢のトラブルを抱えたオトコやや意気消沈気味。それでも大会オフィシャル側が用意してくれた、おにぎりと暖かい味噌汁を腹に入れると少し疲労が回復したようであり、この先も自分のペースを守れれば何とかいけそうな気がした。イチロウが、「ここから第2エイドステーションまでのコースは、今大会の中で一番美しいよ」と声をかけてくれたのもモチベーションを維持できる助けとなった。
ヤマグチ青年も間も無く見つかり、第1エイドステーションを4人揃って出発。暫くは山間の道を辿り、湖岸道路に入るべく左折、両側に畠を臨む田舎道でイチロウとジロウ、続いてヤマグチ青年がペースアップ湖岸道路に入る集落を右折する頃に、完全に置いて行かれてしまったw。
道路の舗装もこの辺りは荒れていて、路面からの強いショック、再び脚が攣り始めたこともあり、追走を諦め自分のペースをキープすることにした。湖北地区から湖西地区に至る湖岸の道路は、行き交うクルマはなく全くの田舎道であった。左前方に見える湖面は静寂、湖岸にはキャンプが出来そうな広場や、所々別荘小屋あり。ふと見ると野生のサルが歩いていたり。所々で、他の参加者が自転車を停めて思い思いに休息を取っていた。本当に美しい。暫し私も自転車を停めて、のんびりと景色を愛でたい誘惑に駆られたが、あまりに遅れると、他の3人が心配するであろうことや、本格的に休んでしまうとそのままモチベーションが失速してしまいそうで、“ここは我慢”と走行を継続。
不思議なもので、少しペースを落としペダルを廻していると両大腿部の痙攣は治まって来た。同じようなペースで漕いでいるヒトの後を追っていると、気分的にも大変楽であった。湖岸の田舎道を出て再び幹線道路に近くに出たり、それに並行する松林の中の湖岸道路を走り、左右の景色を眺めていると気分的に落ち着いた。ただひたすら第2エイドステーションの県立公園・こどもの国を目指した。なだらかな傾斜の坂道を上っていると、先行集団が揃って左折するのが見えた。第2エイドステーションの県立公園こどもの国に辿り着いたようであった。
入り口近くで、イチロウ・ジロウを発見w。既に配給の食べ物を摂取し一休みしているようであった。私が、「随分待たせてしまったか?すまなかったね」と二人に声をかけると、イチロウが「それほどもないよ。大丈夫か、脚が攣ったか?」と応じた。
後でイチロウの言うところによれば、私が最後まで持つのか相当心配していたらしい。ジロウも「最後までみんなで走ろうよ。その方が楽しいから…..。」と言ってくれる。全くかたじけなく候、イチロウ・ジロウ兄弟よw。
私は、携行したボトルのポカリスエットを少々、大会オフィシャルが配給してくれた、おにぎり1個、バナナ1/4ポン、私が多めにつけて塩辛くしたゆで卵1個を腹に収めた。どうもロングライドでは迷わず水分と栄養補給はしていた方が良さそうであった。次回参加する際には、ヤマグチ青年愛用のコンデンスミルク・チューブとは云わないまでも、何か栄養補給食を携行した方が良さそうだw。
私の休息を他の3人が待ってくれて、第2エイドステーションを出発。ジロウが再び「みんなで走ろう」と声をかけてくれる。ここから先は、湖西地方の幹線道路を走るエリアが多く多少緊張したが、ジロウの声掛け通りに遅れがちの私を所々待ってくれながら、4人で走行。脚を攣ることはなかったが、少しずつ疲労がたまってきたのは確かであった。彼らの配慮が本当に有難かった。
この先、向陽町界隈で進路を左折し琵琶湖大橋に差し掛かるのであったが、大橋に差し掛かる交差点で再び自転車渋滞が発生。これは私にとっては溜まった疲労を和らげるのに幸いしたようであった。大橋に差し掛かる坂道部分で、ジロウに先に行ってくれるように頼み、私は同じペースで漕いでいた女性参加者に合わせて上り下り坂を走行。この橋に差し掛かったころ激しい空腹に襲われて、ハンガーノックアウトに陥りそうであったのだが、その後もその女性の背中を観ながら走行していると、何とかペースを維持することが出来、無事に第3のエイドステーション・鮎の家までたどり着くことが出来た。
第3のエイドステーションに辿り着いて辺りを探したが、イチロウ・ジロウ・ヤマグチ青年が居ない。“果て、先に出発する筈もないし…..”空腹に耐えかねて探すことを諦め、花壇の縁に座り、大会オフィシャルが配給してくれたカレーライスと小鮎の唐揚げを食す。誠に旨し、ジロウがここの小鮎の唐揚げが楽しみと言っていたけれど、確かに美味。香ばしさの中にほろ苦さがあって、ついお代わりを頼みたくなったのだが、お腹は膨れてこれ以上の摂取は拙かろうと思いとどまる。食事を済ませトイレに並んでいる頃、イチロウ・ジロウから連絡あり、無事合流を果たす。
彼らは、琵琶湖大橋の頂上から少し下ったところで自転車を停めて私を待ってくれていたらしい。そうだったか、確かに集団で泊まっている箇所があったなあ。私はハンガーノックアウト状態で周囲を見るゆとりもなく、先行してくれている女性サイクリストの背中を観ていたから、彼らをすっかり見落としてしまっていたらしいw。
彼らが食事と休息を取っている間に、両肩の凝り(これに先ほどまで悩まされていた)と下肢の筋肉をほぐすために軽いストレッチなどし、疲労回復に努めることにした。彼らを追い越してしまったおかげで、少し長めの休息を得たことや本格的な栄養補給とストレッチで自分での疲労が回復できた実感が湧いてきた。他の3人から、走行距離は100㎞を越えてゴールまで残すは40数キロになっていると知らされたことも、更に勇気を得ることになったのだった。
ジロウが、「第4エイドステーションで振る舞われる近江牛コロッケが、これまた旨いんだよな」などと笑っている。十分に休息を取った後、4人揃って出発した。但し行く手には、最後の難所・近江八幡市界隈の山道があり、そこを乗り切れば後はゴールまで湖岸の平坦な道が続いている筈であった。
~つづく~