2015年3月26日木曜日

季節は、また一回転し………..。

本日は、beautiful day の形容が相応しい一日である。空気はまだ肌寒さを感じるが、暖かい春の陽光に辺りが輝き、空は青く澄み渡っていた。

 


気が付いてみれば、3月も下旬に差し掛かり本格的な春を迎えていて、blogを書き始めて2年経った。

 

この1年間は、仕事においても私生活においてもその前の年に比べて大変忙しかった。思うようにならないことも多く、不機嫌な心もちで過ごすことも多かったように思える。自然とblogに対してもそれまでと比べると力が入らず、気分転換にとblogの場所を変えた。書く場所を変えて、より日記的で自己開示的な内容になってしまったのだが、偶然に訪れる方にも、定期的に読まされる方にも、これらの悪文は読み辛かっただろうなと思う。

 限られた普段交流のある方に読んでもらう事を前提に、ごく私的なことをこのblogで書き綴っていくつもりが、不用意にメジャーな名詞を入れたタイトルを付けると、アクセス数(ページビューイング)が増えてしまい、頭の中で知人の顔を並べてみても、それ以上の方が訪れたことがあり、恥ずかしく内心慌ててしまったことが幾度かあった。特に「びわ一2015」というタイトルを付けたものの中には、今日現在で31回をカウントしたものもあり、その文章のあまりの貧弱さを思うと、誠に困り果てしまった。

 すこし後知恵がついて、今後はタイトルに用いる名詞は、あまりポピュラーでないものしようと思った。

 Blogを公開していて不特定の方が訪れるのは当たり前なのだけれど、書く私にしてみれば書きたい特定の対象がある訳でもなく、またそれらの対象についての情報が最新のものでもない。或は、日々起こっている事象や現在の社会情勢について意見をしたいわけでもない。意図的にその真逆の取るに足らないことをダラダラと駄弁りたいだけで、それを私の周囲の知人に「また、マサキがくだらない事を書いている」と笑ってもらいたいというのが主たる動機であるので、偶然にもこの駄文に目を通しておられる方がいたら、あるオッサンが独り交換日記ごっこをして遊んでいると思っていただけたら有難いと思っている。

 この1年間は、びわ湖一周ロングライド2014に始まり、同ロングライド2015で終わったような気がする。その間私の個人的なビッグイベントは、Gilberto’sの面々と交流したことが主軸となっていて、その間はそのイベントに向けて独りで地理・文化的なことや音楽的な事を取り上げて遊んでいたような気がする。

最初に仕事・プライベート生活において忙しかったと述べたが、ストレスに押しつぶされることなく過ごせたのは、彼らに遊んでもらったおかげであり、そうやって心の平衡を保てていたのだなとつくづくと思える。

 びわ―2015が終わった後、気候が不安定のせいか或は生活上のフラストレーションのせいか、暫く落ち着いた気分で過ごせないでいたのであるが、今日のような明るい陽光の日差しを浴びていると、不機嫌な心もちを明るい気持ちへ切り替えるように促されているような、自然の力を感じた。

 ふと職場の敷地内にあるケーブルに、一羽の燕が止まり乱れた羽毛の毛繕いをしているのが目に留まり、そして遠くからウグイスの鳴き声が聴こえて来た。


 

考えてみれば、生まれてから季節が49回転し、40代最後の春が訪れた。また静かに新しい季節が始まろうとしている。そして、その季節の流れが、私の背中をそっと押してくれそうな気がする。

“歩を前に進めるのであれば、穏やかで前向きな心もちでこのまま進んで行くべし”と独り想ったりした。


(追記)
遅ればせながら、スマホをi-phoneに買い替えました。綺麗な写真が撮れるのが誠に嬉しい限りw。

 

2015年3月25日水曜日

びわ湖一周ロングライド2015 ④ ~ゴール編~

3エイドステーションを午後130分過ぎに4人揃って出発。私は、昼ご飯をしっかりと摂取できたことや少し長めの休息が取れたことがあり、自覚的には随分と疲労が回復したように思えた。再び、自分たちよりもゆっくりとしたペースで走行しているグループを追い越しながら、湖岸道路を北上。やがて見覚えのある地域(昨年近江八幡で遊び行き来した)に差し掛かる。

 
ちょっとした丘を越える部分で、集団のペースが遅くなり、イチロウがジロウと接触し、危うく転倒しガードレールを乗り越えて斜面を転落しそうになるアクシデントがあったが、彼の咄嗟の機転で大事故に至らず済む。その後、再び平坦な道を進み、近江八幡市付近の長命川を渡ったところで、湖岸道路から左折してより湖岸のupdownに富んだの県道25号線に入った。

 
大会参加者からみると、長距離を走ってきたところで最後の難所となり、昨年のイチロウ・ジロウの経験ではこの区間で大いに消耗したとのことであった。ここから先は、自分のペースをキープして走ることした。本格的に山道に差し掛かる手前で、他の3人がすこしペースダウンしてくれたので追いつくことが出来たのであるが、ジロウに私の方から「自分のペースで走るので先行してほしい」旨伝えた。

 
丁度、私と同じペースで走っている御揃いのジャージを来たグループを幸運にも発見し、そのヒト達にペースメーカーになってもらったおかげで、大失速を来すことなくこのなだらかな上り下りの田舎道を進むことが出来た。このエリアは、湖に臨む山の斜面に沿って左右に曲がりながら緩やかなupdownが続くのであるが、ひとつの上り下りをこなしてほっとしたところに入江があって、そこに下りていくと再び勾配の少しきつめの登り坂がやってくる。峠を越えてホッとしたところに、再び登り坂となり、危うくじけそうになるが、そこもペースメーカーになってもらっている先ほどグループのヒト達と無理のないペースで乗り越えることが出来た。

 
この最後の難所の部分を乗り越えると再び湖岸道路に差し掛かるのだが、その手前で先行していたヤマグチ青年を発見。その後ろ姿を見て、オジサン、ちょっと嬉しくなり追いかける。先ほどの昼飯により疲労回復したこともあり、脚の痙攣はまったく起こらずw。やがてヤマグチ青年に追いつくと、ふたりでゆっくりとしたペースで先行する他のグループを時々追い越しながら、最後の第4エイドステーションを目指す。大変平坦な道のりで、左手には干拓で開墾されたであろう広々とした農耕地が広がっていた。

 
“この湖東から湖北にかけての伸びやかな風景も優しくて気持ちいいものだ”と思う心のゆとりもあった。

 
場所の名前は忘れたのだが、彦根市市街地に入る手前の道路沿いパーキングスペースに設けられた第4エイドステーションに到達。先に到着したイチロウ・ジロウと合流。大会オフィシャルの通過チェックを受けた後、ジロウ推奨の近江牛コロッケを貰う。

 
このコロッケ、確かに旨かった。またまた元気が蘇ったw。ここに1枚のジロウが撮ってくれた写真あり、疲労困憊のオッサンがコロッケ持ってトボトボ歩いている。お恥ずかしいのだが、このくたびれ具合もびわ一初参戦の良い想いでの一コマとして、ここに掲載しておこうと思うw。


 
短めの休息を取った後、四たび、四人揃って出発。イチロウ、「ここから先は、マサキの得意な平坦道路がゴールまで続くぞ、どうだw?」という。

 
“そうね、ここまで3人に引っ張ってきたもらったものなあ、最後に行けるところまでGilberto’sのペースメーカーを一丁やってみるかw”と決意。私が先頭で出発することにした。

 
4エイドステーションからゴールまでは、イチロウが予告したように平坦な道のりで、少々退屈なコースでひたすら湖岸道路を進んだ。彦根から長浜までの交通量も多くなっていた。自動車の往来を気にしながら、車列が切れたのを後方確認しながら、他のゆっくりとしたペースのグループを追い越していった。

 
後ろの方で、イチロウが「マサキが、アタックしたいらしいぞ」と笑っている。

 
その後、私なりに34回ほどのアタックを繰り返していた。自称“コロッケ走りw”をゴール後にイチロウが「凄かったなあ、コロッケの力だなあ」とねぎらいを込めて笑っていた。

 
彦根市市街地を通り過ぎる頃に、私が4回目のアタックをかけたのを合図にイチロウ、ジロウ、続いてヤマグチ青年が猛然とアタックをかけてそれまでの縦に伸びていた集団を一気に引き離しにかかった。続いて23人の他のサイクリストが後を追いかけて行ったが、私には追撃する力が残っていなかった、敢無く引き離される。湖岸道路から再び左折し、岸辺の舗装の荒れた径に入り、路面から強い衝撃を受けたところで、推進力を更に失った。

 
その後は、ひたすらゴールを自分のペースで目指す。両下肢の痙攣は起こさなかったが、お尻の痛みはピークに達し、両肩痛、両下肢の疲労は如何ともしがたかった。満身創痍・疲労困憊状態で左前方に見え始めたゴール付近の建物を目標に我慢の走り。そして、湖岸道路からゴール会場に左折し、最後はトボトボと、そして、ゆっくりとゴールw!

 
ゴールには若い女性のアナウンスで参加者一人ひとりを讃え、多くの大会スタッフが手を振って私たちのゴールを祝福してくださった。素直に感動w! 広場までそのまま走行し、一画にある自転車止めにバイクを吊るした後、暫く広場を歩くと、ベンチで先にゴールをした3人が待っていた。イチロウが「ラストスパートの最後の最後になって、ジロウに抜かれた、悔しいw!」と笑い、ジロウも「前半抑え気味に走ったのが良かった」等、満面の笑みで応えていた。タフネス兄弟w!


 
一休みした後、記念写真の列に並び、ステージ上で4人揃って肩を組んでポーズ。写真を見ると、皆良い笑顔している。

 

その後、昨晩泊まったホテルに戻り、皆で大浴場に入り全身に溜まった疲れを癒す。その日は終日肌寒く、ゴール後はすっかりと冷え切った身体であったが、四肢の疲れを癒すのには、この熱いお風呂は誠に心地よかった。

 

イチロウと二人で湯船につかりながら、この度のロングランを振り返った。イチロウは「本当に良かったな、4人で走れて愉しかったじゃないか」と言ってくれる。その時私は、「ああ、そうだなあ」としか応じることが出来なかった。

 
「楽しかったか………? ハードでしたw。他の3人に随分迷惑かけたなあ。でも、落車・交通事故もなく、身体的にもバイク的にもトラブルなく完走出来て良かった。」と思った。その時は“楽しかった”というよりも“無事に乗り切ったという安堵感”の方が実感として強かったように思う。

 
もう少し時間があれば、四人で打ち上げの飯を食べて解散したかったのであったが、生憎電車の時間が迫っていて、取りあえずレンタカーに4人乗り込み、関東組を米原駅まで送り届け、午後6時過ぎに解散となった。彼らはそのまま輪行で新幹線に乗り東京へ、我々広島組は京都までクルマで移動し、レンタカーを返却することになった。

 
今回のびわ湖一周ロングライドも昨年に続き、前日に大失態(前日のジャージ忘れ)をやらかしてw、本番もやっとの想いで3人に引っ張ってもらうということになり、我ながら恥ずかしいやら情けないやらwの遠征になってしまった。もう偉そうなことは言えないようなあ、帰路の新幹線の中でそんな事を思ったりした。

 
ただ、びわ一2015が終わってから日常に戻り、ふとした時にあの時のことを時々思い出してみるに、ヒトの記憶とはいい加減なもので、時間が経つにつれて、苦しさよりも良かった感情体験や映像的記憶しか思い出せなくなっているw。 

 

早朝に、湖北地方に向かうステージで露に濡れた路面の上をキリリと冷えた空気を切りながら走行したこと(ふと振り返ると、ジロウが猛然とスパートをかけて、風切音を立ててながら追い越して行ったシーン)。湖北から湖西地方に向かう田舎道で、独りで眺めた琵琶湖の静けさ、湖西地方の旧街道沿いの古い街並、びわ湖を囲む山々の峰に光る残雪。自転車でしか味わえないような近江地方の風情を一日で堪能できた。そして、各所で他の3人が私をペースダウンしながら待っていてくれた後ろ姿など:ここはちょっと感傷的に述べてしまったけれど、日常の雑事・年齢を忘れて童心のように無我夢中になれて本当に楽しかったと思う。風景もGilberto’sのメンバーとの交流も己の体力との会話も、どれも忘れがたいものになったとしみじみと思う。



 
初めての100㎞越えどころか140㎞越えを走破したのだけれど、また独りでこの距離を走れと言われたら、ちょっと躊躇してしまうだろうなw。やはりチームで参加したからこそ、140㎞以上の道のりを完走出来たのだと思う。

 
“本当にもう充分にびわ一を堪能しました、ご馳走様でしたw。”

 
もう充分に堪能した、やりつくした感があるのだが……….w、また来年誘われたらどうしようかw?

 

そうだった、まだGilbeto’sのなかで私一人「よか楼」のサバそうめんを食べられていなかったのだったw。サバそうめんを喰わずして、近江からの撤退はないわな。

 

そうだ、来年はサバそうめん制覇目的で、再度びわ―に参加しようw!

 
最後に、Gilberto’s(コウスケもツイッターで参加してくれたw)の面々に感謝を。そして素晴らしい大会運営・サポートをしてくださった大会関係者に感謝申し上げます。来年もどうか宜しく……….w

 

~おわり~

 

 

2015年3月21日土曜日

びわ湖一周ロングライド2015③~本番・脚のトラブルに泣く編~


前日午後10時過ぎに就寝し、目覚めたのは15日午前3時過ぎ。その後、うつらうつらと浅い睡眠を繰り返し、午前5時前に起床した。

 
昨年の粗相wによる緊張もあったのだけれど、本当の緊張の原因は練習不足であり、本番148㎞を走破・完走出来るのかという不安が有ったの事も否めない。今年の1月に、びわ一に向けて頑張るぞとブログで宣言したのであったが、1月下旬に職場の周辺60㎞を走行した後は、仕事や家庭内の事情で、走るタイミングを失っていた。

 
昨晩、ジロウより「マサキさん、あれから自転車に乗ったの?」と尋ねられ、「この1か月半走れず仕舞い。どうも竜頭蛇尾オトコでいけんなあw」と軽く応じたのであったが、内心は“やばさ100%”の心持であった。

 すっかり目覚め頭が働き出したところで、“今日の目標は自転車のトラブルがない限り、マイペースで走り完走すること”と思い定めた。

 ベッドを離れ、熱いシャワーを浴びて体を温めたところで、昨日買ったおニューのジャージに着替え、荷物を整理し、午前6時過ぎにロビーに下りた。暫く待つと、イチロウ、ジロウ、ヤマグチ青年が其々に身支度を済ませて集合。

 エントリー登録が4人一緒にした筈であったのに、イチロウとジロウは630分スタート、ヤマグチ青年と私が645分スタートとなっていた。先発組の二人が去年の経験から、集合スタートの管理が緩いので、後発の我々と同じ時間にスタートするとした。620分頃四人揃って、自転車で近くのスタート・ゴール会場までポタリングし、大会事務局に登録確認をし、暫しの間スタート時間を待った。登録確認をしてみると、参加者は4000人から5000人の間のようであり、この大会の人気の高さが窺えた。気温は恐らく2℃くらいで、裏起毛のジャージ上下の上にウインドブレイカーを着込んでも肌寒く感じた。

 ヤマグチ青年が、「しまった、クルマの中にグローブを忘れたので取に帰ってきます」という。私、「エカッタ。俺だけじゃあなかった。忘れ物クラブじゃん」とウヒャウヒャと笑う。

 なんとかヤマグチ青年はスタート時間までに戻ってきて、4人一緒にスタートを切ることが出来た。
 
 

 ここから先の事、余り語りなくないなw。どこをどう走ったのか、ゴール直後の時点で忘れてしまっていた。途中スマホで写真を撮る精神的余裕も実はなかったw。ただ湖北エリアの渋滞で待っていた時に見た山々の峰に残る雪、ずっと左手に穏やかな湖面を映していた琵琶湖、途中何か所か通り過ぎた旧街道沿いの古い佇まいを残す町並み、ただただ美しかったなあ。

 ここから先に示す写真は、ジロウが走行の合間に撮ってくれて後にネットサイトにuploadしてくれたものを本人の了承を得て使わせてもらう事にした。この場を借りて、ジロウにお礼を言います。ありがとう。

 まずは、帰ってから後ルートラボを引き、細かい箇所は間違っているかもしれないけれど、大体のルートを再現しているので、興味のある方は確認してみて欲しい。
 

 スタートポイントの時点で、イチロウ・ジロウから「とにかく一緒に走ろう。その方が楽しいから。」との提案があった。誠に優しき申し出かなw。

 

各スタート時間には、同じ組の1000人近い参加者が、順次30秒間隔で数十人ずつ出発、スタート会場を出て琵琶湖沿いの道を反時計回りに走行。しばらくは湖岸の道路は参加者の列が数珠つなぎのようになっていた。湖北に向かって走っていることもあり、空気はキリリと冴えわたり吐く息も白く、気持ちの良い走行であった。4人揃って遅い集団をパスしながら、それでも私にとって問題のないペースで流せていたと思う。

 
やがて湖を離れて山間の道に入りしばらく行ったところで、謎の自転車渋滞に出くわす。自転車を下りて歩いていると、どうも8号線に左折して入る交差点で信号待ち渋滞が発生しているらしかった。ここで1時間弱のタイムロス。ここは多分コースの中での最北端、周りの山々には残雪があり、空は青く澄み渡りしばらくぼんやりと眺めるには良かったが、足元から上がってくる冷気とジャージの中でかいた汗で体が冷えてしまったようで、これには少々参った。



 やがて8号線を左折し、最初の坂道に差し掛かる。ここは実力差を考えて他の3人に先行してもらい自分のペースで走ったが、それでもつい力を入れてしまったのと両下肢が冷えていたせいもあり、両大腿部が早速攣ったw。やってしまったわいw。まだ20㎞を過ぎたばかりなのに、この先思いやられるなあと思った。山間部のトンネルを幾つか越えて、なだらかな下り坂を降りると、第1エイドステーション「あじかまの里」に到着。


 
 すぐに、イチロウ・ジロウを発見。イチロウとジロウは、そこの売店に並んでいる名物の食べものを物色し、「どれ、喰うべ?」と笑っている。全くの余裕w。片や早くも下肢のトラブルを抱えたオトコやや意気消沈気味。それでも大会オフィシャル側が用意してくれた、おにぎりと暖かい味噌汁を腹に入れると少し疲労が回復したようであり、この先も自分のペースを守れれば何とかいけそうな気がした。イチロウが、「ここから第2エイドステーションまでのコースは、今大会の中で一番美しいよ」と声をかけてくれたのもモチベーションを維持できる助けとなった。

 ヤマグチ青年も間も無く見つかり、第1エイドステーションを4人揃って出発。暫くは山間の道を辿り、湖岸道路に入るべく左折、両側に畠を臨む田舎道でイチロウとジロウ、続いてヤマグチ青年がペースアップ湖岸道路に入る集落を右折する頃に、完全に置いて行かれてしまったw。

 道路の舗装もこの辺りは荒れていて、路面からの強いショック、再び脚が攣り始めたこともあり、追走を諦め自分のペースをキープすることにした。湖北地区から湖西地区に至る湖岸の道路は、行き交うクルマはなく全くの田舎道であった。左前方に見える湖面は静寂、湖岸にはキャンプが出来そうな広場や、所々別荘小屋あり。ふと見ると野生のサルが歩いていたり。所々で、他の参加者が自転車を停めて思い思いに休息を取っていた。本当に美しい。暫し私も自転車を停めて、のんびりと景色を愛でたい誘惑に駆られたが、あまりに遅れると、他の3人が心配するであろうことや、本格的に休んでしまうとそのままモチベーションが失速してしまいそうで、“ここは我慢”と走行を継続。

 不思議なもので、少しペースを落としペダルを廻していると両大腿部の痙攣は治まって来た。同じようなペースで漕いでいるヒトの後を追っていると、気分的にも大変楽であった。湖岸の田舎道を出て再び幹線道路に近くに出たり、それに並行する松林の中の湖岸道路を走り、左右の景色を眺めていると気分的に落ち着いた。ただひたすら第2エイドステーションの県立公園・こどもの国を目指した。なだらかな傾斜の坂道を上っていると、先行集団が揃って左折するのが見えた。第2エイドステーションの県立公園こどもの国に辿り着いたようであった。
 
 

 入り口近くで、イチロウ・ジロウを発見w。既に配給の食べ物を摂取し一休みしているようであった。私が、「随分待たせてしまったか?すまなかったね」と二人に声をかけると、イチロウが「それほどもないよ。大丈夫か、脚が攣ったか?」と応じた。

 後でイチロウの言うところによれば、私が最後まで持つのか相当心配していたらしい。ジロウも「最後までみんなで走ろうよ。その方が楽しいから…..。」と言ってくれる。全くかたじけなく候、イチロウ・ジロウ兄弟よw。

 私は、携行したボトルのポカリスエットを少々、大会オフィシャルが配給してくれた、おにぎり1個、バナナ1/4ポン、私が多めにつけて塩辛くしたゆで卵1個を腹に収めた。どうもロングライドでは迷わず水分と栄養補給はしていた方が良さそうであった。次回参加する際には、ヤマグチ青年愛用のコンデンスミルク・チューブとは云わないまでも、何か栄養補給食を携行した方が良さそうだw。

 私の休息を他の3人が待ってくれて、第2エイドステーションを出発。ジロウが再び「みんなで走ろう」と声をかけてくれる。ここから先は、湖西地方の幹線道路を走るエリアが多く多少緊張したが、ジロウの声掛け通りに遅れがちの私を所々待ってくれながら、4人で走行。脚を攣ることはなかったが、少しずつ疲労がたまってきたのは確かであった。彼らの配慮が本当に有難かった。
 
 この先、向陽町界隈で進路を左折し琵琶湖大橋に差し掛かるのであったが、大橋に差し掛かる交差点で再び自転車渋滞が発生。これは私にとっては溜まった疲労を和らげるのに幸いしたようであった。大橋に差し掛かる坂道部分で、ジロウに先に行ってくれるように頼み、私は同じペースで漕いでいた女性参加者に合わせて上り下り坂を走行。この橋に差し掛かったころ激しい空腹に襲われて、ハンガーノックアウトに陥りそうであったのだが、その後もその女性の背中を観ながら走行していると、何とかペースを維持することが出来、無事に第3のエイドステーション・鮎の家までたどり着くことが出来た。


 3のエイドステーションに辿り着いて辺りを探したが、イチロウ・ジロウ・ヤマグチ青年が居ない。“果て、先に出発する筈もないし…..”空腹に耐えかねて探すことを諦め、花壇の縁に座り、大会オフィシャルが配給してくれたカレーライスと小鮎の唐揚げを食す。誠に旨し、ジロウがここの小鮎の唐揚げが楽しみと言っていたけれど、確かに美味。香ばしさの中にほろ苦さがあって、ついお代わりを頼みたくなったのだが、お腹は膨れてこれ以上の摂取は拙かろうと思いとどまる。食事を済ませトイレに並んでいる頃、イチロウ・ジロウから連絡あり、無事合流を果たす。


 
 彼らは、琵琶湖大橋の頂上から少し下ったところで自転車を停めて私を待ってくれていたらしい。そうだったか、確かに集団で泊まっている箇所があったなあ。私はハンガーノックアウト状態で周囲を見るゆとりもなく、先行してくれている女性サイクリストの背中を観ていたから、彼らをすっかり見落としてしまっていたらしいw。
 
 
 
 彼らが食事と休息を取っている間に、両肩の凝り(これに先ほどまで悩まされていた)と下肢の筋肉をほぐすために軽いストレッチなどし、疲労回復に努めることにした。彼らを追い越してしまったおかげで、少し長めの休息を得たことや本格的な栄養補給とストレッチで自分での疲労が回復できた実感が湧いてきた。他の3人から、走行距離は100㎞を越えてゴールまで残すは40数キロになっていると知らされたことも、更に勇気を得ることになったのだった。


 ジロウが、「第4エイドステーションで振る舞われる近江牛コロッケが、これまた旨いんだよな」などと笑っている。十分に休息を取った後、4人揃って出発した。但し行く手には、最後の難所・近江八幡市界隈の山道があり、そこを乗り切れば後はゴールまで湖岸の平坦な道が続いている筈であった。
 
 

 

~つづく~