2015年2月27日金曜日

そして仕上げに取り掛かる………..。

昨日、通販で予約していたCDBalanco Zona Sul/ Mika Samba Jazz Trio」が届き、早速I-podに取り込んで聴いている。ジロウがCDSamba For Johnny”をご本人に送って下さるように仲介してくれた際に、「この度の新譜も良いよ。」と言っていたのだが、その予告通りに、なかなか聴きごたえのある作品に仕上がっている(個人的には、今回の作品が一番好きかも)。

 



この暫くMikaさんの作品や、Samba Jazz Trioものを色々聴いてきて、すっかりその魅力に嵌ってしまっているのであるが、改めてその魅力とは何かをぼんやりと考えている。

 
あくまでも音楽の言葉が分からない素人レベルの魅力なのだけれど、ひとつは心地よいメロディーラインにあって、聴いているとついつい口ずさみたくなるような歌心にあふれた曲が多いこと。それから軽快なリズム。これはSambaというくらいだから当たり前かw。スコスコとしたハイハットのリズムや、シャカシャカとしたブラシの音を聴いているとついつい体を動かしたくなる。

 
だから、何か作業をしていてもあまり邪魔にならなくて、ドライブや読書や家事などをしていても無理がなく聞き流せて、生活のシーンを良い意味で演出してくれることだって出来る…….

 
のだが、それが実はもの凄く個人的には残念な誤解を引き起こしていたことに気がついた。90年代によく出ていた企画ものアルバムには、Bossa Novaのボーカルものに交じってTamba Trioの演奏が入れられていたのだけれど、どうも聞き流してしまっていてその魅力に気が付かなかった。誰かがリツイートしてくれたものか、F.B.の「いいね」でその情報がボクの目に触れることになったのだけれど、Mikaさんが確か「Samba Jazzはさりげなく演奏するものだ…….」のようなコメントをしていた。

 
そうなんだな、Mikaさん自身が紹介していたようにこの度のTrioに参加している、Sergio Barroso(b)Rafael Barata(ds)の演奏が全くもって大変素晴らしい。決してJazzのような大掛かりなソロを取って曲をブレイクさせることなく、あくまでも軽快なリズムを崩さずにソロを挟んだり、バックの演奏時にも微妙にニュアンスを変えるようなフレーズを入れたりして、馴染みやすくて美しいのだけれど、ややもすると単調になりがちなメロディーに、より豊かな色彩を与えてくれているようだった。小さい音量で聴いていると聞き流してしまいそうなのだけれど、さりげなく目立たずテクニックを自己主張することなくリズムを構成していてそれぞれの演奏曲を引き締めてくれている。

 
この辺り前回書いたCDEliane Elias plays Jobim」(;よりJazz寄りの演奏と思われる)と聴き比べてみて大変興味深かった。断然Mika Trioの演奏に軍配を挙げる(勿論個人的な好みですがw)。

 
ここまで書き述べてきたことを見直してみると、ホントに情けない。何もJazz Sambaの魅力を言い表していないようなのだけれど、Samba Jazzの魅力に遅まきながら気が付いたオトコがいるってことだけでも察してやってくださいw。


 
そしてつい書くタイミングを逸してしまったCD:コウスケから教えて貰ったアルバム「Embalo/ Tenorio Jr」について少し触れておく。このCDは、コウスケの言っていたように簡単に手に入り、ポチってから2日して手元に届いた。多分Jazz Samba愛好家の方々の間では、伝説的なアーティストなのだろうに、ボクのような奴でもあっけなく簡単に手に入れられたのは意外であった。コウスケからこのヒトの数奇な物語を聴かされていたこともあったのだけれど、残された数少ない音源に触れることが出来たのは本当に幸運であった。その演奏は文句なく素晴らしい。どの曲も演奏時間は短いのだけれど、どの曲も引き締まった演奏をしていて粒ぞろいで、優れたアルバム作品である。特に6. Fim De Semana Em Eldorado, 8. Cloud, 10. Estou Nessa Agora での演奏が特にお気に入りになったのであるが、アルバム全体から受ける印象は、お気に入りのものが入った宝物箱を開けて独り悦んでいるような、何だか愛らしくて幸せな気分に浸っている感覚を覚えた。この感慨は、Oscar Petersonのアルバム「We get requests」を聴いている時に感じたものと同じだw。この作品は、Samba Jazzの魅力を十二分に伝えてくれるアルバムだと思う。今後長らく愛聴するだろうな。

 
さて、いよいよ本番:Mika Samba Jazz Trioの岡山公演・Gilberto’sのメンツとの邂逅まで後二日ばかりとなった。予備学習も愛好家から見るとまだまだのレベルかもしれないが、それなりに準備が出来たかしら、そして十分に楽しめた。後は本番を待つのみである………

 

(追記)本当はここでピリオドを打つつもりで下書きしたのであるが、本日夜遅くメールボックスをチェックしていたら、通販サイトからのメールが届いており、1月の終わりにポチッたTamba TrioZimbo TrioCD3枚とボックスものひとつ)を今日(2/ 26)に発送したのだとw

 

ったく、どうしたものか?間に合わないじゃんw!

 

(後ろ髪を引かれる想いをしながら、おわり)

 

 

2015年2月22日日曜日

乗りバカ日誌;イチロウ・マサキの“わが心の旅(予告編)”


228日のコンサート・Gilberto’sオフ会に向けて、十分とは言えないもののそれなりの“準備が出来た”とマサキが独り悦に入ったある日の午前の事であった。マサキが気分よくルーチン業務に一区切りがつけて居室に戻ったところ、たまたま後からイチロウ編集長が満面の笑みを浮かべて入ってきた。


 「おお、マサキ、何々他人の褌で喜んでいたのではなかったのか、熱心に勉強してたんだなw。よしよし、後残り1週間まだまだ勉強してもらうぞ」と。


 「まあな。え?」“何だよ、こちらは一仕事つけたところなのよ。もう時間がないよ、これ以上予備学習出来るわけないじゃん”。イチロウ編集長、また何やらアイデアを思いついたようだが、直接マサキには何も言わず、再び彼は彼のルーチン業務に戻っていった。
 


その日の昼休み終わり頃、マサキは前日までのブログ執筆による疲労のためか転寝をしていたが、気が付くとP.C.のメールボックスにあるメールが届いていた。曰く、

 



『マサキさん、毎回楽しみに拝見させていただいております。

 さて、私のこころの風景は「JR尾道駅から見た尾道水道」です。関東出身の私は高校生という多感な時期に親元を離れ岡山での寮生活を始めたのでした。両親や兄弟、地元の友人と別れ、これからの将来への不安と期待、自由と不自由を抱えながら瀬戸内の地で新たな生活を踏み出したのです。たまの休日に自転車で街中に出かける途中、山陽本線の踏切を横切るのですが、すれ違う電車の行き先に「松永行き」や「糸崎行き」といった標示を見るにつけ、海なし県で育った私は、港町の終着駅の憧憬を想像したものです。確か高校2年生の夏休みだったでしょうか、ふと思い立ちその「糸崎行き」の普通電車に乗り小さな一人旅に出たのでした。その時に何故か理由は思い出せないのですが、糸崎まで行くことはせず尾道駅で電車を降りました。真夏の午後の瀬戸内独特の凪により、息をするのも苦しいようなじっとりした空気が駅前を包んでいました。そこから少し歩き、尾道水道を行き来する小さな船を独りぼーっと眺めて30分ほど過ごし、とんぼ返りで岡山行きの電車に乗り寮まで帰ったのですが、あの時の一人旅以来、自分が自分自身の脚で立って歩いて行かなければならないのだという意識が少しずつ芽生えていったような気がします。その後30数年を経ていつの間にか再び瀬戸内の地に根を下ろし家庭を持つようになりました。人生とは不思議なものです。

 マサキさん、尾道の駅前はあの頃と比べて随分と変わってしまいましたが、私の青春時代の出発点のひとつでもあるあの尾道水道の風景を眺めて来て下さい。』

とある。

 
“ふむふむ、良いですね、尾道。”早速、イチロウ編集長とこのメールの件について協議し、早速このメールに対しての返信をしたためる。

 

『拝復、I様。

 
お便りありがとうございました。青春期・親元を離れて寮生活を送っていた高校生時代、その時の孤独感、将来への不安と覚悟を心の内に秘めながら独り尾道を訪れたのですね。そしてその港町の空気によって醸し出される旅情が、それまでの幼き心との決別を促してくれたのですね。大変感銘いたしました。早速当番組(ブログw)で取り上げさせていただきます。Gilberto’s西日本支部の者が、I様のご期待に添うべく、岡山から尾道までの約100㎞をバイクで走らせていただきます。その模様は後日、「乗りバカ日誌:イチロウ・マサキ、わが心の旅編でご報告いたします。どうぞご期待くださいませw』

 

てなことで、228日のMika Samba Jazz Trioコンサート・Gilberto’sオフ会の楽しんだ後、翌日31日、イチロウと共にバイクで岡山から尾道を自転車で走ることになったのであった。

 


トホホ、時間は極めて少なくなっているけれど、心の旅・自転車編についても事前取材が必要になってきたよ。“他人の褌”を履いて喜んでいるのか、誰かがマサキに己の褌を履かせて喜んでいるのか、こうなると訳が分からなくなるw。

 

でも、やりましょう、旧山陽道を辿りながら尾道を目指す旅;わが心の旅を…..w

 

2015年2月20日金曜日

そうこうしている間に………(2)

イチロウの鋭い直面化に思わず我が本分を忘れかけていたマサキであったが、約1週間のブランクを経て、予備学習に戻った。この辺り我ながら節操がないというか軽佻な感じがしないでもないがw、兎も角も、試験まで・もといコンサート・Gilberto’sの面々との邂逅まで残り1週間となり、自己の内面について深く省察している場合ではなかった。

 
前夜帰宅途中にファミリーマートに立ち寄り、i-tune card3000円分購入し、本日仕事が終わるのを待って、i-tune storeJohnny AlfElianeEliasの音源を探ししばしどれを購入するかを検討。大いに迷った挙句、以下の3枚をDL購入した。

1 Johnny Alf/ Johnny Alf (1965)

 
2  Eliane Elias plays Jobim/ Eliane Elias (1990)

 
3 Steps Ahead/ Steps Ahead(1983)

 


#1ジョニーアルフは、ブラジルのボサノバ期前夜を飾るシンガーソングライターであり、有名ホテルのラウンジやバーを中心に、ピアノ弾き語りで数々の佳曲を演奏していたアーティスト。後のボサノバ期の中心となるアーティストに少なからぬ影響を与えたという。穏やかで滋味に満ちた歌声は聴いていて気持ち良い。個人的にはブラジルのナットキングコールみたいな捉え方をしているけれど、そうでもないかw?ボクが、熱心にブラジル音楽を集めていた90年代には、あまりCDが手に入らず、これまで2枚程度しか持っていなかった。このたび、DLしたアルバムは65年制作となっているが、彼のキャリアから見れば既に後期に入るのか? 1曲目のKao XangoMikaさんもアルバムで取り上げていたな、思わず聴き入ってしまった。このヒトの演奏は本当に平和的で夏の黄昏を眺めながらぼんやりと聴いていたい:やっぱりラウンジで鍛えた音楽だもの。

 


#2 イリアーヌ・イリアスは、実は1980年半ばにメージャーデビューしたブラジル出身の女流ジャズピアニストであることは当時から雑誌などで知っていた。あの当時、ブラジル出身なのに何故ボサノバを演奏しないのか不思議に思っていたのが、その後フォローしていなくて、この度再度ネットで検索してみると、ボサノバを演奏するピアニスト・ヴォーカリストと表記されているのには驚いた。それはそうなるのが自然な流れか、思えたりした。Wikipediaを斜め読みしてみると、1960年、サンパウロ生まれ、幼少からビル・エバンス、キース・ジャレットなどをコピーしジャズ好きであったらしい。プロデビュー後、パリへのツワー中にベーシストのエディー・ゴメスに見いだされ渡米した。83年にSteps Aheadに参加、そしてランディー・ブレッカー(tp)と結婚、85年ソロデビュー。その後ランディー・ブレッカーとは離婚。現在の夫は、マーク・ジョンソン(b)とのこと………

 
個人的に申さば、上記したミュージシャンはボクのいずれもアイドルだったw。

 
ビル・エバンス(p)については、ボクが有名すぎるこのお方について何も書く必要もないだろう。彼の「Paris concert」というLPを高校1年の時に買ったのだが、それがボクが生まれて初めて買ったジャズアルバムであり、その後彼の音楽に嵌り現在に至る。因みにGilberto's全員、夫々の経緯を辿って、このビル・エバンスが大好物である。

 
エディー・ゴメスは70年代前半にビル・エバンス・トリオのベーシストを勤め、80年代はよくジャズフェスティバルなどで来日してい、80年代はSteps Aheadのベーシストを勤めたりした。個人的な想い出があり、90年代半ばに親戚の女の子が通う地方の音大の学園祭にも来てくれたことが有り、演奏後に他のヒトとならんでサインを貰ったが、ボクが彼のソロ・ファーストアルバムを差し出すと、そのLPを取り上げて、周囲に居たサポートメンバーに見せながら豪快に笑っていた、結構押し出しの強い御仁だった。ちょっと近寄りがたく怖かったなw。

 
ランディーブレッカー(tp)は、弟のマイケル(t-sax)と共に70年代はブレッカーブラザーズというバンドで、ジャズ・ヒュージョン界で一世風靡したヒト。その後も売れっ子スタジオミュージシャンとして活躍した。個人的には、80年代初頭のジャコ・パストリアス・ビッグバンドでの演奏が良かったな。因みに、弟のマイケルも大好きなミュージシャンで、大変嵌っていたのだけれど、このヒトは後述べるSteps Aheadに参加していた。

 
そして、マーク・ジョンソン(b)。このヒトはボクの記憶が間違っていなければ、ビル・エバンス最後のトリオのベーシストを勤めたヒトの筈。ビル・エバンス・トリオと云えば、誰しもスコット・ラファロを真っ先に挙げるのだろうけれど、個人的には枯れた味わいを醸し自身の音楽を昇華させようと映っていた晩年のビル・エバンスが大好きで、その脇でしっかり支えたこのベーシストであったこのヒトの演奏が大好きである。

 
こうしてみると、このイリアーヌってヒトの人脈展開って、解る気がするなあw、それもボクの好きなミュージシャンを辿っておりまする。世間て狭いものだ:もっともボクには全く個人的な接点など全く有るはずもないのだけれどw。

 
さてこの度DLした#2アルバム、なるべくMikaさんが聴いて影響をうけていたであろうと勝手に推測した90年制作のものを選んでみた。イリアーヌ(p)、エディー・ゴメス(b)、ディック・ディジョネット(ds)のトリオとなっている。タイトル通り、ジョビンの名曲を並べて演奏しているのだけれど、これは全くジャズしてます。楽理的なことは申せませぬが、ニューヨーク的な洗練さが漲っていてあの当時のよく耳にしたJazz的サウンドが鳴っています。でも全くSambaしていないw。(b)(dm)も強力過ぎて軽快さが物足りない、だけども、こんな毛深そうなw強力なリズム隊と対比されるとイリアーヌの音は際立って美しいです。それから、最後のpor causa de voce で聴かせる彼女のボーカルも優しくて良い雰囲気が出ている。しかし…….、エディー・ゴメスのベースって、何を演奏させてもエディー・ゴメスなのであって、存在感は圧倒的なのだけれど、そういう理由で彼が所属した時代のビル・エバンス・トリオの作品群は、個人的にはちょっと敬遠がちになり今では全く聴かなくなってしまったな、というのは話がそれてしまったか。このアルバム、ひょっとしてエディー・ゴメスの影響が強すぎるのか、他のイリアーヌ作品を聴いてみる必要ありそうだ。


 
そして#3のSteps Ahead。高校時代か大学の始め頃、このアルバムLPを購入して繰り返し聴いていた。このグループは、80年代の始め頃からStepsという名前で活動を始めていた。マイケル・ブレッカー(ts)、スティーブ・ガッド(ds)、ドン・グロルニック(p)、マイク・マイニエリ(vib)、エディー・ゴメス(b)で構成されていたのだが、当時いずれもジャズ・ヒュージョン界の大スターだった。ジャズ・ヒュージョンを真面目に聴こうとしていたガキには打って付けのグループだった。当時の雑誌にもよく取り上げられて、「それまでのジャズ・ヒュージョン界の商業主義的な電気音楽に不満を持ち始めたスタジオミュージシャン達が自分たちの本当にやりたい音楽をやり始めたのだ……」などと判で押したような解説をしていたっけ。その後、本作発表と共にSteps Aheadと名前を変更、メンバー一部を交代し、ピアノが当時新人のイリアーヌ、ドラムスがピーター・アースキンとなった。このピーター・アースキンも大好きなミュージシャンなのだけれど、この度は割愛。

 
この作品は、今聞き返してみると、やっぱり時代を感じさせる。ちょっとやや奇抜に思えるメロディーラインであり実験的な要素があるようで、メンバーが新しい何かを模索している感じが全編から感じ取れる。アコースティックサウンドに回帰しつつ何か新しいサウンドを模索していた80年代のニューヨーク・ジャズシーンを反映しているように思われるだけれど、その後果たしてその実験は成功したのかどうか、ボクは知らない。ただ、これらのサウンドの系譜が今のジャズにつながっていることは間違いないのだろうな。あの当時も印象にあまり残らなかったけれど、此度聞き直してみても新人であったイリアーヌの印象はちょっと薄い。確かに2.の“island”や“loxodrome"で長いソロを取っていてよく弾けているのだけれど、「他の大物によくついて行っています」てな感じです。これは仕方がないよね(済みませぬ偉そうに、オイラは何者だw?)。

でも、やっぱりこのアルバムは発表から四半世紀経っているけれど、カッコよく思えるし大好きです。

その後のイリアーヌの音楽的展開をフォローする物理的なゆとりを今は持ち合わせていないので、この度は彼女のボサノバ作品群を辿るのは自重しておこうと思う。

 
この度、Mika Samba Trioの作品を聴いていて個人的に“へーっ”て思ったのが、その演奏がブラジルのSamba Jazzの本質を十分に捉えながらも、80年代~90年に変遷していったニューヨークジャズのサウンド系譜を受け継いでいるような気がしたからであったのだけれど、ほんの少しだけイリアーヌに触れて序でにSteps Aheadに触れてみて良かったな。そのイメージを補強してくれたようで、個人的には有意義な予備学習だった。

 
最後になるが、これは全く個人的な感情移入であり、こんなことを述べることは気恥ずかしいことになるのだけれど、この度のコンサートでは、あの当時に熱心に聴いていたJazzやブラジル音楽をボクが好きだった要素や系譜を踏まえて現代の2010年代の最前線の音楽として再提示してもらえるのではないかしらと思っている。そう思うと本当に軽い興奮を覚え、ついニタニタとしてしまうのだけれど、イチロウの前ではポーカーフェイスで通そう。また鋭い突込みを入れられそうだからね(笑)。

 
ああ、そうだ。彼の突込みには、ボクに対するある本質的側面をポジティブに捉えて直面化したのであることを、ちゃんと付記しておかなくてはならないな。

(おわり)

そうこうしてる間に………..(1)


本日は、明るい陽射しに空気も温み気持ちの良い一日であった。昼休みに職場の外を歩くと、近くの山辺りで短いながらもウグイスの鳴き声が聞こえている:なんせ草深き土地ですから(笑)。それにしてもウグイスがもう啼きはじめたのか例年よりも早いような気がするが、春がそこまでやって来ている。そういえば近くの畠では、梅の花も咲いていたような気がする。


 
ここ数日、このブログに“乗りバカ日誌:マサキ編、ある「他人の褌で遊ぶ男」の弁明”というタイトルで駄文を書こうとしていたが、下原稿を書くいているうちに言い訳がましく誠に見苦しい文章になり、書いては削除を繰り返していたら宙に浮いてしまった。弁明であるから、言い訳を書き連ねていくのは当たり前なのだけれど、我ながら読み返してちょっとみっともない、遂に没ネタとすることにした。

 
228日のMika Samba Jazz Trioの岡山公演に向けて、MikaさんのアルバムCDを聴き、イチロウの勧めるままにZimbo Trio, Tamba TrioのアルバムCDを購入して聴いている件はこれまで述べた。どれも素晴らしく感動していたのであるが、ある時イチロウに調子に乗って「良いぞ、良いぞ。スゲースゲー」と伝えたところ、イチロウ満面の笑みを浮かべて「マサキは、本当に“他人の褌”で心から愉しめる奴だよな」と返してきた。

 
……….?”“ええ?ブラジル音楽についても、自転車も確かに貴方から勧められるままに受け入れ、多大な影響を受けたのだけれど、その良さを認め、一緒に楽しんでいただけじゃないのようw

 
確かにこれまでのわが身を振り返ってみると、ちょいとはしゃぎ過ぎたか。第3者から見たら、節操がないというかw、軽薄だったかしらと思い始めた。“鋭い指摘は、後で痛みを残すねん、ウフフ”とは、学生時代の同級生オオミの言であったが、奴の表情と共にその言葉が脳裏を過った。

 
しばらくの間意気消沈し、MikaさんもZimboTamba、そして自転車も横に置きw、日々のルーチンに勤しみ、ブログ上では「オババの帰還」の事やや早春とリート、DietrichFischerDieskauの事を思ったりした。

 
そうこうしている間に、今週始めから、ジロウがF.B.上でMikaさんに関連した記事に「いいね」を押して、結果的に私のタイムライン上にもそれらの記事が載ることになったのであるが、彼女のTrioJapan Tour開始まで1週間となりプロモーションが活発になっている様子であった。

 
“そうか後1週間か……….。”

 
よく考えてみれば、ネット通販でポチッたTamba TrioZimbo TrioのアルバムCDも未だにどれひとつとして全く手元に届いていない。やっぱり、i-tune3枚分DLしておいて良かった。そして節操なく見えたかもしれないけれど、イチロウやジロウから教授してもらってLuiz Ecaのオケ・アレンジものも追加ポチリしておいて良かった。あのまま悠長にポチッたCDを待っていたら、Samba Jazzについて何も予備知識ないままに岡山でコンサートに臨み、その後Gilberto’sの面々とオフ会を過ごすことになっていたもの。

他の3人に比べると、オイラはブラジル音楽の知識は圧倒的に少なく、Samba Jazzに関してはほぼ知識は皆無状態であったので、せめて彼らと邂逅する前にその“イロハ”ぐらいは知っておきたいと思っていたのだった。予備学習をするためにドタバタと節操なく動いていただけなのだよ、このオイラは。何も知らずに出て行って彼らとワイワイ楽しむのもそれなりに楽しいけれど、それではポルトガル語を理解できないオイラが、ポルトガル語が飛び交う場所で、内容の分からない会話をニコニコしながら聴いているようなものだから、それでは本当に楽しんだことにならないではないか。どうせなら会話している内容が多少なりとも分かった方がより楽しいに決まっているw。

 
そうだった、“他人の褌をしめて喜んでいる”のではなかったのだった。それはある側面として受容するとして、本来の目的は己の予備学習であり、学習において大切なのは「聞くは一時期の恥、知らぬは一生の恥」ではなかったか。その学習過程においてマサキなりにその音楽の素晴らしさを理解し、楽しんでいるのだけだったのだよw。

 
漸く己の本分を想い出し、そこでハタと気が付いた。当初、予備学習として、Zimbo TrioTamba Trioを抑えた後で、MikaさんがJazzSamba Jazzに向かうに当たって影響を受けたアーチストだというElianeEliasJohnny Alfをも事前にちゃんと押さえておくつもりだったのだ。

 
気が付いてみれば、公演まで後1週間、やばいやばい時間がないよ。新たにネット通販でポチってそのCDが手元に届くのを待っていたら、ちゃんと鑑賞する時間的ゆとりがないではないか?おまけにマサキ資金も残りわずかで限られている。どうするマサキよ…….、学生時代によく経験したあの試験前の焦りにも似た感覚が蘇ってきたよw



 

 
“仕方がない、2回目の掟破りをするか………….。ただし、これが最後よ、厳選するべしw”。その夜仕事が終わり帰宅途中にファミリーマートに寄り、i-tune cardを手にするマサキであった。

 

 (つづく)