2015年1月29日木曜日

Gilberto’s 如月の夜密かに集結する(予定)の事。

昨年末のある日に、Gilbeto’s関東支部のジロウとコウスケからメッセンジャーを介して楽しげな誘いがあった。MIKA Samba Jazz TrioJapan Tour 2015公演を聴きに行かないか?というものだった。当初福山公演はどうだ?との提案であったが、こちらの日程的都合を勘案して岡山公演に参加すると返事をした。

 
ジロウとコウスケは、何でも全日程を聴きに行くとの事で、昔でいう「追っかけ」状態で同Japan Tour 2015にほぼ同行するらしい。スゲーw

 
MIKA Samba Jazz Trioの岡山公演は平成27228日(土)に開催される。岡山は、私が10代半ばから30代半ばまで過ごした土地で第2の故郷と呼べる場所であり、その頃にイチロウやジロウとの交流から大いに触発されてブラジル音楽を熱心に聴いていたものだった。そのような土地でGilberto’sの面々とSamba Jazzを聴いて、その後オフ会でブラジル音楽談義が出来るなんて、想像しているだけでも顔がほころんでくるというものである。つい、またまた余計な事を考えて、何処に飯食いに行こうか、旨いものと美味しいお酒はどこで得られるかなぞと思ったりするのだが、私の情報は十数年前までのものなのであり、彼ら関東支部の方が、情報収集力においては格段に上手で、結局は彼らについて行くことになりそうである(笑)。

 
その後しばらく時間が流れて公私の日常ルーチンに追われる毎日を過ごしていたのであるが、ふと気が付くと1月も終わりとなっている。

 
“そういえば、MIKA Samba Jazz trioについて何も知らなかった!”という事を思い出し、そろそろ予備学習に入るべしと思い定めた。時折、ジロウがF.B.にビデオクリップをUPしてくれたものを聴く以外に彼女らの演奏に接したことがなかったのだ。それは拙いだろうということで、数日前にネット通販で検索し、本日手元にこの2CDが届いた。

 

手に入れたCDは、#1MIKA Elegant Samba Jazz#2 MIKA Samba Jazz Trio Vol.1である。

 

昼休みに早速I-Tuneに取り込みP.C.で聴き始めた。なかなか気持ちの良い演奏であり、Mikaさんのピアノは流麗で明晰なタッチと確かなリズムを刻んでいる。#1-2) dolphinを聴き“おー”と想い、#2ー4)E Nada Maisではrhodesのラブリーなシングルトーンと心地よいリムショットにニンマリして2枚全編とても楽しめた。全演奏を通じて、演奏スタイルは明るくてホッとしたり勝手に幸せ感に浸ることのできる作品である。音楽言語の乏しい私はこれ以上は語れないが、“そうかそうか、これが2000年代のSamba Jazz trioなのね”などと独り頷きながら、#2の板橋 純氏によるライナノートを何気なく読んでいたら、何とMIKAさんは岡山出身ではないか!“94年から99年頃までブラジルに音楽留学したとあって、と言うことは私が岡山でブラジル音楽に嵌っていた頃、この方もひょっとしたら同じ街の空気を吸っていたのかも(全然接点になってないけれどw)、同じレコード屋に出入りしてたかもと勝手に連想してしまった。

 
あの頃の、そして今もだろうけれど、岡山は、確かにこじんまりとした田舎街だったけれど、晴れの日が多くて明るくて、そしてレコード屋と喫茶店が頑張っていて良い街だったと思う。山陽道の十字路に位置していて、東は神戸、北は米子、南は香川・高松に近かったから、それなりに求めれば物や情報も得やすかったかもしれない。

 
その頃、岡山市と倉敷市に「グリーンハウス」というある兄弟が営んでいたレコード屋があって、高校時代から20年間、時々そのご兄弟に指南を受けながら、その店に行ってはRockJazzやブラジル音楽のレコードやCDを買い漁ったものだった。特に弟さんは、自ら80年代後半から90年代始めにかけて自らブラジルに渡りguitarの修業をされたりしていて、ブラジル音楽の造詣が深かった。そんなこともあり、ブラジル音楽の音源に関しては地方都市にしてはずば抜けて豊富な品揃えだったように思う。

 
今日の昼休みに、“独りMIKA Samba Jazz Trio 祭りを始めます”とF.B.に投稿したところ、早速ジロウがレスポンスを寄越してくれて、少しやり取りをして、MIKAさんのホームページを教えてくれ、また彼女の音源が手に入りにくいという伝えると、なんと彼が本人に直接連絡してくれたようで、夕方までには「Samba for Jonny」のというアルバムCDを送ってくれることになってしまった。

 
“恐るべし、ジロウの人脈の広さと早業よ!”としばし独りで唸ってしまった。この紙面をお借りしてジロウに深く深く感謝します。

 
それにしても228日の岡山公演に向けて否応なく盛り上がってきた。しばらく“独り祭り状態”は続きそうである。

 
そんなことを、イチロウに駄弁っていたら、「基礎知識としてTamba trioJ(→Z)imbo trioはこの1か月の間に押さえておけよ」だと(笑)。

 
“げー、時間がねえじゃん、やべえやべえ”と学生時代の試験前の心理状況にも似た感覚を覚えるのであった(笑)

(追記)
何だか久しぶりに、良い音楽に出会えて愉快な気分である。
仲間との邂逅と良い音楽と・・・・・!これだから人生て止められないのだろうなw。

2015年1月27日火曜日

Etajima一周60㎞ライド


このコースは、事前にイチロウがコース設定してくれたものであり、島一周を企図しながらも一部自転車で走るには少々危ない道路は外してある。コースの特徴としては大小8か所の上り坂道がありの、平坦でその気になれば思い切りペダルを踏み込める箇所ありの、なかなか楽しめそうなコース設定となっている。ここ数年市の観光協会の地味な働きかけもあり、週末になると広島市内から自転車愛好家がこの島にやってきて思い思いに走っているようだ。

 


平成27114日午前840分頃にスタート。この日使ったのは久々にGiant MR4R 24inch径の折り畳み自転車。スピードは望めないので、ポタリングで走るつもりでいた。この自転車に久しぶりに乗ってみてすぐに感じられたことは、ボクがもう一台所有するCinelli Experienceに比べると推進力には劣るものの、路面から伝わる振動を程よく吸収してくれて乗り心地が柔らかく快適でポタリングするには打って付けであることだった。

 

スタートから約4㎞地点と14㎞地点前後にある坂はそれなりに難なく通過した。イチロウからのアドバイス通り、インナーギアを積極的に使いケイデンスを一定に保つことを意識して走る。この辺りでは全く問題なしw。

 
 
 
 
 
 
やがて、北西に向かう平坦な道14㎞地点~20㎞地点間で、正面からの強い向かい風をくらい難渋する。走っていると前方に、緑のウィンドブレイカーを着てロードバイクに乗って走行中のお兄さんを発見。24inch径のバイクに乗っている私でされ容易に追いつくぐらいのゆっくりとしたペースである。「えらくゆっくりとしたペースだな」と訝しく思いつつも、「コンニチハ」とお互いに挨拶をして、追い越し更に先に進む。

 

22㎞地点から24㎞地点の間に緩やかな上り下り坂があるが、そこも問題なく通過。右手に、手前からエノシマ、ミヤジマが冬の穏やかな日差しを浴びて美しく映えている。ここの眺めは瀬戸内を感じられてとても気持ちが良い。

 


24㎞地点を過ぎてしばらく行くと、28㎞地点辺りまでなだらかな上り下り坂が続いた。当初は、このコースでの最大の難所と思われた。実際に走ってみると勾配はそれほどきつくないものの左右にカーブが続き各カーブ毎に傾斜角度が次々に変わるので、失速しないようにこまめにギア変更しなくてはならず、ここは良い練習になる箇所だなと思えた。山間の長い坂道を越える28㎞地点からは、右手に再び海が見渡せ右手前方には大黒神島を眺めることが出来た。しばらく下った時点で写真撮影のために止まり、小休止を取る。穏やかなな海を眺めていると、体も心も休まるようで、出張ってきて良かったと思う。

 

再び自転車に乗り再スタートと思ったところで、先ほど追い越したウィンドブレカーニイチャンがものすごいスピードで坂を下って行った。

 

“しまった、やられた!”とつい思ってしまったが、下り坂が終わり平坦な道になると、何故か再び追いつく。ゆっくりと近づきながら、そのオニイチャンの様子を伺うとインナーギアを一番軽い設定にして物凄い勢いてペダルを漕いでいることに気が付いた。

 

“げーっ、このオニイチャン、ずっと一番軽いギアしか使わず走っていたのかw?”“スゲー、こういうトレーニングの仕方があるのか?”思わず心の中で唸ってしまった(笑)。

 

後方からボクが近づいたのに気が付いたら、そのオニイチャンが振り返り、右手で“先に行け”の合図。暫く並走し、再び挨拶をする。ギアが壊れてしまったのか、わざとそうしているのか、初対面のヒトだったので、どういう事情でそんな走りをしているのか聴くのが憚られ、先々のコースを聴いたり・どこからやってきたのかを手短に話し、再び私が先行した。

 

気の優しそうなニイチャンで、にこやかに応対してくれて気持ちよく別れた。

 

32kmから34㎞地点にかけては、船の解体ドック、石油備蓄基地があって、普段見ることのできない光景を楽しむことが出来た。

 

 
 
 
ここを過ぎたあたりから、やや両脚に疲労を感じ始めたが、走行は至って快調、途中コンビニを発見し小休止をとろうかと否かと逡巡したが、結局スルー更に先を急いだ。

 

40㎞地点から42㎞地点にかけて、4か所目の距離はそれほどではないがやや急勾配の登り坂に差し掛かる。この勾配で、両大腿前面の筋肉に軽い違和感を覚える。この坂を乗り切り進路を北に向かう時点で、両大腿のパワーが落ち推進力を失った。それでも後からデータを見ていると2223/hrペースで走行していたようで、ボクなりに耐えていたようである(笑)

その後は、46㎞時点まで多少の起伏はあるもののほぼ平坦な道のりであった。両脚の違和感は続いており、気力が次第に萎えてドロップアウトをすることも頭の中でちらつき始めていた。ただ、設定してくれたイチロウへ報告したいことが残されており:46㎞地点から先のコース状況ついて調べておいてくれというミッションがあった、ここは耐えてコースを先に進むように自分を宥めた。

 

46㎞時点に到達し、空き地で小休止。両脚の屈伸を繰り返し残りのアクエリアスを呑みほした(全行程を通じて同飲料を計500ml分、水分補給したことになる)。スマホをいじっていたら、Runtasticの動作に不具合が生じ、ここから先はコースは記録されたものの、その他のデータは消失ししまい、大変なショックを覚える。

 

とにもかくにも、走行を再開。再開直後に5か所目の距離は然程ではないが急勾配の上り坂にかかる。ここかなりの力を使ってしまい辛うじて登坂することが出来たが、下り坂で両大腿の膝関節あたりの筋肉が攣ってしまうというアクシデント発生。“ついにやってしまった(泣)”と舌うちしつつペダルを漕ぐ、脚を伸ばす度に軽い痙攣をおこしたが、暫くすると収まるため、止まらずに更に進む。

 

データが残っていないので目分量になってしまうが、50㎞地点辺りから再び6か所目の長い上り坂となる。両脚を宥めつつ、或は痙攣をおこさないように祈りつつ、登坂に取り掛かったのが、10mも進まないうちに、両大腿が音を上げてしまい深刻な痙攣がやって来てついに、自転車を下りてしまった。暫く、両脚を交互にストレッチしつつ休止、ドロップアウトの文字が頭の中でちらついた。

 

すると、反対方向から突然「大丈夫ですかあ!」と男性の声があった。顔を起こして前を見つめると、ロードバイクに乗って猛スピードで通り過ぎる男性あり。続いて56人のロードバイクの集団が、「大丈夫ですか?」「コンニチハ」と思い思いに声をかけて通り過ぎてゆく。

 

“げー、一番カッコ悪いところをみられてしまった”“こんな不様な態ですごすごとドロップアウト出来ないもんね”と自分に言い聞かせ、走行を再開。とは言え、筋肉の痙攣の再発は御免であったので、ゆるゆると登坂を再開した。坂そのものは思ったほどハードではなかった。その坂を上り切ると長い緩やかな桜並木の下り坂が続き、誠に気持ちが良かった。春桜満開の頃に、この坂に来ると気持ち良いだろうな。

 

その坂が終わると、港に入るのであるが、そこから再び54㎞から56㎞地点まで7か所目8か所目の上り下り坂が続く。この頃になると、戦闘意欲能力はゼロ(笑)、7か所目の登り坂で通学用のシティーバイクに乗った高校生のアンチャンに軽々と追い越され不様な醜態を晒すw。

 

56㎞以降は平坦な道を経てゴールとなるのであるが、激しい空腹感に襲われてヘロヘロ状態であった。兎にも角にもドロップアウトせずにゴール!

 

走行距離;約60㎞、所要時間;3時間13分。46㎞時点までの獲得標高;上昇302㎞、下降294m、消費カロリー408kcal(トータルとしては600kcalは消費したか)最高速度 29km/hr であった。

身体のアクシデントの原因は、明らかに脱水とハンガーノックアウトによるものだったのだろう。

 

イチロウが自転車で出張る時に、よく飲み食いする理由が分かったような気がする(笑)。次回からエネルギー補給のことをよくよく検討しておこう。

 

コース自体は良いです。クルマの往来少なく、路面はまずまず良好、得られる景色は美しい。バイク愛好家の皆さんにお勧めのコースだと思われた。個人的には、今度はCinelliで走りたい(笑)。

2015年1月22日木曜日

或る晩のめし事情


先日、イチロウとジロウが沖縄に行ったんだなと、話の流れで「何を食ってきたのだ?」と問うと、イチロウ曰く「ヤギ肉を食ってきた」と答えた。
 
相変わらず、変わったものというかディープなものを食する人たちだな」と笑って聞き流していたのであるが、暫くすると私自身の記憶の残像が蘇ってきて、「沖縄料理食べたい、島らっきょ、島豆腐喰いたい、ラフテー食べたい」と思うようになってきた。

 私の住む地域では、島らっきょうも島豆腐もラフテーも簡単に手に入るものではない。じゃあ、仕方がない、豚の角煮でも作りますかということになった。因みにネット情報によると、ラフテーとは、豚肉の皮付きばら肉を泡盛とかつおだしで煮込んだ角煮のことらしく、この皮付きばら肉というものも、私が利用するスーパーでは見たこともなく、これもそう簡単に手に入るものではないようである。
 
さて今晩は、仕事の都合で実家に独りで泊まることになっていたため、昨日仕事の帰りに、カミさんと最寄りのスーパーで落ち合い、夫々に食料品の買い物をした。中年カップルが夫々に食料品を別々に買い物かごに入れて親しく喋りながら別会計・別袋の買い物をする(つまりは二世帯分の買い物をする)光景は、レジ係のおばちゃんにどのように映っているのか、興味あるところであるのだが、その辺りの考察(邪推)はこの度は捨て置く。

 そこで豚バラ肉の塊を買い、本日の夕食にはその半分を使用。適当に一口サイズに角切りし、鍋に水1カップ、日本酒1カップを注ぎ、長ネギの葉先の部分を入れて一口サイズの肉片を投入、中華鶏がらスープ顆粒を適量入れて、後はひたすら煮込む。
 
次に、お米を1合ほど電子釜で炊くことにすると、仕上がり時間48分と表示。という事で、豚の角煮、その他の料理の準備時間を残り48分で仕上げることにする。
 
次にここしばらく食べていなかった筑前煮を欲していたので、それ風の煮物を作ることに。レンコン、大根、ニンジン、シイタケ、エビで作ったという練り物一枚を一口サイズに切って、鍋に3カップくらいの水とダシの素を入れたところに投入。ひたすら煮込む。

 その日のコンセプトは1時間弱でひたすら煮込むというものw。
 
豚の角煮については、残り15分頃、鍋に砂糖を大匙2杯程度投入。残り10分で醤油大匙2杯程度と生姜少々、にんにく少々を投入し味を調えていく。
 
筑前煮煮物については、薄味にしたかったので仕上げ直前に大さじ1杯程度の醤油を入れて仕上げとする。
 
48分後、白米目出度く炊き上がる。
 
3番目のおかずとして、絹ごし豆腐の小さめひとパック、小鉢に入れてラップで覆い140秒ほど電子レンジに投入。

 豚の角煮を小鉢に適量盛り、刻み葱を振りかける。筑前煮もお椀に入れて七味唐辛子を少々振りかける。そして、チンされた温か奴にも刻み葱、生姜を少々、そして醤油を垂らして料理の全行程を終了。
 
で、出来上がったものがこれ。
 


感想
・豚の角煮;
見た目は大したことないけれど、味は中華風でちょい甘め。だけれども味は申し分なし。十分に柔らかくなっていたのだが、もう少し煮込んだ方がより角煮らしくなっていただろう。70点
 ・筑前煮:
野菜の味が良く出ていたw。薄味を目指したのだが、もう少し醤油を効かせても良かったかも。60点
 ・絹ごし豆腐の温か奴:
豆乳の香りが立って、簡単な調理の割にこれは旨いと思う。醤油でシンプルに食べるのも良いけれど、めんつゆをかけても美味しいです。この度は他の品にダシ系を使ったので、醤油でシンプルに食べました。これは80点。
 
 ※ちなみに80点以上が付かないと、他のヒトに食べていただくことが出来ませぬw。
 
ひとり晩飯を作る際には、1時間以内に作ることにしているのであるが、今日のような煮物を作るには、ちょっと無理があるか・・・? だけれども、普段の、己一人だけのために何時間もかけて飯を作るのもなんだかねえ。
 だから、まあこれはこれで良いのではないかと、独り納得している次第である(笑)。

 

2015年1月21日水曜日

びわこ一周ロングライド2015に向けてそろそろと始動する事

冬休みが明けて新しい年が始まった17日、Team Gilberto’sは琵琶湖一周ロングライド2015にエントリーした。この度は、コウスケが諸事情で不参加となり、Plus Oneのヤマグチ青年は参加することになるので、(Gilberto’s- One)Oneの計4名での参加となる。この表現はどうでも良いかw。

 走行距離は148㎞のコース、ボクはこれまでに一度もこの距離を走ったことがない。他の3名は昨年体験済みである。「果たして彼らについて行けるだろうか?」という一抹の不安あり。

 
先週末、イチロウ・ジロウは沖縄県で開催された“美ら海オキナワセンチュリーラン2015”に参加し168㎞をバイクで走破してきた。競技中二人が時々F.B.Twitterでコメントしていたのだけれど、彼らの激走ぶりに圧倒される想いがあった。イチロウが帰ってきた後に語ったところと、ジロウのF.B.に掲載したデータによると、かなりのハイペースで走っていたようである。ジロウのデータを見ると、3040/hrの早いペースで平坦な道を走行していたようである。

 
「このままでは」即ち今のボクの年末年始にかけてのグータラ生活に馴れきったコンディションのままで“びわこ”に臨んだならば、確実に彼ら二人に“ぶっちぎられるだろう”という軽い焦りと不安を覚えている。

 
イチロウが「びわこでは、チームでタンデム走行しようや。交代しながら或るやつがチームを引っ張っていくと、ペースを上げられるし、最後尾の奴は楽なのよ」と笑っていた。イチロウめ、オキナワでの激走を完走・制覇した自信がその言動に表れている。

 
“ムム、これはかなりヤバい”。彼らについて行ける体力をつけておかねばなるまい。

 
という事で、しぶしぶではあるが、本日よりコンディション作りを始める。6㎞ジョギングで心肺機能を改善させることと、長時間の走行に備えて上半身の筋力アップ(腕立て伏せと腹筋運動)を課題として取り組むこと。それらのトレーニングを最低でも週2回はすること。そろそろ飲酒量を減らし、大食いを自制し、増えた体重を―2kgほど絞る事w。

 
初日は、全然走れず。しまなみ国際サイクリング大会以来約3か月ぶりのジョギングであったが、脚が上がらず、心臓バクバク、喘息様の咳が出てくる始末。体がなまり過ぎていたw。

 
昨年春の“びわこ”は物見遊山気分で、春の琵琶湖の風物を大いに愛で楽しんだのであったが、今年はそうも行きそうにない。どっぷりと猛者どもに紛れて我がチームのタンデム走行を楽しみたいと思う。

 


遅い夕食時に、独りでイチロウが沖縄土産にくれた“とうふよう”をあてにイモ焼酎のお湯割りを呑みながら、そんなことを取り留めもなく考えてみたのであった。

 

なんのこっちゃw。