2014年12月25日木曜日

クリスマス・イヴと焼きりんごのお話

とにもかくにも今日はクリスマス・イヴであり、今年も残すところ後1週間となった。いやはや何とかここまで漕ぎつけたという感慨あり。この度のクリスマス・イヴは、仕事の都合で勤務地近くの実家に泊まることになっているのであるが、今年は実家の主が不在のため、独りで夜を過ごすことになった。

 考えてみれば、クリスマス・イヴを独りで過ごすなんざ、久しぶりのことでひょっとしたら10年否下手したら20年ぶりの事なのかもしれなかった。若い独身時代は、そのようなことも多々あったが、久しぶりに独りで迎えるクリスマス・イヴの夜をどのように過ごすべきか、ということで先ほど以来、ベートーヴェンの「第九」をI-Podで聴きつつ気分を盛り上げて、晩飯の用意し食べ終わった。

 今晩のために昨日の買い出しの際に、今晩用の食料品を少し買い込んだ。メカジキのカマを二切れ、野菜を幾種類と豚肉を少々。そして、少しはクリスマスを意識して、菓子パンのシュトレンの小片。

 このシュトレン、ドイツでクリスマス頃に食べられるあの菓子パン。固い生地にラム酒に漬けたドライフルーツが練り込まれていて、表面に砂糖がまぶしてあるやつで、多分ご存知の方も多いだろう。優れた洋菓子が巷に溢れている昨今では地味なお菓子パンだけれど、甘い物がどうでも良いオヤジである私は意外と好きなのでありまする。夜中の夜食に或は翌朝の朝飯としてブラックコーヒーと一緒に食するつもりで購入し、本日始業開始前に実家に立ち寄り、他の食料品は冷蔵庫にしまい、シュトレンの小片はパッケージのままテーブルの上に置いていた。

 昼間の仕事がひと段落して、午後6時ごろ実家に行きテーブルを見ると、なんとこの有様!喰われているw。ゲゲー、ひょっとしたら一番喰ってはならぬ奴が喰ったらしいw。目くじらを立てて詰問するも大人げないので、黙することした。喰ってはならぬ奴については割愛w。
 
 

 

さて、どうしたものか?飯の構成については、大体組み立てられていたものの、クリスマスだぞ、何かないかと台所を物色する。普段は甘い物は口にしないけれども、何かデザートになるもの、クリスマスだから赤いモノがあれば良いのだが・・・・。ふと気が付くと、テーブルの脇に、何方からかいただいたリンゴがあるではないか。リンゴね、そのまま食うのには芸がないし・・・・・・。

 決めた!焼きりんごをこさえましょうw、ということに意を決した。焼きりんごも久しくたべていなかった。甘い物は食さなくなったけれど、何か家族の付き合いでケーキ類を食べることになったら、高い頻度でアップルパイを選ぶ。焼けたリンゴとシナモンの香りが子どもの頃から好きである。最近の女性や子供はこれがあまり好きではないらしく、焼きりんごなんて結婚後は一度も食べたことなかったし、独身時代も作って食べたことなかったから、ひょっとしたら30年以上ぶりに食することになる。そう思うと、俄然作る気が湧いてきた!

 I-Podのボリュームを少し上げて、早速準備に取り掛かる。

 まず、ヘタの周囲に包丁で切れ込みを入れて、スプーンで芯の部分を掘り起こして除去。この度は、そこの部分は残す。次に、掘った穴の中にスティックシュガーを一袋分入れて、バターをナイフで1㎝角に切り取りそれを穴の中に入れる。それで下ごしらえ終わり。

 


次にそのリンゴを耐熱の深いお皿に入れて、ラップをして、10分ほどレンジで加熱。

 

 
 
 
 
10分レンジで加熱すると、こんな具合になったw。
 
 
 
 
 
次にアルミホイルに移してリンゴ上1/4が出るように包み、覗いたリンゴの穴の部分とすこしその周辺にシナモンを塗し、オーブントースターにて焼く、としたいところだったが、アルミホイルが見当たらず。少し焦るも、加熱用のクッキングペーパーがありホッとするw。オーブントースター用の鉄板があり、その上にそのクッキングペーパーを敷いて、先ほどのリンゴを乗っけて10分ほど焼く。

と、ごらんのとおり。

 


レンジで蒸し焼きにしたのが災いしたのか、肝心な皮の赤はすっかり抜け落ちてしまったw、だけれどもあの香しい匂いが辺りに充満したのでありまする(笑)。

 

 
 
 
 
さて、リンゴが焼けている間に、その他のおかずに取り掛かり着々と進んでいったのである(本来こちらがメインのはずであるが、作業工程は割愛)。


 

・メカジキのカマ部分のソテー、バターソース(ゆず風味)、ホワイトアスパラの付け合わせ。

・もやしと白ネギとブナピーの中華風炒め物。

 

・デザートに、焼きりんごとブラックコーヒー

 

と、ここまで誇らしげに書き進んだものの、これはどう見ても高カロリーですな(笑)。許せよ、クリスマス・イヴだもの・・・・・・。

 

こうして2014年のクリスマス・イヴの夜は更けていくのでした。一年ぶりに聴く「第九」も高らかに歌い上げる合唱部分に差し掛かり、気分は最高潮にエンディングに向かっているのでありまする。

 

独りのクリスマス・イヴの夜の、ややハイ状態で書き綴った「2014年クリスマス・イヴ三部作」もこれにて目出度くエンディングでございます。

 

皆様お付き合いどうもありがとうござました。

 

Merry Christmas ! そして良いお年を!

 

 

2014年12月24日水曜日

寒波襲来が一休みした、ある晴れた日に~その②~



八千代町の“感動的な”産地直売所から引きあげて自宅付近に戻ってきたのは、午前1130分頃で、昼食と夕食の食料を買うために近所のスーパーに立ち寄った。陽光は穏やかに射していて、これはどうも摂氏1213度にはなってきているらしく暖かい。午前中の“徳”のせいか、夫婦間の会話も和やかで良い感じである。クリスマス前の休日は、誠に平和裏に事が進んでいた。

 そういえば、イチロウは確か100㎞以上のロングライドに出かけると言っていたな、彼の動向が気にかかる。“徳も積んだことだし、午後からでもひとっ走りしてみるか”などと、カミさんと食料を物色しながら独りで能天気に考えていた。

 正午過ぎに自宅に戻り、昼食の準備をしながら、何気なくカミさんに「買い物もあらかた済んだことだし、午後から暖かいうちにバイクに乗ってこようかな」と伝えたところ、カミさんが「ええー」という。

 新妻の牧瀬里穂ちゃんが「ええー」と目を潤ませたのならば、夫としても新妻の手を握り「いやいや、済まぬ済まぬ、考え直すよ」という返事も可能なのであるが、こちらは彼女に似ても似つかぬ約20年選手の嫁さんなものだから、こちらの返事も「まあ、そういうな。いいじゃないの」ということになる(笑)。

 「折角、午後からは風呂掃除をカビキラーで念入りにしてもらおうと思ってたのに~。」だと。

 “思ったのに~、と言われても、ちっとも可愛くないねえw”とは思ったものの、“しまった、流石に徳の積み方がリーズナブルすぎたかw、この流れは変えたくないしな。なんといってもクリスマス前の休みだから穏やかにやりたいよな。もう少し徳を積み増しとくか・・・・・・w”と思いなおす。交換条件として、風呂掃除が終わったらバイクで2時間程度自由時間を確保。

 時計を見ると、1215分。“よしなんとか、2時間で始末をつけるか”と昼食もそこそこに作業を開始する。角、目地の部分にカビキラーを噴霧し、スポンジでこすりシャワーで洗い流すことを開始していると、途中で嫁のチェックが入る。「そんなのダメダメ、まず浴室全体に全体にカビキラーをスポンジでつける、天井を忘れないでね、それからタオルかけ、シャワーのホース、角、排水溝には特に気を付けて」「それで1時間放置してね」だとw。

 “げげー、それじゃあ時間が無くなるよ・・・・”“それに浴室全体にカビキラーをつけていると、塩素臭いよ・・・・・。やべー、目に沁みやがってきた・・・・・”。なおも作業をつづけていると、「ハイ、今度は洗面器、椅子もね」だと。とほほ。

 一通りカビキラーをつけ終わったのが、午後120分頃。暫く休息を取り、1時間放置のところを40分に短縮してもらいw、シャワーで洗い流していると、途中でカミさんが交代してくれて、2時20分頃私の作業は終了。慌てて着替えて、バイクにて繰り出す。

 自分が目論んだ出発時間を軽く30分以上遅れてしまったため、その後のスケジュールも考慮して、往復1時間30分程度、午後4時過ぎには帰宅したかった。

 となれば何時ものほぼフラットな道のりで・宮島口折り返しコースとするのが無難であった。ただし、この度はピッチを意識して漕ぐこととする。家を出て、宮島街道を西に進む。クルマの量も然程多くない。所々で信号の足止めを喰らうが、気合が入っているので、両脚に少し負荷がかかっているピッチでペダルを廻していても苦にならない。“誠に今日は身体的なコンディションが良いねなど”と思いながら、ある交差点で信号待ちをしていたら、後方から「どうも~」などと挨拶をして、信号を無視してすり抜けていくバイク乗りがいた。

 “むむ、信号無視はしたらダメでしょ。それはマナー違反!”“これだから、クルマのドライバーに疎まれるんだよ”

 青信号になって、キッとなって後を追いかける。それでも先方を行くその御仁、なかなかの健脚の持ち主であるのと、その後も次々に信号無視を続けくれるのでなかなか追いつけない。すこし間隔が詰まると思うと、交差点で信号に捉まってまた引き離される。ついにどこかで見失ってしまった。

 追跡は諦めて、元のペースで更にペダルを踏む。その日の宮島街道は、久しぶりの陽気のせいか、ランナーも多く出ていて思い思いに走っていたし、バイク乗りも単独で走る者、2-3人で組んで走っている者も多く見受けられた。

 “本日、広島地方はバイク日和かな”と先ほどまでのキッとした気持ちから、次第に平和な気持ちを取り戻すことが出来た。しばらくすると宮島口に到着したが、折り返すには早めに到着したため、もう10分程度先に足を延ばした地点のコンビニを折り返し地点とした。
 
往路:走行距離;18.3km、所要時間;47分40秒、最高速度;32.0km/hr
 
 
 
負荷を意識して漕いでいたため、やや心臓がバクバクと落ち着かず、喉も乾いた居たため小休止を取る。そして飲料水を口にしながら、イチロウの動向をF.B.にてチェックする。

 “なんと、既に奴は折り返しポイントに到着して、今や凱旋途中の様子、順調にロングライド120㎞以上をやり終えようとしていみたいだ”“お疲れさん”。

 何となく“やられたw!”という気持ちと、“お見事、パチパチ”という賞賛と。ただただ、すがすがしい気持ちである。アムンゼンとスコットのお話(南極点到達を競った)ではないけれど、ちょっとした冒険者気分に似た感情を抱く(大げさかw、どうもこの日は色々と感情移入が激しいモノで・・・・・w)。
 
 

 心肺機能が整った状態となったのを見計らい、再び負荷のかかるピッチを意識して復路に挑む。東からの向かい微風を感じながら走行する。復路途中も何人かのバイク乗りとすれ違う。“そうか、ひょっとしたら皆さん、今年の乗り納めのつもりでバイクをだしてきたのかもな”と思いながら、先を急ぐ。但し、信号はちゃんと守って・・・・。

 帰宅時間は、午後410分頃、誠に気分が良く大満足であった。

 
復路;走行距離:18.93km、所要時間;49分01秒、最高速度;33.4㎞/hr

 その後しばらく休憩を取り、病人を見舞いに病院へ向かう。そこで有りがちな会話をして、すこしだけ食事の介助をして帰宅をしたのが、午後7時頃であった。

 晩御飯を取りながら、嫁が自転車のことをいう。「ベランダに置いていては物騒だから、部屋に入れてしまっておけよ」と。“おお、この嫁がそんなことを言ってくれるのかw!本当はそうしたいところを我慢していたのだよ。牧瀬里穂ちゃんには似てないけれど、良いところあるじゃんw!”

 カミさんの気が変わらぬうちにということで、食事を済ませるとそそくさと我が愛車を部屋の中に入れたのであった。犬を室内で飼う事を許可されたようななんだか嬉しい気分であるw。そして、ウヰスキーをチビチビとやりながら眺めて、自動車清掃用のウエットペーパーで、フレーム・タイヤスポークなどを撫でるようにふきふきしたのであった(笑)。

 


“諸兄よ、やっぱ、時々は徳を積んでおくものですぞw!”

 

~終わり~

 

 

寒波襲来が一休みしたある晴れた日に。~その①~

今日は、23日天皇誕生日そしてクリスマスイブ前日で、朝から穏やかな光が部屋に差し込んでいる。前日までの冷たい空気が温んでいるのが室内からでも感じることが出来た。何時ものごとく家族より一足早く起きて、リビングで「さて何をしようか?」と思案していた。

 何もなければ、そのままバイクで繰り出したい思いもあるにはあったが、カミさんにも配慮してそろそろ“徳を積む”必要も感じていて、一緒に買い物に出かけても良いなと思いながら何時もの休日の朝のごとくコーヒーを淹れて独りで飲んでいた。

 クリスマス直前の休日をデパートに出かけ、クリスマス商戦の賑やかな様子を見物するのも嫌いではない。デパ地下の豪華な食べ物の陳列棚を見て回りながら晩御飯を思案するのも良いし、1Fのメインフロアで若いカップルが幸せそうに腕を組んで歩いているのをチラ見するのもオジサンとしては微笑ましく感じられてよろしいw

 私の中では、カミさんを連れてデパートへ出かけようと決めていたのであったが、しばらくしてリビングに入ってきたカミさんに尋ねると、意外にも「別に欲しいものはないけれど」とのこと、やや間をおいて「例の朝市に行ってみようよ」との応答あり。

 “折角、徳を積む覚悟が出来ていたのにw”と想いながらも、カミさんのエコノミカル・フレンドリーな応答に納得し、午前930分頃、寝坊の野郎どもをそのまま残し、二人でクルマに乗り込み自宅を出発。

 例の朝市とは、昨年イチロウに教えて貰った広島市北部郊外にある農産物の直売所であり、以前カミさんを誘ったのだが、その時にはスルーされてしまった経緯があった。何故今更ながらに彼女がそこに行こうと思い立ったのか、その理由は尋ねなかったが、私自身は是非再訪してみたいと思っていたので、全く異存がなかった。

 国道2号線を東進し、広島市街地から県北部に伸びる国道54号線に入り、北に向けてクルマを進める。やがて旧市街地を抜けて山陽高速道路の高架を抜けると、安佐南区の梅林地区付近となる。それまで、子どものことなどをしきりに話していたカミさんが無口となった。しばらくおいて、「ああ山肌が削られているね。この辺りはよくニュースに出ていた。本当に大変だったんだよね」などとポツリと言う。そうこの辺りは大雨災害で大変な想いをしたのだった。「あれ以来この辺に来てなかったわ、今年は大変だったよね。まだ帰れない人たちもいるだろうね」などと隣でしんみりと呟いていた。

 クルマは、そのまま54号線を北上し可部バイパスに入る。次第に山間が狭くなり広島平野の最奥部に差し掛かる。前方に長い上り坂の高架橋が見えてくる。前方にノロノロと上がっていく軽トラがあり多少イライラとさせられるが、よく見るとシルバーマークが車体後部につけられていて、“ああ地元のご老人か”と分かり、気分を鎮めて付き合う事とする。

 やがてその高架橋に続いて、緩やかな坂道を登りきると、景色は一変し雪国となっていた。広島市郊外の八千代町界隈に入ってきている。八千代町を境にして急に海抜は上昇していて、地形は台地上となっているらしくちょっと可部町を抜けてこの地域に入ると不思議な感覚を覚える。
 

 

 景色が一変したのをカミさんも多少の驚きを覚えたらしく、「へー」なんて言っている。

“よしよし、驚いてよ”と内心ニンマリとする。目的の場所までは、もうしばらくのはずなのであるが、辺りの雪景色に“こんな状態で今日はちゃんと野菜などの農産物が売り出されているのかしら”と、新たな不安が生じる。また、段取りの悪さをカミさんから糾弾されるのではないかと一抹の不安を覚えるが、こうなったらポーカーフェイスを決め込むしかない。

 しばらく雪景色を眺めてクルマを走らせると、ああちゃんと直売所は開いていましたw。現地到着時刻、午前1030分頃。
 
 
 
 
 

駐車場にクルマを停めて、「さあさあ」とカミさんを直売所に誘導しようと思ったら、先にさっさと降りて、直場所前に陳列しているしめ飾りなどを物色している。

 その後、店内に入ると心配は杞憂に終わり、大根、白菜、ネギ、白ネギ、春菊、小松菜、シイタケ、マイタケ、シメジなどなど、新鮮な野菜が豊富に陳列されている。カミさんが独りで野菜を物色している間に、店内を一周。“鹿肉、猪肉・・・・、おお山の恵みありますねえ。日本海産ブリ、アマダイの干し物・・・・、日本海の海の幸もあるあるw。それから、この直売所で感動するのは、地元の女性の名前入りのお惣菜やお菓子で、ヨシヨシと妙に納得。八千代町の皆さんが、この直売所の経営に力を注がれているのがよく分かる。ここは地元愛に溢れた直売所なのだと独り感情移入し感動してしまう。“愛と感動の直売所なんだよな”と私が勝手に思っているのである。

 やがて安くて良質の野菜類を沢山買い物カートに積み込んで、レジに並んでいるカミさんに合流した。カミさんも納得顔であった。

 少し車内で休息を取った後、来た道を引き返す。

 カミさん曰く「こんな雪の時期に、あんなに野菜を売っているとは思わなかったね。ああ、この辺りハウスもあるね、そうかそういうことか・・・・。地元のヒト、偉いね」だって。

 やがては、再び先ほどの坂道に差し掛かり、遠くに広島市街地の建物が少しだけ見えた。

 「楽しかったよ。また子どもが出て行ってふたりきりになったら、こうしてドライブがてらゆっくりと来るのも良いね」と、牧瀬里穂ちゃんに似ても似つかないカミさんがポツリと言ってた(笑)。

 “ヨシヨシ、目出度くお金はかけずにひとつ徳を積みました(笑)”

 

~つづく~

 

 

2014年12月22日月曜日

サトシとマサルと、そして時々ツトムのお話(2)

サトシたちの初登校の日、午前中の学級会を中心とした授業が終わり下校時間となった。弟のツトムは六年生に連れられての集団下校となったため、サトシは独りで下校することになり下駄箱で靴を履きかえると、東側の校門に向かって歩いていた。東側の校門には、先に出ていたマサルがいて、サトシを待っている様子であった。

「あのね、朝サトシ君が見せたいものがあるって言ってだろ。なんだか気になってさ、待っていたんだ。」

 
それはサトシにとってはやや珍しく思えるマサルの反応であった。マサルは、確かにサトシが「一緒に帰ろう」と軽い気持ちで誘ったのではあったが、何時もマイペースのマサルが本当に彼の誘いに乗ってくるのは意外であった。

 
マサルは、2年の1学期が始まると同時にサトシ達のクラスに転校してきた。彼は、途中から編入になったためか、当初は物静かでクラスの仲間にもなかなか馴染む様子がなく、クラスメートと休憩時間などに一緒に遊ぶこともしなかった。学期が進むにつれて、彼の異能ぶりがサトシを含めて他のクラスメートの知るところになるのであるが、彼はどの教科においても頭抜けて出来て、主要科目以外の図画を描かせても教室前の廊下に張り出されるし、音楽においてもハーモニカやオルガンを上手に弾きこなした。体育は少し苦手であったけれどもそつなくこなしていた。サトシもクラスでは勉強の出来る方であったが、その彼をして「この子は天才だ!」と舌を巻くほどに何にでも秀でていた。ただ、彼の万能ぶりと、彼自身が意識していたわけではないのであるが、周りの子供に比べてどこか大人びてクールな態度や何時もマイペースで他の男子に交じってバカ騒ぎをしない態度が、いつの間にか他の子供を簡単に寄せ付けぬ風情を醸し出していて、その後もなかなか親しく付き合う友達を作れないでいるようであった。

 
サトシはサトシで、入学する2年前(即ち幼稚園の年中組に上がる年)に父親の転勤の都合でその県の北西部にある田舎町から引っ越してきて、この学校区に住み始めたのであるが、それまでの自然豊かな田舎暮らし(それは、幼子が家庭の中で過ごした時期と重なるのであるが)から、新しい環境(都会暮らしと同時に、家庭を離れて幼稚園という新しい生活世界への広がり)になかなか馴染めず、寂しさやある種の違和感を感じ過ごしていた。それでも小学校に入学し更なる新しい世界が広がると、彼なりにその世界:新しい学校生活とそこで出会った他の子ども達との交流に適応しようと努力していたのであった。

 
2年生2学期の国語の授業に、サトシにとってちょっとした事件が起こった。

 
担任の教師に当てられて、サトシの隣に席のあったマサルが「機関車やえもん」を読み始めた。マサルはそれぞれの登場人物のセリフに声色を変えて、感情たっぷりに読み始めたものだから、次第に他のクラスメートがくすくす笑い出し、仕舞には当てた担任の先生も笑い声を出し、当てた部分を彼が読み終えると「みんな、拍手!」と彼を讃えた。サトシにとっても、他のクラスメートにとっても、マサルの中に別の一面を見出した瞬間であった。「実は面白い子なんだ」とサトシはマサルに対する興味を初めて覚えたのであった。

 
サトシが、次の休憩時間にマサルに「さっきの機関車やえもん、面白かったね」と伝えると、彼は「そうかなあ」と先ほどのクラスメートの盛り上がった反応を気に留める様子もなく返事した。そして返礼とばかりに、「うんとさあ、サトシ君時々自由帳に時々何か書いているでしょ。あれは、何書いているの?」と聞き返してきた。

 
サトシは、マサルが普段は周囲のクラスメートに無関心な様子を示しているのに、実は色々見ているんだということをその時に初めて知り驚いた。「ええっとさあ、好きなクルマとか、昆虫とか、魚とか・・・・・・、まあそんなところかな」と答えた。

 
その答えを聞くと、マサルがそれまでのクールな表情を一変させ、目をクリクリと輝かせながら、「昆虫?何々それ。やっぱクワガタとかカブトとか、か?」。

 「うん、それもあるけれどねえ、やっぱカミキリムシが良いなあ。それと蝶も良いけど。」とサトシが言い終わらないうちに、マサルがニコニコとし始めて「いいじゃん!」と応じた。

 
それ以来、二人の関係は急に親密になり始め、休憩時間と下校時間のひと時の多くを一緒に過ごし始めたのであった。その背景には、共通の趣味を持つ者同士の他に、心の底にどこかその街に馴染め切れない異邦人同士としての連帯感のようなものを子どもながらに感じたのかも知れなかった。

 
ただ都市部の小学校低学年の子ども達は、学校から家に帰ると家庭での生活が中心であり、帰宅後子ども同士で遊びことは少なく、サトシもマサルも放課後は夫々に習い事や自宅での遊びに没頭していたのであり、二人の関係も学校内に限られたものであった。それでも、お互いに話していくうちに、二人の共通の話題として昆虫を中心にした生き物に興味があること、習い事の関係で音楽に興味があることなどを確認し合い、更に親密度を増していったのであった。そのようにして二人の2年生は過ぎていったのであった。

 
さて、場面は再びその日の下校時の場面に戻らねばならない。

 
東門で待ち受けていたマサルがサトシに声をかけ、そしてサトシがそれ応じる。「あのさ、やっぱオニヤンマおばさんは怖かったあ。マッチンが、学級会の時にぺちゃくちゃ喋ってたら、チョークが飛んできて、立ってなさい!っていうんだよ。あのマッチンがびっくりして立ち上がってたよ(笑)。それで、さっきのノートのことなんだけど、あそこの神社にちょっとだけ寄ってね、そこで見せるよ。“ちょっとだけよ、アンタも好きねー”」

 
「なにそれ(笑)?」「あれ加とちゃん、知らんの?」“流石に、マサルは知らないのか”とサトシは内心苦笑いをして、歩き出した。

 
彼らは、東門を出ると朝来た川沿いの道を歩いた。太陽はすっかりと天上から穏やかな光を降り注ぎ、東側にはビルや住宅の建物の向うに空に大きく稜線を描く高い山がそびえている。その山は、青みがかった深い緑に覆われていたが、所々白からピンクが斑点のように認められた。あれは何時の事だったか、サトシは母親からあの白やピンクの斑点は、桜の花や桃の花が咲いているんだよと教えて貰ったことがあった。その日は山頂付近には霞がかかり、綺麗にその稜線を追う事が出来なかったのであるが、その風景も二人の幼心に春を感じさせるものがあった。

 
川沿いの道を二人で南に数100メートル歩くと、その街の東西を走る大通りのひとつに当たり、普段であればそこで二人は別れるのであるが、その日はその大通りを左折してすぐのところにある、小さな神社に立ち寄った。ここが、この界隈のこどもの遊び場のひとつになっているのであったが、幸いにまだ二人以外の子どもの姿はなかった。社の階段に二人で座り、サトシが、すこしはにかみながらランドセルからジャポニカ学習帳の自由ノートを取り出してマサルに見せた。

 
「おお、サトシ君凄いじゃん。上手いなあ」

 
そこには、色々な種類の魚が描かれていた。そのノートはサトシにとって、謂わばマイ図鑑であった。サトシは、小学校1年生の夏休みに両親に連れられて海水浴に行った際に、磯遊びを経験し、その日以来魚や磯に生息する水生生物に興味を持ち始め、その関心が次第に膨らんでいった。その様子を見ていた両親が、最初は子供用の魚図鑑を買い与えたのであるが、彼の深まる知識にその図鑑では間に合わなくなり、2年生の春休みに一般成人向けの図鑑を買い与えた。サトシは、春休み中、毎日のようにその図鑑を開き、自分の気に入った魚の絵を見ては、それを少しずつ自分の自由帳に描き出していたのだった。

 
マサルに褒めれて、サトシはとても嬉しく「サンキュー」と応じ、「じゃあさ、今度はマサル君のお宝を何か見せてよ」とマサルにリクエストした。

 
「そうだねえ、お宝ねえ、ちょっと考えとく・・・・」とマサルもすこし思案顔を作りながらも笑顔で応じた。

 
こうして二人の新しい学年が始まったのであった。

 

~つづく~

 

追記;いけない、まだ先が読めませぬ。どう展開させようかな(笑)。

2014年12月21日日曜日

サトシとマサルと、時々ツトムのお話(1)


ここ数日来私の頭の中で、ある少年たちのお話、というよりもあるイメージの断片が浮かんでは消えて、何かするとまた浮かんでは消えて、ということが繰り返されている。

さて、どの辺りからこのお話が始まるのが良いのか、どのような展開を作れば良いのか、画像的なイメージが浮かぶばかりなので、お話として繋がっていくのかどうか、甚だ心許ない。

 

大した冒険が彼らを待ち受けている訳でもない。むしろ彼らの冒険は、彼らが離れ離れになって、夫々の道を歩み始めてから、夫々が別の場所でその苦難を味わうことになるのであるが、私の中にあるそのイメージ・お話の断片は、一地方都市で育った彼らの極々平和で幸せな時代に限られている。それ故に、彼らのお話には、私たちにも共有可能な、ある種の郷愁を有しているはずである。

 

私のイメージは、例えばこんなふうである。

 

冷たく乾いた風が吹き荒れて、赤茶けた風塵が舞っていた季節が何時しか過ぎ去って、太陽の日差しは明るくなり、その街に吹き渡る風はまだ幾分冷たいものの穏やかなものになっている。街の中心部を流れる川の水は幾分濁っているもの静かに流れていて、舗装された川岸沿いに植えられたしだれ柳は新芽があるもののまだ固く、その川岸の所々に設けられた緑道公園の桜の花は満開で、時折吹く春風に揺れていた。

 

その朝、その川岸の道を通勤や通学で行き交う人達に交じって、紺色の学生服に紺色の半ズボン、白タイツを履いた小学生二人が歩いて往く。その春、小学3年になった少年はまっすぐに前を向いて先を歩いているのだが、その後から続く小学1年生の少年は歓びを全身で表現するかのように、辺りをキョロキョロと見渡しながら、そして時折気になる方に駆けださんばかりに元気いっぱいに歩いている。この二人、兄をサトシといい、弟をツトムと呼ぶことにしようと思う。

 

時々サトシは振り返りながら、弟をたしなめる。「ツトムちゃん、ダメだよ。川をのぞき込んじゃあ危ないよ。母さんに言われただろ。ちゃんと、まっすぐに歩くんだよ。川に落ちると死んじゃうよ。」。それでもツトムは最初のうちは大人しくサトシのいう事を聴いているのだが、やがては辺りの景色が物珍しくあちらこちらが気になる風で、なかなか前に進まなかった。サトシは、業を煮やして「もう知らないよ。兄ちゃん先いくぞ」と捨て置くように足早に歩き始めると、「待って・・・」とツトムが半泣きになりながら必死でサトシの後を追って登校していった。

 


その日サトシにとっては、3年生になって初めての登校日であった。弟は前々日に入学式を済ませ、その日が初登校日であった。彼らが通う学校区は、公務員や転勤族が住む地区にあり、その街の所謂文教地区であった。彼らの父親は大学教員であり、一家はこの地区の一画にある官舎に住んでいた。この日はサトシにとっては初めて経験するクラス替えが発表される日でもあり、少しでも早く登校したかったのであるが、朝食時に母親から初登校のツトムと一緒に登校し、彼のクラスまで送るように言いつけられた。

その時、サトシは思わず「うん、ちょっと・・・・・」と軽い抵抗を示したのであるが、横で聴いていたツトムが「お兄ちゃんと行くんだ・・・」と泣きはじめ「じゃないと学校にいけない」などと言い張るものだから、仕方なく逸る気持ちを抑えながら、ツトムを連れて登校したのであった。


母親の言いつけ通り、ツトムを彼のクラスまで送り、彼が嬉しそうに自分の席に座ったのを確認した後、サトシは足早に3年生専用の下足箱のところへ向かい、下足箱から校舎に入る出入り口に掲載されたクラス編成表を確かめた。

 “ええと・・・・・・。”“ああ、あった。2組か。担任は、げげ、オニヤンマおばちゃんか・・・・。ああ、マサル君はいないな・・・・・。”

 彼(ら)がいうオニヤンマおばちゃんとは、40代女性の教員でやや大きめのフレームに茶色の偏光レンズの眼鏡をかけているヒトで、大変厳しいことで有名であり、他のクラスの生徒に対しても容赦なく厳しく注意するので、いつの間にか子どもたちの間でこのようなあだ名がつけられていた。

 サトシが、子どもにとってはそんな悪評のある教師が担任のクラスに入ったことを知り、すこし気落ちしながら、マサル君が所属するクラスを探していると、背後で「オッス」と元気な声がする。振り返ると、サトシよりはやや背が低く、華奢な体つきではあったが、くりくりと目の輝く少年が立っていた。

 「ああ、マサル君、オッス。新しいクラスねえ・・・・・。」

 
「ちょっと、タイム。あのね、自分で見たいからさ。ちょっと待ってよ・・・。ああ、サトシ君と別れちゃったか。むちゃショック・・・・。」

 
「ホントだよね、ボクもむちゃショック。うーん、今日学校が終わったら一緒に帰ろう・・・。ちょっとねえ、見せたいものがあるからさ。」

 サトシには、その時に特別に見せたいものがある訳ではなかったが、彼なりに何となくその場の空気を明るいものにしたくて、急場しのぎのことを言ったまでであった。だが、他方であのノートをマサル君になら、見せてもいいと思っていた。サトシにとっては宝物であるが、多分他のクラスメートに見せても分かってもらえないだろう、だがマサル君であれば興味を示してくれる筈という確信があった・・・・・。 

 

 
さて、ここまでは書いてはみたものの、どのようなお話になっていくのか、私には今のところ今後の展開に何の展望もない(笑)。
 
おぼろげながら浮かんでいるイメージの断片を繋いでいく不連続シリーズになりそうなのである(笑)。