2014年11月30日日曜日

イチロウ行状記外伝~乗りバカ日誌・編~


 しまなみ海道国際サイクリングが終わって一息つき、来春の「琵琶イチ」にエントリーをしよう、その前にトレーニングをどうしようか・どこを走ろうか?とイチロウと駄弁っていた頃から、彼の身辺があわただしくなってきた(笑)。

 「身辺があわただしい」と大仰な表現を使ってしまったが、別に彼のプライベートな生活に波乱が起こったのではなくて、彼のデスクの周りに連日とは言わないまでもかなりの頻度で段ボールが宅配便で送り届けられるようになったのだった。

 11月中旬にまず、中古のブリジストン製のバイクフレームとフォーク、続いて2日程度遅れで中古のバイクホイール(彼も正確には覚えていないらしい)。
 
私が、「これどうしたの?」と問うと、彼曰く「ちょっと考えがあってな。」と言葉少なに応答するのものだから、更に突っ込んで「あのさ、今度はアフリカ製の竹製バイク買いたいと言ってたじゃないか?」と問いを続けると、仕方なしにといった感じで彼の意図を開陳し始めた。

 竹製バイクは、しばらく資金的な問題もあり置いておくとの事。それで、次はピスト・バイクを組み立てようと思っているとのことであった。それでネットオークションで色々あたっているのだとか。

 “ふーん、ピスト・バイクね………..。って、ピスト・バイクって何だ?”

 手っ取り早くwikipediaでその自転車の概要を調べる。

 
“ピストとはフランス語で自転車競技場、若しくはトラックのこと”(ふむふむ)

“ベースとして使われるのは、専ら競輪選手が放出した中古のピスト(トラックレーサー)。

(通常)ブレーキが装着されておらず、ギアが固定式なのでペダルを逆回転に踏んで制動する。ブレーキを装着していないので、日本では道路交通法違反となる“

“変速機がないため、整備性・耐久性が優れているため、アメリカのメッセンジャーの一部がニューヨークなどで1970年代から80年代にかけて使用し始めた。日本では、2000年代半ばに日本にも輸入され、ストリートカルチャーの新しい流行として取り入れられた”

“自転車愛好家からのその安全性について批判的な意見が表明されている……….。”等々。

 そうなのか…….、どうもそういうものに手を出すなんてイチロウらしくないな?”と、その辺りのところを彼に尋ねてみると、「ちゃんとブレーキは装着するに決まっているだろう(笑)」との事。

 この件については、後日イチロウから補足説明があり、彼の組み立てたいのは、正確には競輪フレームを使ったシングルギア(シングルスピードと正確には表現するらしい)にブレーキの装着された自転車であった。

 さて、イチロウの中古部品を使った自転車の組み立てがそろりと始まったのであったが、本格的な作業工程に入るまでに多少のハプニングと彼の懊悩があった。

 まずは、最初に彼が手に入れたホイールとフレーム・フォークがどうも合わない。

 


 
最初からハプニングが発生し、流石のイチロウも困り果てた顔で思案している。そして、ネットで調べて「やっぱり、そうだったか!これだから素人のすることはダメだね……」と独りゴチている。

 

「やっぱり自転車の部品には規格があるんだとさ。参った、どうするべか…………..?」

 

 
 
 
 
 
 
それから数日後、再びイチロウのデスクに宅配便で送られてきた大きな荷物が置かれていた。昼休みに、彼がその荷物の梱包を取るところを眺めていると、別のバイクフレーム・フォークが取り出されてきた。そのフレームは、パールホワイトの美しいフレームで、彼曰くこれも中古でネットオークションから購入したらしい。フレームには、「IRIBE」のロゴがプリントされている。
 
 
 

 
“イリベ……….。これまで私は聴いたことなかったな。このメーカー。”

 

 
 
 
イチロウの解説やネット上のブログで調べてみると、奈良県にあるファクトリーで競輪自転車界では大変有名な製造者らしい。入部さんは競輪界や自転車愛好家からはその素晴らしい仕事ぶりに大変尊敬を集めているようである。確かに、このフレームは素晴らしい仕上げで大変に美しかった。中古の割には塗装もそれほど損傷なくそのまま使っても何の差しさわりもなさそうだった。イチロウの横で暫くそのフレームに見惚れていた。ホイールに合わせても今度はちゃんと嵌り、フレームとホイールの色合いも悪くないように思えた。

 


ふとイチロウを見ると、意外にも真剣に悩んでいる「困ったなあ。どうしようか?」と。

「実はね、当初の予定では自分でフレームの塗装を塗りなおしてしまおうと思ってたのだよ。」「しかしなあ、このフレームの塗装まだ綺麗で良い仕上がりだものなあ。素人がこの塗装を落として塗りなおすのは、ちょっと抵抗感があるよなあ。」「うーん、どうしようか?」

 

イチロウの懊悩は更に深まるのであった(笑)。

 そして、更に数日後、三度イチロウのデスクの前に梱包された段ボール箱が置かれてあった。早速その日の昼休みに、イチロウがその梱包を解いて中の荷物を取り出した。今度も、中古のフレーム・フォークが送られてきていて、名も知らぬ(イチロウ自身も)メーカーのものだった。


 

イチロウ、「うん、これで良し。これで行こうw。」と言った。そして、昼休みを利用して少しずつ、そのフレームの塗装をペーパーやすりで落とし始めたのであった。今後の組み立て過程が楽しみである。

 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
彼は別に、私たちが子供時代にはセミドロップと呼んでいた形のハンドルに逆方向に取り付けられるブレーキ、そしてBrook社の革製のサドルなどを選んでいた。先日これから組み立てるバイクのイメージ図をF.B.上にupしていたので、拝借すると、こんなことになるらしい(笑)。




 

それにしても、あのIRIBEのロゴの入った大変美しいフレームはどうなったのだろうか?

ふと疑問に想い、彼にその事を質すと、

 

「心配するな。これが終わったら、マサキのためにもう一台組み立ててやるよ」「それでトレーニングすれば良いんだよ」だと(笑)!

 

“しぇーっ、そんなのシングルスピードの自転車なんて乗れるわけないでしょ(笑)”


どうも最近だんだんイチロウと私の自転車をめぐる関係性が、映画「釣りバカ日誌」のハマちゃんとスーさんの関係に似てなくもないなと思える今日この頃である(笑)。

 

~おわり~

 

2014年11月27日木曜日

イチロウ行状日記~山間部を走るの事、後編②

新蕎麦を食べ庄原焼きを食べて十分すぎるほどお腹が満たされたところで、イチロウと私は再び自転車に乗り、国道432号を北上した。空はすっかり快晴となりヒツジ雲が浮かんでいた。空はどこまでも青く澄み、雲は低く緩やかに流れており晩秋の山間に来たことを実感。左右の田圃では既に稲刈りが済んでおりやや哀愁を感じさせた。432号を進んでいくと東西に向かって流れる 西城川に当たり、その橋を渡り左折、左手にその川を眺めながら下流に向かって走る。やがて国道62号との分岐三叉路に差し掛かった。川の下流方向は大きく左手すなわち西に曲がっており、国道62号がその流れに沿って走っている。

 
私たちは、432号を左折し国道62号に沿って山間に向かった。この辺りに来ると次第になだらかな勾配ではあるが距離の長い上り下り坂が繰り返されるようになった。この辺りに来るのは初めてなので、土地勘がなく、どのあたりを走っていたのかを詳述できないのであるが、庄原市口和町を北西に向かって走っていたようである。

 
この辺りは、ひとつの丘陵を越えると山間に山村が点在していて、そこには里山の風景が広がっていた。晩秋の柔らかい陽光を浴びて、山林の緑が美しく映えていた。この里山の風景にはいつも感心させられる。山際の雑草は綺麗に刈り取られ、掃き清められていて本当に美しい、日本人が古来から営んできた風景が今も残っているような気がする。イチロウや私が若い頃からとても好きだった風景が眼前に広がっていた。幸いなことに自動車もそれほど走っていなかったために、時には二人で並走しながら、「気持ちいいなあ。この風景は本当に素晴らしい」と語り合った。


 
イチロウはいう、「この景色はドライブするのにも楽しいだろうけれど、クルマではこの空気と一体感は得られないような。自転車のほうが、何倍もこの空気を楽しめるよ」と。

 
確かにそう思う。その日どうも日頃の運動不足が祟ってか、脚が重く上り坂ではイチロウに大きく引き離されたのだが、イチロウとの実力差を噛みしめつつも、上り切ることに専念し耐えてなだらかな上り坂を越えるとやがて下り坂がやって来て、山里の緑地(田畑)に向かって風を切って降りていく按配となっていた。あの耐えて上り切った後のご褒美のような下り坂で風に包まれて走る時の爽快さは、確かに自転車でしか味わえない悦楽だと改めて思っていた。

 
ひとつの丘陵地を越えたところで、イチロウが自転車を下りて待っていた。

「ほら、里山の撮影ポイントだろw!」 しばし休息しながら、辺りの景色を一枚撮った。


 
その後も私たち二人は、62号線を北西に向かって走行し口和町向泉地区に差し掛かった。ここは狭い谷間から広がる扇状地のようになっていて、そのまま北上すると186号線となり、私たちが進んでいた62号線は鋭角に左手に曲がりUターンするように南西に向かって走っていた。私たちも62号線に沿って今度はなだらかな下り勾配を下ることになった。そして、この狭隘な谷間から広がる扇状地の風景が素晴らしいので、イチロウをモデルにして記念撮影を2枚ほど撮った(笑)。

62号線を南西に向かってしばらく下ると、松江道の口和IC付近で国道39号線にぶち当たり、今度は左折して国道39号線に沿って緩やかに弧を描きながら南下することになった。

さていよいよ三次市に向かって緩やかな下り坂を南下していくことになる、この時点ではもう上り勾配もなくなり楽に勢いよく走行できるはずと思った矢先、左前方に道の駅を発見。イチロウが目聡くも「ワニ料理」なる幟を見つけてしまった(笑)。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 ※道の駅にあった水琴窟

 イチロウ「おい、ワニ料理だとよw。有った有った。何?三次で喰う予定だっただと?でもさあ、今から三次に下りていくと大体3時ごろだろう?店丁度閉まっているよ。食べられない公算高いな。ここで食べてた方が良いなあ、確実だもんなw。」

 “まだ1時30分だろうw?喰えねえだろうよ…….。”

 イチロウ「オレ一人でも食うぞ。ここまで来て喰わねえ手はないだろうw。何々ワニ南蛮丼セット?よし行くべ」

 “もう入りやがった、しょうがねえなあw”

 結局つられて私もイチロウの後に続いて、食堂に入りワニ南蛮丼セットなるものを注文。

この料理、ワニすなわちサメ(多くの場合はネズミザメ)の白身のから揚げに、やや酢が効いた南蛮漬けがごはんの上に乗っかる丼物に、かけそばが付いている定食だった。
 
 

 
ワニの肉は、想像していたよりも癖がなく淡泊な味だった。ちょっと酢が効きすぎていたのでハッキリと味として分からなかったけど、食べやすかった。それからここでもゴハン・庄原コシヒカリが本当に旨かった。庄原のヒトたちは美味しいお米を食べているんだな、これにはびっくりした。

 
結局二人ともこのワニ南蛮丼セットなるものをほぼ完食。お腹ははち切れんばかりとなり(笑)、腹を突き出したオッサンがそこには居た。この度自転車ツーリングは当初懸念していた通り、トレーニングからご当地料理・飽食自転車の旅へ様相が変わった。結局、イチロウの当初予定していた料理は全て完食w。果たして無事三次に辿り着けるか心配になりつつも、三度自転車にまたがりゴールを目指すことになったのだが、出発間際にイチロウめ「こうなったら三次に入ったら、三次名物のブランデーケーキをデザートに喰っちゃおうぜ。」と笑っている。この時は、さすがのお人好しの私も完全に無視w。「ともかく行くべ」と出発した。

 
その道の駅を出発して国道39号線を南下、出発直後になだらかな丘陵地を乗り越えると、後はしばらく下り坂となり快適な走行となった。再び、西城川に出会い右手あるいは左手に川を眺めながら三次市街地に入っていった。

 
三次市市街地に入ると北側の道路を東に向かって走る。スタートポイントの県立三次公園まであと23㎞となった時点で、イチロウが「そこだそこ」と右前方に見える和菓子屋を指す。

 
 
「土産にブランデーケーキを買って帰るべ」と笑っている。こうなると全く仕方なく自転車を停めてお付き合いで「三上貫栄堂」に入る。そこでばら売りしている「ピオーネ大福」「ブランデーケーキ」を各一個ずつ購入。これらは帰宅後食することに。イチロウは愛想よく店主のオジサンと話し込んでいたが、私の方はどうでも良くなっており(三上貫栄堂さん、ごめんなさい)w、さっさと店を出る。

 
その後、イチロウが「もうすぐそこだ」と言っていたゴールまで実はなだらかな勾配を持つ丘陵地帯を2つ越えることになり、これが実は一番つらかった……。満腹の状態で戦闘意欲も乏しく、ゴール前にして完全に気合もなく緩んだ状態で、トボトボと先ほど買ったお菓子の入ったビニール袋をハンドルにぶら下げて登り坂走る図は、全く無様な様相だったと思うw。


 
ともかくも予定通り、午後3時少し過ぎにゴールの県立三次公園に到着。イチロウのコース設定によると、全走行距離67㎞、獲得標高208m、所要時間約5時間15分であった。気持ち的にも胃腸的にも大変満腹感のあるサイクリングではあった(笑)。

後日、イチロウとこのサイクリングを振り返った時に、彼が語るに「どこかに出かけるときには、まずご当地のものを食べるところから始めて、その食べ処の点と点を結んで、行動の線にする」だそうな……。「後で喰いそびれたと後悔したくないからな(笑)」なんだとか。

 
そうか、今度コースは、奴の飽食旅の点をトレースしたコース設定だったのか........。今度から彼とトレーニングする時には気を付けておこっと(笑)。

ああ、そうそう。三上貫栄堂さんの「ピオーネ大福」と「ブランデーケーキ」を翌日食したが、結構旨かったですよ。ここに付記しておく。

 

~終わり~

2014年11月23日日曜日

イチロウ行状日記~山間部を走ることになったこと・後編①~

本日、Gilberto’s西日本支部(仮称w)のイチロウとマサキ、広島県北部の山間部をサイクリングするべく出動す。

 イチロウ宅のマンションエントランスに午前830分に集合。

クルマのメーターに表示される外気温は7℃、晴天であった。サイクリング日和と思われたが、イチロウ登場するなり「寒い、寒い」と何やらモチベーションが上がらない様子。

 やがてクルマは、イチロウと2台の自転車を乗せて、中国縦貫道に入り一路三次東I.C.に向かう。一般道から中国道に入り広島市の北部の山間に入るが次第に深い霧が立ち込め、路面が湿っているのが確認された。

 助手席に乗ったイチロウが頻りと「これは行けんなあ。路面が濡れて自転車日和じゃないな」「それに晴れと天気予報では言ってたのに、これはどうしたことなんだ」などとNGを出している。私などは、「三次盆地を中心とした地域では朝霧が発生しやすいことくらいイチロウの方がくわしいだろうに」と内心可笑しく思うが、暫くしてイチロウなりの気分の高揚を抑えるための戯言なのだろうと気が付き、笑って受け流す。

 クルマは順調に視界50m程度の霧の中、中国縦貫道を東に走り、松江道分岐点の三次東I.C.を下り、暫く一般道を走り午前9時30分頃、県立みよし公園敷地内の駐車場に入った。そこでクルマを停めて、バイクツーリングの準備に取り掛かった。
 
 
その時の外気温8℃であったが、三次地方の最高気温予測は18℃となっていて、冬場のサイクリングの経験のない私にはどのような服装が良いのか見当が全く付かなかった。イチロウの助言を素直に受け入れることとし、下は裏起毛のあるロングタイツ、上はヒートテックのアンダーシャツに夏用ジャージ、その上にウインドブレイカーを羽織ることとした。

 
午前945分頃、県立三次公園を霧の中出発。まずは、同公園を出た後、馬洗川と国道184号線に沿って東上するような恰好で庄原市街地を目指した(らしい)。コース設定は、前回のごとくイチロウが設計してくれた。私は三次(西)→庄原市(東)→国道432号で北上~国道62号で南西方向へ三次に向かう、周回コースと大雑把に了解する程度であったので、イチロウの言われるまま・引っ張られるままに道を走行した。イチロウは事前に地図を見ただけで地形、川・道路・マイルストーンとなる建物などを把握していたので、大変驚いて、彼の能力を再発見したような印象を抱いた。
 
 
イチロウはなるべく、川沿いや農道のクルマの交通量が少ないルートを選んで私をリードしてくれた。庄原市街地に向かう途中で一つの目標であった「Galleria Norsa」に立ち寄る。
 
 
ここはイチロウが発掘したギャラリーで、イタリア人の古物商オーナーがイタリアの古美術を取り扱う片手間に、イタリアのヴィンテージバイクも販売しているとの事であった。
 
 残念ながら私たちは午前1030分過ぎに店に到達したのであったが、人気はなく営業していない様子であった。また、改めて来訪する目標が出来たなとイチロウと確認し、再び庄原市を目指す。
 
 
 
 この辺りから、国道61号に出てた辺りから少しずつ緩やかな上り坂を認められるようになった。比較的平坦な箇所ではイチロウと時折会話をすることが出来たが、登り坂になると私の脚力ではイチロウについて行けず大きく引き離されることになった。緩やかな上り坂を暫く我慢して上っていたが、地図の上では庄原カントリーコース付近で登り坂は終わり峠のようになっていて、そこでイチロウは待っていた。
 イチロウ「これこれマサキ、見てw。新蕎麦と書いてあるぞ、販売1122日、昨日から販売になっているじゃないか。喰っていこうw。」

 

時計を見ると、午前11時ちょっと前。私「ええっ?もうちょっとで庄原焼きだろう?」

 

イチロウ、“まあ良いから”と峠の蕎麦屋に入っていった。そのお店「一寸そば屋」という屋号でこの地域では大変有名なお店らしい。

 イチロウは、店の中高年女性に屋号の由来を機嫌よく尋ねているw。その上でかけそばを注文。四の五の言っていた私もつられて、ざるそばを注文した。やがて、注文の品は運ばれてきて食するが、蕎麦の香ばしい香りが鼻腔内を覆い、舌触りはややヌメリ感のあり腰は強く歯ごたえも素晴らしく大変結構なお味だった。
 
 

 








再び61号を東へ庄原市街地に向かう。次なる目標地は、庄原焼きで有名店「ほっ」さん。どうもこの辺りから怪しい雰囲気となってきた。知らず知らず、この土地のローカル食・食べ歩きのようなイージーな企画構成になっているのではないかとイチロウの腹案に疑念を抱くw。イチロウ地図を確認することなく、的確に道路を指定し、迷うことなく庄原焼きの「ほっ」さんに辿り着く。
 
 時間は午前1140分頃、私たちが訪れた時はまだ他の客が居なかった。テーブル席に着き、庄原焼き・ベーシックタイプを注文する。

 

この「庄原焼き」なるもの、地元のBグルメとして近年発祥した食べ物で、広島風お好み焼きに似ているが、広島焼きに通常入っているソバもしくはうどんの代わりにご飯が入っていて、そのごはんが店によって工夫されており、焼きおにぎりだったり、キムチチャーハンだったり。そして、ソースの代わりにポン酢をかけて食べることになっている。「ほっ」さんは、焼きおにぎりを入れるようになっていて、私たちが注文したベーシックタイプでは青のりがトッピングされていた。
 
私の超個人的な印象では、通常の広島風お好み焼きよりも焼き上がるのにすこし時間がかかったように思われた。それからイチロウもいtていたのだけ言ってたけれど、お米が旨い!庄原コシヒカリが使われているとの事であったが、一粒ひとつぶが立っていて大変旨かった。

最初は、お好み焼きというと濃厚ソースをかけて食べる印象があり、物足りない感じを持ったものだが、次第に素材の旨さを感じるようになり感動。お好み焼きよりも軽く食べられる。しまいには、ポン酢をかけずに食べた方が美味しいように思えた。

 

庄原焼きはイケますぞ!アイデアが良い、と思えた。

うーん、しかし蕎麦、庄原焼きと立て続けに喰ってしまいお腹いっぱいの状態で、ここから先ちゃんと山道を走破できるのかいな?と一抹の不安を抱きながら、庄原焼き「ほっ」を出発。