2022年5月3日火曜日

アメリカ音楽界隈を徘徊するのこと~その2~

4月に入り、私が住む地方では気温が急激に上がったかと思えば、気圧の谷続いて台風1号の影響により雨が降り、急激に気温が下がり肌寒く、何とも忙しい天候となっている。例年、春の訪れの兆しを探し求めながら過ごし、野鳥のさえずりや草花の賑わいを見つけては楽しんでいるのであるが、この度は例年に比べて私の現実生活も忙しいようで、ふと職場の周りを歩いていると、うぐいすやセキレイのさえずりや花壇の花々の開花にはっとさせられることがある。

2月からあれこれとアメリカ・ルーツミュージックを聴き漁ってきたが、アフリカ系アメリカ人が遺した音楽についてはひと段落をつけて、3月中旬よりヨーロッパ系アメリカ人が遺した音楽を聴き始めた。これまでカントリー、ブルーグラス、フォークなどは、私にとってあまり興味が持てるジャンルではなかった。

 これらの音楽ジャンルに興味が持てなかった理由として、音楽的物心がついた中学生当時1981年頃に見たアメリカ映画「Blues Brothers」、1980年代に流行したブリティッシュロックやテクノポップ、それから当時の日米の貿易摩擦などの世相などの影響もあったのかもしれない。

 Blues Brothers」は、ダン・エイクロイドとジョン・ベルーシが主演で、二人組の主人公が経営の行き詰まった孤児院を救うためにリズム&ブルース・バンドを結成しハチャメチャな珍道中を繰り広げる、ミュージカルそしてロードムービー仕立てのストーリーだった。その中では、二人の主人公にとって、ブルーズなどのアフリカ系アメリカ人音楽がとてもクールで最高なものとして、一方でカントリーミュージックはどこか田舎臭く粗野なものとして描かれていた。それ以来私も、最近に至るまでそのような感覚を持つようになってしまった。

 ずっと後年になり30代半ばに仕事の出張と休養を兼ねてカナダ旅行をしたことがあった。カルガリーからバンフへ同僚とレンタカーで移動している際に、カーラジオから流れてくるカントリーミュージックを聴きながら、車窓に広がるなだらかな起伏のある牧草地帯と眺めていたのであるが、その長閑な景色とカントリーミュージックがとてもマッチしており、その風土に育まれた音楽は、その土地で聴いてみると良いものだ、もし私がアメリカの中西部で生まれ育っていたならば、カントリーミュージックを好んで聞いていたのかもしれないと思ったものだった。

 それ以来、私の中にある様々な偏見はひとつ払拭されていたのであったが、これまでの生活リズムや環境などから、進んでカントリーやフォークを聴く機会がなかった。この度アメリカのルーツミュージック音楽を徘徊してみようと思い立たなければ、これらの音楽をこの先も聴かずに人生を終えたと思える。この度色々と探していると新たな発見もあり大変楽しく、それらの音楽に対して愛おしささえ感じることとなった。

 カントリーミュージックのルーツは、イングランド、ウェールズ、スコットランドやアイルランドからの移民が本国から持ってきた民族音楽から発展したものらしい。彼らの多くは、アメリカ東部のアパラチア山脈周辺に入植した者が多く、彼らが祖国の民謡を歌い継いで、それがカントリーに発展したという。歌い手の出身は米国南部諸州が多く、ブルーズなどの影響も受けおり、1940年代よりヒルビリーとかマウンテンミュージックと呼称され、これらの音楽からブルーグラスが派生したという。

 この度は、これらの音楽の源流も確認してみたいと思ったところから、以下のような音源を購入し聴いてみた。以下の説明の多くは前回と同様に「はじめてのアメリカ音楽史/ ジェームス・M・バーダマン、田中哲彦 著 ちくま新書」、Wikipediaからの引用です

 1. Classic English and Scottish Ballads from Smithsonian Folkways/ from The Francis James Child Collection

Francis James Child(18251895)は、文献学者でハバード大学の教授だったヒト。19世紀後半(18571858)にイングランド・スコットランドに古くから伝わる(大体16世紀から18世紀にかけて生まれたものが多いという)バラッド(民話・叙事詩)、伝承歌を収集・整理し305編にまとめた。その後、時代は下って1940年代以降、様々なフォーク系アーチストがチャイルド・コレクションを取り上げて演奏録音しているようである。19世紀より、民俗学が隆盛したのだろうと思うが、チャイルドは、日本でいうところの柳田國男みたいなヒトだったのだろうと勝手思っている。このアルバムに収められている演奏は195060年代を主に、2000年代まで様々な年代にレコーディングされたものであるが、哀調を帯びた旋律が繰り返されるなどどこか郷愁を誘うメロディが多い。主にブリテン諸島からの移住者がアパラチア山系の入植地で、こんな音楽を奏で苦労の多い日々を過ごしながらも自らを癒していたのだろうかと想像すると何だか愛おしくなってしまう。

 

2. Classic Celtic Music from Smithsonian Folkways

私は、ケルトという言葉に弱い。それには理由があるのだけれど、それを述べるのと長くなってしまいそうなので、この度は割愛する。ケルトとは、古代ローマ帝国時代の文献にも登場する西ヨーロッパ全域に活動していた古い民族ならびにその土地の呼称で、時代は下って現在ではブリテン諸島のスコットランド、アイルランドに残された文化を呼ぶときにそう呼ばれている。現在では、主にアイルランドの伝統文化を指すことが多い。物の本によると、現在のアイルランドの人口が約400万人に対して、アイルランド系米国人の人口は約2000万人と云われ、如何に本国から米国に渡った移民者が多いことが窺える。そのきっかけは19世紀にアイルランドで起こった大飢饉によるもので、アイルランドの農村の崩壊と共に生活の糧を求めて米国への移民する者が急増したらしい。その後に、アイルランド本国で起こった艱難辛苦、苦難を乗り越えて20世紀初頭に果たした独立の過程とアイデンティティーを求めての文化運動についても興味深いのだが、それについても割愛。アイルランド移民の多くは、米国東海岸諸州に定住したらしいのだが、彼のコミュニティーの中で故郷の音楽が演奏され・歌い継がれてきたのであろうことは、想像に難くない。一般的に彼らの音楽が、現代のアメリカのフォークやロックに影響を与えたとされるが、現時点では私には具体的に分からない。今後良い文献を探して深堀出来ればと思う。

このアルバムでは、繰り返される旋律で構成されたメロディ、哀調を帯びたスローテンポな曲がフィドル、バグパイプなどの演奏や独唱で聴かれる。1970年代後半からワールドミュージックとしてのケルト音楽が世界的に脚光を浴びることになるのだが、それらのムーブメントの中心的役割を果たしたグループのひとつであるBothy Bandの都会的に洗練された演奏と比べると、このアルバムに収録された多くの演奏は、より素朴さと哀愁を帯びたものが多く、19世紀半ばにアイリッシュ米国人が持ち込んだ本来のアイルランド農村地域に残っていた音楽により近いものなのではないかと思えた。

 

3. Classic Bluegrass from Smithsonian Folkways Vol 1, Vo2

カントリーミュージックは、イギリス諸地方からアパラチア山系に入植してきたヒト達が、彼らの故郷から持ち込んだバラッド、民謡などを歌い継ぎ、それらの音楽から発展してきた。ブルーズなどの影響も認められるが、基本的には南部白人文化が素地になっている。彼らの農業中心の生活で保守的な傾向から、イギリスのバラッドのテーマが良く残されているのだという。

カントリーミュージックは、当初ヒルビリー(1920年代)、その後マウンテンミュージック、カントリー&ウエスタン(1940年~1950年代)と呼称が変遷、40年代からブルーグラスというサブジャンルが派生したという。

この度は、ブルーグラスに興味を持ち、Smithsonian folkways collectionを購入し聴いてみた。馴染みやすいメロディに男性ボーカルの高くも優し気なハーモニー、フィドル、バンジョー、マンドリンなどのテクニックを競うかのような速弾き、総じて明るくて長閑な曲調が多いような印象。明るい陽射しの春の午後に聴いていると穏やかな気分に浸ることが出来る。60年代以降の都会の若い人たちには、カントリーミュージックがどこか保守的で田舎臭く映り、あまり受けなかったらしい。

 そうなのかもしれない、これらの演奏をクルマに同乗していたうちの愚息に聴かせたら、「もう無理」と途中で変えられてしまったw。でも、私としては聴いていて悪くないと思うのだが、ああ、そうか! 私自身が、いつの間にか田舎暮らしの初老オトコになってしまってい、その曲調が私の精神状態に丁度合っているのかもしれない

否!その音楽性が素晴らしいから、現在まで米国人の多くを魅了し続けているのであったw

 

4. Classic Railroad Songs form Smithsonian Folkways

米国における鉄道の始まりは1830年であり、それまでは、水路を主体とした貧弱な交通しかなく、以後蒸気機関車による鉄道網が全米に急速に広がった。鉄道の発展によって、ヒトの移動だけではなく、物や情報の伝達速度も飛躍的に速くなったのだろう。20世紀半ばに旅客機やクルマにその主役を取って代わられるまで、人々の鉄道に対する憧憬は強かったに違いない。旅情、人生の出会いや別れ、ニュースや知人・家族からの知らせなど、人々の様々な思考や心情を鉄道に投影されていたに違いなく、歌に表す大きな表象となったのだろう。この音源では、労働歌、バラッド、ブルーズ、カントリーなど、様々な音楽形態の曲が聴かれるが、そのどれもが素朴なれど、逆に曲に込めた人々の心情がストレートに表れているようで好ましく、聴き終わった後に優しい気分になる。また、Pete Seegar,Lead Belly,Woody Guthrieなど現代フォークのレジェンドたちの演奏をこのアルバムで知ることが出来たのは良かった。


5. This Land Is Your Land: The Asch Recordings, Vol.1/ Woody Guthrie

Woody Guthrie(19121967)は、「現代フォークの祖」と評されたフォーク歌手で、1930年代から活動。30年代の不況下で放浪するHoboと呼ばれる人たちと共に米国内をギターを持って放浪し、土着のメロディーに新しい歌詞をつけて貧困や政治、旅情や自然を歌ったのだという。このHoboという言葉、この度初めて知った。不況下において、無賃で列車に乗り込み、季節労働や日雇いで糧を得る貧しいヒト達がいたんだね。フォークソングは、メッセージ性が強く往々にして反体制的な行動と共にあったみたいなのだけれど、ウディ・ガスリーも時に労働運動に関わった。下層労働者に対する仲間意識が強く、そういった人々がいることを繰り返し発信したのだという。音楽的に成功を収めるが、生涯大都市に近づかず放浪を続けたらしい。若き日のBob Dylanが彼を敬愛し、晩年病床に伏せていたガスリーを幾度となく尋ねたのだという。実際にこの音源を聴いていると、曲調は全体的に明るく穏やかな曲調が多く激しくプロテストした内容になっていないので聴きやすい。無名の民の中にあるメロディーや心情に沿った歌のようであり、その点が普遍性を持った音楽となっているような気がした。


こうやって、ルーツミュージックを色々つまみ食いのように聴き漁ってきて思う事は、一人の天才が築き上げた音楽も確かに凄いのだけれど、なんだか無名の一般庶民によって長年歌い継がれてきた音楽っていうのもなかなか素晴らしいなということである。そこには時代や状況に翻弄された苦労の多い人生から生まれてきた人々の喜びや悲しみなどの心情が直に込められている。聴き手としては、何世代にも亘って音楽として受け継がれてきた無名の人々を「心」を受け取っているようであり、その事を想うと何とも言えず深い感銘を受けてしまうのである。

ボクの「アメリカ音楽界隈の徘徊」はもうしばらく続く。

 

2022年4月4日月曜日

アメリカ音楽界隈を徘徊するのこと ~その1~

本日は、ここ数日の暖かい春の陽気から一転し、にわか雨と時折冷たい風が吹く少々荒れ模様の天候であったが、夕方から雨が上がり穏やかな西日が射している。

世の中の情勢(流行り病、ウクライナの戦争、そしてまたもや東北地方に大きな地震の発生など)に心を痛めつつも、幸いなことに私の身の周りには大事件は生じず、今のところは日常のルーチンを淡々とこなす日々を送ることが出来ている。

最近は、仕事の行き帰りやちょっとした余暇の時間を使って、アメリカのルーツミュージックを少しずつ聴いている。Ry Cooderのアルバム作品や前回紹介した「はじめてのアメリカ音楽史/ ジェームス・M・バーダマン、田中哲彦 著、ちくま新書」を水先案内人として、今まで聴いて来なかった音楽を貪るように聴きまくっている状態なのだが、敢えて各ジャンルを系統立てるのではなく、ブルーズに耳を傾けたかと思えば次にカントリー系を聴くような感じで、色々なジャンルに手を出している。それは音楽的放浪というよりは、徘徊の状態なのだろうと思う。ここでふと気が付いたのだけれど、こんなに音楽を無秩序に聴きまくっている状態って、ある意味「現実逃避」なのかもしれない。でも、こういう状況下であれば、それはそれで良いではないか。ふと、人生を全う出来ると仮定して、あとどのくらいの音楽アルバム作品に出会えるのか雑駁な計算をしたところ、アルバム1作品/1週間として(時間的、経済的な制約があるからね)月4作品、1年に48作品、平均寿命を考慮すると後1248作品程度となるらしい。これを多いとするかたったそれだけとするか。途中でアクシデントに遭遇すれば、この数はこなすことが出来ない訳で、いずれにしても、その時が来ることも覚悟しつつも、その時までは自分の目下の課題にこれまで通り取り組みつつも、楽しみもきちんと確保しておくことが大切だと思っている。

 前振りがいつものごとく長くなってしまった。そろそろ本題に入り、この度は前回のブログ以降に聴いて来たアルバム作品について振り返ってみたいと思う。

 

1. Classic African American Gospel from Smithsonian Folkways


以下、私が知ったかぶりをして記載する内容については、全て先に挙げた「はじめてのアメリカ音楽史」からの引用である(著者のお二人に感謝)。

Gospelとは、good spell = good news であり日本語でいうところの「福音」なのだそうな。その音楽の源を紐解けば、アフリカから奴隷として強制的に連れて来られたアフリカ系アメリカ人の苦難な歴史を背景にしているのだけれど、その人々をプランテーション主がキリスト教(主にプロテスタントのメソジスト派やバプティスト派)に改宗させる過程があった。一方で18世紀前後に米国内において信仰復興運動があり、主にキャンプミーティング(野外集会)において、説教する者とその説教を聴いて、祈ったり、叫んだり、慈悲を乞う者がいた。そうした宗教的情熱が、即興の歌に転化し、身振りを伴い始め、その場に居た者たちの興奮の渦となった。Call and response, シンコペーション、唱和などの音楽的特徴は、アフリカ系アメリカ人の生み出した音楽的特徴なのだが、ヨーロッパ系アメリカ人がもたらした讃美歌の影響を受けつつ、イエスキリストを讃える音楽としてのgospelは、「希望の音楽」でもあるらしい。この音源では、録音年代は新旧混じっていて、より原初的なもの、黒人スピリチュアル音楽的なもの、現代でも我々が時々聴くことが出来るようなアンプリファイドされたものまで聴けて、多少なりとも民族音楽に興味のある私などは大変興味深かった。民衆への布教活動・その心を掴む手段として音楽というものが大変重要な要素なのではないかと、ふと仏教徒(浄土真宗)に属する私などは思ってしまった。蛇足として述べるならば、浄土真宗のお経(仏説阿弥陀経、正信偈など)を聴いていると、Gospelとはずいぶん違うけれども、その節回しや、必ず「南無阿弥陀仏」と唱和するところなどは音楽的だなあと以前からずっと思っていた。

 

2.The essential Mahalia Jackson/ Mahalia Jackson

 


マヘリア・ジャクソンは、「ゴスペル界の女王」と称されるゴスペルの代表的歌手だそうである。ニューオリンズ生まれ、貧困の家庭で生まれ、幼少期より教会の聖歌隊で歌っていたそうで、
16歳の時にシカゴに移住しホテルの洗濯女、メイドなどにつき日々の糧を得つつ、シカゴの聖歌隊で歌っていたところ、その才能を発見されゴスペル歌手として花を咲かせたと。後に60年代の黒人解放運動にも尽力し、1963年のキング牧師の「私には夢がある」の一節で有名な「ワシントン大行進」に参加、登壇しその歌声で全米から集まった5万人の黒人聴衆の気分を高揚させたのだとか。実際に、この音源に耳を傾けていると。その力強く澄んだ歌声に引き込まれそうな説得力を有しているのが分かる気がした。理屈やテクニックではない、それは肉体に宿る魂を根源とした強い意志としか言いようがないのだろう、何かの音楽媒体を通して聴くよりも、野外でも良いし劇場でもよい実際の生で聴くことが出来たなら、もっと心を強く動かされただろうなと思う。

 

 ただ、正直に告白すると、このアフリカ系アメリカ人による音楽なるものに対して、私の感受性には限界を感じるのも確かなのである。私が音楽を聴く態度(聞き流し、環境的な一部として音楽を聴くことが多い)に馴染みにくいことや、それからこれは本当にどうしようもない事だしどこかで気恥ずかしさもあるのだけれど、私の体質に馴染まないようである。このヒトの音楽性に大いなる敬意を抱いているのだけれど、彼女が残した音楽を私の日常生活の御伴(つまりへービーローテーションで聴くこと)とすることはないだろうなあ。この素晴らしい音楽を私の体質が受け付けられないことに対しては、我ながら情けない事と感じているのだが。

3.The Best Blind Blake/ Blind Blake

 


ギターによるラグタイムを確立したヒトらしく、
1926年から1931年の演奏を収めた音源。演奏を聴いていると、曲の構成力の卓越性、抜群のリズム感、そしてブルージーな歌声に引き込まれてしまう。

 ゴスペルが「聖」なる音楽であるのに対して、ブルース(ズ)は「俗」の音楽であり、政治的なメッセージもなければ歴史的事件に対するコメントはない。ひたすら個人的な苦悩を感情的に述べる、性愛的な事柄を歌っているらしい。そこには生身の人間としての在り方が表されているのが魅力的であり人々の共感を生んでいるのだろう。

 このブラインド・ブレイクの演奏は、どこか卓越したギターテクニックも魅力的なのだが、その曲想が軽快で明るくあり、私のようなものでも非常に楽しめる演奏になっている。何だか、1920年代に生きたディープサウスのアフリカ系アメリカ人の息遣いが聞こえてきそうである。この音源は何度繰り返して聴いても楽しめて飽きがこないと思えた。そうだな、敢えて例えるなら、サッチモの音楽に共通しているところがあると個人的には感じられた。

 

4.King of the Blues/ Blind Lemmon Jefferson

 


ブラインド・レモン・ジェファソンは、ブルーズの初期段階のカントリーブルースと呼ばれた頃の先駆者の一人らしい。テキサス州出身。メロディの繰り返しが多いが、この辺りがカントリーブルーズの特徴らしく、その歌声は力強く、ブラインド・ブレイクに比べるとより感情的のように映る。個人的な好みは別にしても(笑)、ブルーズの初期段階を知るにはとても良い音源だと思った。

 ブルーズの歴史の流れを雑駁に整理すると、ミシシッピ川のデルタ地帯で生まれ(デルタ・ブルース)、それが南部の都会メンフィスに出て(メンフィス・ブルーズ)、1930年代にアフリカ系アメリカ人の大移動もあり、北部都市のセントルイス、シカゴ、デトロイトへ広がり(シティ・ブルーズ)、大戦後アンプリファイドされた演奏がシカゴを中心に広がり(シカゴ・ブルーズ)となって、その後はモダン・ブルースと呼ばれるようなものになるらしい。

 レモン・ジェファーソンは、電気ギターを取り入れた先駆者の一人でもあるらしい。次に述べるマディ・ウォターズにしてもそうなのだけれど、聴き手/ 評論家は、その特徴を表現するために、デルタ・ブルーズなどシカゴ・ブルーズなどとジャンル分けしてしまう訳だけれど、演奏する方はそのキャリアの中で色々な音楽表現や手段を取り入れていくわけで、ある意味で独りの演奏家をジャンル分けをするのは意味をなさないのだろうと思う。また、米国音楽の発展において、アフリカ系アメリカ人の存在は大変大きく、彼ら無くしては現代の米国音楽の隆盛はなかったことには間違いがないのだろうけれど、ヨーロッパ系の移民が持ち込んだ音楽・讃美歌、バラッド、音楽理論と交わることがなければ、彼らの音楽自体も発展しなかっただろうと思わる。

5.The Best of Muddy Waters/ Muddy Waters

 


マディ・ウォターズ(
19131983)は、デルタ・ブルーズからシカゴ・ブルーズへの橋渡し役を担ったヒトらしい。この音源は19481954年までの彼の絶頂期の演奏を収録されたものらしい。彼は、戦後南部からシカゴに出てエレクトリック・ギターを手にし、また、ブルーズ・ハーブ、ベース、ドラム、ピアノなどのエレクトリックバンド編成を確立、ソリッドなビートとドライブ感を生み出したという。また、50年代の英国の若者たちが彼の演奏に夢中になったそうで、その中に後のローリングストーンズがいたのだという(これ全部受け売りですw)。

 実際に彼の演奏を聴いてみると、私がイメージするブルーズってこんな演奏だと思えるものになっている。所謂泣きのギター、ブルージーなハープ(ハーモニカ)、泥臭さを感じる濁声のヴォーカル、ははあ、これがシカゴブルーズなのだな、これを当時の英国や米国の若者を魅了したのだな。ジョン・ベルーシとダン・エイクロイドも幼いころから聴いて魅了されたのだろうなと。

 ブルーズの歴史を辿るのであれば、次にあの大スター、BB・キングの音源を求めていくべきところなのだけれど、シカゴ・ブルーズまでたどり着いて、何故か再びデルタ・ブルースに舞い戻りたくなってしまった。

この辺り「音楽放浪」ではなくて、あくまでも「徘徊」なのですw。どうももうしばらく南部辺りを徘徊していたい。本当は、既に主にヨーロッパ系移民たちが作り上げたカントリー/ブルーグラス、フォークにも手を出していたのだけれど、それはまた後日述べることにして、この度は最後に次の音源を紹介して終わりたい。

 

6.Classic Delta and Deep South Blues from Smithsonian Folkways

 


どうも私には、ブルーズのなかではデルタ・ブルーズ
/ ディープサウスブルーズと呼ばれるものが肌に合うらしい。アンプリファイドがなされていない楽器で、歌詞の内容はべつにしても、どこか洗練されていない素朴な雰囲気が漂うのは土地柄ゆえなのかもしれない(ただし、当時の彼の地でアフリカ系アメリカ人の置かれた立場は、差別・貧困・暴力など過酷としか表現しようのないものだけれど)。彼らの演奏にはなにか不思議と心に直接響いてくるものがある。Son HouseBukka WhiteBig Joe Williams 等々、まだまだ聴いてみたいレジェンドがいる。都会のブルーズは遠慮して、折に触れて彼らの音源を見つけ出して聴いて行こうかなと思っている。

 しかし、Smithsonian Folkways という団体。色々検索しているとよくヒットするのだけれど、随分興味深い音源を保有している団体のようで、凄い。この度はCD化されたものApple musicからダウンロードしたのだけれど、この団体のホームページにたどり着くと、豊富な音源が有料ダウンロード出来るようである。あれこれ手を出してみたい音源があって、ちょっと危険であるw/ 私の小遣いでは限界がすぐ来そうなので、今後新たな音源を求める際にこのサイトを利用するか否か非常に悩ましい。際限がなくなりそうw

 

この度は、以上に留めておく。次は、ヨーロッパ系移民が生み出した音楽界隈を徘徊してみたいと思っている。

 

(つづく)

 

2022年3月8日火曜日

それでも音楽に耳を傾ける、のこと

 35日(土)に、私が住む地方では春一番が吹いたとのことである。例年に比べ20数日の遅いものであったらしい。そして本日36日(日)は、朝から快晴で春の暖かい陽光が差し、時折吹く風は冷たいが、大変心地良い。

 

例年であれば、春到来を告げる外界の変化に心を弾ませる時期なのであるが、この度ばかりは外界の陽気とは裏腹に気分は沈みがちである。

 

まずは流行り病のこと。記録される感染者数はピークを越え減少傾向を示すものの、そのペースは明らかに鈍化。地方によっては再び上昇に転じているところも散見される。本日を以て、私の住所地も万延防止対策期間が解除となるが、今後感染者数の反転増加が懸念される。

 

それから、224日から始まったロシアによるウクライナへの侵略戦争のこと。連日テレビやSNS通じて目を覆いたくなるようなニュース映像に気が滅入ってしまうだけでなく、翻って我が国の置かれた地政学的な課題、そしてかの国の状況(一方的な理屈、思想、価値を元に侵略されてしまった)が我が国に起こった場合どうなるのか?そんなことを思うと大変気が重たくなる。

 ここに私の個人的な悩みを書き連ねるつもりはないのだけれど、20223月のうちなる 記憶として断片的ながら書き残しておこうと思う。

 

さて、本来このブログでは、薬にも毒にもならないことを書くことを趣旨としていて、2022年年始からは米国のポピュラー音楽について少しずつ聴いて行こうという腹積もりであった。219日にRy Cooder1970年から1982年までのアルバム11作品のコレクションを手に入れて、そのうち初期6作品をi-podに投入。


それらを試聴するために翌日220日に約5時間半のドライブを行った。残雪が残る山間を縫って走る高速道路を東進しながら聴くRy Cooderの演奏は、リズム&ブルースからニューオリンズの色濃く残るジャズ、テックスメックス、そしてカリブ音楽などのワールドミュージックなどの要素が充実していて、聴いていて大変愉快であり、日頃の疲れが癒されるようだった。


それに気を良くして更にアメリカ音楽を掘り下げていこうと思ったが、アメリカ音楽について、ジャンルと各ジャンルの特徴などまとまった知識がないことをあらためて実感。それらのオリエンテーションをつけるために何かアメリカ音楽史について解説してくれる書籍はないものかとネットで検索したところ、「はじめてのアメリカ音楽史/ ジェームズ・M・バーダマン、里中哲彦 著」(ちくま新書、2018)を知った。早速ネットで購入し、斜め読みしてみた。

 

この本は、両著者の対談という形になっており、アメリカの文化史・音楽史の詳しい両者が楽しそうに、そして流れるように、米国独立から現代に至るまでの同国の音楽史とその文化的な背景について語り合い、読者にとっては大変読みやすい構成となっていた。ただ、初心者にとってはその分一時に多くの情報に接することになり、私には一読しただけでは十分にその内容を頭に仕舞い込むには大変困難であるように感じた。これから本書を何度も読み返しながら少しずつ知識を蓄えて行こうと思う。ただ各章末(各音楽ジャンル)に著者たちが推奨する音源作品が記載されていたのが大変有難く、当面はこれらの推奨作品の音源を集めながら、アメリカ音楽を楽しもうかと思っている。

 

それにしても、この憂うつな世の中の情勢を想うと能天気に音楽を聴いている事についてぐだぐだと書いている場合じゃない気もするが、今私にできることは、時折音楽に耳を傾けて心の平衡を保ちつつ、日々目の前に立ち上がってくる公私の課題に取り組んでいくことぐらいしかないのだろうと思われる。


2022年2月19日土曜日

音楽とボク、的な話/ 他愛ものない話です。

「音楽と私」なぞと表題をつけてしまうと、如何にも各界の著名人なり文化人が音楽を語るみたいな大仰な印象を与えてしまうので、ここでのタイトルはあくまでも「音楽とボク」である。市井に暮らす一平凡な中年オトコの個人的な音楽との付き合い方について述べており、読まれる方にとっては何の役にも立たない、だからどうしたと思われる事を綴っているだけの内容です。だから、どうぞ、興味のない方はスルーしていただければと思います。

 まずは2022年が明けてからの、ボクの思考の流れをざっと整理しておく。

 この2年あまりの時間は、流行り病のおかげで有形無形にボクの生活に影響を及ぼした。仕事おいては業務量も増えるし何かと気を使う場面が増え、私生活においても自由な外出時間も場所も減ってしまった。ついでに述べると、ボクもいつの間にか50代半ばを過ぎて、人生の岐路というかこれからの人生の事も色々と考えてしまうことも多かった。若いヒトがいうリア充な状態で、好きな自転車乗りも音楽をゆっくり聴いたりすることもめっきり減って、このblogを書くネタもなければ、気持ちの上でも書くゆとりもない状態だった。

 年が明けて、三原地域へのドライブがきっかけになり、こういう制約が多くストレスフルな状況だからこそ、もっと身の周りや足元にある良いもの・楽しみを見つめ直して自分自身が楽しんでしまえば良いのでないかと思えるようになった。夫婦二人きりの生活を楽しめば良いし、自分が本来好きだった本や音楽を楽しめばよい、探してみればそういった悦びの対象はどこにでもあることを再認識したのだった。

 音楽については、これまでに聞き逃していたジャンルに自分の関心を広げていこうと思った。ボクのこれまでの音楽的嗜好としては、60‐70年代を中心としたジャズやロック、ブラジル音楽、そしてイージリスニング、そしてクラッシックが主たるものだったのだが、更に思い出してみると音の鳴るものは何でも好きで、祭りのお囃子や邦楽を聴くのも好きであったし、いつかイチロウ氏が土産に買ってきてくれたコーランも聴いていて楽しく思えた。これは芸術全般に言える事だが、世の中には美しいものや優れたものが沢山あって、ただ自分が知り得るものはその中のごく一部に過ぎず、そういう意味で一般の個人は無知な状態なのだろうと思うのだ。40歳前後に、「いつかこの世とおさらばする時が来るまでに、可能な限りそういった美しいものや素晴らしいものに出会いたい」と心に決めたことがあった。

 ふと、ここで脳裏に浮かんだのは、たまに美術館を訪れるとそこには中高年のご夫婦連れの観覧客の如何に多い事か。恐らく他の諸先輩方もボクと同じようなお考えを持たれていらっしゃるのではないだろうか。そう云う意味ではボクも立派に中高年の仲間入りをしていることになり、そう思うと己の時間の流れについて愕然とするけれど、時間の流れは無常であり、時間的な存在としての自分も受け入れた上で、人生を楽しまなければ仕方がないことだ。

 あのドライブの日以来、暇な時間が出来ると「残った時間をどんな音楽を聴いて過ごそうか。これまで忌避していたカントリー、ブルース、米国南部のルーツミュージック、テックスメックスなる音楽や、なかなか知ることが出来なかったエスニック音楽、アフリカ音楽など、音楽の大海にのりだしても楽しそうだな」などと想いを巡らしていた。

 さて上記のような心の経緯があり、ボクの音楽的探索は、とりあえずアメリカ音楽から入っていくつもりであった。先月のドライブでたまたまゲットしたSammy Davis Jrのアルバムのカッコ良さから、それまで聴いていなかったBlood Sweat Tearsを聴き、Al Kooper そしてHarry Nilssonの存在を知って、60年代後半から70年代のロック・ポップスの元気さ・豊かさを再認識し、その過程ではとても面白い収穫を得られて大満足だった。ただ本来の意図は更にディープなアメリカ音楽の源流に進んでいくことだった。

 前々から気になっていたアーティストにRy Cooderがいる。私の乏しい知識に基づく勝手な想像だと、このヒトはブルース音楽のギタリストでありヴォーカルといった立ち位置だと思っていたのだが、この度ネットで調べてみると、彼はスライドギターの名手であるだけでなく、Taji Mahalをはじめ様々なミュージシャンとの協働、アメリカ音楽への志向性に留まらず(ハワイ、沖縄、キューバなどの)エスニック音楽への興味、そして80年代では優れた映画音楽を制作し、彼のキャリアには多彩なアルバム作品が残されているようだった。ある人に言わせれば、「良い音楽を求める音楽的旅人」と形容される人物のようだ。このRy Cooderの音楽に対する態度は、今の私の気分や嗜好に完全に合致しているように思えた。

 ネットでRy Cooderの来歴を斜め読みした後で、You Tubeで彼の演奏を聴いてみることにした。今まで彼の演奏について予備知識がないものだから、テキトーに当てずっぽうにクリックして聴き始めたのが「Prodigal Son(2018)」のスタジオライブ盤 。本人のヴォーカルとスライド奏法を駆使したギターに、ベース、ドラム、エフェクターの効いたアルトサックスの4人構成で、この曲はブルース色の濃いロックのようだった。

(興味のある方は、You Tubeから転載させて貰いましたので、聴いてみてください。)



 ムム…….。オトコっぽくカッコいいし渋い曲….。ボクがこれまでどちらかと云えば敬遠していたタイプの曲だった。一瞬どんなヒトがこのような曲を好むのだろうかという疑問が脳裏を過った。なんだかワークパンツに長Tシャツの上にネルシャツを羽織り、ブーツなんかを履き、あごには無精ひげを蓄えて首周りにはネイティブアメリカンなネックレスをしてそうなあんちゃんが思い浮かんでしまった。絶対にボクには似合わない恰好wカッコ良いのだけれど、オイラの音楽じゃねえ…….と唸ってしまった。ちょうど、そこに居合わせたイチロウ氏に聴かせると、「おお、テンガロンハットをかぶって、アメリカのSUVにでも乗ってりゃ似合うぞ」と宣う。ボクが堪らず、「カッコいいけどさ、オレじゃないよなあ、この音楽は….」と応じると、同氏妙にきっぱりと「おめえのどこに自分があるんだよう。どうせそんなものないんだから、気にせずに聞けば良いんだよ」という。

 50半ばのおっさんに向かって、「自分がない」などと指摘されると多少傷つくわけですw。「自己確立がなされていない、未熟者」或は「信念も定見もない軽薄な者」と言っているようなものだから。高校時代の同級生にコヤマなる人物が居て、そいつの名台詞であり口癖が「鋭い指摘は後に傷を残すねん、うふふのふ」であった。ふと40年の時を経て思い出してしまったではないかw

 うむむ、確かに齢50も半ばを過ぎたが、己の中に語るべき定見も持ち合わせていない。好きな音楽についてだって、こだわりもなければ守備範囲も明確なものはない。先に書いたように何でも音が鳴っていれば好きなようなものだ。子どもの頃から、ラジオから流れてくる流行歌、邦楽、洋楽を聞き流して過ごしてきたのだもの。小学校の頃なんか日曜日朝にラジオ番組の「音の風景」を聴くのが好きだったし、少し成長して中学時代にはFMラジオで小林克也さんのベストヒットUSAを聴くのが好きだった。高校時代になると渋谷陽一さんのサウンドストリート、つづいてクロスオーバーイレブン、更に城達也さんのジェットストリームを聴くのが日課になっていた。20代後半は仕事で移動中のクルマの中で聴く「邦楽の時間」が好きだったし、40を過ぎた頃から、毎週日曜日のN響アワーを視聴するのが好きになった。ジャンルに関係なく音楽を聴くことが好きなのだから仕方がない、深く掘り下げる作業については不十分なところは認めるのだけれど、守備範囲を広げて来たのは色々な音楽に出会いたいだけ、ややこう書いていて我ながら「やっぱりオイラは軽佻だなあ」と思わぬところはないではないけれど、それもひとつの志向性だと認めていただけないだろうかw?

 イチロウ氏からやや鋭い指摘を受けて、はたとこのままRy Cooderに進み、無精ひげを蓄えて、長T・ネルシャツ・ワークパンツに纏い、ブーツ、テンガロンハントを着用し、アメ車のSUVを駆けるそういう趣味人間になるべきか暫く逡巡していたのだけれど、我ながら余りの極端さにおかしくなり、これまで通りのスタイルで色々な音楽を気の向くままに己のスタイルで聴けばよいだけのことではないか、彼の音楽が自分の好みに合わなければ、方向転換をすれば良いだけの話であることに気が付いた。



 そこで選んだのが、You Tubeで視聴した曲と同名のアルバム「The Prodigal Son(2018)」で、ネット通販でCDを購入。手元に届いた日に終業後早速聴いてみたところ、期待以上の内容のように思えて、ものすごく良かったし満足だった。アルバムタイトル曲は、同じアレンジにコーラスが加わっているがブルース的ロックがカッコ良いし、他の曲においてはスローテンポなゴスペル調のナンバーあり、そしてトロピカルなアレンジが施されたもの、アフリカの音楽を思い起こさせるような曲あり、この人のキャリアから放たれる光彩と陰影がひとつの曲やアルバムの構成全体に満ちているようであり、このヒトの50数年に亘るキャリアの2018年時点の到達点なのだろうと想像された。先にも述べたように、誰かが言ったように、このヒトが「良い音楽の探求者・旅人」なのだとしたら、このヒトが残した航跡をボクも辿ってみるととても愉快で楽しい発見がありそうな気がした。

 このアルバムの後半に「You must unload」「I’ll be rested when the roll is calledの古いゴスペル調、「habor of love」「Jesus and Woody」と穏やかなスローナンバーが続く時間的空間があって、このあたりを聴いていると次第に心が穏やかになり、色々な日常の疲れが癒されるようだった。


 これらの曲を繰り返し聴きながら、あの時イチロウ氏は今更のようにボクに対して「お前に自分てものがあるか?」と投げかけたのだろうとふと考えていたのだけれど、次の瞬間、そういえば学生時代にも同じことを言われたことがあったことを思い出した。

 20代の前半にある女の子を一方的に好きになってしまったことがあったのだが、その子はとても感性の豊かな子で物事に一途なところがあり、色々な事に悩みながらも自分らしい考えも持っている或は持とうとしていた様子であり、その姿勢に可愛らしさと知性を感じさせるヒトだった。その子とある晩に電話で長話をしていたのだが、ボクは完全にその子のことが好きだったものだから、それこそ鼻の下を伸ばしてその子の語る内容に全面的に肯定的な相槌を返していたのだった。だって、ボクはその子と駄弁っている事そのものが目的であり幸せな時間だったものだったから。「そうだよ、全くその通りだ」と応じていたのだが、その子がひとしきり語った後で、「それでマサキさんはどう思う?」と尋ねられた時、ボクはなんて答えたのか忘れたのだけれど、恐らく「あなたの言う事に全面的に賛成」みたいなことを言ったのだと思う。そうしたら、彼女曰く「マサキさんは、自分ってものがないのですか?」と言われてしまったのだったw

 その時、ボクは「そんなことないよ」とエヘヘと笑ってやり過ごしたのだけれど、一方でどこか自分の核心を突かれたようで、この子は本当に鋭いヒトだなと思ったものだった。その時彼女は優しく「そうですよね、言い過ぎました」と言ってくれた記憶があるけれど、一方で「しょうがねえ奴だな」と内心思っていたのかもしれないw。うすぼんやりとその子のことを懐かしく思い出しながら、そして次にふたたびイチロウ氏のことを思い出した。図らずも、30年余りを経て、違う人物から同じような事を言われている。

 30年余りも経て、「ボクっていう奴」は本質的な部分で何も変わらず成長していないらしいw

「しかしねえ」と、イチロウ氏に対して思うのだけれど、なんでも興味を示し「良いなあ、良いよ」と言っている奴って貴重じゃないですかねえ?だからこそ、仕方がない奴だと思いつつも付き合えるのと違いますかw

そういう反論を想い出したところで大変愉快になって、再び30年前のその子のことを暫し懐かしく想い出した。その子に再会できるとしたら、今の自分をどう説明するだろうか?「あの頃となんにも変わっていません」とやや赤面しながら照れ笑いを浮かべて報告するしかないだろうなw。

 話が随分脱線してしまったのだけれど、ボクの音楽的嗜好性についてまとめると、基本的にあれこれも無節操に手を出してみて、音楽を楽しんで行く。今までそうやってきたし、これからも人生とおさらばするまで、暇を見つけては気の向くままに音楽を楽しんで行くのだろうということだった。そこに定見も必要なければ、選択基準もない。ただ「限られた時間の中で、何かと制約の多いこの状況の中で音楽の楽しもうではないか。」と思うだけである。

そんな事をあれこれとぼんやりと考えて過ごしていたら、Ry Cooderのアルバムコレクション(1970~1987)が手元に届いた。さて、どんな音楽的世界が待っているか楽しみである。

 

(取りあえず続く)


2022年2月8日火曜日

芋づる式音楽探索~その3~ ハリーとの出会い

ボクの芋づる式音楽探索は、前回の最後に述べたように「Without Her」を作曲したHarry Nilssonにやはり向かった。予備学習にYou Tubeで彼の歌うWithout Herを見つけ試聴して、フムフムと了解し、ネット販売で「Harry Nilsson/ Original Album Collection」なるCD5枚ボックスセットをゲットした。

 


1)     Aerial Ballet (1968)

2)     Harry (1969)

3)     Nilsson Schmilsson (1971)

4)     Son of Schmilsson (1972)

5)     A Little Touch of Schmilsson In The Night (1973)

 

5つのalbumで彼のキャリアの中では前半期の作品が収められていた。急いで紙ジャケ裏面の曲目をチェックしてみると、肝心の「Without Her」はどのアルバムにも収録されておらず。Wikipediaで調べてみると、同曲は、別のアルバム「Pandemonium Shadow Show」(1967)に収録されているらしい。因みにこのアルバムが彼の実質的なデビューアルバムで、あのJohn Lennonがわざわざ本人に電話をかけて大絶賛したのだとか。へえ、そうですか、当時飛ぶ鳥を落とす勢いだったあのLennonも注目するくらいの出来栄えだったのか。ああ、ちゃんと事前勉強を入念にしておくべきだった。

 

ただし、You Tubeで視聴した彼の演奏から、彼の音楽性そのものにも興味が湧いてきたところだったから、ボクとしてはまず上記の5 アルバムを聴いてみるのも決して興を削がれるはずもなかった。

 

1968年から1973年の彼の作品を聴いてみると、ソングライティングとしてはその曲想はロックンロール、ヨーロッパ的ポップス、カントリーミュージック、リズム&ブルース、フォーク、そして(多分)ブギウギ、ラグタイム、ボードヴィルなどオールドアメリカポピュラーソングや同年代のポップスなどから幅広くアイデアを得ているようで、佳曲が多い。特に個人的に印象が強かったのは、オールドソングへの憧憬が見て取れるところだった。恐らく幼いころから色々な音楽に触れて成長したのだろうし、知り得た断片的な情報によると、子ども時代に大変苦労して過ごしていた様子で、これらの曲想の中にそれらの体験が強く影響を及ぼしていそうな気がして彼自身の個人史に大変興味が湧いた。もし彼の評伝が出版されていたならば、是非一度読んでみたいと思うのだけれど、それは今後の宿題とする。

 

本人自身が歌ったヒット曲としては、「everybody talkn’」「without you」などで意外ににも他の人が書いたカヴァー曲。聴いてみるといずれも何処かで聴いたことあるナンバーだった。

 

シンガーとしても力量は大したもので、ノリの良い曲では、ジョン・レノン張りにシャウトし、フォーク・カントリー調では明るく爽やかに、スタンダードナンバーでは、哀愁を湛えた甘くも優しい歌声を示し、その音色は変幻自在である。特にスタンダード曲を集めたアルバム「A Little Touch of Schmilsson In The Night (1973)では、彼のシンガーとしての力量を余すところなく表現されていて、ボクとしては完全に魅了されてしまった。恐らくこのアルバムはボクにとって愛聴盤の1枚となり、今後も繰り返し聴いて行くことになるだろうと思われた。

 

このヒトは、同年代の有名なアーティストほどビッグネームにはなり得なかったのかもしれないが、同年代の他のアーティストとは一線を画すほどの音楽的世界を作ったヒトであることには間違いない。60年代後半から70年代と云えば、ロックの全盛と商業的肥大化、諸々の社会運動など、音楽的にも世相的にも何かと賑やかな時代だった筈で、その中にあって彼の作品が世間の喧騒とは別世界で成り立っているように思える。ボクなぞは、そこにある不思議さを感じるのだが、50年後に彼の作品に初めて触れた者からみると、彼の作品には何か普遍性を帯びた上質のポップスとしての価値を保ち続けているような気がしてならなかった。

 

Without Her」の原曲を求めて探索をしていたら、もの凄いアーティストを発掘してしまったようだった。「Pandemonium Shadow Show」(1967)をネット販売でその中古CDを発見し注文して手元に届くまでの数日の間、これらの5枚を繰り返して聴いているうちに、すっかり彼の音楽そのものに嵌ってしまっていた。

 


そして本日件のCDが手元に届いた。John Lennonが大絶賛したというアルバム「Pandemonium Shadow Show」(1967)。Beatlesの影響を受けたと思わるものや60年代ポップス調のナンバーが強く印象に残る。実際にBeatlesのカヴァーを2曲ほど、多重録音でリードヴォーカルに本人がコーラスパートも入れて、アレンジもビートルズ風に施されていて、これはこれで聴いていて楽しい。その他のナンバーもポップスとして佳曲が数多く収録されていて、デビューアルバムにしては既に完成度が高い。

 

そして遂に「Without Her! 本人のナイーブで抑制的なヴォーカルに、チェロに続いてフルートの伴奏が被さり、バロック調のアレンジで繊細かつエレガント(このあたりもBeatlesElena Regbyを彷彿とさせるけれども)であり、良い出来です。うーむ素晴らしい。

 

と、いう事でボクの芋づる式音楽探索は、大満足のうちに終わりに近づいて来つつあるのだけれど、You Tubeからボクの大好きなAstrud Gilbertoの演奏から始まって、Al Kooper/ Blood, SweatTears、そして最後に作曲者ご本人の演奏を以下に転載させて貰っておくので、ご興味のある方はどうぞ参照していただいて、楽しんでみてください。

 






どの演奏もそれぞれのアレンジに味わいがあって良いでしょう。名曲は、どんなアレンジが施されても甲乙つけがたい例のひとつと思われる。/そもそも良い曲だからこそ、色々なアーティストが取り上げて工夫を凝らして演奏するのだろうけれど.....。

さてこの次は、どんな音楽探索が出来るか?まだとっかかりは思いつかないのだけれど、また新しい発見と喜びがある筈で、そのことを想像するだけで大変愉快である。

(完)